文楽座の番付が、「古典」を標榜の、その本家である文楽座自身の出版であるだけに、後世、こゝに史実を求むる学徒が多からう。然るに文楽座の当事者は、そんな事にはノホホンのパーだ◆その一例を前号に示した、あんな誤りは自分の親の命日さへ忘れてゐるといふ形だ◆古く本年一月からの番付を繰返してみるとあるわ〳〵実に見つともない事例ばかり、が、古い処は今はいふまい、新しい十一月の番付を開いて御覧なさい◆表紙裏の「文楽座」の名によつて記してある口上は何といふザマだ◆聞くならく、この文楽座の事務主任は慶大の出身、日本最高の学府を出たんだといふが、文字が皆無、ないと見える、この短文に何んと夥しい誤りよ!◆文章の巧拙をいふのでない、「日本の文字」を知らないといふのだ。その学士様がだ。--当然事務主任の責任のない番付はあるまいかと思ふ、筆者は誰か知らないが◆尤もこの文楽座がまだ板囲をしてゐた時に大々と「文楽座は人形浄るりの揺藍にして」とやつてゐたのだからまづお里が知れる◆十一月の口上文の冒頭に曰く「いよ〳〵御清祥に被遊」とあるのは、何んといふ意味か--何が「遊ばされる」のだ◆次に「絶体的名狂言……次第で御座ゐます」とある。仮名遣ひなどは中古文典によれとまではいはないが、小学校の生徒が知つてゐる文部省の仮名位は知つておいてほしい◆その次が大変「これに巨頭精鋭の妍を竭し寔に醍醐味の極致を魅了していたゞくもの」とおいでだ。私は不幸にしてこんな日本文のある事を知らない。「極致を魅了していたゞく」誰が誰に魅了していたゞくのか。新しい〳〵◆「この郷土芸術の妙諦に蕩醉されんこと」といふ体裁◆慶大といふ最高学府の出身者を主任に戴く文楽座の事務当事者のこれが、堂々と発表してゐる文章です。何と驚いた?決して奥役や手代の上り、下足番の甲の経たのが主任になつてゐるのぢやありません、学士様を主任に戴いてゐる文楽座なのです。再び何と驚いたか◆千万円の社長さん堂々東西に跨がる大松竹の白井松次郎氏はこれを何んと見るか、一向見つともないとも何んとも思はれんか、お聞きしたい◆蓬吟氏の「文楽今昔譚」を引用してゐる一文の誤りは、(年月その他、芸人と廓の関係)嘗て出版当時に本誌に指摘したから再びいはぬ◆役割を見てゐると、力弥が紋太郎になつてゐたり、紋十郎になつてゐたりする、誤植はありうちと許しても、これを正誤しない不親切を毎日客に配つてゐる暢んびりしたところを御覧じろ◆次に忠臣蔵の筋が書いてある、これが又大変、誤植が四六版三段組の五段足らずの処に三十二字◆誤植はまづいゝとして珍文を一つ紹介する◆「大星は大事を知つたお軽の一命を兄平右衛門に命じて取らうこしたが」(原文のまゝ)◆又この筋書では二人侍が勘平切腹の後に来る事になつてゐる◆「忠臣蔵」の筋さへ知らぬ文楽の事務担当者だが、おかるの母をお萱と名前を知つてるのは鮮やか〳〵◆私共は歌舞伎国ではお萱の戸籍は知つてるが人形国の戸籍にはお萱といふ名がない筈だ。