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【 石割松太郎 新しき文楽座へ 】

(2023.05.28)
提供者:ね太郎
 
新しき文楽座へ
  石割松太郎
 演芸月刊 第七輯 昭和四年十二月廿日 p.13
 
 
 文楽座が御霊境内にあつて、とうどう火を失した時に、私は暗い心持になつた。が、幸ひにして新しき様式を備へて、文楽座が、元近松座の跡に筑造された。その開場式が等卯ん廿六日だといふ。本誌が生るゝ数日後に開場式が行はるゝに至つた事をまづ大阪のために祝福する。
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 が、私は松竹がこの文楽座の経営方針を又聴きするに及んで、「建物としての文楽座」は立派に再築された事を心から祝福するが、その経営方針が、文楽座--といふよりは「人形浄るり」の廃滅を早くしてゐるものではあるまいかと憂慮の念が頻りである。
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伝ふるところによると、年四回乃至六回の興行、一日六時間の興行を原則としてゐるやうであるが、年の四回乃至六回の興行は、お客さへあれば営利会社である松竹は毎月でも興行することは疑ひないから、どうでもいゝが、人形浄るりの興隆に関して、松竹の第一に忘れてゐる事は、他の歌舞伎同様に取扱つてゐる事である。即ち言葉を換へると、太夫、三味線、人形遣ひの養成を忘れて興行を続けようとするところに、松竹の誠意を欠き、人形浄るり百年の後を考慮する。芸術に対する商売冥利を忘れてゐる事である。
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 こんどの第一興行に土佐太夫の「御殿」津太夫の「橋本屋」古靱太夫の「俊寛」朝太夫の「夕霧」と並べられてゐる。これで六時間の割当は、その端場その他で相当なる太夫を使うて営利を目的の--唯一の目的の興行は出来るだらうが、これに漏れた太夫、三味線ーー人形遣ひは別の事情にあるが--がどうして稽古が、修業が出来ると松竹は考へてゐるのだらうか。伝ふるところによると、午後夕方まで、この興行に漏れた人々で素浄るりを興行するといふ二部案があるとの事だが、こんな二部案が、太夫や三味線の修業になるだらうか。ないよりは或はまだましだらうが、こんな姑息な手段で、お茶を濁してゐて、人形浄るりの保存が出来るものとは、私は何としても考へられない。松竹が文楽座に対する経営方針は、唯の他の興行とは自ら撰を異にせねばならぬ義務が、彼松竹に生れてゐる。もうそれを自覚せねばならぬ筈だと思ふ。
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 私はこの開場式の直前に当り、今後の方針とその実際を見て敢へて言ふところあらん事を申しておきたい。
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