FILE 100a

【 石割松太郎 劇評の劇評 】

(2023.05.28)
提供者:ね太郎
 
劇評の劇評
  石割松太郎
 演芸月刊 第十七輯 昭和五年十月廿日 pp.22-23
 
 
 ◇これは劇評ではないが文楽座の場内でお客に売つてゐる番付を見ると、実に見つともない事が多い。これは番付といふよりもテキストといふのが適当であるが、それだけに、その道の人でないヅブの素人に見せるがための案内といつてもいゝ。それだけに誤りは断じて許すべきでない。今日まで随分沢山のいかゞはしい事があるが、文楽座の内で誰かゞ心づくだらうと思つてゐたが、新文楽以来、十ケ月に及んで殆んと毎月誤りを重ねてゐるのだから、罪が深い。松竹の白井松次郎氏は相当神経質の人だが、古典の殿堂だの、何だのといつてる癖に、こんな事に神経が働かない処を見ると金儲け以外にさして敏感でもないらしい。フフン。
 
 ◇今度の文楽のこの番付を見ると、「植村文楽軒大阪へ来る」といふ一文がある。後世、その座の発行に係るのだから、相当拠り処ありとするだらうが、この内に「文楽座」と称へたのが、明治四年九月だとある。これが大きな誤り、事実は明治五年正月である。自分の家の事だ、それにこんな誤りをしてゐるのはどういふ訳か。これは全く木谷蓬吟氏の「文楽今昔譚」を無反省に抜萃してゐるからだ。蓬吟氏のこの文楽譚に幾千の誤り--頁毎に必ず一ケ所からの誤謬のある事は今日周知の事実だ。それをそのまゝに転載してゐる文楽座の番付事務担任者の顔が見てやりたい。時代ぬけがして太平の春に逢つた人のやうだらう。  ◇その内に因講が筑後椽の廿日会から発達したものだといつてゐるのも誤り、この事は、私が本誌で嘗つてその誤謬を正しておいたから、茲では再び言はぬ。
 
 ◇「道頓堀」の十月号を見るに西尾福三郎氏の「文楽の人形を語る」といふ一文の内に人形の頭を彫刻の方面から見て、飛鳥天平に栄えた彫刻が鎌倉末期で芸術品としての美点を失つて、これに代つたのが、能面で、「それに取つて代つたのは実に操り芝居の人形の製作だつた」といつてゐる。そんな大胆な事がいへるならば人形の研究に苦労はない筈だ。私は寡聞にして知らないが、そんな事実がどこにある。西尾氏にお願ひする、人形の製作に、こんな事が言へる典拠があるならば教へて戴きたい。無い事を捏造さるゝ訳もなからう、どういふ典拠、或は事実からさう論断さるゝのか、年代的に人形の製作について教へて戴きたい。
 
 ◇もう一つ「文楽座の人形に初めてガラス眼を入れて目玉を動かせる工風」を考へ出したといふ天狗久の事が書いてあるが、文楽座の人形にガラス眼の人形をいつ採用して動かしたかも参考のために聞きたい。天狗久の人形に俗悪なるガラスの眼玉のある事は承知してゐるが、西尾氏が「強調しておきたい」といふ「彫塑として実に立派な価値を備へた」作品がいつどんな頭であつたか、併せて教へて貰ひたいものだ。
 
 ◇同じ道頓堀に富田泰彦氏が「五大力恋懸緘」といふ立派な芸題の通つてゐるものを「春花五大力」にして終つた点には脚色者鶴屋南北君に「何んとか論拠のありさうなもの」といつてゐる。が、並木五瓶が江戸下り、宗十郎のために書卸した最初が「春花五大力」
 
 ◇大毎の高原慶三氏は土佐太夫の「玉三」は廿年前の近松座時代からの傑作で、「廿年後もやつぱり芸に衰へを見せなかつた」(原文のまゝ)といつてゐる。失礼ぢやが高原氏は廿年前の土佐の「玉三」を御存じ?イヤ、サア廿年前の伊達太夫時代の「玉三」を高原氏はいくつの年にお聞きになつたか、お年を聞きたい。それは明治四十五年三月一日初日の近松座の第二回興行の前狂言だが、高原氏はこの約廿年前の「玉三」を云為されるだけの浄るりに対する耳が、二十年前に既に果しておありでしたか?今日では立派(?)におありでせうが、二十年前に鑑賞の耳がなくして今日のと比較する事は凡人では出来ない業。人の又聞きならば知らぬ事。
 
 ◇高原氏の文楽評を見て評者の年の詮鑿をするのは、私は反対の意見を持つてるからである。あの金藤治の衰へをヒシ〴〵と考へるからです。桂姫にけふ此頃の狂ひ咲きのやうな残香をのみ認めるからです。
 
 ◇大阪新日報の評者は、「春日村」を「内容的に平板な曲折を長々と克明に語られて見物は草臥れて了つた」といふが、果してさうだらうか。「内容的に平板」ならざる曲折の見本を見せてほしい。「春日村」ほど戯曲的に平板ならざる内容はまづないと思ふが、その反対の事例を挙げてほしい。又「近代的の生命がない」といつてゐるが、どんな浄るりに「近代的生命」があるか聞きたいものだ。浄るりの殆んど総てに近代的の生命があるまい。それは過去の作品であるからだ、今日浄るりを鑑賞し保存を唱道するのはそんな意味ではない筈だ。「春日村」にのみ「近代的生命」を要求する評者の態度をまづ反省されい。
 
 ◇同じ評者が、猪名川、鉄ケ嶽とに言ってゐる所は、掛合の弊で罪はつばめにも、文字にもない。原因を問はずして冒涜呼ばりは見当違ひ。
 
 ◇大阪日々の評者は、雪洲の芸を「ちよつとも誇張のないのが著しく感ぜられる」とあるが、私は、雪洲のあの誇張がたまらなく著しく感じてイヤだ。あのフアンニイの手紙を見ての独り舞台に誇張がないといふのか、あのせりふを突調子もなく、時々高調子に、声を張上げてゐるところに誇張がないといふか、不思議な事を聞くものだ。同じ人の汐見の大津を「役の持つて行き方」の外づれてるのを難じてゐるのは賛成だ。