浄瑠璃大系図 PDFファイル |
竹本筆太夫 近松春翠子 天保13年刊 |
上 | 中 | 下 |
書名について
演芸資料選書本、架蔵本ともに
版心は上巻口一が「浄系」である以外はすべて「浄景図」であり、 後序[天保13年季春]でも「浄瑠璃乃大景図」とされている (序[天保13年仲秋]は「浄瑠璃大系図」とする) 架蔵本が 上 内題 浄瑠璃大景図巻之上 巻尾 浄瑠璃景図巻之上畢 中 内題 浄瑠璃大系図巻之中 巻尾 浄瑠璃景図巻之中畢 下 内題 浄瑠璃大景図巻之下 となっていることも合わせ、 当初、書名は「浄瑠璃大景図」とされていたと考えられる 『景図』用例
「竹本義太夫様より代々景図」 86「竹本染太夫氏巻軸ノ写」近松研究所紀要(8・9)p252 「蘭奢侍新田景図」 増補浄瑠璃大系図p193 「花景図都鏡」 増補浄瑠璃大系図p307 諸本
A
架蔵本
B
影印・翻刻 演芸資料選書3 1989.3.20
※ 東大駒場本・奈良女子大本は色版が省略されている
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A:架蔵本 | B:演芸資料選書本 | |
内題等 | ||
上巻 七ウ 竹本義太夫の項 | ||
上巻 八オ | ||
上巻 十二ウ | ||
中巻 十六オ | ||
中巻 二十二ウ |
参考1
義太夫大鑑 付表 浄瑠璃各派系統図表
参考2
『序に、筆太夫が当時奉行所へ参考として提出した、古来太夫の家屋敷所有者(町人同格)を認めた覚書がある。太夫等が当時の住所を知るには無二の資料と思ひ、附記して置く。 日本橋筋一丁目阪町東の行当り……義太夫こと竹本筑後掾 同処筑後と合壁……竹田出雲掾 長堀橋筋二丁目周防町南へ入……若太夫こと豊竹越前少掾 心斎橋筋周防町南へ入……紅屋長兵衛、内匠太夫こと竹本大和掾 道頓堀太左衛門橋筋浜より少北入……岸本屋善兵衛、此太夫こと豊竹筑前少掾 島の内周防町御堂筋西入……豊竹島太夫 島の内八幡筋心斎橋西入……二代目豊竹駒太夫 塩町通佐野屋橋筋東入……三代目竹本政太夫 島の内清水町筋三休橋西入……二代目豊竹此太夫 梶木町淀屋橋筋……二代目竹本染太夫 北堀江下通四丁目阿彌陀池南の筋南……三代目豊竹此太夫 西京猪熊仏光寺上る町……二代目竹本綱太夫 西京上長者町松屋町下る……野澤吉兵衛 立売堀北通一丁目槌橋筋西入……初代鶴澤寛治 島の内清水町畳屋町南入……三代目竹本内匠太夫 北新地二丁目……初代竹本彌太夫 島の内清水町三休橋筋西入北側……竹本播磨大掾 西京三条橋東松の木町大菱屋……三代目竹本綱太夫 島の内岩田町……三代目竹本筆太大 塩町通心斎橋筋西入南側……五代目竹本政太夫 島の内御堂筋鰻谷角……竹本住太夫 北新地三丁目……五代目豊竹此太夫 東成区天王寺村河堀口宮町……三代目竹本長門太夫 右為後日之書印置者也 天保十三年壬寅八月 竹本筆太夫』 木谷蓬吟「天保の芸人弾圧と快漢竹本筆太夫」(『浄瑠璃研究書』所載) |