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【 石割松太郎 編輯後記 19輯 】
(2023.05.28)
提供者:ね太郎
編輯後記
石割松太郎
演芸月刊 第十九輯 昭和六年一月一日 pp.後の2- 3
◆前号に予告を致しておきましたやうに、本号から毎月一日発行に繰上げました。これでやうく延刊が遁れさうです。
◆で、この号が昭和六年の元旦の発行になりました。まづ、新春の御慶を申納め、読者諸彦の御清福を寿ぎますとゝもに、本誌のため平素の絶大なる御後援を謝し、希望の多い昭和六年の劇界のため、本誌の意義ある存在を、より一層強固ならしむるため、一入の努力を続けますことを、年頭に当りこの機会に宣言致したい。
◆そして本誌刊行の当初に、私が巻頭言に数次に亘つて申述べました「正直に物を申す」ことを、この一年半断然敢行して来たことの喜びを吹聴させて戴きたい。
◆「正直に物を申し続けた」結果、どこういふ経験を新たに得たかと申しますと、嘗ても申したやうに「正直の頭に神宿る」とで申しますか、ほんとの「強い力」を益々内に感じます、これを「神」と申すもよからう、「力」と申すもよからうと私は思つてをります。「正直に物をいふ」者に与へられる特権だと、私は真実思つてゐます。
◆そしてその結果、往々こんな事を聞きまず。「劇評」の方面では俳優、或は太夫のうちで「何故あゝ悪口をいはれるのだらう何か御機嫌を害つたのぢやないか」とか。
◆或は「あの評は感情で書いてゐる」とかいふ蔭口です。尤もこのやうな蔭口は、何も「月刊」を初めてから聞く事ではなく、こゝ二十年来、どこで劇評を書いても聞く蔭口です。又「劇評」を書いた経験のある人は、この蔭口の経験も自然お持ちでせう。尤も俳優の喜ぶ事ばかりを、阿り書いてゐると、さういふ経験は知らないですむかも知れません。
◆「月刊」刊行以来、この謂ふところの「何か御機嫌を損じたのか知らん」などいふ蔭口を度々聞かされてゐます。恐らくこれほど思はざるの甚だしき、又自惚れの甚しい言草はない。例へば漫罵を加へてゐるのならばこんな言草にも道理が伴ふかも知れませんが、苟も理由を付し、かく〳〵の所以と道理を尽くしていつてゐる評言に対しても、尚且つ「御機嫌第一」主義で片づけようといふ輩のある事は、驚く外はない。私は私の評言に対して不服があるならばいつでも駁せよ、その為めに本誌の頁を割く事を吝むものでないと嘗て言つたことがあるが、何等理由を付せずして、こんな蔭口を聞く事を私は不快に思つてゐるのです。
◆それが相当物の解つた事をいつてゐる太夫の言として近時聞くところあり、茲にこんな事を申述べねばならぬ事となりました。その輩に申しておく、私は「正直に物を申してゐる」ので、感情に道理の色は付けません、理由なくして善悪是非を述べない事を、この機会に更らに申しておかう。
◆更らに言ひたい事は、「御機嫌の善悪」をいふ前にまづ、「自分の芸の善悪」を御考へなさい、さういふ口の利けるのは立派な芸の持主のみに許される言葉だ。
◆ところで、旧冬十二月二日に突如として話があつて、私は今度大阪時事新報の劇評、その他劇に関する記事を担任する事となりました。随分長い間私は新聞記者生活を続けた。廿五年にもなりませうか、東京大阪の新聞の幾つかの編輯局を渉つたのですが、三年前に脳溢血のため倒れて爾来、最後の記者生活の舞台であつた「大毎」を引退静養を続けてゐましたが、右の如く、今度病骨を時事新報に拾はれた。
◆が、もう新聞記者としては病を一転機として足を洗つたのです、今度は劇評家として、この屍馬の骨を買はれたのです。この方面に対する私の働く道は洋々として拓けてゆく。私は私の最後の努力を新聞のために、劇界のために茲に尽さん事を覚悟しました。
◆それはいゝが、この「月刊」の今後に一寸杜迷ふたのです、御承知の如く「月刊」は研究と劇界時事評論が相半ばしてゐるこの劇評、その他の研究を除く私の筆になるものは、日々大阪時事新報に掲載さるゝわけです同じ事実を二様に書くことは、殆んど不可能です、さればといつて時事新報に既に掲載されたものを転載することは、少し気が利きません。「月刊」今後の悩みがこゝに逢着しました。
◆私の周囲の友人は、もう「月刊」は廃刊して時事新報の劇評に全力を注げと教へてくれます。或友は、「月刊」は純研究物を満載せよと前途の方針を示してくれます。或は「月刊」は年四回の刊行物として、お前の筆になる「人形芝居」の研究の発表機関にしろと教示を吝みません人もある。或は大阪の読者は迷惑だらうが、文楽その他の劇評は構はず時事新報に掲載したものでもいゝ転載しろと勇気を付けてくれます。
◆が、実をいふと私は、まだ迷うてゐます。今度の号に限つて必要があつて、文楽座の劇評を時事新報へ既載のものを、そのまゝ試みに転載しました。--それはその方針と極めたのでなく、他の理由から今度は転載した。これでその結果を静かに一ヶ月見ようと、私は今考へてゐるのです。
◆私はこゝまで育てたものを今実は廃刊しようなどと思つてゐません。相当の苦労を払つても今後とも続けてゆきます。それには私に二つの理由がある。
◆その一つは、「劇評」は時事新報に発表しますとも、「劇評の劇評」の類は月刊でなくては発表出来ません、そして大阪の劇界は、今後とも「劇評の劇評」を尚一層必要とこそなれ、不必要になつたとは考へない。
◆或は私の籍が新聞社に置かれたが為めに「同業の誼み」を以て「劇評の劇評」は遠慮するかと私に言つた友人がありましだが、私は悪意を以て「劇評の劇評」を書いてゐるのではない善良なる章志を以て執筆してゐるのだから、「同業の誼み」を以て益々「劇評」を「劇評」する義務こそあれ、遠慮するのは道でないとさへ考へる。そして大阪では特に必要が消滅してゐないのですから、月刊は続刊せねばならぬ。これが理由の一つ。
◆今一つは、連載中の「染太夫日記」を未完のまゝでは「月刊」の中止は出来ないと私は固く肚を極めてゐる。元来「染太夫日記」は「浪速叢書」のために私は借出しに努力したのですそして叢書の関係者は収録を明答して半歳、そのまゝに捨てゝおき、叢書刊行会の都合のみで一年の後収録しないといふのです。
◆こんな不合理と、こんな不運に逢つて、交渉の任にあつた私はそのまゝに、持主に返へせません、浪速叢書刊行会は返へせるかも知らんが、私の良心はそれを肯きませんので、「月刊」収録を再度交渉して、私が初めの言質の実行を期してゐるのですから、「染太夫日記」を全部活字にせねば「月刊」は廃刊出来ないのです、私はこれが「男の然諾」だと思つてゐます。これが理由の第二。
◆こんな心持で、今後とも「演芸月刊」の存在意義を十分に高めてゆく決心です。個人雑誌であるが故に、私の身辺の変化を報告するとゝもに、今後とも読者の御声援をお願ひします。
(石割松太郎記)