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【 石割松太郎 問題は土佐の九段目-文楽座の春興行- 】

(2023.05.28)
提供者:ね太郎
 
問題は土佐の九段目-文楽座の春興行-
 石割松太郎
 演芸月刊 第二十輯 pp 14-20 1931.2.1
 
 旧冬十二月興行において太夫場割の杜撰至極である事を、私は実例を以て指摘した。初春興行にはこの事勿れかしと私は心に念じたのであるが、私の念願は届かなかつた。文楽座の当事者はいよ〳〵出でて、いよ〳〵無茶を働く、古典を冒涜して顧みない、いつもいふ如く文楽の当事者は人形浄瑠璃を知らないから無茶が出来る、敢てしてゐる、寒心すべき文楽の前途だ。
 それは何を指していふのかといふに、今度の興行に「忠臣蔵」の道行と九段目とを通し狂言から引離して開幕に用ゐてゐる事である。かういふと現に歌舞伎でもこの事をそのまま行つて敢て異としないではないかといふかも知らぬが、ソレが浄瑠璃を知らぬ無茶の出来る芸当なのだ。度々いふが歌舞伎の現状と人形浄瑠璃の現状と並びに将来に対する施設が自ら異るところがなくばならぬ、ソレを知らぬ事を文楽座の当事者に私は常に責めるのである。こんな事をしてゐると人形芝居を亡ぼすものは松竹である、松竹の白井氏は人形芝居を意識して亡ぼさうの手段を講じてゐると見ていゝ位だ。
   ◇
 その理由を一々についていふと、元来「道行」といふものは一曲の終りに近くある、五段ものゝ昔の形式ならば四段目の初めとか「忠臣蔵」のやうな形式ならば八段目とか、即ち作者の意図は、一日の狂言に重い場面が続くその目と耳とを一転せしむるために、こゝに一つの「道行」といふ形式が挿入される、これで一日の見物の疲労を医するといふのが、元来の作劇上の用意である。三段目で疲れた見物の意識転換である、こんな用意を持ちたる「道行」が、今度の文楽座ではお客が椅子にかけるか、かけないに道行「旅路の嫁入」が始まらうといふので、狂言の立て方も何もあつたものではない。
 丁度東京歌舞伎座の「増補忠臣蔵」もこの手法を用ゐて、いきなり天下の松尾太夫が山台にゐて「旅路の嫁入」を見たが、それは歌舞伎の事で、人形浄瑠璃でないから、現代における「演劇」としての位置が違ふからまだ〳〵恕していゝが、保存第一の文楽座を歌舞伎並みの興行意識でやツつけようとする松竹の白井氏を人形浄瑠璃を知らぬ者だといふに不思議はなからう、かうして人形浄瑠璃は白井氏のためにその死滅を早めてゐるのである--これが第一。
   ◇
 昨年の十一月に文楽座は「忠臣蔵」を出した、七段目の茶屋場限りで打出した、私は当時人形浄瑠璃で最も重しとする、最上級の語り物とする九段目を欠く「忠臣蔵」を見て文楽座のために涙なくして見る事が出来なかつた。九段目を欠く「忠臣蔵」が松竹以外の手で昔から只の一度でもそんな無法な実例があるか、古典の形式を無みするその無法を責めた。
 或は浄瑠璃中の最上級の九段目を語る太夫がないがために九段目を出さないといふならば、紋下の権威を疑ふ、松竹が紋下太夫を認めない行動である--と私は責めた。
 すると、一月おきのこの初春興行に庵の土佐太夫が九段目を語るといふのだ、これ明かに紋下津太夫を太夫元である松竹が信認しない己いふ事を意味してゐる。十一月の「忠臣蔵」に紋下の語るべき九段目をワザと欠如さしたのは津太夫を信認しない結果であると解してよからう,その十一月に土佐太夫に九段目を語らさうの意識はあつても流石に「紋下」の名によつて遠慮した、その結果が九段目を欠いた、然し土佐太夫を九段目語りと松竹が認めた事はこの春興行で裏書をしてゐる。私は津太夫がよくもこれだけ明々白々にその紋下の位置に対して、太夫元から不信認の行動を叩き付けられてその位置に晏如たる事に茫然たるものだ。芸人の意気が地を払つたのを常に私が嘆くのはかゝる実例を耳聞目睹する事の頻繁に驚くからだ。これ何によるか、松竹の劇場独占が芸術に及ぼす弊害の最大なる不都合である。「芸人」の意気を失うて「芸」に生彩を求むるは、屍に溌溂たる「熱」を求むるよりも尚愚であらう、--許すべからざるこれが第二。
   ◇
 元来、文楽座の太夫の多くは「いつ俺は「九段目」を語れるだらう」といふのが古来の目標だ、されば今度の九段目に就て私は力瘤を入れて論ずるのだ、私に言はしむるならば、この九段目を土佐太夫が平気で役をうけて開幕に「道行」をつけて九段目を語つてゐる事からして間違つてゐる。前述の紋下太夫に対する情義、仲間の秩序を常に口にしてゐる土佐太夫としては一代の失策だ。或は土佐は仕打が承知しないから余儀なく引受けたといふかも知れぬがそれは一つの遁辞に過ぎない然らば仕打が「鴈治郞の勝頼で「十種香」のチヨボを語つて下さい」と言つて承知しなかつたらば、土佐太夫は何とする、それをも仕打の言ならば仕方がないと引受けるか、引受けねばならぬ事にならう。又無法なる白井氏はこんな要求をしないと誰れが断言し得るか、危いものだ。
 私のいふのは仕打の言よりも何よりも、今の文楽座の如き環境に置かれたる古典芸術は「道のため」といふがその道に携はるものゝ標準の唯一ぢやあるまいか。
 「仕打が承知しないから余儀なく引受けた」などは、もう今日の土佐太夫ほどの年配と芸歴を持つた人のいふ言葉ではあるまいかと私は思ふがどうあらう。今一つ私が不服なのは、この前十一月の興行で土佐太夫が古靱太夫の病気の時に上席から代役する事の弁を「浄瑠璃雑誌」で一読して、いかに口巧者に弁じても「芸人の意気」の鎖磨を感ぜずにはゐられなかつた事である。仕打はいつも上席から代役を出さうとするのは常例だ、それを上席のものが代役をしない処に後進に対する愛撫があるのだ。土佐太夫の此十一月の挙とその弁明は「仕打のため」の軽挙であつて、「斯の道」のためには甚だしき悪例を貽した。尚この土佐の謂ふ「上席」云々については私はもつとデリケートな観察と異見とを持つてゐるが一段落を告げた事件であるから、今はこれ位で止めておく。--これ私の不当とする第三。
   ◇
 かういふ風に今度の九段目に就ては私は大きな不合理を数へ立てるが、ソコが「芸」の尊さで土佐太夫の「九段目」が上乗の出来なれば私の如上に述べた総てが霧散氷解して了ふのだ、これ「芸」の力、要は形式よりも「芸」の本質的の価値にある、然らば土佐太夫の九段目に眥を切つた私をして破顔一笑せしめたか、どうか、問題はこゝに存する。
   ◇
 みす内の「雪こかし」が、貴鳳太夫の駄浄るり「アヽ降つたる雪かな」の「雪かな」などが成つてゐないぢやないか、これが浄るりで飯を喰つてゐる玄人だといふのだから驚く。素義の連中が、文楽の床を軽視するのはこんな浄るりが文楽にあるからだ、心すべきである。啻に貴鳳太夫独りの不名誉ぢやない、もつと勉強さつしやい。
 土佐太夫のその切になつて、土佐としては初役である、そして問題の九段目だ、土佐も久々相当の緊張裡に語り出した「紋下との心の曲折」があるのだ、土佐の鼎の軽重はこの興行で略決定すると見ていヽ、土佐としても大切な興行である。
 元来、九段目は所望されて知りませぬといふのは太夫の恥だが、滅多に所望に応じてはならぬ一曲だ。十分覚えてゐていヽ、又覚えてゐねばならぬ浄るりであつて、滅多に太夫は語るべきでない--といふほど重いものである。私は土佐の九段目を聴くまでは前半のお石と戸無瀬の詰開きに土佐の努力とその効果とを期待した、本蔵が出てからの後半は実は土佐に期待を持たなかつたのである。
 聴いた後の私は案外の思が胸にこみあげた、後半は予期したやうに本蔵がダメだ、この前の「金藤次」に既に難色があつたのだから九段目の本蔵は勿論語れようとは思はない、或は求むる方が無理かも知れない。
 が、お石、戸無瀬の詰開きは土佐の巧者な会話でとにかく面白く聴かしてくれる事を期した私は失望した。土佐の九段目は我々の頭に描いてゐる九段目とは全然色が違ふ「九段目らしからぬ九段目」だ九段目の基調が異つてゐる、これを聴いて、なるほど九段目は難つかしいものだとつく〴〵私は感じて更に死んだ越路太夫を想起する事が多かつたのだ。
 女性の会話、辞のとりやりのうまい土佐にしてお石と戸無瀬とが全く色調の異つた九段目として受取れたのは案外だ。然らば何故土佐がそんな異つた色調を醸成したかと考へると、私は土佐は「九段目」に緊張の度を越えて固くなつてしまつた、のみならず土佐は九段目に対して根本の考へ違ひをしてはゐないか(?)
 お石、戸無瀬の詰開きを聴いて御覧なさい「九段目」といふ荘重さを全く欠いた。詰開きの両女が千五百石と五百石の家老の妻女が、命を懸けた必死の外交談判--その真剣味は聴いたが、両女が蓮葉だ「夫本蔵の両刀」を帯する「女武道」がなくなつてゐる、こゝに「浄るり」としてこの九段目の語り口がいんでしまふ。
 何故かういふ事になつた?土佐のお石も戸無瀬も写実の某調に浄るりを持つていつてゐる、土佐のこの努力の方針が間違つたがために、相当の効果を収むべき詰開きが失敗に終つた。
 浄瑠璃では或種のゴク狭い範囲の世話物以外「写実」に基調をおくべきでない。にも拘らずこの詰開きを写実的の手法で効果を収めようとしたのが失敗の第一原因だ、往々にして「写実」に添ふ品位の下落がお石、戸無瀬を蓮葉にし、端したない女の口いさかひにしてしまつた。
 さればこの詰開きを別にすると「鶴の巣籠」前後のサワリは流石の老巧なる土佐の特色を出して十分に聴かした
 もう一つ土佐の戸無瀬に私が不服であるのは「去つたといふを面当、欲しがる処は山々」の欲しがる処は山々が唐紙を閉め切つて入つたお石にかけて語つてゐるのは、これも矢ツ張り戸無瀬を蓮葉な女にしてゐる、これは正しく娘にいつてゐるのでお石への面当てにいふやうでは浄るりが下卑びる。
 お石の辞では「……の聟引出御所望申すは是でない」御所望申すはの「は」が明晰に語れなかつたから、「御所望申す」と「是れではない」が別々の辞になつて聞える。これら両女の詰開きはてにはのハツキリすることを要求したい。
 後年は予期の如く、本蔵は拙い--といふよりも、九段目の「本蔵」が全く出ない、本蔵の拙い例を引く事は止めよう、随所に不服が多いから、又土佐の柄にない役だから強く責める事は見合はさう。これを見ても太夫と柄との洞察と理解とは太夫に役を与ふる太夫元の心すべきものである事が分る。
 こんな不完全なる九段目を聴かす位なら--又通し狂言を離れて九段目を出すべく余儀なくさるゝならば九段目の分割を私は私の日頃の主張から主張する。前半を土佐太夫に後半を何故津太夫に語らさなかつたか、松竹の白井氏が浄るりを知らぬといふ事はこれを見ても判る。
   ◇
 白井氏といへば、文楽座の場割その他の決定をして「斯の道の為め」でなく自分の「感情」の趣くまゝに、無法なる暴威を振つてゐるのだから堪らない--丁度白井氏の「感情の暴威」を物語る一つの挿話を茲に述べておかう。
 それはかうだ、--去年十一月興行で古靱が「忠臣蔵」の六ツ目を語つて途中病気で休んだ。その報知を得て文楽座の一奥役が白井氏に急を告げ代役の相談をした時の白井氏の口上に曰く「あんたは私の顔を見ると碌な事を言つて来やはらん」とて不機嫌顔「土佐はんに代つて貰つて下さい」といつたとの事である、奥役は芸人の病気を言ひたくていひに来るのでない、それを斯くの如く「感情の暴威」を以て片付づけてしまふ、そして文楽初つて嘗つてない所謂「上席者」の代役を遂行したのだ、強行したのだ。これ独占者の「感情の暴威」でなくて何んであらうか。斯くの如く白井氏は「感情」でなくは「勘定」一点張りだ。久左衛門町の松竹事務所の奥まはつた社長室に漲る「感情の暴威」はこの一事を以て見ても判る事と思ふ。私は道頓堀--久左衛門町--四ツ橋に渉つてこんな実例は浜の真砂ほど拾ひ上げる事が出来るのだ、読者諸君--此一条を何と観らるる?
   ◇
 芸評の筆が逸れた、本筋に戻して、この九段目の絃は吉兵衛努力の結晶である、吉兵衛の絃を私は推賞する--と同時に丁度私が文楽座を見た日は恰も果敢なく死んだ野沢勝市の遺骸を長柄の墓所に送つた--その帰途文楽の椅子に私の身を置いたのであつたから吉兵衛の三味線に私は特に身も心も引かれた--私が太夫元ならば勝市といふ三味を亡つた将来の多いつばめ太夫のためにその合三味線に吉兵衛を以て配したい。つばめを吉兵衛をして十分仕込ましむるならば次の次の時代はつばめの文楽座となるであらう、有望なる太夫養成にこれほどの良策は又とあるまい。そして吉兵衛としてはその晩年を最も有意義に使ふ事が出来るのは芸道熱心な吉兵衛の本懐とする処だらうと思ふ、又現在の合三味線である土佐太夫ほどの老手になれば何も必ずしも吉兵衛を要すまい、「俺れの吉兵衛」をずつと後進のつばめに与ふる事は土佐が斯道の為に尽し欣懐とする処だらうぢやあるまいか。そして松竹がこれを敢行するならば商売冥利、又今日までの文楽座に与へた無法なる施設の幾何かの罪を恕する一つの道ともならうかと私は思ふ。
 私が、何故かういふ事を思つたかといふと、九段目の後半の吉兵衛の三味線に力余つて、不平の音色をそぞろにその三味線に、私は聴いたからである。
   ◇
 九段目の人形では玉松の本蔵がなかなかよく遣つた、人形の柄を大きく見せたのは感心だが、線の荒つぽすぎるのが疵、栄三の由良之助シツトリとしていゝ由良之助、が、茶屋場と違うて由良之助としては遣ひ場がない貫録だけである。文五郎の戸無瀬も結構だが土佐太夫の浄るりに引づられて「欲しがる処は山々」でお石にかけて面当てらしい科のあるのは疵だが、然し品位を十分に舞台に保つたのは浄るりよりも人形の功である。小兵吉のお石は歌舞伎では何んとなくイキに過ぎて妾じみるのを通弊とするが、人形ではその難がなくて赤穂の国家老の妻らしい品位をよしとする。紋十郎の小浪はこの人近来の傑作、やる瀬ない娘心をよく遣つた、久しぶりで紋十郎の芸をよく見た、本藏の悪体を吐くところでハラハラする心を小浪によく見せたのは紋十郎の手柄である。
 道行「旅路の嫁入」は錣太夫が心で、太夫三味線をズラリと並べてこれで人間をはかさうとする。人形では文五郎の戸無瀬、紋十郎の小浪で歌舞伎よりはさすがに味がある。こゝの道行が俳優だと人形ほどの面白味がないから歌舞伎では清元の「落人」が出来たわけ、人形の味は「大石や小石拾ふて我夫と撫でつ擦りつ手に据て」などに見られる、小浪のあどけなさが、これ人形の身上。
 次に「寿式三番叟」がある、大隅の翁、相生の千歳、三味線は道八、仙糸を初めとして毛筋一本の乱れもなくよく揃つた、栄三、文五郎で二人三番叟、新文楽座開場式以来の当り芸、人形偏重のけふこの頃の文楽座としては落さない出し物で面白く見せた。
 次が「盲杖桜雪社」といふ景事、島太夫、つばめ太夫、南部太夫で浄瑠璃は語れずに、長唄仕立の唄ひもの、太夫もだん〳〵語らずに唄ふ事になるらしい。その上切に同じこの三人で「戻駕」が出る、浪花の次郎作がつばめ、禿が南部、吾妻の与四郎が島といふ割当、春とはいへ、序の道行から切の常磐津擬ひの「戻駕」に至る景事づくめ、狂言の立て方の拙さまづさ、お話にも何にもなつたものでない、あつたら太夫を唄うたひに仕立上げる松竹の心根が、実にあはれ憫然。いくら骨を折つても元木に勝る裏木はない、常磐津といふ吾妻育ちの浄瑠璃でこそ廓囃がイキなのだ、野暮つたい義太夫には義太夫の本領がある事を忘れてはならぬ、狂言の選定の拙いのは松竹の社是か、観て聴いて詰らぬものにしようと苦心してゐるやうで、憫むべし、嗤ふべし。 かう観じて来ると今度の文楽座の聴きもの、見ものは「河庄」と「紙屋」とだ、河庄の端場は文字太夫、私の見物の日は糸は吉左、出来は一通りといひたいが、ガサ〳〵として手触りの荒さ、騒々しさは感心せず、一体に泥臭い。
 切は津太夫、友次郎で、河庄、あの難声だから小春のサワリは困るが、孫右衛門がよく語られた「人にも知られし粉屋孫右衛門」から以下、覚えす涙を誘つたが、これは或は津太夫の声柄と、原作の味とがよく調和したがためかも知れぬ、惻々として聴かせたのはいゝ。
 紙屋の端場は駒太夫、絃重造で、錣とは又違つた味のちよんがれ、至極面白く聴かせたのは駒太夫の手柄、糸の重造もサラリとして些の厭味がなくなつかしみの多い芸を聴かせた、駒の端場にいゝものが多いが、これなどもその一つ。
 切が古靱太夫、糸清六、古靱はその得意としない「紙屋」だ世話の味がぎこちなくなる、袴を著けて色話を聞くやうでくだけた味が乏しい。が、難ずる点のない例の手堅い手法、三五郎の阿呆が薄ボンヤリと陰気に語られたから水盃の一くだりが絶妙、哀れ深くして自然と泣けるやうになるのはうまい、古靱ではこゝを一等の出来栄として、段切の「日頃の意趣ととゝめの刀コリヤ〳〵三五郎よ……」のところここ案外セカ〳〵するだけで平凡、こゝの町人の刃物三味の世話の面白味が出ないのを第一の疵とする。
 今度は太夫よりは人形が見もの、栄三の治兵衛が第一の出来だ、河庄の門口でもよかつたが、治兵衛が起証を取出す処、紙屋では「あけて取だす染小袖」のあの質物を揃へる間何もせずに下手にゐてよく舞台を持たせたのは栄三の手柄だ。そして段切の「止めの刀」で太兵衛を刺通し、もう絶体絶命、心中の決心をするあの呼吸は、俳優にも出来ぬ立派な表情を無表情の人形の顔にあり〳〵と見せたやうに見物を感じさせたのは栄三の芸の力、今度の文楽では治兵衛のこゝを一等の出来だと私は推賞する。
 文五郎の小春は、河庄でヂツとした辛棒役、治兵衛が「兄者人帰りましよ〳〵」で今まで俯してゐた面をチラと上げて治兵衛を見る身体の品に小春の魂を十分に見せたのを手柄とする。玉治郎の孫右衛門は老実、そして大小をさしても武士でないところの後姿に感心した。