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【 石割松太郎 語り場分割の英断-六月の文楽座- 】
(2023.05.28)
提供者:ね太郎
語り場分割の英断-六月の文楽座-
石割松太郎
演芸月刊 第13輯 昭和五年六月廿日 pp.13-17
新築以来引続いて、とにかく半季に亘つて好成績を獲得してゐる文楽座は時間の短縮に悩んで、とう〳〵三段目四段目の語り場を分割して、太夫を多く出す事に苦心を払つた。
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この語り場の分割は、私が三年工前から唱道してゐる説であるが、三年前には、誰もが耳を籍さなかつた--この事は、別項「白井松次郎氏に与ふ」の一文に尽したから、就いて御一読を願ひたい。私のいふのは分けられぬ語り場を分けろとはいはない、分割の出来る語り場を分けろといふのである。だから毎月分割を原則としろとはいはない。第一は語り場のバラエチーを主眼にして、その撰定された語り物で分割可能の分を分けろといふのである。今一つは、太夫にうまい太夫が出て、半分の語り場では看客が得心がいかない程の太夫が出たらば、それこそ一時間四十分でも二時間でも語るがいゝ。現今の如く、それほどでもない丁場がフウ〳〵いつて語つてゐるやうでは分割がいゝといふ意味。太夫も助からうし看客も助かるといふのである、この分割の真意を十分理解しておく必要がある。
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今一つこの分割が、人形浄るり界に嘗つ無い事だといひ、或は明治十年前後にあるといひ昭和二年に源太夫と叶太夫とが勘助住家を分割した事があるなどと下らぬ詮鑿をしてゐる者もあるやうだが、要はかうだ。--
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源と叶との場合の如く、分割が主でなく、太夫の役の都合で別けてみたといふ程度。--即ちこの六月興行の如く、二つに分割して語る事を時間短縮の上から主義とし、方針として分割した事は、貞享二年の義太夫一世が、戎橋の操座以来嘗てない事である。嘗てない事だから由緒ある文楽座として悪い事だとはいへない。松竹はもつともつと由緒ある文楽座の歴史を汚すやうな事を平気でやつてゐるのだから、時世に適する興行方法は、慣例がないといふがために躊躇する必要がない。
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要は根本の「人形浄るり」の本質を変革するやうな非芸術的な事はお互ひに注意して廃めろといふ主旨に外ならない。
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この意味において分割は賛成だが、白井松竹社長の如く太夫に対する公約世間に対する声明を無視してゐる手段を私は別項で責めてゐるのである。--言葉を換へると誠意が皆無なる松竹の態度を非なりとして私は難じてゐるのである。--別項参照--
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そして分割の根本は興行時間の短縮から来てゐる事を忘れてはならぬ。即ち分割を行うて尚ほ分割せざる時と同じ効果を収むる事が出来る方法があるならば、そは宜しく採用すべしと進言する。--即ち今度の実例についていふと、「伊賀越」の沼津の小あげを古靱太夫が語り、あとが津太夫であるがこれで一興行を通さずして、古靱と津とを一日交替に語る事を想像して見よ。私は、古靱津の両太夫をして一段を語らしむる結果を見る事となると思ふ。そして両太夫の競演は浄るりを聴かうとするものゝ興味を引き、且つ両太夫も共に緊張して来る。今日の大阪の劇壇が去勢されたが如く、演者に少しも覇気のないのは、一つは競演の場合がないのが、一つの理由、人形浄るりもこの理由からして今一本の人形常打芝居を要求するのだが、今日それは望んで得られないとすると、今度の沼津の場合の如きは、古靱、津太夫の語り場を一日交替にする事は時間を短縮した上に、競演--演技の自由競争となり斯道を益する事多く、一石二鳥の策だと思ふ。一方は紋下の権威ある位置だからといふならば、そは時世を知らぬ迂愚の論である。古典の形式を尊ぶのはそんな意味ではない事を知らねばならぬ。--といつて、土佐の十種香と南部の狐火とを一日交替にしろとはいはない。生きた興行物を捉えて琴柱に膠しろとはいはない。融通無碍のうちに、自ら古典の精神をやぶらざるところに妙諦があるのだ。
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前「本朝廿四孝」で桔梗原から初まる。この段が例のカケ合。カケ合を許すとして、立浄るりが駒太夫であるに拘らず駒は高坂弾正を語つてゐる。主役の慈悲蔵が貴鳳太夫が語つた。履冠顛倒をしてはゐないか、或は不具なる故を以て駒太夫を遇する事、いつも薄きに失してはゐないか。そして貴鳳の慈悲蔵がよければ文句はないが、あんな玄人の太夫があらうか。素人でもまだ〳〵聴かれるのが多い。私はいつも貴鳳を攻撃してゐるので個人としては気の毒のやうにも思ふが、当人が下手糞であるので何とも詮がない。個人的には気の毒だが、玄人の群に入つて、尚こんな浄るりを語つてゐるのならば他人がいふまでもなく本人の一考を要する。浄るりでも唄ひものでも一に声といふが、声よりも何よりも「耳」が第一だ、自分の浄るりの正統なる批判が出来ないやうな事ならば、その芸は発達の見込がない。自分の耳を信じて尚且つ上達しないやうな天分ならば、浄るりなどは廃すがよい。--これは一般的にいふのだが、貴鳳太夫の場合の如き正に然り。
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「景勝下駄」がつばめ太夫に、勝市、芯の越路が十分でない、この婆々の性根がハツキリ出ない、嘗てこの人の試演的の「輝虎配膳」を聴いた事を思ひ出す。尤も浄るりが違ひそれは「川中島」これは「廿四孝」だが越路といふ婆々の皮肉が未だしと思つたが、慈悲蔵はよく語つた。
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人形では久しぶりで小兵吉の越路が注目に価する。紋十郎のお種も懸命でよく遣つた。栄三の横蔵も大きい。
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三段目の筍掘りが錣太夫、勘助物語が大隅太夫である。これに今度の文楽座の興味を私は繋いだ。善悪巧拙をいふのでなく、語り場を分割するに丁度いゝ取組みだといふのである。
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前半の錣はさすがに永年の修業の功は否めないが、いよ〳〵錣はこんなものを語る太夫でない事が判る。後半の大隅は年功が足らない、引締らない、稚拙な浄るりを語つてゐるが、浄るりに大きいところ、まだ〳〵先きが楽しまれる美点がある。この両人の浄るりを聴いて大阪俳優のうちから芸格の対比を求むると大隅は政治郎に比すべく錣は福太郎の面影を読む。政治郎の芸は未知数だが、順潮に成長すると、座頭の芸だ。福太郎は世話にも時代にも一応は消化すが、将来はあるまい?
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恐らく錣は前受を狙ふ以外に、何の工風が、何の芸的の悩みがある事を見受けない。例へば、何といふ節はかう語るものだと錣はその節は知つてゐようが節のコンビネーシヨン、パーミテイション以外に、語る人物を考慮に入れてゐるかどうかゞ疑問だ。酒屋のお園も楼門の錦祥女も、女房お種も、八重垣姫も一所くたぢやあるまいか。節を天稟の美声と声量の豊かさで前受は取らうが、床で語つてゐるときに人物がハツキリその眼前に彷彿してゐるだらうか否かゞ疑問だ。
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大隅の今度の勘助物語りの如きは、締らないで、帯解け開げで道中をしてゐるが、そして横蔵は駄々ツ子のやうだが、それは修業の足らないが故だ。三段目を語るにまだ〳〵隔りがある事を示してゐるが、紋下格の雛ツ子である。--政治郎に比すべきがこゝだ。
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されば私は錣の筍掘りよりは、稚拙なるそして修業と年功の浅い大隅の疵だらけの勘助物語に、団扇を揚げて、その将来に囑目する、特に今度のこの両太夫を並べて聴いてこの感が深い。
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「十種香」は土佐太夫の語り場だが休場。錣が代役をした。この代役で以て私はいよ〳〵前に述べた大隅太夫との比較品隲の私の正しさを証拠立てる材料の多くを聴いた。姫の到るところで看客を喜ばしてゐる。--聾耳に等しい客を喜ばして語る錣も得意らしい--お客が喜びさへすればいゝといふのが、錣の狙ふところぢやあるまいかこの代役を聴いて特にその感を深うした。
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狐火は南部太夫に吉弥、いゝ声のやうで、蓄音器を濾過して聴くやうな、声に金屡性の硬いところがある。この天成の硬いいゝ声をぼいやりと聴かす工風の出来た暁に、南部の声価が定まるであらう。
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人形では文五郎の八重垣姫、絶品。形式美の上からは正に満足の八重垣姫である。鮓屋のお里を満点と私は許したが、あの色気がこの気品を保てる姫に持たしたところに文五郎の腕がある政亀の濡衣は一通り。扇太郎の簔作は気を入れてゐる。文楽の人形は、他の人形の仕どころには余りに、無関心な場合が多い。尤も他の人形の芸を「盗む」科は人形道の尤も厭ふところ、忌むところである事は勿論だが、舞台の人形が余りに放心な場合が多い。然るに扇太郎の人形はいつも、どんな場合にも多く心が、ほんとに魂が打込まれてゐる。この意味において私は扇太郎の舞台に注意を怠らないのだが、今度の勝頼もその一例でこの人の将来に私はいよ〳〵囑目する。
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中狂言の「沼津」は小揚が古靱、平作の内が津太夫。こゝになると流石は津太夫が光つた。新文楽座以来、私は津太夫の上作を聴かず、前号において緊褌一番を勧めた。恰もよし丁度津太夫の得意の出し物であつただけに今度の「沼津」はうまい。平作第一。およねを、いざ聴かさうといふ風のない巧まぬ巧みは老巧。六月の文楽座を引くるめて、紋下の上々乗の出来である。腹を突いてからよりも前がいゝ。
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古靱、音つがひのうまいこの人、小揚げを巧みに語る。平作になり切つてゐるところも流石〳〵。別項に論じたやうに、津太夫の後半がいゝだけに、一日交替にすると、お互ひに腕もハツキリと知り、興味も多く、時間短縮のまゝに、いろ〳〵な意味で興味の深い「沼津」を聴かれたらうと--物足らない。
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玉次郎の平作、これも巧まず淡々として、平作になつてゐる。歌舞伎ならば仁左衛門といふところ、重兵衛を追うて行くに、当て気味のないのが嬉れしい。栄三の重兵衛、文五郎のおよねこの人達として一通り。
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切が「妹脊山」の道行、カケ合の太夫、配役蕪雑。文楽座に役割の出来る奥役手代が一人もないと見えるこゝでは仙糸の絃を珍重し、求女に廻つた栄三が立派な芸。これで見ても栄三の景薯の腕がいよ〳〵光る。(初日見物)