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【 石割松太郎 文楽座の「国性爺」 】

(2023.05.28)
提供者:ね太郎
 
文楽座の「国性爺」
 石割松太郎
 演芸月刊 第九輯 pp 14-17 1930.2.20
 
 
 更生した文楽座の如月狂言のうちに久々の「国性爺」が出てゐる。前興行の「鬼界ケ島」といひ、今度の「国性爺」といひ、多少とも狂言の選択の範囲が拡められた事は、よい事だ。が、掛合が三つまで出て、やう〳〵に太夫三味線のハケ場を無理に苦面をして使つてゐるが、こんな方法が果してよい事だらうか、どうだらうか。興行政策と引離して文楽座の当事者は一度よく考へてみる事だと思ふ。「興行」を為しつゝ若手の養成、後進の試練を為さしむる事相当の努力を要しよう、そして昔とは時間が短縮されねばならぬのだから、苦心を要する事勿論だが、掛合で太夫三味線をやうやくにハカしてその日を送る事は、偸安の道である。他に施設を講ぜずして、これで将来をどうするか。小屋見物と新しい組見で、いつまでこの調子を続けようとするのか。私は尚一ケ月ぢつと見てゐよう
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 三狂言の掛合でやう〳〵文楽座の人間をハカして、尚且つ五六十人の人が休んでゐるといふ話である。そして今日までは、毎日替りの出演者にも、全給料を支払つてゐたのが、この四ッ橋の文楽座になつてからは、「日割勘定」であるといふのが、太夫三味線の下ツ端の生活である。それに対しての批評は今はいふまい。何故ならば、新築、開場と重なるてゐるから、少し落つく暇をまつて松竹の行はんとする「将来の文楽座」のための方針を見ようがためである。このまゝではその月の興行は、その月暮しに立つていけようが、決してこんな狂言の立て方は百年の長計ではないのである。
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 前「国性爺」の開幕が「仙檀女の道行」だが、半ばから開いたので、全体としての批評は出来ないが、「道行」らしくない「道行」を聴かされた。シテが駒太夫、ワキが貴鳳太夫で、何をいつてゐるのか文句さへも分らない。三味線は叶が心であつたが、練習が足らぬといふのか、床が不統一といはうか、騒音を聴くばかりの「道行」は、善悪を超えて「道行」らしからぬ「道行」は考へものだワキの貴鳳の如き音声が、道行らしくない道行をいよ〳〵道行らしくなくしてゐる。従つて人形も評なし。
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 「楼門」は錣に新左。いつもの錣太夫よりは謹んで(?)我流(?)が出ないで、シツクリとしてゐた。が、錦祥女にそれらしい身分の要意が欠けてゐるから、舞台模様と浄るりとが肌々な感じを与へてゐる。三味線の新左衛門十分に錣を助けて、リードして行く。
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 人形では紋十郎の錦祥女、なか〳〵によく遣つた。文五郎の母も、この人の割に淡々として片づけていつた。
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 獅子ケ城は、津太夫と友次郎。これをこそ今度の呼物と私は期待したが、案外。尤もこの浄るりの有名なのは、他に理由のあつての事で、古来いろいろな名誉の芸談を先名人達は残してゐるが、これだけの三段目、歌舞伎に移しても、江戸では市川家の荒事となり上方でも歌舞伎の故実を残してゐるが津太夫の獅子ケ城はアツケなさすぎる明快といへば明快だが、聴者を引つける締結りがない。ダラリ〳〵と同じ足どりで押通して、終りになり聴く者がホツとするなどは、津太夫友次郎の名誉でもあるまい。呼物にと存じて、思つた獅子ケ城に力負けをして大きに失望した。もつと〳〵三段目らしい、荒事らしい、怪奇な、思切つたグロテスクな趣を浄るりに要求したものを。
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 人形では栄三の甘輝、堂々としてはゐるが、錦祥女に対ずる情合が出ないのはどういふものか。玉松の和藤内がセリ上りで、本松明を持つて出たのには少し呆れる。人形芝居にこの本松明を使はうといふ了簡方が間違つてゐるドス黒い烟を濛々とさした舞台には情けなくなつた。道頓堀の歌舞伎ですら我童の和藤内が、緋綿の松明、この絵画美か、歌舞伎なり、人形の生命だ。玉松は自ら人形の生命を蝕ばまうとしてゐるのは不心得である。この写実脈は何んとかして人形舞台から追払ひたいものだ。この舞台がグルリと廻つて甘輝の館になると、あの大きな煙管を甘輝が悠然として使つてゐるのだ。舞台の調和からしても、統一からしても本松明など使へたものぢやない。私はだから、人形の舞台の統一的の監督の必要を唱へるのである。--ホントに権力を持たした監督者。或は座頭の統一にまつかゞ、人形芝居のためである栄三の使ふ甘輝の大きな煙管、梅王の三本立刀、この意表外の絵画美に人形芝居の価値のある事を忘れてゐる人形遣ひの頭は一洗すべきである。人形の舞台における写実風は、人間の生身に譬ふゐと結核菌のやうなものだ。最も恐るべき病弊だといふ事を自覚せねばなるまい。
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 次が「勧進帳」--掛合で大隅の弁慶和泉の富樫、相生の義経などであつたかういふ風な長唄から取つたもの、又前興行の「柱立万歳」の如く常磐津からとつたものは、何んとしても本家がいゝ、それは固よりその筈で、そのモノに作つたればこそピタリと適つてゐる長唄にいゝから常磐津でいゝからといつて必ずしも浄るりでいゝ筈がない。却つて悪いのが当り前だ。この「勧進帳」も長唄ほどの面白味がない。が、この前に「勧進帳」が出た時の節付は、もつと〳〵長唄についてゐたがために今度よりも更らに詰らなかつた。今度のは名人団平の節付である。流石に長唄を離れ切つた所がある。即ち義太夫になり切つてゐる。然しそれでも本家には勝てないのだ。不世出な天才と呼ばれた初代団平ほどの名手にして、尚且つ庇をかりて母家をとれなかつた。これを見ても却々今の世に浄るりの新作の不可能なる事を証拠立てゝゐると思ふがいかに。今一つは団平が作者の勝れたのを得れば或は彼の一生に「壷坂」のやうなもの以外にホントに立派な節付を残したかも知れないが、それがない。この勧進帳の所々の改作の如きにも相当に文章の蕪雑なのが耳に立つ。
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 が、この作をこのまゝに請容れて大隅は相当によく語つた。問答の条が最も出色。和泉の富樫一生懸命だつたが辞の腰が折れる。三味線の道八、こんなものになゐと手一杯に面白く聴かせる。
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 人形では、今度の興行の太夫、三味線、人形を打つて引くるめてこの栄三の弁慶が一番だ。私はこの人の一ノ谷の熊谷に一度感心したが、今度の弁慶は工夫において、新しき手法において実によく遣つた。只引込みに扇をサツと開いて使ひながらの引込みは弁慶の今まで全曲の力を茲で抜けてしまふのををしいと思つた。人形浄るりの歴史を按ずると、太夫に名手がなくなると浄るりで人心を引付けられない、この時代にいつも眼に訴ふる人形が頭擡して、舞台に床が引摺られてゐる。按ふにこの二三年来、この傾向が我が文楽座にハツキリと見え出した。前興行における栄三文五郎の「三番叟」今度のこの「弁慶」などはその一つの現はれであると見ていゝ。今後どんな形をとるか知らないが、恐らくこの風潮が助長され、人形遍重の時代がもつとハツキリと将来するだらう。太夫、三味線、人形は三輪車の車の如く、同じ一線上に立たねばならぬのが原則だが、こは何とも出来ぬ「時の力」といはうか。三業各業において枝の陵遅の致すところ。昔の歴史をそのまゝ同じ径路を辿つてゐることを私は今度の栄三の「弁慶」にハツキリと見た。
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 紋十郎の義経も役柄をよく知つて遣つた。玉治郎の富樫に思慮が欠けて見える。四天王に気がなくて、松羽目模様がとれて安宅の浜となつてから、太夫の辞と人形の四天王とがピタリと合はないで、混雑してゐるのはちと見苦しい。
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 次が「合邦」俊徳丸と浅香煙の出の端場を鏡太夫、綱右衛門の絃で語る。取立てゝ申すほどの場でもなし。この切を古靱太夫の筈が病気で欠勤。つばめ太夫の代役であつた。前興行の掛合の伊左衛門がなつてゐなかつたつばめ太夫だか、師匠の代りとて、気一杯に緊張して語つた。立派な出来だ。若いだけに後半がやゝ乱れかゝる急込んで来る余裕に乏しくなるのは当り前で、それが出来れば近い将来の紋下だ。--がさうはいかぬ。今が修業中のこの人としてこれだけの浄るりをよく語つた。細節は省くが、合邦も玉手もよく語つた事を賞しても溢美ではない。玉手の手負になつてからは混乱に陥るのは巧者のやうでも若い。難をいへば師匠古靱そつくりだといふのが難といへば難だらうが、この人の年輩で、まだ自分の浄るりになつてゐない処にこの人の将来がある。碌な浄るりにもならぬ間に、その人の個性が出ればそれこそ行詰り、然らざるところに、この人の洋々たる将来がある。今日の文楽で、最も多い広い高い将来を期待される随一はこの人ではあるまいか。師匠そつくりの浄るりを稽古してゐる今のこの人こそ有望なのだ。鶯の集から巣立ちをする時鳥は鶯ぢやあるまいぢやないかつい曩頃土佐の「合邦」代役に名誉をえた鏡と同じく、つばめも今度の「合邦」は名誉賞に値すべきである。
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 人形は文五郎の玉手が例の如く面白し。この人今度の役々ではこれが一番阿古屋は俗受け前受けの琴の手に矢鱈に拍手は起るが、玉手の前半が実にいい。この場の扇太郎の浅香姫が、手負の玉手の話を聴く間、所謂「芸を盗む」程度でなく気を入れて演じてゐるのが眼につく。主演の邪間をせずに気を入れて舞台を勤むる扇太郎を再び私は褒めておく。
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切は土佐太夫の阿古屋、大隅太夫の重忠その他。掛合もので情味薄し。一体に人形芝居は、舞台が楽ではお客の興味は殺かれる。浄るりに生気乏しければ人形も活動しない。「掛合」といふ方法が、太夫をハかす唯一の道ではない。吾等は文楽座の掛合ばかりにもうニタ月で飽き〳〵した。