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【 石割松太郎 文楽座の「国性爺」 】

(2023.05.28)
提供者:ね太郎
 
古靭の「太十」-四月の文楽座-
    石割松太郎
 演芸月刊 第十一輯 pp 10-13 1930.4.20
 
 
 四月は花見月、興行にとつては御難であるといふので、例のビラの利く出し物が選ばれた。興行としては尤もの話。且つ新築以来文楽座のお客が一変した。いろ〳〵な理由で、人形芝居を見た事のない人が、今日の文楽座の主なるお客である事を思ふと、実はビラが利くも利かないもない、「酒屋」でも「太十」でもが初めてのお客が多い。人形の舞台に接する事のウブなお客が今日の文楽座のお客だから、この客がどれだけ文楽の好き者となるかゞ問題だ刻下の文楽の施設の機微がこゝに存する。
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 これは何を意味するかといふと、このウブな客に、実は太夫の或は三味線の善悪は到底一朝一夕には解らないが眼に訴ふるものだけに、人形の舞台が大切だといふ事になる。私が度々歴史的に述べた「人形偏重」の時代が、いよいよ来た。当分は人形が主で、段々と太夫三味線は人形に引づられて行く事であらう。この意味において、人形遣ひの緊褌一番を要する。そして人形遣ひが正統なる、芸術的の道を踏んで行くことにおいて、人形芝居が更生されるのである。
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 で、四月の舞台において、この意味から喜ぶべき事と憂ふべき事の両端の舞台を見た。
 喜ぶべきことは、元来人形遣ひの出遣ひは景事に限つて許すべき事だと私は思つてゐる。この前の三月の舞台に出遣ひの多かつたのに、私は顰蹙したが、今度の四月の舞台は、尽くが黒子を着て遣ひ、千本の道行だけに出遣ひを見た事を正当なりとして私は喜んだそして今一つ、四月の舞台から人形遣の黒子の紐が黒色に変つた。これは尤も喜ぶべき人形部屋の一事象である。元来は緋或は淡紅色、金糸、萌黄を景容として用ゐてゐたのが、全部黒にしたのはよろしい。即ち黒は舞台上で「無」を意味する約束である。「無」の条件があるに拘らず「無」を眼ざわりとするのは、看客側に曲がある。そして人形遣が舞台の一本の紐さへも黒色にした事を、この意味から私は喜びたい今度の舞台がスラリとしたやうにいゝ心持がした。
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 これは切の「大江山」を除いての話である。喜びの一端が前に述べたところで、これに反し実に怪しかる舞台は「戻橋」の玉松の--私か見物の日は玉市が代役をしてゐた--綱が、人形を胸に擁いて、腰以下を人形遣ひの腰以下で舞台を踏むといふ外道、--人形芝居道の外道悪魔の所為を敢てしてゐる事で、紋十郎が鬼女で、出遣ひの衣装を早替りをし、「早替り」をしたといふ事を見物に認めさすべく、一度素顔を晒して、改めて舞台で、見物に向いて自ら鬼女の鬘を冠つて、宙乗りをするといふ人形芝居道の外道悪魔の所為をしてゐる事。そして幕切れに、赤鬼が飛出て綱と立廻はりがあるといふ許すべからざる舞台を見せてゐる。愛嬌にも何にもならない苦々しき沙汰の限りだ。一度ならずも、玉松の床下の仁木をこの態で見て苦々しく思つたが、仁木はまだ花道の引込みだけだから、まだ〳〵如すべきだか、今度の「戻橋」は勾欄を取除いて、若菜と右源太、左源太の三人が人形であり、綱だけがこの態だから不調和といはうか、乱暴といはうか実に言語同断。古典の舞台に諧調を破つて何があるか。--昔の玉造もやつたとその業者はいふか知らぬが、どれほどの名人にも疵はある、真似すべからざる疵を、昭和の今日真似てゐるのを私は咎めたい。紋十郎の如き将来のある人が、稲荷祭の余興に「三番叟」の人形振りをするなどはいゝが本舞台のこの鬼女を見て、愧しくないといふならば、その芸術的の良心を疑はねばならぬ。
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 話を戻して、前狂言の「太功記」本能寺が例の掛合、太夫の咽を無視して配役をしてゐる。鏡の阿能局、つばめのしのぶなど、この有望なる若手を殺して使つてゐる。私の見物の日は春永が相生太夫、蘭丸が島であつた。相生の春永がよく語つた。
 人形では門造の春永に、案外品位と「疳癖者の悔恨」を見たのが拾ひものであつた。扇太郎の阿能の局が、その身分以上に使つてゐる。引つゞいて扇太郎の舞台に注意が引かされた。
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 「尼ケ崎」の端場が、和泉と友造。この人のシユツ陣が、文字には現はせないが耳ざはりだつた。
 切が古靱。今度の聴物、四月の出来栄はこの切が一番だ。初日には声を悪くしてゐたが、ソレでも四月興行の桂冠は、この人の頭上に置かれた。悪い方からいふと重次郎に若さがない。こ我之助同様どうも干枯らびる。今一つの欠点は、浄るりの大さが足りない。これは技巧が勝てば勝つほど浄るりが小さくなるのか?歌舞伎の舞台にこれを見るに、今日の菊五郎、吉右衛門の舞台が、立派な芸を見せてゐても舞台が何としても小さい。不思議なほど小さい、いつか。魁車の政岡で巌笑の八汐隙だらけの八汐だつたが、政岡が飛んでしまふほど大きい舞台を見せた。「芸」の大小ばかりは別かは知らぬが、古靱のこの欠点を「今日の時代の所産」とすれば、古靱の「尼ヶ崎」は立派な堅実な語り口を聴かせた。
 人形では栄三の光秀はいゝが、古靱の場合と同じ事がいへる。が、当込みのないサラリとした光秀は、歌舞伎ならば中車といふ芸格である。文五郎の操はいつものサワリで十分に見せようとする花が多い。玉七のさつきいつものこの人の割に気が入つてゐて、いゝ皐月だ。
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 中が津太夫の「すしや」淡々として工まずに進んで行く。--といふといいやうだが、さにあらず、悪い方に「工まず」で、言葉を換へるとダラ〳〵と素読の如く進んで行き、倦怠を催さしたのは、四月三立者では一等悪い出来である。そして「稚きを連れた旅のをうな」或は「をうなは嫉妬に大事を洩らす」--とをうな〳〵といつてゐるが、どうあらうか。私は「をんな」といつてほしい。常磐津の「釣女」にも近来「をうな〳〵」が流行るが、悪い流行だと思ふ。
 人形では文五郎のお里が、「情ない情に預りました」で弥助の膝をギユツと抓つて身を下手に引いて外見[そつぽ]を向いて肩が息をする、この件などは歌舞伎では、かう思ひ切つて突込んで出来ない人形のみが持つ特権で、お里といふ蓮葉な娘ぶりがよく出て面白く、又こゝの文五郎の芸が絶妙。今度の人形ではこの文五郎のお里が一等面白かつた。歌舞伎だと、娘ぶりがしとやかになりすぎる、嘗て雀右衛門が、ソツト惟盛の膝に手を置く科があつたが、歌舞伎だと突込んだ蓮葉ぶりがむつかしい。
 栄三の権太、例の梶原がいふ「コレア権太」で死んだ文三などが、「何んぢや」などいふのが例で、この間をあけまいとしていつてゐるのを、流石に栄三は黙つてゐたのを褒める。この権太も歌舞伎だと五代目系のイキナ権太が目にあるから、延若などの権太に慊らないが、人形だと、原作の味が浸み出る。又栄三もよく遣つた。
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 こゝで「道行」があるが、初日の口上が、「只今の切」といつたのは不都合だ。何が切だ。--かうして浄るりで重きをなす「切場」の精神が失はれて行く事を惜むのである。その後この「口上」が直つたかどうかは知らぬが、こんな末にも古典の味かあるのだ正しくいふ事に注意すべきだと思ふ。
 この道行はパツとした派手な舞台、出遣ひを厭ふ私だが、こんな景事だけは、思切つて、人形遣も劇中の人物となつてお遣ひなさいと勧める。
 こゝの三味線新左衛門が立で道八、叶、猿糸以下一かどの三味線がズラリと並ぶのは立派だが、三味線が乱れ通し、てんでばら〳〵はみつともない。景事の太夫三味線は、春のをどりのやうなものだ、歌詞よりもリズムとメロデーだ。その三味線が綺麗に揃つてこその景事だ。文楽では何かあると「又か」の千本の道行、その道行がこの不揃ひは名誉讐な事ぢやあるまい。それが仮令初日であつてもだ。
 人形の「忠信」栄三で、檀の浦が、面白かつた。歌舞伎の所作と又違つた味がある。「勧進帳」の弁慶といひ忠信といひ栄三が景事の腕を十分認めねばならぬ。
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 次が土佐の「酒屋」絃は吉兵衛。土佐得意の語り物、この人の純写真の傾向が、こんなものになると、いよ〳〵冴えて来る。「堀川」もその一例だが、一とき影をひそめかけてゐた、声尻を振はす癖が、今度の「酒屋」に再来した。宗岸と半兵衛との間がそれで、それが必ずしも老人を描く一法ではあるまいと思ふ。前半がよくて、遺書読むくだりでやゝだられて来る。
 人形では例の文五郎の得意のお園、サワリが、浮世絵そのまゝの姿。しかもそれが「国貞描く」の浮世絵である肩のあたり全く国貞を地に見るが如し玉次郎の宗岸、何もしないところに、この人の腕が見える。
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 切が「増補大江山」戻り橋の段で、常磐津よりは品物が下品、人形が前述の如き悪趣味。床も舞台もなつてゐない。折角のこれまでの半日の感興をこの切一幕で滅茶〳〵にして、不愉快の思ひをして表へ出た。(初日見物)