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【 石割松太郎 杜撰を極むる太夫の場割-冬興行の文楽座- 】

(2023.05.28)
提供者:ね太郎
 
杜撰を極むる太夫の場割-冬興行の文楽座-
  石割松太郎
 演芸月刊 第十九輯 昭和六年一月一日 pp.14-20
 
 
 霜月の顔見世月で文楽座は打止め、十二月は「冬興行」とかで津太夫、土佐太夫といふ上置二枚を欠いた芝居、興行師の肚はどこにあるか知らないがもう近い将来の紋下、第一線に立つべき人気の古靱太夫を芯にしての所謂「冬興行」は、恐らく「来年の本格」である事を認めてこの陣容を斯道のために賛成する。--
   ◇
 と、言ふその舌の根の納まり切らぬ内に今度の太夫場割の杜撰について、まづ劇評に入る前に皷を鳴らし文楽座当事者の無定見を責めねばならぬ。
 元来営利的の興行に対して局外者か、その興行の方針についてまで批評の筆を進めることを一応は三省する要がある。--が、「文楽座」といふ特殊芸術に対しては、些かの躊躇を要しない理由が厳として存する、何故ならばそは大阪の残した、否日本が残した最大の芸術を独占する一種の「紳士税」として、営利一点張りの興行を社会的に許すべき筋合でないからである。されば松竹も文楽座に対しては彼の営業上、一種の高等政策的に多年「文楽」を利用して來た、このハツキリした実例は他の機会に述べる事があらうと思ふから今はいはない。
 平らたくいへば、「国宝」にも指定するべき価値ある芸術だが「生キモノ」なるが故にその保存の性質上放擲されてゐる、その営業者は「保存第一」を目安でなくばならぬ、「保存第一」を目安にするには人形浄るりに対する定見を第一とする。
 然るに文楽の当事者にこの第一の必要なるものを欠いてゐる、従来ともさうであつたが、今度の冬興行にはその「無定見」を露骨に示してゐる。
   ◇
 見物前に番付を一渡り見て少し浄るりを識る者は何人もまづ驚かされるのは、文字太夫が「恋娘昔八丈」の白木屋を語つてゐることである、新進の有望の太夫を抜擢するのならば、私は双手を挙げて賛成する、少し荷が勝つてもいゝ、それが失敗に終つてもいゝ、新進のため謂れある抜擢を賛するのであるが、文字太夫といふ太夫は「これツ切り」の太夫だ、どこに抜擢栄えがあるか、どこに将来への有望があるか、抜擢するも、逆さにするも、絞め上ぐるも、折つて畳んで絞り出して、焼いて粉にしても、「これツ切り」の太夫だ、「万年小結」の器で、大関の浄るりではない、人の将来を云為するやうだが、ウソだと思ふなら、「将来のない」今興行の白木屋を聴いてこの人の過去を追想して御覧なさい--然し文楽座の当事者はそれが判らないのだ。
   ◇ 私のいふのは、文字大夫を抜擢したのが単に悪いといふのでない、一興行に「時間」の不足に何れもが悩んでゐる、現に松竹も悩み切つてゐる、そして浄るり道に不合理なる「掛合」の制度を濫発してまでも「節約した時間」を将来がなく、且つ現在有効でもない文字太夫のために「次」を設けて白木屋を語らしてゐる事が不合理であり、無定見であると私はいふのだ。
   ◇
 これにはかういふ事情が潜在してゐる事を世間では知るまい。次の事情を私は茲に暴露して、かかる無定見な方法がお天気次第で、文楽座の太夫の役割を左右してゐる事は、軈ては唯一の人形浄瑠璃の死期を早めるものであるといふ事をハツキリと申して世人の注意を促すと共に、当事者の反省を求めたいのである。
   ◇
 その伏在する事情とはかうだ--少し浄るり道に通ずるものは知る如く、松竹はこゝ数年、いろいろな理由とさる事情の下に静太夫から大隅太夫に襲名さした今の大隅太夫を抜擢重用してゐる、それは勿論後来のいゝ太夫を養成する意味において、当然の事、いゝ事で私ともゝその大隅重用には賛成する、双手を挙げて賛意を表するものだが、モノにはモノの順序があり、浄るりには浄るりの性質と太夫の咽喉の質とがある、即ち「太夫の柄」と「浄るりの柄」とがピタリと合はねばならぬ、これでこそ真の抜擢、意義ある若手太夫の養成である、然るに文楽の当事者は人形浄瑠璃の如何なるものであるかを知らないので、何でもいゝ興行的の価値のあるものを選んで大隅に課してゐる、私はこれを「贔屓の引倒し」だと叫び続けて来た、そして大隅を殺すものだと弁天座の仮宅興行時代からこの傾向の濃厚なるのを非難したが、耳を仮さない。
   ◇
 ところが、この頃に至つて流石に辛抱強い文楽愛好者も愛想を尽かし「大隅非難」の声が高まつて来た、これは謂れのない事で大隅こそいゝ面の皮だ、当てがはれたる不当なる語り場のためから来る不評の責を全然負はされてゐる。そして語り場を当てがふ松竹は、興行的の価値のみを標準にして太夫の柄と咽喉とを考慮におかないのだ。こんな不法はあるべきでない、例へば親が見立てゝ婚はした婿養子の放埒を娘に責めるやうなものだ。具体的にいへば大隅に「壷坂」を語らし「八陣」を語らす法はない。
 果然「八陣」が問題となつた。余りの下手さ加減、拙さ加減こ人々は、この語り場を当がつた「無定見の松竹」を責めずに非難の声は大隅が独りで浴びた、そして彼は全身創痍の態を呈したのが現在の大隅太夫である。
   ◇
 松竹が「無定見」であり、「古典芸術」を心から愛惜してゐるのでないといふ「水臭さ」を茲に暴露した。即ち十二月興行に対して、あれほど重用してゐた大隅に対して休場を申渡したのである。--問題はこゝにある、そして再び大隅を出場させた、問題は再びこゝにある。そして今度の文字太夫を起用するに至つた。文字太夫起用の原因は名古屋御園座の興行に端を発してゐる。
   ◇
 本來の「劇評」の埒を脱してこゝまで私には筆にせねばならぬほど文楽座の危機が迫つてゐると思へる。私はやる瀬ない愛惜を以て、心から愛すればこそ、こゝに叫ぶのだ、「大阪」といふ郷土を愛する読者は、自分の祖先が残した世界的のこの人形浄るりに対して無関心であつてはならぬ、まづ御耳を否御眼を拝借したい、私の言ふ処をどくと聴いて下さい。
   ◇
 大隅太夫連月の不評に対し、且つ「八陣」のわけても不評に対し十二月の冬興行に大隅の休場を申渡した、大隅は内心の不平を勃発せざるをえない、老齢の太夫は別だ、今日の大隅は掌を反へすが如き休場の申出を肚に据ゑかねて大隅は「承知しましたが、今後一切の組見は十二月休む代償として御断りします」といつた。この大隅の出方に算盤採つた松竹は休場申出を今度は又掌を反へして撤回し、古靭の「安達」の端場に「矢の根」を付けて大隅を慰撫した--「矢の根」の成績とその選択については後に述べる。
   ◇
 私は猫の目のやうなこの松竹の変転をも尚、営業のためとあつて見遁していゝ、黙していゝと寛容するのだが、太夫場割の杜撰にはなんとしても許すべからざる原因がある。
   ◇
 大隅を「矢の根」に納めて、今度は文字太夫を「白木屋」に起用するといふのだ。聞くところによると、文字太夫の名古屋における「寺子屋」が評判がよかつた、大隅よりも評判がよかつたと、唯単にそれだけの事実に基いて大隅よりも文字太夫を今度の冬興行に重用しようと決心し実行してゐる--これを尤も禍根であると私はいふのだ。文字の起用が悪いといふのでなく文字抜擢に至る径路が悪い。それは文楽の当事者に定見の無い事を示してゐる、その無定見のまゝその無識のまゝ、その日その日の風次第で文楽を経営してゐるといふ事が文楽をして危機に陥らしめてゐるといふのである。--問題はこゝにあるのだ。
   ◇
 話はかうだ、--此八月の文楽座は大隅を留守師団長格にして大隅のために「寺子屋」を出したのが不評であつた。ところが十月廿二日から名古屋御園座で文字太夫で「寺子屋」を出すと素晴らしい出来だといふので直ちに移して以て、今度の文字太夫抜擢となつたといふ軽率さである、人あつて、私にそれならお前は文字の名古屋の出来を直接に聴いたかと反問する人あらば私は答へよう、浄るりは、さう外の芸のやうに一朝一夕で大阪で拙いものが翌日名古屋でうまいわけがない、これは類推作用で十分判る、太皷の印を捺していゝ、尤もその日〳〵のある範囲内の出来不出来は認める。
 芸の良否は相撲や野球の如く勝貧で決定するものでない、こゝに芸の尊さと芸術の上品さがある。端的にいへば芸の良否は比較である。さればプヲンデスの如き批評家は主要なる思潮の解釈をまづ第一とする見解の下に「批評は比較である」とまでいつてゐる。
   ◇
 試みに名古屋御園座における文字太夫の「寺小屋」を番付に見るがいゝ、この興行では「菅原」を立てた形にして「車場」「寺入」「首実検」としてゐる、「車場」の松王が辰太夫、桜丸が相寿太夫とおぼこ太夫の毎日替り、梅王が小松太夫 虎王が越名太夫(南部ではない)時平が文字栄太夫といふ顔ぶれ、「寺入」が源路太夫といふ手合だ--諸君!この顔ぶれの太夫の一声でも文楽で聴いた事がありますか、いかに文字太夫でもかういふ「白湯汲み太夫」の仲間でお山の大将を極め込み、雑魚と一緒にせゝらぎを游いでゐれば鯉にも見えよう、鳥なき里の蝙蝠とはこゝの事だ。--忘れてはならぬ「批評は比較である」といふ一面の真理はこゝにある。
   ◇
 然しそれは名古屋における十月二十二日から五日間の天地だ、この成績を無反省に文字もなかなか好評だと、大阪の四ツ橋へこのイキで移し植ゑようといふそれが無謀、無定見でなくて何んであらうぞ。こんな理由によつて場割を決定さるゝ事が、目今その存亡に関してデリケートな環境に置かれてゐる文楽座の危機であると、私は絶叫するのだ、文楽を愛するの余り力瘤を入れ、額に青筋立て、かう叫ぶのだ。
 が、私は今一度冷静に返つて、文字太夫の今度の「白木屋」を聴直してみよう、それが抜群の出来ならば、私の青筋も自然消滅のわけ、結んだ向ふ鉢巻の手拭をソツと取りませう。--が、
   ◇
 文字の「白木屋」を聴くと何んとしても浄るりが「小結」だ、器が異つてゐる、浄るりの「間」が至極悪い、例へば親庄兵衛の意見の後才三が「あいと仰言りませ」とあり……「アイと一言千万の憂思ひ」の「アイと一言」の「と」の前後の「間」などなつてゐない、「闇の夜にお駒とお駒行き当り」などとまで川柳点があるやうに、この浄るりなど素人でももといゝ「間」を語らう。
 又庄兵衛の意見が身に染まない「心の内瞳やみ、とぼ〳〵奥へ入りにけり」と語るが、庄兵衛の盲目の足許よりは文字太夫の浄るりが「とぼ〳〵」の感じは詮方もない。浄るりの器は、本場で出し物をすべき浄るりで断じてない
   ◇
 もう一つ「間」の悪いところを上げると、喜藏の辞のあとで「舅殿と扇子ばち〳〵身をふかす」など一段の勉強を求める。ソレで丈八が軽いかといふと垢が抜けない。こゝでの引例はホンの一例で、引けば引くほど紙衣の皺でなく襤褸が出る--私の向鉢巻は取る必要がなくなつたのをまづ安心する。
   ◇
 この場の人形では矢張り栄三の丈八が光る、歌舞伎でいふなら仁左のほど枯れすぎないで垢抜けのしたところ、細いチヤリのテイニツクに面白い形が多い。
   ◇
 謂はれのない文字太夫の抜擢と、実際における舞台のその伎倆とは前に説いた、然らば丁度文字太夫の穴を行くべき筈の大隅太夫の語り場はどうであつたかを吟味しよう。
   ◇
 休場を申渡されて、将来の組見を断つたがために、大隅の休場を取消したといふ無態な松竹は大隅に配するに古靱の「安達」の三段目の中「矢の根」を以てした。いつも「安達」が出ると端場が切られてゐるが、今度は大隅事件のため「安達三」に端場がついた。これで「安達」の切の筋も通りこの頃のやうな初心の文楽見物には案外の拾ひもの、「拾ひもの」はそれに止まらぬ、大隅の「矢の根」が近来の出来を示してゐる。
   ◇
 例へば「白梅とつて差出し東夷の」の「白梅」のうまさ、「捕はるゝも時の運命恥とな思ひそなほ」と続いて行く言葉の綾がハツキリとして音使ひがうまい。人物からいふと中納言教氏が一等「梅に詞を匂はせて」謙杖に自滅を慫慂するあたりの言葉の優婉は大隅の上乗の出来だ。--松竹がおとしめようとしたこの興行に皮肉にも上乗の浄るりを聴かせた。
   ◇
 これはさもあるべき事で、不思議でも何でもない、大隅の口にあふもの、その太夫の柄にあるものを語らせば、いつもこの成績はえられるのだが、前にくどい程述べたやうに浄るりを知らない文楽の経営者にとつては「ビラの利く」--即ち世人が熟知の浄るりといふのがその唯一の標準であるから、大隅を贔屓の引倒しにして今日まで殺して使つてゐるから、不評を招き「大隅は近頃悪くなつた」などの評判が立つやうになつたのだ。これ即ち「松竹の無定見」が大隅を殺してゐるのだ。
   ◇
 聴き手の側からいつても近頃の大隅を以て静太夫時代より拙くなつたなどは謂はれのない話。私にいはすれば元々それほどの天才でも抜群の太夫でもない大隅を静時代に勝手に買冠つて大隅にして、今日下手になつたなどはいへた義理でない、大隅の今日の伎倆は静時代よりは長足の進歩をなしてゐる事、他の太夫の比ではない。あの味もなく、筒一杯の静時代の浄るりに驚いて俄に抜擢々々で足並の調はないに大きな語り物を課した松竹に定見がなかつたのだ。そして一二の不評の声に驚いて休場は何たる仕打だ。私が松竹無定見を叫ぶが無理か、賢明なる判断を聴きたい。
   ◇
 この意味において大隅はまだ修業中の人だ、今が大切な勉強真最中の大隅だが、文字太夫の如く永年「万年小結」の浄るりでない、出来ても出来なくても大関仕立の浄るりであるに疑ひはない。この点を考慮せずして今度のやうな場割の杜撰を敢てする文楽座の当事者を私は責めるのだ。
   ◇
 尤も大隅には道八といふ老手が師範番として付いてゐるのだから、静時代より悪うなる道理はないのだが、茲に戒心を要することは道八の三味線、或はその師範のために往々誤られてゐる事がある。例へば大隅の「壷阪」或は彼の「一谷組討」の如きがそれだ、「檀特山」は大隅は得意のやうであつたし又世評も悪くはなかつたが、私は大隅の「組討」に反対の意見を持つてゐる。あんな風な組討の語り口を許さるゝならば、陣屋はどうして語るだらうか、こゝらが師範番の道八の罪が半ば以上だといつてもいゝ。 何はともあれ、「矢の根」は丁度大隅が「身分」の語場であり、口にあふ浄るりだけに今回の皮肉な上出来を、文楽座の当事者に十分聴かせてやれと勧める。
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 この口は相生太夫に三味線猿糸、サラ〳〵として明晰に語つた「物事つゝまぬ夫婦仲涙一つ」の情がよく出てゐた。
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 この切、袖萩祭文が古靱、絃清六。古靱が得意の壇上、まづ何といふよりもあの長い語り場をどこに弛みも見せないで語り終らせた。往々にしてこの人の浄るりは終りに近づいて乱れたが、今度はこの長い場を些の弛みも見せずグン〳〵聴者を引付けて語つたのは大努力。人物では謙杖が一番よく出来た、慈悲は忘れたやうな剛愎な苦しい老の一徹が却つて涙を誘つた。
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 桂中納言から貞任への変り目がカツキリしていゝ、袖萩の哀れもお君のいぢらしさもよく、当代の「安達」の三段目、その比をまづ見ない。
   ◇
 人形では扇太郎の敷妙、使者といふ人品と娘といふ私事とをよく心して遣つてゐた。玉次郎の謙杖は一通り、玉松の外ケ浜南兵衛、南兵衛の間の方がよい。小兵吉の浜夕行届いた芸を見せた。
   ◇
 栄三の貞任、今興行では文五郎の袖萩とともに確かに見ものゝ一つ、カツチリとした芸格を喜ぶものである。中納言から貞任になる不逞な面魂があの人形に見せたのは偉い。文五郎の袖萩は雪に倒れて右肱で起き上らうこして又倒れるあたりの細い人形の肢体に柔かい線が流れるのは流石、しがらき餅のやうな人形の腕に筋があり肉があり血が通つてゐる、「のび上り見れば盲の垣覗き早暮すぐる」の文五郎いつもの手法ながらいつ見てもいゝ。
   ◇
 「鈴ケ森」は南部太夫、吉弥いゝ声(?)に任せて語る、只それだけ。未来がないとはいはない、もつと「勉強の甲斐」が聴きたい。南部になつて幾度かの舞台、異常な処を聴きたい--と望む、機を失ふと名が腐るだらう。
   ◇
 鈴ケ森の人形では紋十郎のお駒、縄付であるから片手の人形に、今一段の姿のよさがほしい、姿に今一段の色気がほしい、企んで企み出したでない、お駒の「年の色気」がほしいと私は望む。
   ◇
前へ戻つて「白石」の雷門と切の「膝栗毛」掛合の水臭い浄るり。つばめの弥次郎兵衛、鏡の喜太八、若い元気に任せて一杯に語りのける忘年気分の浄るり、浄るりよりは人形の面白味をちる。栄三の弥次郎兵衛、文五郎の喜太八で歌舞伎と違つて、巫山戯ないで真面目に、しかも舞台に踊らないのがいゝ。
   ◇
錣の揚屋、前興行の茶屋場のおかるからいつもの錣よりはやゝ前受の臭味を脱しようとする意図が見え出したのは喜ばしいが、技巧万能で肝腎の「魂」をともすれば忘れ勝ち、例へば宗六の詞で「内人の者共が見付け」の所謂「内人」の詞と宗六の詞とが綯まぜらねばならぬのを、尽く宗六の腹になつてしまふのが「魂」を忘れてゐる一つの実例。
   ◇
人形は文五郎の宮城野、紋十郎のおのぶはいつもの持役、師匠に引ずられておのぶもよい、玉松の宗六揚屋の亭主といふ風な垢のけ方が足りない。