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【 樋口吾笑 竹本綱太夫其他名匠石碑供養 】
(2023.03.13)
提供者:ね太郎
浄瑠璃雑誌 308号 11ページ
竹本綱太夫其他名匠石碑供養
竹本津太夫、豊竹古靱太夫、鶴沢清六の三氏は予て初代竹本綱太夫外十二基の石碑修理を思ひ立ち着手中なりしが漸く全部完成したれば客歳十一月廿一日南地法善寺に日本因会員、京阪神の素義大家を請待し石碑供養を営んだ、文楽座よりば白井社長を始め殆んど総動員で奔走斡旋し、素黒混淆堂を埋めた。寺僧の読経が終ると津太夫、古靱、清六の順で焼香し以下順次勝手に修理完成の墓碑に礼拝し各自それ〳〵退出したるが此の十三基の墓碑が何故永く荒廃に委してあつたものか知らざるも祖先を崇拝敬慕するは日本人の美風である。墓を荒らし神仏を念ぜざるものは凶事交々臻る審決して迷信にあらず。さればこの挙は祖先崇敬の道念に於ても亦斯道愛護の意味に於ても頗る有意義の事であると同時に斯道復興の前兆なりと称する者さへ有りし程敬虔の念を湧しめた。当日古靱師は十三基の墓碑に就き其生存中の略歴を簡単明瞭に述べたり又偲ぶ奥津城の配布を受けたる一般参詣者は知つて居らうが斯る事柄は成るべく多数に知らしむる要ありと認め数回に分ち転載報導する事とせり、因に古靱師の話の要領は序の言葉と墓碑の説明を簡約せるものなれば就て耽Xせられん事を望む(吾笑)