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【 石割松太郎 古靱太夫珍しい競伊勢物語-古靭、初役の「春日村」の文楽座- 】
(2023.05.28)
提供者:ね太郎
珍しい競伊勢物語
-古靭、初役の「春日村」の文楽座-
石割松太郎
演芸月刊 第十七輯 昭和五年十月廿日 pp.16-19
上演曲目が、殆んど一定して了つてゐる文楽座に、語り物の変化と、その範囲の幅員を拡張しようと努力してゐるのが古靱太夫である。この夏の上京を機会に、古靱は三味線の清六とともに豊沢松太郎を叩いて、「伊勢物語」の稽古にいそしんだ。その結果が十月の文楽座に異彩を放つてゐる。即ち古靱の「春日村」がそれである。
元来「競伊勢物語」は近松の享保五年の作である井筒業平河内通の改作で、歌舞伎に奈河亀助が脚色して安永四年四月、道頓堀中の芝居に上演すると共に、丸本として出版した。これが操にかゝつたのは、京の万太夫座で、太夫は豊竹島太夫。されば元来が歌舞伎本位の作であり、人形が主な舞台を作るのであるが、明治になつてからは先代の古靱太夫が語り、摂津の越路が数度出した。凡そ番付を繰つてみると、明治十年から五度越路が上演してゐる。最近では大正五年六月に三代越路が語つたのが最後で、久しく文楽座に出なかつた珍しい出し物だといひ条、古靱が新文楽座で古曲の復活として「平家女護島」を出したのとは、稍々意味が異ふ。
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古靱太夫が、その自らの語り物の幅員を拡げんと努力してゐる事は、大に認めねばならぬ。鬼界ヶ島といひ、伊勢物語といひ、適当なる順序に適当なる狂言を撰択したことはいゝ。そしてその初役の「春日村」に成功してゐることは、その努力が報はれたるものと観ていゝ。今日のやうに太夫の低下した時に当つて、この人の努力は、文楽座の将来に一道の光明を、せめても射してゐるものである。芸術家の努力は一に「芸」にある。一向に腕だ、言論ぢやない、理窟ぢやない、理窟は素人がいふ、芸人の努力は一に「芸」ばかりだ。「芸」を措いて他にはない筈だ。
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玉水淵の段、又掛合に悩まされる。条るりが固まつてゐるやうだが、島太夫の信夫よし、和泉太夫の長四郎が、「声が高い」と信夫を制するところ、気がない、即ち「声が高い」と制する声が高くては、言葉の意味に矛盾が生ずる。「春日村」の口が相生太夫、この人の語り口が生真面目に穏健で将来が囑望される。次のはつたい茶は大隅太夫、道八。小よしが悪い、どうも「壁越しに話し合ふた心安立」が出ない。最もこの春日村は、小よしが難物、歌舞伎の舞台でも小よし役者が梅玉の歿後、東西の劇壇に絶無、そのために、有常役者の鴈治郞がありながら道頓堀にも出せないといふ代物だけに、浄るりでも小よしが難かしい。大隅の小よしでは昔語りのイキが打融けて出て来ない。家来共が「出て行くあごに二人はさし合も」で、こゝから舞台の調子がカラリと変る、これまでは田舎婆々と御大身、この変り目が大切だが、難しいのもこゝであらう。「太郎助殿」「小よし殿」で笑ひになるが、聞いてゐて危なかしくて、聞く方が肩が凝る。総体にこのはつたい茶は、歌舞伎でも、時代ご世話、外行の段勤と、心安立ての砕けた調子この天衣無縫といふ継ぎ目、変り目が生命だ、歌舞伎ほどの表裏を要求しないが、そこに浄るりの味がある。大隅は初役だらうからさして責めないが、聞くものをして肩を凝らさせ、ハラ〳〵さすのは、練習と工夫とが足らなさすぎる。私は四日目に見物したのだが、今一度打揚げの日に見物をして一興行の終日の成績を聴きたいと楽しんでゐる。
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この切が古靱太夫、清六。例の情意の至つた語り口、「引窓」の婆々の成功から押して、小よしは善からうがしのぶがどうあらうと思ふたが、「お前は十三わしや十オ」のあどけない口説きがまづいゝ。愛想尽しで母娘の情がしみ〴〵と浸み出る、芸の真実味が溢ふれた、小味のうまさ、十分に褒めていゝ。もう一つ小よしのよかつたのは、母子の縁切るかと詰寄られて、「ハイ(間)どうぞ〴〵この娘の助かる……」のこの「ハイ」と悲痛な小よしの一言が出来た。こゝの小よしは絶妙。が終りになるにつれて小よしが悪くなる。「音に恟り」からの小よしは感心しない。
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人形では、栄三の有常、この長丁場を、太郎助の昔に返つたり有常の品位を保たしたり、面白く遣つた。わけて何でもないところだが、小よし信夫が恩愛にだきしめる離れともなき有様を「有常も暫し辞はなかりけり」で、上手を向いた人形の横の姿に、愁ひと後の嘆を暗示した暗い影を有常の横姿に見せたのは、栄三の芸の力で、偉い。この役ではこゝが一等の出来であつた。文五郎の小よし、歌舞伎と違つた味に出来た。信夫の腹立てるに、扱ひ兼ねながら親の慈味が出てゐるのと、信夫を紋十郎が遣つてゐるので、ヂツと見てゐると、文五郎と紋十郎の人形が、小よしと信夫か、文五郎と紋十郎とか、--即ち母親の情と師弟の情とが、舞台と私生話の人情とが相互ひに融け合ふやうで、信夫をかばふ文五郎、小よしに縋る紋十郎、面白い舞台を見せた。これ小よしと信夫とのイキがシツクリと相合うたによる事だ。栄三の有常で横の姿を褒めたが、今一つ、「そのよう似たが身の因果」で刀を抜放して斬らうとして、信夫が飛びのく、此太刀を持つた横見の姿が又いゝ。政亀の豆四郎、科の故か年が老けて見える。
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中狂言は「桂川連理柵」で六角堂を錣太夫、絃新左衛門。当て込みが多く、当て節が多いのはいつもの錣太夫、或は本人は当て節を語つてゐるつもりでなく、当てる事になるのかも知れぬが、又、六角堂が当てるやうに出来てゐるのかも知れぬが、何はとにかく、これでは困る。人形ではおきぬは文五郎とあるが、文五郎の人形ではなかつた、誰かゞこの場だけを代つてゐた。
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「帯屋」は津太夫、友次郎。「帯屋」は津太夫の得意の出し物、津太夫を襲名の狂言にもこの「帯屋」が候補の一つに選ばれてゐたといふ一つの逸話がある位。それはまだ摂津大椽が在世の頃であつたが、津太夫が浜太夫から津太夫を継ぐ時の出し物について奥役の清水福之助といふのが腹案を持つてゐた。それは「八百屋の新靭」と「帯屋」とであつたが、その襲名興行の前に清水は死んだ。新津太夫のために、出し物を新たに撰択するに当つて、大椽の考へは同じく「帯屋」と「八百屋」とであつたといふのだから、津太夫と「帯屋」とは、その語り口にシツクリ吻合しにものと見られる、今度の出来等から見ても、「帯屋」がよかつた。半斎第一、おきぬも長右衛門もよい、歌舞伎でもだが、長右衛門といふ役柄が、捉えどころがないのか、あの辛抱役が難かしいのか、却々の難物、然るに津太夫の長右衛門で、おきぬと差向きになつて、「おりや、も、面がかぶりたい」の述懐が実によく出来た。されば今度の十月興行ではこの帯屋が浄るりとしては一等の出来栄を示してゐる。が余りに手に入りすぎたためか、舞台に看客を引つける熟と力とを欠いた。決して悪くないに拘らず、懈怠を覚えさしたのは、津太夫の浄るりに隙があつたがためであらうか。この意味からいふと、「春日村」に迫力と、熱と、人の心を引掴む力があつた。浄るりはうまいばかりでもなるまい。芸の真実が往々にして看客の心を掴むのである。
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人形では文五郎のおきぬ、役柄を弁へてサハリの間もよく遣つたが、左手を遣つてゐたのが誰であつたか遣手を、私は承知しないが、左が往々ぞんざいなところがあつた。例へば語り出しのおきぬが店を掃いてゐる間の左が文五郎とのイキが肌々だ。語り出しの仕所のない処だが、左の心掛がこれではなるまい。小兵吉の母、憎しみと下卑びた婆をよくしてゐた。政亀の長右衛門一通りだつたが、お半の書置を莨盆に見付けるところの心が足りない。あれでは書置が莨盆にさしてあることを当然知つてゐるとしか見えない。心が至らない。
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玉三の駒太夫の端場は、なくもがな、時間の節約が囂ましいに、こんな端場はあつてもなくてもいゝ。必要な端場と、なくていゝ端場との区別が大切だ、出し物によつて端場の整理が必要だ。
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土佐太夫の切、聴いた感じからいふと金藤治が弱い、「上見ぬ鷲塚」と本文にもある金藤治の暴慢な意気込みが足らない。或は土佐が渋く語つてゐるとの弁明も付く、が、私はこの金藤治などは渋く語るものでないと思ふ、仮りに金藤治が渋く出来たとすると、一体の調子も渋くならねばならぬが、例へば「心は月の桂姫」から「御礼は口へは出ぬわいなア」で拍手喝采されるところに矛盾がある、金藤治が渋ければこゝの桂姫で手を拍かせぬ工風があつてこそ、「渋い」といふ味ひが一貫する。金藤治だけが渋くて、桂姫で手を叩かしたのでは、芸に矛盾が見え、破綻が出る。そして語尾の振へるのが今度は甚しかつた、例へば「せめて夫が在まさば、問談合をあらう物」などで、その語尾のヴアイブレイシヨンに覆輪が付く。こんな例が随所にあつた。が、弱い金藤治だけに手負となつてからも、引立たなかつた。
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人形では栄三の金藤治が、三神の社へ立願し萩の方の話を聞いてゐる間が実によかつた。「雌龍の鍬形」でグツと見物には徹して、しかも、萩の方には素知らぬ風情の二重の腹がよく出した。手負になつてから栄三は抜けたがもう一呼吸だ辛抱すべきであらう。小兵吉の萩の方、右大臣道春が後室といふ品位を見せた。扇太郎の初花姫、文五郎の桂姫と立並んでよく遣つた。この人の芸の範囲の広い事、そして人物の性根をよく弁へてゐる事を、更らに褒めておく。今日の言葉でいふと内面的に遣はうとする、その傾向を嘉しとするのである。
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切が「千両幟」又掛合で、掛合のための破綻が多い。例へばつばめの猪名川と文字の鉄ケ嶽とでは、猪名川の方が手強い。これは太夫の柄の相違から来るので、一人の太夫が語るべき一段を掛合といふ不合理なる制度の許に語らしてゐるための破綻だ。そして文字もつばめも両太夫ともが損をし、修業にもならす、看客はつまらぬ浄るりを聴かされるといふ結果になる。若手の連中を他に道を立てゝ掛合にすべからざる語り物を掛合にする事は何としても、浄るり道の為に取止めねばならぬ。紋下初め幹部諸公はこの月々の悪制度を一体何と見てゐるのか。その日さへ暮せばいゝといふ考へか。一応とつくり聴いてみたいものだ。(四日目見物)