FILE 153
【 瑠璃天狗 】
(2022.11.30)
提供者:ね太郎
瑠璃天狗
新群書類従の翻刻によった。 [ ]は翻刻のふりがな、{ }はファイル作成者による補記
挿図については新日本古典籍総合データベース[金城学院本]へリンクを貼った
本テキストは、次世代デジタルライブラリ
『浄瑠璃集』(上記帝国文庫)の
テキストファイルをもとに、補訂・加工したもので、「自由に二次利用可能」です
題瑠璃天狗首
別占宏宇宙兼愛好風光四時移變幻一日有興亡窮途遊子恨薄命美人傷誤軀過病患晦跡託徉狂或尋塵外靜却混世中忙丹心偏報國白首克勤王公孫時隱僕姬子亦爲倡千金當寶剱一炷駐名香吟行追蜨蝶獨臥戀鴛鴦梅襲曉夢發柳惹春嬾長日中期約束夜半苦相償豈無解亂手必有挫奸膓溫袍初立志衣錦竟歸郷蔑如以雜劇誰道說荒唐文窺㽵子室解上郭生堂見冝偏窒欲嫉惡自懲行誦絃暗事實下學習篇章獨謠對月枕共樂弄花床伎加泣閼氏調和惱周郞視收懷孝悌聽取創忠良縱然世俗樂粤兮亦何妨人間那般事如是大戯場
右
文化丙寅秋日掠贄居士書於浪華客舍爲友人賽笠翁
瑠璃天狗附言
往昔穗積先生のあらはされたる
『難波士産』といふ書にむかしの浄瑠璃の文句をすこしづゝ注釋し其一齣の趣向あるひは文句のつゞけがらを評したりといへども其注釋のくはしからぬのみにあらす、儒者氣[じゆしやくさく]てかたくなゝる論どものまじりたれは、見る人あくびかちなるによりて我賽笠翁先生あらたに此書を著せり、今のよの淨るりを演[かた]る人この本を見たまはゞ文句のこゝろ明らかにわかりて心いきよくうつり詞のいきごみたしかにしれてめりはりに味はひを生ずへし、又淨るり本をつぶよみする人この本をみたまはゞ文句にこもりたる故事のわけ古歌の心など多くの書籍を引てたしかにしるしたれは和漢の學問にすゝむ階梯となる事多かるべし
近來の板本に正本をうつしあやまりたることすくなからず、たとへば川中嶋の配膳の齣に牛の刀といふことを牛の力と書てかなづけまてかへてあるゆゑ歷々の演者も牛のちからとかたらるゝ事きのどくなるもの也、すべてかやうのたがひを此書にはくはしくあらためたゞしたり
此書卷之一金閣寺の齣くりから龍の注を本文に脱せるを今こゝに擧ぐ○倶利迦羅といふは天竺の語也、『玄應音義』には迦羅迦龍とも書て漢土にては黑龍と翻譯す、其黑龍剱を纒ひ繞る、これ不動明王の形なりと有、また不動秘密法には壁の上にひとつの剱を畫き、古力迦[くりか]龍王を以てこの剱の上に繞はせ其剱の中に阿字を書き心中この剱を觀し又心に不動を念じて六箇月に滿るときは古力迦龍王みづから其かたちを現じ人の形となりて常に其人に相したがひ驅使ふところに任すと有、此經說によつてつるぎをくりから丸と名づけたる物なりといへり、この一條賽笠翁先生の原本をうつす時書おとせしゆゑ此所にしるし侍り、看官その疎漏を嘲りたまふことなくむば幸甚
懸金堂主人謹識
瑠璃天狗 卷之一
・そも〳〵金閣寺と申スは鹿苑院の相國義滿公の山亭三ン重の樓[たかどの]造、庭には八つの致景を移し夜泊の石岩下の水瀧の流レも春深く柳櫻を植交て今ぞ都の錦なる
金閣寺はむかし西園寺公經公の山莊にてこの邊に西園寺といふ寺を建たまひしを足利三代太政大臣義滿公剃髮して道義と號し此地を請ふて隱居所としたまひ第宅を建て鹿苑院といふ額をかけられ庭に三重の閣を設け給ふ、この閣の內外こと〳〵く金箔を貼せ給ふゆゑ世に金閣寺と稱じたり、此庭に八景あり法水院・潮音洞・究竟頂・鏡湖池・岩下水・龍門瀑・銀河泉・安民澤是なり、又池のほとりに九山八海の石ならびに夜泊石・赤松石あり、この赤松石は赤松家より獻ずる所也といふ、委しくは
『雍州府志』に見えたり、こゝに相國といふは太政大臣の唐名なり、柳櫻の歌は
『古今集』に〽見わたせはやなきさくらをこきませて都そはるのにしきなりけり」とよめる素性法師の歌也
・究竟頂に押シこめた慶壽院此天井楠の一枚板
究竟頂とは此上なき頂上といふ事にてこの三重の閣の三階にて則この庭の八景の一つ也、
『雍州府志』に三間四面の一枚板をもつて床とすと見えたるを天井の事につくりかへたるなり
・狩野助直信が雪姬ならでないといふ
直信は繪師の主馬尚信のこと也、自適斎と号して探幽法印の弟也、雪姬は雪信と云女繪師のことにて探幽の姪孫也
・雪姬も同じ樣に何やら斟酌
斟酌は𣏐をもつて酒をくみうつはものに入てその深さ淺さを量る也と『四書通義』に注す、物を見はからひ酌はかる心をいふなり
・慶壽院が警固隨分と怠るなと
警固はいましめかたむるとよむ字にて、きびしくかこふ事也
・彼王陵が母を擒同前
漢の高祖と楚の項羽と爭鬪のとき王陵數千の兵を集めて漢祖の方に付ぬ項羽王陵をよばんと思ふ心深かりければ、はかりて王陵が母を取籠て王陵をよぶに陵が母ひそかに王陵がもとへ使をつかはし、わが身とりことなるともいたみ思ふべからず、漢王の爲に忠をきはめて二心を見せ奉るなと云ひやり、さて我身ながらへてあらば王陵それ故に心よはき事もあらんと思ひてつるぎにふして命をうしなひたること『前漢書』にみえたり
・王昭君が胡地の花色香失ふ風情也
漢の元帝の宮女王嬙字は昭君、胡地のえびす國にゆきて都をおもひしたひしありさまをいへり
・雪舟樣より父將監迄傳はりしが
雪舟名は等楊といひ雪谷軒と號す、備中の人にて永祿三年八十七歲にて卒す、將監といふは土佐の光高のことにて雪信の父にはあらず、かれこれの畫かきをとり合はせて狂言につくれり
・岩下の井戶へ釣おろし
岩下水はこの庭の八景のうちなり
・古へ齊の晏子といふ者身の長は三尺なれとも諸侯の上ミに立ツて國政をとり行ふ
・人には一つの癖有ル物とは慈鎭が歌
「奈良の一乘院の御門主は慈鎭和尚の御舍弟なりしが、八月十五夜中門にたゝずみ給ひける折しも、御力者あまた御庭を掃除しけるに、傍輩どもいかに今宵慈鎭坊の歌よませ給ふらんといひあへるを聞し召て、翌日慈鎭和尚の御もとへ狀を進ぜられし樣は一山の貫主三千の棟梁にておはしませば、眞言止觀の兩宗をこそ興行もあるべき事に候へ、日夜風月のたはふれを翫び給ひ候こと釋門の義にもそむき、かへつて凡俗の體に着せられ候事もつたいなく候、御室のめしつかい候奴原去ぬる夜の月に御身の上の事を申しさた仕候、向後は此道を御さし置候へかしと存候と敎訓狀を進ぜられしかば、慈鎭御返事によろこび入候とておくに一首の歌をかき給へり〽みな人の一つのくせはあるそとよ我にはゆるせ敷しまの道」と遊ばされてまゐられしかば、門主沙汰のかぎり也とてまた申させたまふ事もなくやみ給ひにき」と
『淸巖茶話』に見えたり
・天竺波羅那國の大王まつ此ごとく碁に打入あやまつて沙門を殺した引事
是は
『太平記』の引事のまゝ也、この事は
『丹桂籍』 {
Hathitrustではカラー画像}にいはく梁の榼頭師[かうとうし]といふ僧よく戒律を守られけるゆゑ武帝これを崇め信ぜられしが、ある日此僧と武帝と碁をうたれけるに武帝碁のことばにて殺着せよとのたまひければ近臣遂にこの僧を斬たり、後に武帝これを悔みてかの僧の末期に何をかいひしと思ひ給へば、彼臣下のいはく僧罪なくして殺さるゝ事は前世にて我沙門たりしが冬の比地をほるとて一つの白き蚯蚓を斬りたり、此みゝず帝の前生の身なり、この因緣にて今かくのごとしといひたりと云々{
太平廣記}
・下邳の土橋に石公が沓を捧し張息もかくやと計りいさましゝ
『前漢書』に云、張良わかきとき下邳といふ所の橋の上に行てあそびけるにひとりの老翁あり、沓をはしの下におとして張良にとりてはかせよといふを、心よからぬ事とは思へど、老人のいふことなればと、沓を取て跪てはかするに翁立ながらはきて咲ふて去ぬ、しばし有て翁また歸り來り汝に道を敎へんと云、則太公が兵法を授たり、張良これをよみて後に漢の高帝の師となれり、此老翁は黃石公也
・令する詞に
令はものをいひつける事なり
・父雪村迄傳はりしが
雪村は雪舟の弟子にて元龜・天正のころの繪師也、雪信の父にはあらず
・雨をおびたる海棠桃李
・屠所の羊のあゆみ兼
屠所は獸を料理する所也、そこへ引れて行く羊のひと足〳〵死地に近づくたとへにて摩耶經に出たり、又この心を赤染の衞門の歌に〽けふもまた午の貝こそふきつなれひつじのあゆみちかつきぬらん」とよめり、此うたは『後拾遺集』
{『千載集』}に出たり
・三井寺の賴豪法師の一念鼠となり牙を以て經文を喰さき恨をはらせし例も有
三井寺實相房の賴豪阿閣梨白河院の御后の腹に皇子誕生のことを祈けるに勸賞望にまかすべきよしなりければ、皇子御誕生の後戒檀堂を建んことを乞ふに其事勅許なかりければ、賴豪大にいかりかの皇子を祈りかへし奉りその身は持佛堂にて干死[ひじに]しければ、彼皇子は四歳にてかくれさせ給ひけり、其後叡山の良眞に仰せて祈らせられ、皇子御誕生ありければまた、賴豪の死靈怨をおこし、兎角山門の有ゆゑ也とて鼠となりて一山の聖敎の經どもをくひやぶりし事
『江州一景錄』につまびらか也
・繩目の葛草の根を月日の鼠が喰切〳〵
人の命を草の根にたとへ月日を黑白の鼠に譬へたり、この事は『賓頭盧爲優陀延王說法經』に見えたり、又散木集に見えたる俊賴の歌に〽わがたのむ草の根をはむ鼠そとおもへば月のうらめしきかな」又土御門院の御歌に〽霜かれの草葉にさはく日の鼠きのふのけふになるぞほとなき」{
土御門院御集:冬枯の…}{
新歌林良材集:霜枯れの…}
・靑陽の東に當つて木曜星壽命家に建す時は忠臣君に代るといふ
靑陽は春の異名木曜星は九星の星のうち也、豕[ゐ]に建[をぎ]すとは亥の方にむかふ也、忠臣君に代るとは忠義の臣下君にかはつて政をとり行ふなり
・木づたふましら
ましらは猿のこと也
・かけたる額は潮音洞の椽側へ
潮音洞も此庭の八景の內にて三重の閣の第二なり
・釋迦觀勢の三尊佛
『雍州府志』に云、庭に三重の閣を設け第一を法水院と號す、本尊釋迦、左右に觀音勢至ありと云々
・いふに念誦をとゞめ給ひ
念誦は佛號經文などをとなへる事也
・立明しの灯をうつせば戚南塘が火龍炮ゑん〳〵ともへ上り
立明しは燭臺の火の事なり、
『つれ〳〵草』に「立あかししろくせよ」といふこと有、戚南塘は明の代の兵術者なり、火龍炮はのろしの名なり
・天地にひゞき動搖せり
動揺はうごきうごくなり
・とり付さがるさゝがにの蜘のふるまひいとあやうき
さゝがには小々蟹と書て蜘のことなり、蜘の形はちひさき蟹に似たる故さゝがにと云也、{
『古今集』}〽わかせこか來べきよひなりさゝがにのくものふるまひかねてしるしも」とよみ給へる衣通姬の御歌の詞をとれり、扨くもの糸を最といふ字にかけていとあやうきとつゞけたり
・力士の如く眞中にすつくと立たる松永大膳
金剛力士とて唐の則天皇后の左右に給事せし强力の者のこと也、事は唐書にいづ
・供奉する眞柴は大鵬の萬里に羽うつ朝嵐
大鵬といふ鳥はひとたび羽うてば九萬里をかけるといふ事
『莊子』に出たり、夫を久吉の威勢にたとへたる也
・瀧は今より龍門の名を萬天に鳴ひゞく
龍門瀑といふ瀧も此庭の八景のひとつ也
・歸洛を松の島臺行末祝ふ熨斗昆布
歸洛はみやこへかへるといふことなり、島臺はむかしの洲濱といふものゝかたちをうつしたる也、むかしは貴人へ物をさゝげる時すはまがたを木にて作りそれを臺にして金銀のつくりものをのせ、あるひは草花などをうゑてさゝげし事古き物がたりに見えたり、此臺は海の洲さき濱などのかたちになぞらへてつくる故洲濱といふ也、菅家の御うたにも〽秋風のふきあけにたてるしらきくは花かあらぬか波のよするか」と讀せたまひて吹上の濱の菊をすはまにうゑて君にさゝげたまひし事
『古今集』に見えたり、もと此洲濱といふものは蓬萊・方丈・瀛洲といふ仙人のすむ三つの嶋をうつしたるものゝよし『中右記』に見えたれば、後にそれを島臺と名付てめでたき事に用ゆる道具とせし也、熨斗のことは
『秋草』に云「今の世に三寶に伸蚫をすゑて客人へ出すを臺熨斗といふ也、古代客をもてなす初にのしあはびを出す事なし、手掛といふ物を出せし也、手掛は檜木にて折敷のごとく平く六角にして少しふちをつけたるもの也、其臺の上に五色の削ものを高盛にすと也、其內の黃色がのしあはびなり、此のしあはびを熨斗といふ字に書は誤也、熨斗の字は衣の皺をのばす火のしのこと也、又のしあはびをのしと計り書も誤也
・菅丞相
菅原の道眞公右大臣なりしゆゑ菅丞相と申奉る、丞相は大臣の唐名也
・判官代
すべて官人に四分配當といふ事有て長官次官判官主典とわかるゝ也、長官はかしら、次官はすけ、判官は其官の役目をかしらとすけとよりわけてつとむる役なり、主典は其官の筆取也、後に判官代といふは仙洞の官人の事にて諸大夫是に任ずるよし
『職原抄』の注にみたり
・路次の用心
路次は道すがらといふこと也
・譜代の家來
譜代とは代々の家來といふ事也、『續日本紀』には譜第と書たり、又家來といふ事は
『下學集』に家來は家人の義也と有、『職原抄』にも家禮と書り、源氏の
『花鳥餘情』に家禮といふは子の父をうやまふ事也、他人なれども子になぞらへて禮をいたすをば今の世にも家禮といひ來れりとあり、しかれば今のよに家來とかくは宛字にて本字は家禮とかくべき也
・かりや姬
菅丞相の御女にかやうの御名ある事なし、これは
『須磨の記』といふ僞書有て菅公の御作の文章といひ傳へ、つくしへさすらへの御時都より津の國の須磨までの道の記にかきなしたる物にて、其中にかりや姬といふ名有て菅家の御孫としたり、また白太夫といふものもかの
『須磨の記』の中に見えたり
・若黨中間
本朝の俗雜兵をよびて「白齒者[あをばもの]と云」、今いふ若黨これ也と
『書言字考』に見えたり、中間の事は
『秋草』に云「むかしは侍中間小者と次第して侍と小者との間なるゆゑ中間といひたる也、中間といふもの昔よりあり、
『源平盛衰記』十三に黑丸といふ御中間と云こと有、是は高倉宮の中間をいふと見えたり」
・白狀さするそれ引立と
白狀の字は『漢書』の丙吉が傳にも出たる字にて其ありさまをありやうに云ひあらはす事なり
・詞のてん〴〵
展轉とかく字也、『漢書』の注に展轉とはその心を移し動すを云と有ていろ〳〵に詞のかはる事也
・弓手の■*[あばら]
軍術の書に左の手を弓手とも雄手とも書り、弓をもつ手なる故弓手といひ、又左は陽の方なるゆゑ男にたとへて雄手といひ、右は陰の方なれは女にたとへて雌手とも妻手共書よし
『書言字考』に見えたり
■*
・さすがに河內郡領の
むかしは郡々に大領少領の役人有て其一郡の政道をとり行ひたり、夫を郡領とも郡司ともいふ、今の郡代のごとし
・暫時の仰天
仰天は天を仰むくといふ心にてあきれはてたるさまを云
・輝國が安堵〳〵
・優美の姿
優美はやさしくうるはしとよむ字也
・婭殿
あいやけはむこの親としうとの親とをいふ也
・棟梁殿
棟は家のむねのこと、梁はうつばりの事にてものゝかしらを棟梁と云也、重き臣下を棟梁の臣といひ大工の頭を棟梁といふも同し心也
・有爲轉變の世のならひ
有爲は此世にあるものゝこと、轉變はうつりかはる事にて經文にある事也
・罪業消滅
つみもごうもきえうせる心也
・娘が菩提逆緣ながら弔ふ此尼種々因緣而求佛道
菩提は佛の道の事、逆緣は親が子をとむらふはさかさまの因緣といふこと也、種々の因緣にて佛道を求むといふも經の文也、種々はさま〴〵也
・强欲非道
むりに欲深くして道ならぬことをするをいふなり
・菅丞相の右手の方
雌手の事上に注す
・暫時の睡眠
しばしねむりたる間と云事也
・巨勢の金岡が書たる馬は夜な〳〵出て萩の戶の萩を喰
巨勢の金岡は宇多の帝の時の上手の繪師也、この金岡がかいたる馬の繪はよな〳〵出て禁裏の萩の戶といふ御殿の庭の萩をくひたる事
『古今著聞集』に見えたり
・唐土にも名畫の譽吳道子が墨繪の雲龍雨をふらせし例も有
是は『名畫錄』に出たる故事にて唐の玄宗のとき吳道子といふ人有、仙術をえて畫の上手なりしが墨繪の龍をかきて雨をふらせし事有
・身は荒磯の嶋守と
あら磯は波風のあらき磯ばたといふ事、嶋守とは遠國へさすらへる人の我身を嶋守にたとへていふ詞なり、家隆卿の歌{
『内裏名所百首』}〽玉嶋やにゐ嶋守かことし行河瀨ほのめく春の三日月」ともよめり
・上着の小袖かけたる伏籠もろともに
『秋草』に云、「小袖といふはむかしはすべて袖の下を丸く縫たるを云、袷にてもわた入にてもひとへ物かたびらにても袖の下丸きは小袖なれども、今はわた入のみを小袖といふ事になれり、」伏籠は順の
『和名抄』には火籠と書たり、また漢土にては薫籠とも書て衣裳に香をとめる爲に籠の上より衣類をふせて其中に火を籠る物ゆゑふせごと云也
・浪風あらき揖枕
かぢまくらとは船にてねること也、歌に多くよめり
・鳴ばこそわかれをいそげとりの音のきこえぬ里のあかつきもかな
これは決して菅家の御詠にはあらず、後のよの人の別戀の歌なるべし
・父はもとより籠の鳥雲井のむかし忍ばるゝ
籠鳥の雲をこふといふたとへにて此事は
『鶡冠子』に「籠中の鳥空しく窺へども出ず」といふ語より出たる詞也、爰にてはとらはれとなり給へる菅丞相をかごの鳥にたとへ禁裏を雲の上といふ故雲ゐのむかし忍ばるゝと書なしたる物なり
・淚の玉の木槵樹珠數の數々くりかへし
木槵樹はつぶの木、也一名菩提樹ともいふ、その實を木槵子といひて珠數にもちゆる物なり{
『月令博物筌』}、此事崔豹が『古今注』に出たり、この木槵樹は今も河內の道明寺の境內にあるなり
・一字千金二千金三千世界の寶ぞと
一字千金といふことは
『史記』の呂不韋が傳に出たる語にて、呂不韋といふもの『呂氏春秋』といふ書物を作りて咸陽といふ市町の門に出し其書物の上に千金をかけおきてあまたの學者たちをよせ、此書物の內にて一字よきことを增し加へるか、一字あしきことをけづりのけてくれる人あらば其禮として此千金をあたふべしといひし故事也、今この齣の枕のこと葉にこれを出したるは手ならひををしゆるも其樣なるものにて、無筆の者のためには一字が千金にも二千金にもあたるとのたとへなり、千二千三千とつづけて三千世界のたからとかきつらねたる所か作者のはたらき也、三千世界といふことは廣き世界といふ心にて佛說より出たる詞也
・菅秀才
菅原の道眞公の御子はあまたまし〳〵けれ共太宰府にてかくれさせ給ひし後に御家をつがせられたるは淳茂と申せし御方にて其御事をかやうに取くみたる狂言也、秀才といふは才智の秀てたる人を云ふ
・武部源藏
元祿のころ江戶に建部傳內といふ能書ありて今に傳內流といふ名殘れり、その人の名をかりてとりくみたる也
・いたはり傅き
かしづくとはたいせつにそだてる事を云、俗に娘をよめ入さする事をかしづけるといふは大なるあやまり也
・一日に一字まなべば
每日一字づゝならひても一年には三百六十字覺ゆるといふ心也
・利發らしき
利は伶利とてものにかしこくさとき心、發は發明とてものをよくあきらめ見ひらく心なれば此二つの詞をあはせて利發と云也
・ほんそ子
ほんそは奔走と書てものを世話やく時ははしりまはる物なれば、父母の子を愛して育てる心にいひ傳へたる俗語なり
・御內證樣
內政とかくが本字にて人の女房はうちのとりまかなひをし、夫は外をおもに勤るがつねなれば、內の政とかきたる物也、それを誤りで內證と書來れり
・まだぐはんぜがござりませぬ
ぐはんぜは觀世と書字にてよの中の事を觀じしることもなき子供のさまを云也
・繁花の地とちがひ
片山家にてことしげく花やかならぬ所をいふ也
・公家高家
公家は堂上方、高家は武家の歷々をいふ
・時平
本院の左大臣時平公と申て右大臣道眞公と共に延喜の帝を補佐し奉られしに、道眞公文學にたけさせ給ひければ帝の御寵愛深かりしを、時平つねに妬ましく思はれけるに、時平の妹帝の御后なりければ其后より讒言を申上させられしゆゑ、帝もいつとなく御后の詞にまよはせ給ひて、道眞公をつくしへ流させ給ふやうになりたり、其讒言の趣意は道眞公の御むすめ齊世の親王に嫁し給ひける故、御むこの親王を天子の御位につけ奉らんため當今延喜の帝をなきものにせんとたくませ給ふよしを、時平より妹の御后を以て讒言せられし也、其事は
『愚菅抄』・
『梅城錄』などにつまびらか也、されども此時平公は美男の色ごのみにて、御伯父の大納言經信卿の北の方をうばひ歸りて妻とせられし事も十訓抄に見えておこなひはよろしからぬ人なれど、今戯場に扮するやうなるおそろしくにくげにて車をふみくだく樣なる人品にては有ざりし
・玉簾の內
玉だれはみすのこと也、玉はほめこと葉にて玉のやうなるすだれと云心也
・屠所のあゆみ
屠はほふるとよみて獸をころして料理する所をいふ、屠所の羊のことは信仰記の注に出たり
・さうがうのかはる物
相形とかくか本字にて人相かたちといふ心也
・死出三途の
閻魔王の國の堺は死天山の南門なりといふ事十王經に有、また三途川といふ事も同し經に出てみな冥途の有さまをときたり
・嫁にも喰さぬ此孫を
これは木みしり茄子にたとへたる続きの詞にて、秋なすび嫁にくはすなといふことわざを取合せたる也、此たとへの出所は『夫木集』{
輪池叢書:夫木と注記あり}の〽秋なすびわさゝのかすにつけませてよめにはくれじたなにおくとも」といふ詞より出たり、この歌の心は秋茄子を酒のかすにつけまぜて棚にあけておくとも嫁にはくはすまじきと也、是はその嫁をにくみてくはすまじきといふにはあらず、秋なすびはたねのなきものなれば、それにあやかりて子が出來まいかと案じ過しをするしうとめの深切なる心をいへり、わさゝのかすは新酒の粕なり {参考:
『瓦礫雑考 』}
・こいつ有論と引とらへ
有論と書はあて字也、本字は胡亂と書てみだりなるこゝろ也、胡亂の字を唐音にてはうろんとよむ也
・右大臣の若君
・玄番が權柄
權の字は秤の錘のこと、柄の字は斧の柄の事にて、『前漢書』に大臣權柄を操て國の政を持すと有て、物のおさへになることをけんへいといふ也
・常張の鏡
これは宛字にて本字は淨頗梨の鏡と書、是も炎魔王宮にあるかゞみにて、罪人これにむかへば前生に作りし善惡の業直にあらはるゝよし、『十王經』にとけり
・鐵札か金札か
『十王經』の注に善を金笥にしるし、惡を鐵札にしるすと有て善と惡とのちがひめをいふとなり
・一生懸命
懸命はかゝる命とよむ字にて、人の一生の命のあやうき時と云こゝろ也
・凡人ならぬ我君の御聖德
たゞ人ならぬ菅丞相の聖人の樣な御德といふことなり
・梅は飛櫻はかるゝ世の中に何とて松のつれなかるらん
此歌のことは
『源平盛衰記』に云菅原の大臣東風ふかばといふ御歌をよみ給ひしかば、紅梅つくしへ飛行ければ、同じ御所にならびて有ける櫻の御言の葉にかゝらざることをうらみて、一夜が中にかれにけるを源の順が歌に〽梅はとびさくらはかれぬ菅原やふかくそたのむ神のちかひを」又
『搨{榻}鴫曉筆』十九に云、昌泰四年正月廿九日菅丞相を大宰權帥にうつし九州へ配流せさせ給ひけり、かしこにて三とせの春秋を送らせ給ひしに、都にて愛せさせたまふ梅花を思し召出て{
『拾遺集』}〽東風ふかは匂ひをこせよ梅花あるしなしとて春なわすれそ」と詠じたまひしかば、このうめはるかに飛去て配所の庭にぞ生たりける、されば夢の吿有て折人つらしとをしまれし西府の飛梅これ也、心なき草木までも馴し御別れををしみかなしみけるにや、其後御庭のさくらはかれけるとなん、此事をきこしめし及ばせて〽うめはとひ櫻はかるゝ世中に松はかりこそつれなかりけれ」さてこそ都の松は御跡を追て西府には生たりけれ、追松と申侍るこれ也とみえたり、この二說にては此歌のよみ人かはりたれど、今下の句をばすこしかへて菅家の御歌としたる也
・前後不覺にとり亂す
不覺はおぼえずと書てあとさきをもわきまへぬことなり
・未練者めと呵付
未練はいまだねれずと云事にて人をさげしむ詞也
・異義を正し異義は宛字にて本字は威義也、きつとして行義よきさまをいふ
・いぶかしさよ
不審と書ていぶかしとよむ、合點のゆかぬ心也、それ故次のことばに御不審は尤とうけたり
・親兄弟共肉緣切
親兄弟は同じからだ同前なれば骨肉の緣と云也
・心の蓍
蓍はうらなひに用る物也、それ故ものゝめあてをめどゝいふなり
・迷途の旅
迷の字はあて字なり、冥途と書べし、くらき道といふことにてあの世へゆく道也
・あの子が香奠
奠はそなへるといふ字にて佛前へそなへる香の料に贈る金銀をも香奠といふ也
・利口なやつ立派なやつ健氣なやつ
利根と云をあやまりて利口ともいふ也、利はさとしと云、心根は根性の根の字にてさとき生れつきといふ事也、利口とかけば口をきく心にてこゝには叶はず、立派ははのたつといふことにて際立こゝろ也、けなげの健はすこやかとよむ字ゆゑ氣性のきつとする事を云
・同腹同性
梅王松王櫻丸は同じ腹に生れたる三ツ子ゆゑおなじ性分といふ事にて、菅丞相の愛し給ひし飛梅・追松と都にてかれたる櫻と三木のことをとりあはせて三ツ子に仕立たる所作者のはたらき也
・あじろの乘物
あじろは籧篨とかいて竹をあみたる物故、竹にて製したる乘物をあじろの乘物といふ
・白無垢
無垢はあかなしとかきて白くあかづかぬ衣類をいふなり
・六道能化の弟子となり
六道は地獄道・畜生道・餓鬼道・修羅道・人間道・天上道の六ツの道をいふ、其六道にまよふものをよく化度するとてすくひたすくる佛を地藏菩薩といふこと『地藏本願經』に出たり、爰にては地藏菩薩の弟子となれよと云心也
・劔としでのやまけこへ
刀山とて冥途につるぎの山あること諸經に見えたれば、今小太郞がつるぎにてころされたる事を此世ながらつるぎの山と死天の山とをこえたる事にとりなしていへり、此一場はじめに一字千金二千金と書だして末にいろはにて書とめたる事、是又作者の粉骨と云べし
・爰も名高き難波津に戀の船着數々の多かる中に取分て酒汲かはす神崎の里の色宿千歳屋は
むかしの遊女は船にのりたるゆへ、和歌の題に遊女とあれば船のことを詮によむ也、それ故こゝにも戀の船着なとゝ書たり、神崎江口はむかしの遊所にてありし事、
『朝野群載』の遊女の記にくはしく見えたり、
『古事談』に「二條の帥長實水干裝束を着て神崎の遊女にいかゞ見ゆるととひたまひし」事も見えたり
・紅も園生にうゑて隱れなき
この詞謠曲の
『安宅』・
『賴政』などにも出たれどいづれの註釋もさだかならず、これはたゞ紅色の花は園の中にうゑてもかくるゝ事なくみゆるよしをいひたるものにて、させるより所は有まじき也、たとへば虞美人草の名を滿園春といふよし
『花疏』にいだせるがごとくたゞ見えたるまゝを云詞成べし
・主が答拜
答拜は客が物をいへばそれにこたへてかしらをさぐと云心也
・追從輕薄
追從の事は前に注す、輕薄の字は杜子美の詩{
『唐詩選』}に「紛々たる輕薄何ぞ數ふることを須ひん」と作りてかるがるしく薄き心をも有樣をもいふ也
・本の心で淡路嶋
まことのこゝろにてあはふといふ事を淡路嶋といひかけたる也、さて又{
『金葉』}〽あはぢ嶋かよふちどりのなく聲にいくよねさめぬすまの關守」といふ歌をとりて千鳥も今はこのさとへとつゞけたり
・彼ふかまの源太樣に
箕山
『大鏡』に眞夫は「おもてむきの買手にあらずして密通する男をいふ、眞實におもふ夫といふ事也」といへり、さればふかまといふはふかまぶを略せる詞にて深き中のまぶと云心成べし
・千鳥に逢が嬉しさに足もいそ〳〵
磯ちどりといふ詞あるゆゑいそ〳〵とつゞけたり、足もいそ〳〵はいそぎてはやくありく事也
・よふまめゐてたもつた
まめはまめやかといふ心にて實の字なり、實は虛のうらにて無事なるこゝろなり
・アヽ聲が高いかべに耳
『詩經』に君子易く言に由ことなし、耳垣に屬といふ事あり、
『管子』にも「墻に耳あり」といふ語有てみだりにものいふことをいましめたるたとへ也
・煙くらべん淺間山
富士と淺間はいづれも常にけふりのたつ所ゆゑ烟をくらべんと云ひならはしたる也、
『後撰集』の歌に〽しなのなるあさまの山もゝゆなれはふしのけふりのかひやなからん」とよめり、今むめがえがきせるのけふりとおもひのけふりとをくらべんといふ心にかきなしたり
・もと某は賴朝卿のゑぼし子
男子の元服のときゑぼうしを着せて給はる人より名乘を申うくるゆゑ是をゑぼし親といひ、我身をその人のゑぼし子といふよし
『秋草』に見えたり
・一生埋木となり
水の中に埋もれてあらはれぬ木をうもれ木といふ也、
『古今集』の歌に〽名とり川せゝの埋木あらはれはいかにせんとか逢みそめけん」とよめり
・君傾城に成さがつても
君は江口の君のこと西行の
『撰集抄』に見えたり、傾城のことは前に注す、いづれも遊女を云也
・首尾かぶ首尾か
『居家必用』に首は始也、尾は終なりとありてはじめをはりの都合する事を首尾するといひ、不都合なることを不首尾といふ也
・奧の吉左右聞迄は
左右はとにもかくにもとよみて、善たよりかあしきたよりかを聞事を左右をきくといふ也、こゝにてよきたよりを聞といふことを吉左右と云ひたるは左右の字をひとかたにかりていひたる也
・しばし待間も千歲やの
しばしの間をも千年もすぐるやうに思ひて待遠くおもふよし也、
『つれ〴〵草』に「あかずをしとおもはゞちとせを過すとも一夜の夢のこゝちこそせめ」といひしはこのうちのこゝろ也
・弓矢神の御加護と
加護の字は『法華經』に出、くはへまもるとよみて神佛のめぐみをくはへてまもり給ふをいふ也
・其敵のけめう實名
『義經記』にいかなる人ぞ假名實名尋ねて參れといふことあり、
『秋草』に云、「假名といふを今の世には苗字と云」、「假名と書は非なり、家名とかくべし」といへり、しかればけみやうは何氏と云苗字のこと實名はまことの名也
・慥なしやうぜきいへ聞ふ
證跡と書て證は證據といふことにてしるしとよむ字、跡はあとゝよむ字にて是もたしか成しるしをいふ也
・滋藤の弓たづさへ
滋藤は重藤ともかく也、しげく藤にてまきたる弓也
・面目もなき御對面と
『史記項羽本紀』に「我何の面目あつてかこれにまみえん」といふ語有、さしむかひてあはす面も目もなしとはぢ入ていふ詞也、『源氏物語』には面目をめいぼくとよませてほまれのある心にもちひたり{
『湖月抄』}
・世の雜談にいひふらせし
雜は『萬葉集』にてくさ〳〵とよむ字也、いろ〳〵さまさまにとりまぜてしかとせぬ咄しを雜談といふ也
・鎧ひたゝれ小手脚當
『冬草』に「鎧の事を具足といふ、具足の二字はよろひたれりとよみて、甲も胴も小手脚當もなにもかもとりよろひて事足るをいふ也、俗に大將の鎧をよろひといひ、平士の鎧をは具足といふ、また一說に古制の鎧をばよろひといひ、近世の鎧をば具足といふと有、これらは取にたらぬ俗說也」と云
・甲打物夫々に箙かきおひ出立たる
上にいふごとくよろひといふ名には外の武具もこもりたる義なれど、かやうにつゞけていふ時は鎧はよろひ一ツの名にて小手すねあてかぶとなどゝ別別にいひ立ねば聞えぬ也、打物は太刀かたなの類にて鍛冶のうちたる物を云、箙の事は『{日本}釋名』に矢を盛る器也とあり、『秋草』
{『春草』}に逆頰箙・葛箙・柳箙・蜻蛉えびらなと有てさま〴〵の說をあげたり
・筒に生たる紅梅を一枝手折箙にさせば
長門本の
『平家物語』一の谷合戰の段に云源太「梅の花のさかりなるを一枝折て箙にさして敵の中へはせ入てたゝかふ時も引ときも梅は風にふかれてさつと散ければ敵もみかたもこれを見て感じける所に城の內より」「本三位中將殿の御使にて候、梅をさゝせたまひて候に申せと候〽こちなくもみゆるものかなさくら狩と申もはてぬに源太馬よりとびおりてしばし御返事申候はんとていけとりとらんためとおもへばと申されける」と有、按ずるにこの連歌の「こちなくもみゆるものかな」といふ句は無骨にも見ゆるものかなといふ心成べし、骨なくと書て無骨とよむ故也
・今度の軍に花も源太も我先かけん〳〵とかつ色見せて
梅を花魁とよびて花のさきがけといふことは
『詩學大成』に唐詩を引て且百花頭上の魁となすといふ詩を出せり、それゆゑ梅をはなのこのかみとも云し、かつ色みせてはかつはすこしといふ心にてすこし色をみする事を云也、それを敵にかつことにとりなしたるものなり
・鶴翼飛行の秘術をつくし
・勇みいさんでたつか弓
たつか弓は手束弓と書て手ににぎる弓といふ事也、それをこゝにてはいさみてたち行ことにいひかけたる也
瑠璃天狗卷之一終
瑠璃天狗卷之二
・地主の花見の花衣花をかざりて花麗に
地主權現の社は淸水寺の中にあり、地主とは鎭守と云ことにて大己貴の命をいはひこむるよし
『雍州府志』にみえたり、花衣は端手なる衣裳をいふ、
『玉葉集』に〽花ころもかさゝき山に色かへてもみちの洞の月をなかめよ」といふ歌、粉川の觀音の素意法師に吿給ひたるうたとて入たり
・轆酌までが男ぶり
轆の字宛字にて本字は漉酌なり、漉は酒をしぼる事、酌は杓にて汲ことにてこれはもと酒家の奴隷のことなるよし、
『書言字考』に見えたり、今のりものをかくものをろくしやくといふは六尺の字の音に轉じて長のたかきものを云
・糸より細き柳腰柳さくらをこきませて都ぞ春の錦なる
女の腰のほそやかなるを柳腰といふ事は
杜子美の柳の詩に恰十五女兒の腰に似たりとつくり家隆卿の柳の歌に〽たをやめの春のすかたやこれならんなつかしくもある玉柳かな」ともよめり、柳さくらの歌は
『古今集』に素性法師〽見わたせはやなき櫻をこきませてみやこそ春のにしきなりける」と讀り
・木の下影をやどゝして
影の字はものうつるかげにてこゝにはかならず下陰とかくべし、此詞は〽行くれてこのした陰をやととせは花やこよひのあるしならまし」とよめる忠度の百首の歌をとりもちひたるなり{
『忠度歌集』}
・大內人も見たまはん
大內は內裏といふと同じこゝろにて禁中の御かたかたといふこゝろ也
・春ごとに見る花なれどことしより咲はじめたるこゝちこそすれ
これは
『詞花集』に出たる道命法師のうた也、それを薄雪姬の歌としたるもの也
・今の世の小町さませう〳〵の殿御お氣に入ぬはお道理と
少々の男といふことを小町少將とつゞけたる文句也、小町と少將との事は通小町のうたひにはじめて作り初たることにてあと方もなきこと也、これは
『大和物語』に小野小町と僧正遍昭と贈答の歌あるよりおもひ付たる物なるべし、僧正遍昭俗のときは良峰の宗貞といひて色ごのみの事どもゝ有しが其時は宗貞を良少將といひたるよしかのものがたりに見えたり
・濃紅の短册
短册の紙の見事に赤きをいふ、紅梅の短册といふも同じたぐひ也
・筆ずさみ給ふを見て
なぐさみに物をかくことを筆すさびと云、手なぐさみを手すさびといひ、なぐさみに歌よむをくちずさひと云類也
・天晴御歌なら御器量なら
あつはれは嗚呼といふ心にて感心する體をいふ
・てつとり早ふ
手にとる事の早うといふ詞也
・水引通し振よき枝に
たんざくに水引を通す事は短册のかしらより四分目に穴をあけ水引二すぢを二ツに折りあかき方の前になる樣に通すが故實也
・よい殿御をで有磯海深き願ひの數々を
ありそうみは海の惣名也、普門品に弘誓深如海といふ文あり、是は觀音の誓ひの御心は深うして海のごとしといふ心ゆゑかやうにつゞけたり、又普門品に若女人有て男を求めんと欲せば則福德智惠の男を生しめんとあるは男の子を求んとする女の事なるを、こゝにはよき夫を求むるむすめの心にかへて用ひたり
・遠山の腰白々と帶したやうに見ゆるは何
白雲帶に似て山の腰をめぐるといふ詩の句を白樂天としたるは謠の作者のつくりこと也、これは具平親王の詩にて
『江談』にみえたり
・はげたつふりは兀として阿房らしい鼻の下
『古文眞寶』阿房宮の賦に蜀山兀として阿房出とつくれり、兀とははげ山の目にたちたるを云、貝原好古の
『諺草』に云、「秦の始皇阿房宮の大殿を作りて民をなやまし終には天下をもうしなふ、是至愚のわざなれば日本にて人のおろかなるをあほうといふはこゝに起れりと云、さもあらんかし」といへり
・譏る下からくつさめ〳〵
陰言いはれてはなひるといふ諺によれり、はなひるとはくさめすること也、此ことわざの出所は『詩經』の終風の篇に寤言寐られず願てこゝにすなはち嚔と有て、
注に今俗人嚔ときは人我をいふといへり、此古の遺語也と云
・つれをまいたは風吹に俳諧の宗匠顏
これも風吹に灰をまくといふたとへによれり、たとへの出所は『延命地藏經』の風に向ふて灰を投ずればかへつて其身を汚すがごとしといふ文によれり
・みづ〳〵したる男の鬢付
古事記に美都々々斯久米の子等と有てわかくうるはしきかたちをいへり
・粟田口の住人來國行
城州西の岡に住す、其子國俊といふ、
『雍州府志』に云、山城の國いにしへより巧手あり、粟田口の冶工當麻の丞等がうつところを上作とす
・花曇
三月比空のくもりてすこし雨のふるを云、もろこしにては養花の天といふよし
『月令廣義』に見えたり、長嘯の
『擧白集』に〽此ころの世は春雨そふるさとのよしの山より花くもりして」と讀り
・大慈大悲の花なれば一枝折て家づとに
慈悲のふかき事『觀音經』に出たり、淸水寺の花なるゆゑ大慈大悲の花と云り、家づとゝはみやげの事なり
・主は誰共しらね共結びとめたる枝ながら
此詞は淸輔の
『袋草紙』の人魂の歌の〽玉はみつぬしはたれともしらねともむすひそとむるしたかへのつま」といふ歌によれり
・折てお歸り遊ばすは落花狼藉
・下もへ計り下紐のまだとけ初ぬ薄雪姬
下もえとは春の若草の土の下にきざしてまだ葉をあらはさぬをいふ、
『續拾遺集』の歌に〽今よりは春になりぬとかけろふの下もえいそく野へのわかくさ」ともよめり、下紐は帶の事なれば下もえばかり下ひものまだとけそめぬとつゞけてとけぬといふ詞の緣をうすゆきとつゞけたるもの
・御照覽
神佛もあきらかに御覽あるべしといふ誓ひのこと葉也
・驪山の契やこもるらん
玄宗揚貴妃と輦に相のりて每年十月驪山の溫泉にみゆきし明年の春にいたりて歸給ひし事『明皇雜錄』にみゆ
・あふむがへし
同し歌に一字をかへて返歌する事をいふ
・麁菜の非時も進上
出家の食は正午の時を正食とす、少しにても晝過れは非時といふと『釋氏要覽』に見えたり、麁菜は粗末なる野菜と云事也
・あふせは石より忝い
石よりかたき契約といふ事をふくめてかきたり
・先非をくひてせんかたも千手の誓影たのむ
先非を悔るとは先達ての不調法を後悔すること、千手の誓ひとはこの淸水の千手觀音の御ちかひにもし嗔り恚る事多く共常にあがめうやまふ思ひをなさば、すなはちいかりを離れしめんと說せ給ふ事『普門品』に有ゆゑ、其御かげをたのむといふこと也、此影の字はあて字にて陰の字をかくがよし
・念彼觀音の御名をとなへ
『普門品』の偈に或囚禁枷鎻手足被杻械念彼觀音力釋然得解脫と見えたり、是はもしとらはれとなりて手がせ足がせをいれられても彼觀音の力を念せば直にかのとらはれをゆるされんといふ心也、さるによりて國俊も觀音の佛力によつて父のゆるしをうけたく思ふより御名を稱へて瀧にうたるゝなるべし
・七度結びて親と成
『阿難問經』に識母の胎に託して凡三十八箇の七日ごとに一つの風吹てかたちを變ぜしめ、三十八箇度の七日にして生るゝといふ事有、それをかやうにつゞけたる物なるべし
・巢父といふ唐人の惡事を聞てけがらはしと耳を洗ひし頴川の瀧の流をだにけがれしと見し許由が例をまのあたり
『蒙求』に云{
『蒙求和歌』}、許由は頴川の人なり、世をうき物に思ひ取て箕山に籠居して年を送りしに、堯帝許由が賢なるを知て世をゆづらんとの給ふに許由うき事を聞たりといひて左の耳を頴川の流に洗ひけり、時に巢父牛を引て頴川の流れを渡て水飼んとするに、許由が耳をあらふをみて此水けがれたりと云て牛を引て歸りたりといふ故事也{
『高士傳』}
・陽を欠て左をさげ陰に旺じて右を上金尅木に命を斷火冠金に世を亂す
左を陽とし右を陰とす、陽をあげ陰をさぐるが順なるにそれを逆にすりたるをいふ、旺の字はさかんなりと云字、尅の字はそこなふとよむ字にて金は木をそこなふもの、火は金をとらかすものと云事にて、是を五行の相尅といふなり
・思ふまゝに調伏し
調伏とは惡靈などを祈りふせる事なるを俗には咒咀ことにあやまれり
・後覺の爲ちと拜見と存て
後覺は宛字也、後學と書へし、後々の心得の爲に見ておきたしといふこゝろなり
・聊爾なされな
・息災に罷在
息災はわざはひをやむると云心にて佛書に出たる字なるを、息災延命といふ事よりあやまりて人の無事堅固なる事をいふ詞に遣ひ來れり
・先お歸りと挨拶すれば
挨は推也と注のある字、拶は逼る也と注したる字にておしつけせまる心なるを、人をあしらふことはに用ひ來りたるはあやまり也
・六波羅での意趣などゝ
意趣の字は『小學』に出たる字にて注に趣は旨趣也と有て意のめあてをいふ也、それを今は意趣遺恨とつづけて、かねて心に思ふうらみの事にのみ思ふは誤也
・五輪の五つ輪五體の桶がは
佛書に五輪は地水火風空あつまりて人の體となることをいひ、五體は筋と肉と骨と皮と毛とをいふ、それゆゑ五輪五體とつゞけてもいへり、それを今桶の輪と桶の皮とにたとへて云也
・大地は忽泥の海ふかくをとらじと
泥のうみといふより海の緣語にて深くといふこと葉を不覺にかよはせたり
・こゝに死骸の有ぞとはいかでしるべきとよみたりし歌の中山こゝろざし
『淸閑寺緣起』に云、むかし淸閑寺の眞葾僧都といふ人すみけり、ある夕ぐれ門口にたゞすみて行かふ人を見ゐたる折ふし、髮かたちめでたき女のたゞひとりゆくを見て、忽愛心おこりければ物いひかくべきたよりなくて、淸水への道はいづれぞと問ければ、女〽見るにたにまよふ心のはかなくてまことの道をいかでしるべき」といひ捨てやがて姿を見失ひけり、女は化人にて侍るにや、其歌よみし所を歌の中山といふとあり、こゝの詞は此歌によりてつゞけたる也
・見る石のおもてに物もかゝざりし竹のやうじもつかはざりしにとむしつをかこつ菅家の御詠歌
これは菅家の御詠にはあらず、
『夫木集』仲正の歌に〽僞の名をのみたてゝあひみぬはすゝりの上のちりやふきけん」といふをあやまり傳へし也、今もすゞりの塵をふかぬものといひ傳へたる事ふるき事なるべし、すゞりを見る石とよみたる歌は逍遙院殿の
『雪玉集』硯の歌に〽すみ筆をさそあた物とみるいしのおのれしつかに世を過しつゝ」とあり、むしつをかこつとは無實とかきてまことにはなき事をとがに落されたるをうらむ事なり
・園邊兵衞の簾中お梅の方の物思ひ
『秋草』に云、「貴人の妻を御簾中といふ事みすの中におはしましてかろ〴〵しく人に見え給はぬこゝろにていふなるべし、されども古書にはこの稱見えず」とあり
・花むすびでもついまつでも
花むすびとは打ひもをいろ〳〵の花のかたちにむすぶこと也、是は袋などの口をむすぶに一通りにむすびおけば誰ぞ外の人がほどきて見ても又もとのごとく結びおけばそれとしれぬ故、わが心えたるむすびかたにてさま〴〵の花などにむすびおく時は、外の人のみだりに明ることのならぬ爲にこしらへたる結びかた也、この結び方は
『雅游漫錄』にあらあらしるせり、ついまつは歌がるたの事にて
『伊勢物語』のいせの齋宮の〽かち人のわたれとぬれぬえにしあれは」といふ上の句をさかづきのさらに書て出し給ひたる業平〽またあふさかのせきはこえなん」といふ下の句をたいまつのすみにてかゝれしよりかく名づけたる也、ついまつとたいまつとはつとたと五音通じて同じ事也
・金輪ならくの底までも
佛經に大地の厚さ一百六十萬由旬ありてその底を金輪際といふととけり、また捺落は地獄のことなれば金輪ならくとつゞけたり
・旅の調度を取したゝめ
・殿を下主人はしれた事
下主人は宛字也、
『東鑑』には下手人とかけり、然れども本字は解死人と書
・心ぼそさはよる糸のわかれ〳〵て
『古今集』貫之の歌に〽糸によるものならなくにわかれちの心ほそくもなりまさる哉」とよみたる歌をよくとりなしたり
・裁斷の氣づかひなし
裁はものをきりわけさばく事、斷はことわりとよむ字にて理をたゞす事也
・にうががにうに方便をめぐらし
入我々入と書て入まじりてわからぬことなり、是も經文に出たること也
・定まる過去の因果じやなと
佛經にあまた見えたる事にて前生にてなしたる罪の因ところをこの世にて果すといふ心也
・ひきやうな詞必々おいやるな
卑怯とかく也、卑はいやしく、怯はおそるゝとよむ字にて心いやしく臆病なること也
・不祥〳〵にうなづくばかり
不祥は『老子經』に出たる字にてよからぬ事也、また『古事記』には不祥をふさはずとよませて是も心よからぬこと也、又『日本紀』には不祥をさがなしとよませてさいはひなき心也
・娑婆に名殘がおしいか
娑婆とはもろ〳〵の衆生の三毒諸煩惱をこらへうくるといふ事にて世界の惣名なるよし『名義集』にみえたり
・親にも永離三惡道
永く三つの惡道をはなると云經の文也
・いな事を時宜する人
物を辭退する事あるひは人に禮をするを時宜といふは『禮記』に禮は宜しきにしたがふと云ひ、また禮は時を大なりとすといふ語によりたるものなるべし
・六道の門出
六道は地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天生をいふよし『大藏法數』に見えたり
・虎溪の三笑と名に高き唐土の大わらひ
晋の惠遠法師盧山の東林寺に住せられけるに陶淵明と陸子靜とゆきて是を訪ふ、かの二人かへる時遠公つねには此山門を出ざるに彼二人をおくりて虎溪といふ谷を思はず打過て三人ともに大に笑ひし故事也、『晋書』にいづ
・旅立に日のよしあしをゑらばぬは落人の身の常なれや
この枕の文句作者竹田小出雲深く案じてつくり出せしが、其とき父千前軒奚疑江戶に有けるにわざわざ飛脚を以てこの道行の文の添削を江戶まで乞にやりし也、奚疑これを見て此まくらの文句のかたはらによろしくといふ褒美の詞を書そへてかへしける故、其まゝ芝居へ出せしとぞ、むかしの作者はかやうの枕の文句などにもことの外骨を折し事感すべし、これにつけて思ひ出るに、ちかき世には近松半二
『忠臣講釋』のおりへと傾城うきはしとの出端の詞に、「加茂川と井地の小川を月やとる流れは同し二人づれ」といふ文句を九日が間案じてつゞりたるよし也、誠に傾城と立君と二人連の出端をよく書とりたりといふべし、これらの事を思へば今の作者は文句などの事は意外のことにおもふなるへし
・はんちや合羽も
『秋草』に云、「合羽といふものは古代なき物なり、むかしはみのを着たる也」、「今世簔籠とて行列にもたするも簔を著たるゆゑかの籠をみの籠といひならはしたる也、慶長のころ阿蘭陀國の人商賣のために日本へわたり來るに、彼おらんだ人の上にきたる衣服に袖もなくすそ廣きものあり、其をかの國の人の詞にカツパといふ也、此方にて其カツパを似せて紙にて作り油を引てカツパと名付たると也、今の坊主合羽といふもの也、阿蘭陀に用ゆる文字は此方の字とは違たり、さればカツパと云字しれず、合羽の二字はこの方にてあて字につけたる也」と有、按ずるにはんちや合羽は半合羽のこと成べし、ものゝ半なることを半チヤと俗に云ならはせり、これはなから半着といふ俗語の轉じたるにや、されば半着の字なるべし
・かつら男の
かつら男とは月の中にある桂の木をきる男といふ事にてその名を吳剛といふよし
『酉陽雜爼』にみえたり
・思ふ思ひはますらをがやたけ心も
思ひは增といひかけたり、ますらをは壯夫と『日本紀』に書てこゝろたけき男のこと也、これ故やたけ心とつゞけたり
・鶯の聲なかりせば雪きへぬ山里いかで春をしらまし
・ことぢにたつる雁がねも春を見すてぬ心ざし
空をゆく雁のつらを琴柱に見たてゝ雁は都の春をみすてゝこしぢにかへる物なるに川つら法眼が義經公を見捨ぬ心さしをほめたることば也
・疎略なき心底
疎略の字は漢書の司馬遷が傳に出て、疎はうとく疎遠なること、略はものをざつとする事也、こゝにては法眼が深切なる心をいふ
・いぶかしげにうけ給はり
『韓詩外傳』に不審と書いていぶかしと讀せたり、不審に思ふ心也
・破傷風のやまひとなり
金瘡の疵口より風を引て筋なと引つりなやむを破傷風といふ事『外科正宗』に見えたり
・我きせながを汝にあたへ
着脊長とかいて「大將の着し給ふ甲冑の通稱」と
『書言字考』にみゆ
・ひやうはくしてもうつけぬ義經
瓢泊と書て船のたゞよひながらがゝりゐる體をいふ
・引くゝつてめんはくさせよ
面縛とかいて『左傳』に出たる字也、註に兩手を後に縛てたゞ其面をみる也と有
・がうもんしていはせふか
拷問とかく也、『字彙』に拷は打也と有てうちたゝきてせめとふ事也
・忠信殿御出也と奏者が聲に
『宗五記』に云、公にては申次と云、私にては奏者と申也とぞ、是室町家の時の事也、
『海人藻芥』に云。「近日頭人等內々の取頭を奏者と稱するは傍若無人のこと也、奏の字天子に限りて云事也、然は則關白以下諸家に物申者申次と稱すべし」と云々
・何にもせよ子細ぞあらん
子細はこまかなる事也、『北史』の源思禮が傳に政をするには大綱を擧べし、なんぞ必はなはだ子細ならんと有、こゝにてはこまかに入組たるわけ有べしといふ心なり
・へんしも早く
片時もはやく也
・もくして樣子をうかゞへば
默してはものをもいはずといふこと也
・りんゑぎたなきふるまひならねば
輪廻は佛敎に出たる字にてつきまとひてはなれぬ事也、ふるまひは擧動と書て人のたちふるまひの事也
・げんくはん長屋所々方々
玄關の事
『秋草』にいはく、「古代武家に玄關なし、佛寺には玄關ありし也、
『三光院內府記』に云、壁輿は諸山門前において棄去なり、但し東堂は玄關に於てこれに乘る也と云々、諸山といふは諸寺のこと也、諸寺に玄關あることをしるべし、武家には玄關是なし」といへり、今按ずるに玄關の字は『傳燈錄』に出て惠海和尚の詞に玄關を啓くと有て佛道の深き心を說ひらくを云也
・忠信のかいほうだけ
介抱はたすけいだくと書てかゝへたすくる事をいふ也
・しんきしんくをなひまぜのしらべむすんでどうかけて
辛氣辛苦とはしづかゝ心遣ひすることをいふ、それを眞紅の糸にてよりたるつゞみのしらべにいひかけたる也
・手じなもゆらに打ならす
『神代紀』に手玉も玲瓏に織絍少女はこれ誰むすめぞやとあり、また
『萬葉集』に〽あしたまも手たまもゆらにおるはたをきみかみけしにぬひあゑんかも」といふ歌も有て、手だまはすなはち手じなにて女の手じなのやさしきかたちをいふ也
・こゑせい〳〵とすみわたり
つゞみの聲の淸々ときよくすみわたる也
・しんにをすますめう音は
『李太白詩集』に「南窓蕭瑟松風起憑誰{崖}一聽淸心耳」と作れり、こゝにてはつゞみをきくに心も耳もすますほどの妙音ありといふこゝろ也
・かのらくやうに聞へたる會稽城門の越のつゞみ
・聞入聞ゐるよねんのてい
つゞみに聞入て餘念なき體なり、よねんのていにてはこと葉たらず
・油斷を見すまし
油斷といふ事は『涅槃經』に出たるたとへにて。國王一人の臣下に勅してひとつの油の鉢をもたせて道を行しめ、すこしもかの油の鉢をかたふくることをゆるさす、もし一しづくにても其油をこぼさば汝が命を斷べしとて、また一人をつかはして刀を拔しめ油をもちたる臣下のうしろより是を怖さしめば、かの人心をつくしてかの油鉢をもちかためんといふむ事にて油によつて命をたつと云事を油斷と云ならはしたる也
・たゞひれふしてゐたりしがやう〳〵にかしらをもたげ
ひれとは領のこと也、かしらをさぐれは領もうつむけにふすゆゑひれふすとはいふなり
・からすは親のやしなひをはごくみかへすも皆孝行
からすを慈烏と云また孝鳥といふ、反哺とてからすが成長すれば鮮しき食物を得ては口に入て腹にいれずはきかへして其親鳥にくはしむること『禽經』に見えたり
・ぐちむちの畜生も
愚癡はおろかなる事、無智はちゑのなき事也
・千年こうふるいとくには
刧を歷るといふことにて、佛書に一世を刧とすとあればよをふると云心なり
・八百萬神とのゐの御ばん
やをよろづの神といふ事にて、『古事記』に出たり、
『日本紀』には八十萬神とかいてやそよろづの神とよませたり、八百といふも八十といふも數多きことをいふ詞にて天照大神の外の神々のあまたまします事をいふ也、とのゐの御ばんとは其數々の神たちが禁裡を守護したまふ心なり
・いんぐはの經文うらめしく
『因果經』にある文言といふこと也
・五臟をしぼる
心の臟、肝の臟、腎の臟、肺の臟、脾の臟これを五臟といふなり
・賴もつなも切はてしは
是は賴みのつなも切はてしといふべき詞也、賴みもつなもといへばたのみとつなとが二ツに成てこのつなは何の綱ともしれぬものになる也、賴みのつなといへば賴みにする心を綱にたとへたる心なり、此ことばこゝに限らす所々に出る詞なれども、いづれも賴みもつなもとありててにはを誤まれり
・かほどごういんふかき身も
業は前世の惡業、因は前世の因緣也
・りんゑのきづなあいじやくのくさり
輪廻の紲はたえずつきめぐる執心をつなにたとへ、愛着のくさりは恩愛に執着を鏁にたとへたる佛語也
・そもいつの世のしゆくじうにて
宿習と書て前世よりなれ來りたる業因といふ佛經の語なり
・我てんべんのつうりきにて
轉變はうつりかはる心也、狐の通力にてさま〳〵にばける事を云
・けいしやうひじゆつはゑたりや得たり
輕捷はかろくはやき心也、はやわざの秘術はきつねの得ものといふこゝろ也
・くはいりよくらんしんをかたらずといへども
『論語』に怪力亂神をかたらずといふ事有、あやしきことなどは聖人ののたまはぬことなれ共といふ心也
・あたかもふせつを合すがごとし
符節を合すがごとしといふ事、
『孟子』に出たり、符節とは竹のわりふの事にてすこしもちがはずあふことのたとへ也
・よきけいりやくござんなれ
よきはかりことこそあるなれと云詞也、そあの二字をあつめていふ時はさの字と成ゆゑ、こそあんなれといふことをござんなれとつとめて云也
・じんとくあつき御詞に
仁德と書て義經の人をめぐみ給ふ德の厚きことをいふなり
・御はかせをたびてける
御はかせは君のはかせ給ふ御太刀といふこと也、『日本紀』にみかどの御手にとらせ給ふ弓を御執といふにおなじ心也
・ゆかもひゞけとづでんどう
頭轉倒と書、かしらのひつくりかへる事也
・命おしさに骨折はくらう九郞と
苦勞九郞と詞をかさねたるなり
・らうたげなる御すがた
らうたげはけだかくおとなしやかなるかたち也、『源氏物語』にあまた有詞也
・玉體のまします事
天子の御身を玉體と申なり
・にぎりつめたるたなうらに
たなうらは手の內也、足のうらをあなうらといふ
・龍顏にあはせ奉るは
天子の御顏を龍顏といふ事、『史記』に見えたり、すべて天子の御事を龍にたとへていふ故御怒を逆鱗と云也、逆鱗は龍のうろこをさかだてる事也
・のり經が隱れがへせんかうあれ
・天子の御座をうつさるゝ事を遷幸といふなり
・うき世をうしの車ともしろしめされとそうしつゝ
うしの車はうき事を牛といふ字にかけて車に轅と云もの有ゆゑこの長柄の長刀を牛に引する車とおぼし召れよと云こゝろ也
・供奉のけがれ思はずば
みかどの御供申す事也
・上にはのり經ゐた天立見くだす眼かど立て
韋駄天は『諸天傳』に韋天將軍とも有、其傳に云、天神姓は韋、諱は琨、南方天王八將の一臣也と有、讚の詞の中に熏修の所威權を現ず共頭頂の金兜寶杵をよこたふとも有
・ぎやうがうの道をさゝ へ
當今のみゆきを行幸と申、仙洞のみゆきを御幸と申也
・しゆらのもうしう散ずる道理
修羅道に墮たる繼信が妄念執心を散ずる道理といふことなり
・庄園を申くだして得さすべし
『愚明抄』に庄園は田畠也と有、『榮花物語』に御堂關白道長公病中に法成寺へ庄園おほく寄附せられたる事見えたり
・すはやと見ゆるふくしんにわけ入なだむる源九郞狐
腹心のうちへわけ入るは狐の性にえたるものなるべし
・君々たれど臣々たらず
君々たり以て臣たらずんばあるべからずと云『論語』の詞をとれり
・けいひつの聲高々と
警蹕とかく也、さきをおふともみさきをはらふとも『文選』によませたり、『前漢書』には王者出るときは警し入るときは蹕す、人を止め道を淸ふ所以也と有
・川つら法眼せんくの役
前駈とかいてさきばらひのこと也
・銀魚帶
金魚帶、銀魚帶とて貴人のおびものにて魚符とも云、二ツにわかちてわりふともする物也、『唐書』に出たり
・あふことは猶かたいとのよるとなく
片糸はよりをかけぬ糸也、それ故古歌にもかたいとのよるとつゞけて糸をよることを晝夜のよるにいひかけたるが多きなり、
『新千載集』の戀のうたにも〽夢路にもあふとし見えはかたいとのよるたにやすくねなましものを」とよめり、こゝの文句は愛護若にあふことはなりがたきといふ心をかた〳〵によりあはさぬかたいとにいひかけて、其糸のよるともひるともわかぬ閨の內とつゞけたり
・床の海
これも戀の歌になみだの事を袖のうみとも床の海ともよみたれば、こゝも閨のうちにて泣あかす淚に床も海のやうになるといふ心也
・うきねの鳥か鳰てる姬
うきねとは水鳥は水に浮て寐る物なれば床のうみにうきて寐る鳥とつゞけて、其鳥の中に鳰鳥といふ物があるゆゑそのやうなるにほてる姬の有さまぞと云心也
・過し競馬の折からに
五月五日賀茂のやしろにてあること也、此日は多く見物の人々立こむよし長明の
『四季ものがたり』に見えたり
・帥の阿闍梨
帥とは出家の官名にて、あじやりは天竺の詞に出家にてよく弟子の身持をたゞす人をいふよし『釋氏要覽』に見えたり
・いとゞ思ひのまさり草
まさり草は菊の異名にて
『寬平菊合』に〽すへらきの萬代まてにまさりくさたまひしたねをうゑしきくなり」といふ歌見えたれど{
『異名分類抄』}、こゝにてはたゞ思ひのまさるといふ事にきかせたり
・なれしふすまの曉に
此ふすまは衾の字にて夜着ふとんの類をいふなり
・母のいさめや世の人のそしりも何のわきまへも
いさめは諫の字にて折檻異見などするを云、こゝの文句に
『つれ〴〵草』の「萬にいみじくとも色このまざらん男はいとさう〴〵しく玉のさかづきのそこなきこゝちぞすべき露霜にしほれて所さだめずまどひありき親のいさめ世のそしりをつゝむに心のいとまなく」と書たる文によりて、戀路の切なるさまをうつしてなんのわきまへもまだ知らぬといふことを白川の橋にいひかけたり、橋柱ははし杭のこと也
・波のあわたつ山つゞき
是は粟田山のことをいふ、
『古今集』にあはたといふ事を隱し題にしてよみたるあやもちの歌に〽うきめをはよそめとのみそ見つゝ行雲のあはたつ山のふもとに」といふ歌あり、それを今こゝにはしら川よりつゞけて波のあはたつ山と取かへてつゞりたるなり
・我たつ杣の山おろし都の富士とながめやる
わかたつ杣とは叡山の事也、むかし傳敎大師えい山中堂建立のとき杣木をきらせ給ふとて〽あのくたら三藐三ぼだいの佛たちわかたつ杣に冥加あらせたまへ」{
『和漢朗詠』}{
『新古今』}とよみ給ひしより此山をわがたつ杣といふよし『無名抄』に出たり、又都のふじといふ事は
『伊勢物語』にするがのふじの山のかたちをいふとて「こゝにたとへばひえの山をはたちばかりかさねあげらんほどして」とかきたるにつけて、叡山をみやこの富士とは云ひならはせり、それゆゑ『後撰集』
{『拾遺』}の歌にも〽我戀のあらはにみゆるものならは都のふじといはれなましを」ともよめり
・麓は鳰の朝霧や袋を出る琵琶の海
叡山のふもとは近江の湖水なればつぎ〳〵そのけしきをいへり、此みづうみを鳰のうみとも鳰てる海ともいふ、琵琶の海といふことは此湖のかたちびはに似たれば名づけたる也、こゝに袋をいづると書たらは朝霧のひまより湖の見えたる所が袋の口をときて琵琶をとり出したるやうにみゆると云こゝろ也、それ故たが糸かけて引あみ共續けたり
・千舟百舟帆をあげて
・さつささゞ波しがの浦むかしながらの花園の
『千載集』よみ人しらず〽さゞ波やし賀のみやこはあれにしをむかしながらの山さくらかな」
・加茂の葵の二葉山
加茂の葵祭の日のことをいふとて葵の二葉山とつづけたり、あふひはふた葉なるものゆゑ加茂やまをふたば山ともいへり
・狩裝束の花やかさ袴は精好水干は此秋の野の草づくし
狩裝束は鷹狩の裝束也、此袴は奴袴とてくゝりを高くあげらるゝ樣に仕立る也、それ故やつこと云字を添へて奴はかまと云と
『秋草』にいへり、精好はよきうす絹也、水干はひたゝれの樣成物にて紗にても平絹にても拵るよし
『裝束拾葉{要}抄』にみゆ、われもかうは漢名を地楡と云薄の樣にて紫色の花咲草也
・鳴てさわたるあの鴈がねも
さわたるは早くわたると云事にて秋のはつ鴈をいふ也、早の字をさとよむ事は早苗、早蕨などにて知べし
・あふはわかれの始ときけど
・ちりにまじはる神心
これはもと『老子經』に其光を和らげその塵を同じうすといふ事有、之我智惠をかくして人に見せぬを和光といひ、世にしたがひて塵の中にまじはりて時をしるを同塵といふ心なるゆゑ、神の御心の其やうなる物にて世の人を守らせ給ふに光を隱して塵に交はらせ給ふ御めぐみを云也
・かくとはいさや神ならで
いさとは不知と書て神ならねばかくともしらずといふこと也
・佛につかふ閼伽の水手に携へて岨づたひ心細道たどらるゝ
天竺にては水をあかといふ、こゝにあかの水と書たるは重言也、携へるとは手にさげること也、岨は山のがけのやうなる細道なり、たどらるゝとはしらぬところを行はくらがりをありくとて手にてさぐりさぐりありくやうなるものなれば物の覺束なき事をたどると云也、たは手の字にて手取と書也
・今のわが身の境界と
境の字も界の字もさかひとよむ字にて身分と云と同じ心也
・早中堂に勤行のはじまるしらせ
中堂は傳敎大師の建はじめられし堂なり、勤行はつとめおこなひと云こと也
・戀しき人を慕ひては剱の山にものぼるといふ
地獄に刀山剱樹有てかの山の上にわが愛する所の婦女あるゆゑに男子これをみてかの山にのぼるに樹木の葉刀のごとくにてこと〳〵く其身體をやぶれども其をもいとはず山の上に登りて見れば、かの女はまた地にありていふ、何とて早く來りて我を抱きたまはぬといふ故、かの男又刀山を下れば剱樹の葉又下にむかひて彼男の五體をきるといふ事『瑜伽論』に出て邪淫の罪をあらはせり
・震動雷電はたゝがみ
震動はふるひうごくとよみ、雷電はかみなりいなびかりとよみて、かみなりのおびたゞしく鳴ひゞく事也、はたゝがみは霹靂とかきてかみなりの鳴はためく事也
・ふたゝびのぼるつゞらおり
つゞらをりは九折とも羊膓坂とも書てはげしくまがり〳〵たる坂道のこと也
・空には磐石
そらよりいしの降ことく大風がいはをもとばすなり
・魔障の業
魔は惡魔、障は障礙の事にてあしきものがさゝはりをなして山へのぼらせぬこゝろなり
・氷の雨は大ぐれん天狗つぶての等活地獄骨もくだかれあなうらを
八大地獄の中にて大紅蓮とて寒氣の身を責る所と云よし『翻譯名義集』に見えたり、等活地ごくは罪人たがひに害心をいだきたま〳〵相あふ時はたがひに鐵の爪を以てかきやぶり血肉すでにつきて骨ばかり殘るとき獄卒鐵杖鐵棒をもつて打くたき身體こと〴〵く粉のごとくなる時すゞしき風ふき來ればもとのごとく人の形の活かへり又たがひにかきつかみてくるしみをうくる、是を等活ぢごくといふよし
『往生要集』に見えたり、あなうらは足のうらと云事也
瑠璃天狗卷之貳 終
瑠璃天狗卷之三
・古への神代の昔山跡の國は都の始にて
いにしへは往し方と書て過行しかたをいふ也、神代のむかしとは『神代紀』に陰陽始てみとのまくばひして夫婦となりこうむ時、先淡路洲を以て胞とす、すなはち大日本豐秋津洲をうむと有をいふ、
『下學集』に云、山迹はすなはち大和なり、日本の惣名也、『日本紀』に天地闢けはじまりし時人みな山に住む、其地いまだ堅からずして人のあと見ゆ、是をもつて山迹と云と有、また日本六十餘州最初に大和州出生す故に日本の惣名を大和といふともあり、又大和をみやこの初といふ事は神武天皇東征したまひ六年の後攸[ところ]をやまとの國畝傍山の東南橿原の地に相てはじめて帝宅を經始たまふ都を建ることこのときに始るといふこと『舊事紀』に見えたり
・妹背のはじめ山々の中を流るゝ吉野川
『拾遺集』の神樂歌に人丸のよめる〽おほなむちすくなみ神のつくれりしいもせの山を見るそうれしき」と云歌と
『古今集』よみ人しらすの〽なかれてはいもせの山の中におつるよしのゝ川のよしやよの中」といふ歌とによれるなるべし
・實世に遊ぶ歌人の言の葉ぐさのすて所
ことのはぐさとは和歌をいふ也、
『新續古今』源範政歌に〽よしあしを君しわかすはかきたむることの葉くさのかひやなからん」とよめり
・太宰の小貳
官名なり、むかし筑前の國に太宰府といふ役所を置て外國の要害としたまへり、宰はつかさどるとよむ字にて後の世の管領職とおなじ事也、其太宰府のおも役を太宰の帥といふ、其下役を大貳、小貳と云なり、太宰の小貳は五位の諸大夫にあたるよし
『職原抄』の註に見えたり
・大判事
大判事は武官の名にて罪科の輕きと重きとをわけしるしてさま〴〵の爭ひごと訟へ事を判斷してさばく役なるよし『令義解』に見えたり、位は正五位下にあたりて此下役に中判事、少判事といふも有也、この事は
『職原抄』に見えたり
・爰に勘氣の山住居
貝原好古の
『諺草』に云、「俗に君父の怒に逢て閉居するを勘當にあふたるといふ、是は其罪の科を勘へて輕き重きの律に當ることなるべし、『唐書』に勘當に暇あらずとあり」と云々、按ずるに勘當のことを淸少納言の枕草紙には勘事と書てかうじと讀せたり、今勘氣と書は父の勘當の氣色をはゞかりて山住居するといふ心なるへし
・經讀鳥の音もすみて
鶯が法華經とさへづるといひならはせし故にうぐひすを經よむ鳥と書なしたる成べし
・氣を慰めの雛祭
ひいなあそびの事は『源氏物語』「もみぢの賀」「乙女」「野分」などの卷々に見えたれど、今のやうに三月三日、九月九日にばかりまつる事にはあらず、ちひさき人形をこしらへ小さき家などをつくりて常にもてあそぶをひいなあそびと云也、
「野分」の卷に雛の御殿をひいなの屋とも書たり、按ずるに此雛といふ字はもと鳥の子のことなるゆゑすべて小さき物をひなといふなり、すべてのものゝかたちを十分一にちひさくこしらゆるをひながたといふもこの義也、漢土にて小僧を雛僧といひ、小妓を雛妓と云も同じ心也
・桃の節句の備へもの
日本にて三月三日曲水の宴をはじめて行はれし事は顯宗天皇の元年なるよし
『日本紀』に見えたり{
『公事根源』}、漢土にては『韓詩外傳』の註に三月桃花の水盛にながるゝ時にあたつてもろ〳〵の士あまたの女と蘭を執て邪氣を祓ふ鄭の國の俗として三月上巳の日是をおこなふよし見えたり{
『太平御覧』「蘭香」} {
『四河入海』}、よつてこの日を桃の節句と云ひならはしたる成べし
・柳の楊枝はしちかく
楊はやなぎといふ字にてもと楊枝といふものは皆楊の枝にてこしらへたる物也、『釋氏要覽』に楊枝を嚼に五ツの利あり、一には口苦からず二には口臭からず三には風を除き四には熱をのぞき五には痰癊を除くと有、今こゝに柳の楊枝といひたるは重言の樣なれど杉やうじ竹のやうじなど云事あれば苦しからず
・御中ふ和の關となり
ふ破の關は美濃の名所にて
『千載集』大中臣親守の歌にも〽あられもる不破の關屋にたひねして夢をもえたそとほさゞりけれ」とよめり、此關の名を不和の字に通はして書り
・よもやいなとは岩はしの
葛城の一言主の神、久米の岩はしをかけおほせずしてやみ給ひしゆゑわたる事こそならずともと云ひかけたり、
『千載集』師賴の歌に〽かつらきやわたしもはてぬものゆゑにくめのいははしこけむしにけり」とよめる心也、こゝに大和の名所を取出したるは作者の働也
・念悲觀音の經机
念彼觀音と書て彼觀音を念ぜば釋然として解說をえんといふ『觀音經』の偈によれり、念悲と書はあやまり也
・からりと川に落瀧津
おち瀧つは山川の流れ落てたぎる心也、
『古今集』忠岑の歌に〽落たきつ瀧の水上年つもり老にけらしなくろきすちなし」とよめり
・返事を松浦佐用姬の
これは
『萬葉集』の〽遠つ人まつらさよひめつまこひにひれふりしよりおへる山の名」といふ歌によれり、ひれは領のことにて夫のゆきかたを見んと領をおりてながめやりたるまゝにて石になりたる故事也、こゝにひれふす山とつゞけたるは誤り也、ひれふすはうつふけに伏ふこと也
・善か惡かを三柏水に沈めば願ひ叶はず
柏の葉を水にうけて物をうらなふにしづめば願ひ叶はずうけば願ひかなふといふこと有、
『續古今』戀の部小侍從の歌に〽おもひあまりみつのかしはにとふことのしづむにうくは淚なりけり」とよめり
・吉野を假の御祓川
御祓川はみなづきはらひをする川をいふ、此吉野川をかりに御祓川としてこゝより大神宮を拜せんといふ也、柏にみきをのせて大神宮にさゝぐることは
『夫木集』仲房の歌に〽むかし誰みつのかしはの盃を天照神に手向そめけん」とよめり、朝拜といふは淸涼殿の前にて臣下の天子を拜する事をいふよし
『花鳥餘情』に見えたり{
『湖月抄』}、こゝは遙拜といひてよき所也、朝拜と書るは誤也
・いふに嬉しさ雛鳥の飛立計り振袖も
この詞よくつゞきたり、
『萬葉集』に〽よの中をうしとやさしと思へとも思ひたちかねつとりにしあらねは」ともよみ、{
古今〽五月待つ山ほとゝきす}「うちはふき今も鳴なん」{こぞのふる聲}といふ歌を
『萬葉』{4233}には打羽振と書たり、鳥が飛んとする時はふたつの羽ねをふるゆゑ也、こゝに飛立ばかりふり袖と書たるよく叶ひたり
・吉野の川に鵲の橋はないかと
・籠鳥の雲井をしたふ
此故事菅原にしるす
・空にしられぬ花ぐもり
花ぐもりははなの比空の曇りてすこしふる雨也、ここの心『新古今』{
『新續古今』}戀の部に〽なに故にながむる月のくもるらん空にしられぬ袖のしくれを」といふ歌にかなへり
・心の嶮岨刀して削るが如き物思ひ
嶮岨は山のけはしきかたちにて刀をもつて削り立たるやうにするどきを云、今大判事がわがこゝろの苦しさが刀にて削らるゝやうなりとたとへたり、此詞は
『朗詠』に山復山何れの工みか靑巖の形を削りなすとも見え、又
『遊仙窟』の高き嶺天に横たはつて崗巒の勢ひを刀して削れりとあるにもよれるなるべし
・淸澄も一楫し
楫の字は漢土にては人にむかひて禮をするとき手をわが胸にあてることをいふ也、日本にては手をさげて挨拶する事に用ゆ
・けふの役目の落去次第
落去は落着といふに同し、去の字は宛字にて本字は落居とかく事
『下學集』に見えたり、和文にも氣のおちつくことを心のおちゐると書は此落居の字なり
・母に勸て入內させ
入內とは公卿の御むすめのみかどへ御よめいりなさるゝを云、大內に入といふ心にて入內とかく也
・遺恨に遺恨を重るか
遺恨の字は杜子美が
詩に出たり、のこるうらみをいふ心也
・覺束なくも呼子鳥
〽をちこちのたつきもしらぬ山中におほつかなくもよふこ鳥かな」といふ
『古今』の歌にてかきたり
・胸は眞紅のふさがる箱
眞紅はくれなゐの色也、ひもの流蘇[ふさ]を塞るむねにいひかけたり
・叡聞に達
天子の御耳に入るを叡聞といひ、御意を叡慮といふ也
・一天の君
天下に一人の御あるじ故天子を一天の君といふ也
・此花は八重一重
八重櫻と一重ざくらと二ツの花をいふ也、むかしはさま〴〵のさくらはなくして一重のやま櫻ばかりなりしかば、奈良の都にある八重ざくらといふ千重の櫻が甚だめづらしかりしゆゑ禁裡へさゝげられし時{
『詞花集』}〽いにしへのならの都の八重さくらけふ九重に匂ひぬるかな」と伊勢大輔もよまれたり、今の世に楊貴妃・鹽釜・車がへしなどさま〳〵の名の多くなりたるはみな人作にてかのやへざくらをさま〴〵に變ずるやうに手入して咲かせたるなり、契沖の『漫唾{吟}集』に今のよのさくらをといふ詞書有て〽八重さくらならのみやこの一木より枝にさえだに花ぞわかるる」とよめるも後世花のかずおほく成たるをいふなり
・九重の內に侍[かしづ]かるゝ
こゝのへは禁中をいふ、傅かるゝは大切にせらるゝことをいふなり
・義理の柵せき留ても
しがらみは塘を水にてくづさせぬやうに河ばたに木や柴やをからみつけておくを云なり
・馴ぬ雲井の宮づかへ
雲井とも雲の上ともいふ皆禁中の事也
・けふより內裏上﨟の
上﨟とは女御などの御事をいふ、下﨟とはまた其下の更衣などの御方をいふ也
・別れの櫛のはかなさも
くしの齒といふことをはかなさもとつゞけたり、別の櫛のことは
『源氏ものがたり』「榊の卷」に六條の御息所の御娘伊勢の齋宮に立給ふ時、「御こゝろうごきて別れのおほんくしたてまつり給ふいとあはれにてしほたれさせ給ひぬ」と有、これは齋宮とていせの大神宮へ宮づかへにまゐり給ふかの御むすめのひたひにつげの御くしをみかどの手づからさゝせ給ひて、ふたゝび京の方へかへらせ給ふななど仰ごとあるが例なれば別のくしといふなり
・何樂しみの女御后
天子の御妻を后と申、それに次たる女官を女御といふよし
『花鳥餘情』に見えたり{
『湖月抄』}、『周禮』に女御は御妻也とあれば漢土にても重き稱號也
・十二一重
これは五ツ衣と同じ事にて古代十二一重といふことなし、
『源平盛衰記』の女院の海に入せ給ふ所に「彌生の末なれば藤重ね十二單の御衣を召し」といふことはじめて見えたるよし
『年山打聞』にみえたり
・一ツに落る三ツ瀨川
『十王經』に亡人の葬頭川をわたるに三ツの瀨有て一に山水瀨二に江深淵三に有橋渡といふとあり、是によりて歌にも三ツ瀨川ともわたり川ともよむよし『古今集』の古抄{
『顕註密勘』}にみえたり{
『異名分類抄』}、按ずるにこの『十王經』は僞經なれどもふるくこの經によりて歌にもよみ來れる事おほし
・子よりも親の四苦八苦
四苦とは生苦老苦病苦死苦をいふ、八苦とはこの四苦の上に愛別離苦怨憎會苦求不得苦五盛陰苦を合せていふと『大藏法數』にみえたり、こゝにては只種々の苦しみをいへり
・西方淨土
極樂のことなり
・殘らず川へ流れ灌頂
眞言宗の法事に灌頂といふ事あり、延曆二十四年高雄の道場において行はるゝよし
『日本後紀』に見えたり、流れくわんでうは經木を川へながす事にて
『職人歌合』に〽いかにせん五條の橋の下むせひはてはなみたのなかれかんしやう」といふうたあり
・水に成たる水葬禮
天竺の葬法四ツ有、一には水葬とて屍を江河に投て魚鼈に飼しむ二に火葬三に土葬四に林葬とてはやしの中に棄置て鳥獸に飼しむといふこと『釋氏要覽』にあり
・筐も仇の爪琴に
〽かたみこそ今はあたなれこれなくはわするゝときもあらましものを」といふ
『古今集』の歌にてかきたり、爪にてひく物ゆゑ爪琴といふなり
・弘誓の船あなたの岸より彼岸に
弘誓はひろきちかひとよみて佛の衆生をすくはんとのたまふちかひをいふ也、またほとけを船師大船師とも云て苦海を船にてわたし給ふ船頭にもたとへたる事『法華經』にも見えたり、彼岸は『心經』に到彼岸といふ事あり、佛道をうる事を彼岸に到ると說り
玉の緖
命といふ物は魂をわが體につなぎておく緖のやうなるものゆゑ玉の緖といふ也
・親か赦して塵未來
塵の字あて字也、盡未來と書べし、『地藏本願經』盡未來際とかけり、未來永々までと云心也
・焰魔の廳を名乘て通れ
廳は役所の事にてゑんま王宮の前に役所有て簿を以て亡者の罪を正すこと『十王經』に見えたり
・なむ成佛得脫と
佛になりて此世にくるしみを脫るゝ事を得べしと云こと也
・早日もくれて人顏も見へず庵の霧隱れ
この霧隱れといふ文句春のけしきに不相應なりとて難ずる人有ど其はかへつてあたらぬ論也、
『三體詩』劉禹錫の詩に日出三竿春霧消ともつくりて霞がくれといふも同じ心也
・風雅でもなくしやれでなく
風雅はものずきといふ樣なる心、しやれは洒落とかきて
『性理大全』に周「茂叔は人品はなはだ高くして胸中の酒落なること光風霽月のごとし」といへるやうに、うき世をはなれて氣性の高き心を云也
・牽頭仲居に送られて
箕山が
『色道大鑑』卷の一に云、「太皷持といふは傾城買の家に付したがふものをいふ、此名目のおこりは紀州の雜賀跳にはじまる、鐘をもちたるものは首にかけてをどる、其中に鐘をもたぬものに太皷をもたするなり、是によつて此名目とす」といへり、又同書に太皷持の異名をむかしは行證人、あかば、おひやなど云、又跡付、沓持、惟光、ぶんせき、末社などともいひたるよししるせり、惟光は光源氏の君の心しりの若ものにて、源氏の君のしのびありきのともをして常につきしたがひ奉りし事『源氏ものかたり』に見えたり、其心にて名付たる物成べし、されど昔も太皷持を惟光といふことは「筑紫がたにいひ馴て、上方すぢにはこれを用ひざりし」といへり、ぶんせきは慶安のころ大坂邊にていひならはせし名目にて本客とは席をわかつといふこゝろにて分席といふよし、かの書にみえたり、この『色道大鑑』は甚珍書にて寫本十八卷あり、此作者は『顯傳明名錄』をあらはしたる呑舟軒箕山と云人なり、また太皷持のことを漢土にては牽頭、幇間、六頭子など共いへり
・雪こかし雪はこけいで雪こかされ
雪こかしは雪團と書て
『源氏物語』「槿の卷」に「わらはべおろして雪まろばしせさせ給ふ」「ちひさきはわらはげてよろこびはしるにあふぎなどもおとしてうちとけがほおかしげなり」と有、わらはげはをさなきさまを云也
・旦那申旦那
本字は檀那なり、今下人より主人をさして檀那といへども、もとは佛語にて僧より在家をさして云こと葉也、それゆゑ俗にわが賴み寺をもだんな寺といふ也、くはしき事は『法界次第』に出て內に信心あり外に福田あり財物有三事和合して心に捨法を生じよく慳貪を破る是を檀那とすと云り
・朝夕に見ればこそあれ住吉の岸のむかひの淡路嶋山
此歌は津守國冬の歌にて
『新後拾遺集』の雜の上に出て{〽あさゆふにみれはこそあれすみよしの}下句うらよりをちの淡路嶋山」と有、これは
『拾遺集』に出たる人丸の〽すみよしの岸にむかへる淡路嶋あはれと君をいはぬ日そなき」といふ歌の詞をひとつにおぼえあやまりてきしのむかひのあはち嶋山といひ傳へたる也、さて此歌のこゝろは朝夕にみてゐればこそめづらしうも覺えね、此すみよしの浦よりはるかに見わたすあはぢしまのけしきは何ともかともいはれたるけしきにてはなき物をと淡路嶋のけしきはいつみても見あかぬといふ心なれば、今由良の助の引ていふ歌にては心うらおもてにてあたらず是は作者のあやまり也
・詞もしどろ足取もしどろに見ゆる
『東坡集』に取次と書てしどろにと點せり、
『下學集』にも取次筋斗と書てしどろもどろとよませたり、取次はものゝ次第なく入まぜりたる事、筋斗は俗にいふとんぼうかへりの事也、
『源氏物語』「むめかえの卷」に「筆にまかせてみだれ書たまへるさま見どころ限りなししどろもどろにあいきやうつきみまほしければ」と有て
『河海抄』には此處の註に〽よしとてもよきなはたゝすかるかやのいさみたれなんしとろもとろにと云うたを引たり
・降たる雪かな
この所の二くさり三くさりの文句は鉢木の謠をわざといひかへて、雪は鵝毛に似て飛て散亂し人は鶴氅を被て立て徘徊すといふ詩をかやうにとりなしたるもの也、此詩は
『白氏文集』に出て鵝毛とは鵝といふ白き鳥の毛のこと、散亂はちりみだれたる事也、鶴斃は鶴の毛にて織たる毛おりの衣の事、徘徊は立もとをるとよみて立どまること也
・伊勢海老と盃穴の稻荷の玉垣は
赤き物をいひならべたる也、玉垣は朱の玉垣と歌にもよみて神社のめぐりのあかくぬりたる垣也、玉は垣をほめたる詞なり
・嶺の雪吹に岩をも碎く大石同前
ふゞきはつもりたる雪の風にくだけおつるをいふ也、後京極攝政の
『月淸集』に〽旅人のみのしろ衣うちはらひふゞきをわたる雲のかけはし」ともよめり
・螢を集め雪を積も學者の心長き例
螢をあつめし故事は『晋書』に車胤といふ人博く書物を覽て退窟することなかりしかど、家貧しうしてつねに油を得ざりければ、夏のころはきぬの袋にあまたのほたるを入て書物をてらし夜を日につぎて是をよみたるよし見えたり、又雪をつむ故事は『孫子世錄』に孫康といふ人貧にして油なかりければ冬は雪に映て書をよみたるよしみえたり
・刀脇指さすがげに
『秋草』に云、近世刀といふて脇差と一具にさし添るものをいにしへは打刀鍔刀とも云し也、古き武家の禮書に刀をたまはりたらば指て禮すべしといひたるは腰刀のこと也、打刀を座敷人前にてさすは無禮也といふ、
また云「脇指の事本名は脇差の刀といふもの也、此ものむかしより有しものなれども今の世のごとくなる物にはあらず、いにしへは脇差は六七寸許りにして柄もまかず鍔もなく鞘尻を圓くして短き下緖を付さげをの先を結玉にしかうがいをさして懷中にて脇の方へよせてさす故わきざしといふ、懷中にさすに衣服にかゝりさはらぬ爲鞘尻をまろくするなり、ふところより外へすべり出ぬために下緖のむすび玉を帶の通りにおしはさむなり」と有
・梅見付たるほゝ笑顏まぶかに着たる
ほゝえむとはすこし笑ふを云、ほゝは頰の字にてむかしのかなづかひにてほゝと書也、まぶかは目深と書て目の字をまとよむもむかしの詞也、帽子をめのあたりより下へふかく着たるを云
・小浪御寮
人のむすめを御寮とも御料人ともいふ事いにしへはなき事にて
『太平記』に北條高時の男を萬壽御寮と書たれは其ころは男子をも御料といひしなるべし、今按ずるに寮の字は
『文選』の註に小窓也と有はまどの內にそだてられたるむすめを御寮といふなるべし、『長恨歌』に楊貴妃の事を養はれて深窓に在て人いまだ識ずとも作り、
『源氏ものがたり』の品定の所にも親のかしづくむすめの事をいふとて「おひさきこもれるまどのうちなるほどは」と書るにても知べし
・只今は浪人
浪の字はみだりとも讀てよるかたなくなることを流浪ともいへば、浪人は仕官をやめてうきたるからだといふ事也、『文苑彙雋』に踪迹定り止る所なき人を浪人といふよし見えたり
・追從武士の祿を取
追從はおひしたがふとよむ字にて人の氣にすこしもたがはぬやうにつきしたかふ事にて、
『下學集』に媚謟之義なりと注せり、
『源氏物語』「うつせみの卷」には「とのゐ人などもことにみいれついそうせず」と書り
・二君に仕へぬ由良ノ助が
『史記』に齊の王蠋が詞に忠臣二君に仕へず貞女二夫を更ずと云て燕の國に仕へずして死したる故事あり
・心へだての唐紙を
「今世間に用ゆる襖はむかしは襖障子といひたる物にてそれをから紙にてはりたるゆゑかのふすませうじの事をからかみと云也、
『職人歌合』から紙のうたに〽空いろのうす雲ひけとからかみのしたきらゝなる月のかけ哉」とよめり
『平家物語長門本』にからかみの障子をたてたり」と有よし
『秋草』にいへり
・貞女兩夫にまみへず
上の王蠋の詞をうけて書たる所おもしろし
・淚一途に突詰し
一途はひとみちといふこゝろ也
・勿體ない事
『諺草』に「俗語の勿體はすなはち物體也、人物のすべよきを物體のあるといふ、君父を蔑にし神明を侮るなどは人物の正體にあらざる故にこれを物體なしといふなり」とあり
・薦僧の尺八
薦の字は誤にて本字は虛無僧也、又普化僧ともかけり、もろこし盤山寶積の弟子普化禪師といふ人尺八をふき鈴をふりて明頭來晴頭打四方八面來などいふ事を唱へありかれし事有、其流れを汲で文明年中朗庵といふ僧みづから普化道者と稱して宇治の吸江庵・京都の妙安寺に住して尺八を好みしゆゑ此寺終にこも僧の本寺となれるよし、
『雍州府志』に見えたり、薦僧をむかしは暮露とも暮露〳〵ともいひたる事は明惠上人の『空華論』、兼好の『つれ〳〵草』等にみえたり、また{〽いとふなよかよふ心の}むまひじりと云し事は
『職人歌合』にみえたり
・とたんの拍子
塗炭と書也、『書經』に民塗炭に墜といふ事あり、註に夏の桀王闇く亂れて下民を恤まず民の危ふき事泥に陷り火に墜てこれを救ふことなきが如きをいふと有、
『文選』の註には塗は泥也、炭は火也と有、されば俗にあぶなきかげんと云心をとたんの拍子とは云也
・修行者
すべて佛のみちを修行するものをいふ
・白木の小四方
三寶の類にて俗に足打といふもの也
・引出物の御所望ならん
聟引出とて嫁入のときむこより舅へおくる物をいふ、この字は『江家次第』にも見えたり
・刀は正宗指添は浪の平行安
正宗のこと薄雪淸水齣に註す、浪平行安は一條院の時の刀鍛冶也
・あんかんと
安閑とかいてやすらかにしづかなりといふ心なり
・放埓なる身持
『諺草』に「人の法度にしたがはざる事、馬などの埒を放れいづるにたとへて放埒とはいふなるべし」と有、埒とは競馬の時馬を外へ出さぬやうに兩方にゆひたる垣をいふ也、按ずるに定家卿の『拾遺{愚草}員外集』{
『賀茂注進雜記』}{
『更科之記』}に「埒のうちにくらぶる駒のかちまけものれるをのこの鞭のうちから」といふ歌有、されば俗に埒もないと云詞もとりしまりのなき事、埒のあくといふは垣をあけて馬を自由にかけさすことよりいふなり
・大だはけ
『諺草』には淫氣と書て「恥をもしらず」「おろかにあさましきを」云よしに云り
・馬鹿つくすなと
秦の趙高亂をおこさんと欲して群臣のしたがはざらん事を思ひ、鹿を二世皇帝に獻じて馬也と申せしかば、二世皇帝左右の臣下にこれは何そとゝふ時、趙高にへつらへるものはわざと馬也といひ、へつらはぬものは鹿也といふを聞て、ひそかに鹿といひし者を殺しておのれがいきほひを見せたる事『史記』にいでたり、是より人をたぶらかす事を馬鹿にするといひ傳へたり
・鹽梅見せう
『書經』に若和羹を作らば爾これ鹽梅ならんといふ事有て、むかしは鹽と梅とを以て食物の加減をせしゆゑ天下の政をほどよくとり行なふ臣を鹽梅の臣といふこと『山谷詩集』に見えたり、それ故に物のほどらひをもあんばいと云
・不祥ながら
不祥の字は『日本紀』にてはさがなしと讀てよからぬ心也
・長押にかけたる鑓追取
「鴨居の上に打付たる橫木をなげしといふ事誰もしりたること也、敷居の外にうち付たる横木をもなげしと云こと今はしらぬ人あり、
『源平盛衰記』に長押に尻かけ大床に足投出しといふこと有、
『義經記』に辨慶長押の上につい居て腰のほら貝とりいだしと云事有、
『つれ〳〵草』になみ〳〵にはあらずと見ゆる男、女となげしにしりかけて物語するありさま」といふ事あり、是等は大なる家造りは椽より敷居までの中高くてしきゐの外の方になげしを打し也、釘かくしも有、これをなげしとしらぬ人有」と
『秋草』にいへり、今爰にいふは鴨居の上のなげしの事也
・諸足ぬはん
もろあしは兩足也、諸ともとは人と我と二ツ也、もろ袖はふたつの袖をいふ皆同し詞なり
・欝憤をはらさんと
うつとしく思ふいきどほりをはらすといふことなり
・造營の砌
造營はつくりいとなむといふこゝろ也、砌といふ字はもと前栽などの事なれど其折からといふ心に用ひ來れり
・若氣の短慮
短慮はみじかきおもんはかりとよむ字にて氣のみじかきこと也
・未來永劫
未來はいまだきたらずといふ心にて先のよの事、永劫の劫の字は世の字の心にて永き末の世までといふこゝろ也、皆佛書に出たる字也
・露しらず
露といふものは草などにおくかと思へば直に消るはかなきもの故それをたとへにして、すこしのあひだの事を露の間ともいひ、すこしばかりの事を露ばかりともいふ也、こゝにつゆしらずと云はすこしもしらぬといふ心也、
『新古今』能宣の歌に〽秋霧のたつたひ衣をきてみよつゆはかりなるかたみなりとも」とよめり
・冥加の程が恐ろしい
冥加の字は佛書にては『梵網經』に出て、目にみえぬ所より佛の惠みのあることを云、又神書にては『神代口訣』に出て天照大神の託宣に冥を加るにまさるすなほなるを以て本とすといへり、然れば目に見えぬ所より加護し給ふ神佛のおぼし召も懼しきと云心成べし
・君子は其罪を惡んで其人を惡まず
此語はこれより先に御所櫻の院本にも出て、伯夷叔齊は其罪をにくみて其人をにくまずと書り、これは『論語』に伯夷叔齊は舊惡を思はずとのたまひし孔子の意を取て其語をつくりかへたる物のよし
穗積以貫もかけり、『四書蒙引』に司馬溫公は姦邪の小人の己を害するものをにくむといへどもまた其賢こきを咨嗟すといへる心なるべし
・未前を察して
いまだ其所へいたらぬ所をおもひはかるを云
・石塔の五輪の形
石塔をたつる事は『釋氏要覽』に磚石を疊んでこれをつくる、形小塔のごとしと有、五輪は『大藏法數』に五體といふも同し心にて人間の體の頭とふたつの肘とふたつの膝とを地水火風空にかたどりて五輪といふとあり、それを石塔のかたちにうつしたるを五輪ともいふ成べし
・玉椿の八千代迄ともいはゝれず
『新千載集』賀茂經久の歌に〽神山のみねにおふてふ玉つばきやちよは君の爲といのらん」とよめり
・吳王を諫めて誅せられ辱しめを笑ひし吳子胥が忠義
吳子胥と書は誤にて伍子胥と書べし、楚國の人にて身の長一丈眉間一尺有しといふ、吳王を諫めて誅せられし事『史記』にみえたり
・唐土の豫讓
晋の豫讓智伯に事へたりしに趙襄子といふ人智伯を亡したる故趙襄子をころして其仇を報ぜんとしけれども、其志を遂ざりしかば襄子が衣を擊てみづから劔に伏して死したる事也、是も『史記』に出
・孫吳が秘書我爲の六蹈三略
吳の孫武子があらはす兵書を『孫子』といひ、魏の吳起がつくれる兵書を『吳子』と云、『六韜』・『三略』・『司馬法』・『尉繚子』・『太宗問對』を合せて『武經七書』といふ也、六蹈と書もあやまりにて本字は六韜三略なり、この二ツの書は太公望の作なり
・舅が情のれんぼ流し
尺八の譜に云虛無僧の手二ツ臨門流虛鈴とあり、しかれば此れんも流しといふ尺八の手の名を戀慕ながしといひかよはしたるもの也、戀慕はこひしたふといふこゝろ也
・よべとこたへぬだんまつま
『倶舍論』に曰、命終に臨む時を名つけて斷末摩とす、苦受に逼られて物を別つこと有、事なきを末摩と云と有
・これや尺八ぼんのうの
尺八は壹尺八寸に竹を伐たるものにて、むかしは樂器にも用ひたるよし
『河海抄』にみえたり{
『湖月抄』}、
『源氏物語』「末摘花の卷」に「さくはちの笛」とあり、『釋氏要覽』に煩惱に百八の數あるゆゑそれを除かんために珠數の玉をも百八のかずにつらねて佛號を唱ふるよし見えたり、爰には尺八を百八と通はして作れり
・閨の契りは一夜ぎり
一節截といふ笛を尺八の事とすれども是は洞簫といふ笛の類にて尺八とは別なりといへり、こゝも一夜を竹の一節にかよはしたり
・筑波根のみねよりおつる瀧のしら玉ひいふうみいよ
〽つくはねの峰よりおつるみなの川戀そつもりて淵となりける」といふ
『後撰集』にいでたる陽成院の御製と〽龜の尾の山の岩ねをとめて落る瀧のしら玉千代の數かも」とよめる
『古今集』の紀のこれをかの歌とをとり合せて枕にかけり、本歌の筑波根はつくば山のみねのことなるを女兒のたはふれにはごいたにてつくはねのことにとりあはせたり、此はねといふものは胡鬼の子とも羽子ともいふものにて、それをつき上る板をはごいたとも胡鬼板ともいふ也
・ひよくの羽子板むくろじも
比翼の鳥の羽とうけたり、むくろじは本字は木欒子と書、俗につぶと云もの也、欒實ともいふよし『本草綱目』にみゆ
・戀の二葉の禿松枝と枝とをやり羽子も
禿といふ字は
『韵會』に「髮纖く長からずして禾稼の如し」とあれば俗にいふしよぼ〳〵髮のこと也、それゆゑ太夫につきしたがふ少女をかぶろと云ひならはしたる物なり、
『蛻嚴{巖}文集』には雛妓といふ字をかぶろのことに用ひたり、やり羽子の事は箕山
『大鑑』にいはくはねつき「正月の手ずさび也、是天職ともにくるしからず、はつ春の夕つかた小づまかいどりてはね胡鬼板右の手のみにてさばきたるいとやさしげあり、たちむかひてはねをやりあひたるより外なし、そも又程の久しきもさのみ見よからずやがてさしおくべき也、數をかぞへてひとりのみつくことゆめ〳〵有べからず」といへり、是は寛文より延寶のころ迄の曲中のさまを書たる所にいへり
・千代も根引はたへすまじ
正月の初めの子の日に松を引てうゑかゆるを子日すると歌にもよめり、
『玉葉集』小辨の歌にも〽數しらず引る子日の小松かな一もとたにも千代はこもるを」とよめり、新町の太夫を松にたとへたれば身うけする事を根引にするといひならはしたり
・かすみの袂虹の帶雲のうはぎをゆりかけて
これは太夫のよそほひをいふ也、霞のたもとは
『續後撰集』通方の歌〽さほ姬の花色衣はるをへてかすみの袖に匂ふやまかせ」と讀たり、虹の帶は
『詩學大成』の虹の詩に一條の綉帶天腰を束ぬと作れり、又雲のうはぎは人丸の集{
『續後撰集』}に〽あまの川霧たちわたるたなはたの雲のころものかへる袖かも」とよめり {
『人丸集:あまのは衣』}
・新艘つき出し出立はへ
むかしの遊女はおほく船にのりて客をむかへたる物ゆゑ、つきだしの遊女をあたらしき船にたとへて新艘と書たるなるべし、されど新造はよめのことをもいへばそれより遊女の稱にうつりたるにても有べし、
『秋草』に云、「人の妻を御新造といふ事むかしよりありし事也、『蜷川殿中日記』にて見えたり、よき人は妻をむかへるにはかならず妻の住居すべき家をあらたに造作するゆゑ御新造ともいふ也、ある說に船をあらたに作りたるを新艘といふて祝ふ、これになぞらふるといふは非なり」といへり、出立ばへは衣裳を着かざりて外へ出たるがはへありて一きはうるはしく見ゆるといふ事也、『源氏物語』にはいでばへとかけり
・うさをも芥子のべに鹿子ごくざいしきの越後町
冬としのうさをも消すといふ事を芥子にいひかけたり、芥子は至つてちひさきもの故佛書にも須彌を芥子に納るといふたとへありて、こまかなる鹿子をけしかのこともいふ也、かのこの事は
『いせものがたり』に〽時しらぬ山はふしのねいつとてかかのこまたらに雪のふるらん」といふ歌有て、「鹿の子まだらとは鹿の子の背にむら〳〵白き毛のあるに」富士の雪の斑なるをたとへていふよし
『古意』に見えたり、それよりくゝり染にする事をゆひ鹿子とはいふ也、極彩色の繪といふことを越後町に云ひかけたり
・三筋にみつの春立ば
くるわの三筋町にみつの春の立といひて三の字をかさねたるなり、正月を三の春といふは年の始時のはしめ日の始なりと『王燭寶典』に云へり
・やりが前だれあかねさす天も醉たり人も醉ふ
箕山
『大鑑』に云、「香車はひとすぢにむかふへゆくゆゑに異名を鑓といへり、これになぞらへてやり手を香車といひ來れり、されども此名目ことふりたれば今は遣女と云べし」、あかねさすは赤き光りのさすといふ事也、
『新古今集』菅家の御歌に〽あまの原あかねさし出る光にはいつれの沼かさえのこるへき」とよませ給へり、天も醉たりとは
『和漢朗詠集』の文に春の暮月々の三朝天花に醉りと作れり、是は桃の花をいふなり
・春しりそめて七つ屋の藏の戶出る鶯茶の
『玉葉集』定賴の歌に〽としふれとかはらぬものはうくひすの春知りそむる聲にそありける」といふ歌と「谷の戶出る鶯」{
『正治二年歌合』遊宴}とよみたる歌とをとりあはせて世話事におとしたる所例の平安子が妙作也 宇久比須考
・おろせの風とも見へぬ
箕山
『大鑑』器財門におろせはもと「駕籠のりものゝ事也、また乘物をかく疋夫をさしておろせともいふ」とかけり
・五器さげるずいさうと
『下學集』には「御器」と書てもとは貴人の供御の飯器のことなるを下さまの飯椀の事にいひならはしたり、古き名物の茶碗に尼御器といふも有、
『書言字考』には御器「又定器」椀也、それをさげありくは乞食のさまを云、瑞相はもとめでたきありさまをいへど俗語にてはかやうの所にも云ならはしたり
・てゝごさまはかくれもないいしんじよ也
いしんじよは石丈とかいて石のごとくかたき人といふこと也、丈は丈夫といふ事にて男の通稱也
・うば玉のくろはぶたへ
うば玉はくろきといふまくら詞也
・千兩にするは三つ羽の征矢
みつばの征矢とは金まうけることが矢のごとくはやきといふことなり
・かづくふとんのどんすよりむりやうの事ぞ思はるゝ
緞子・五絲[むりやう]みな唐織の名也、爰は五絲を無量といひかけたるなり
・金つかふて髮きらせた
箕山
『大鑑』に云、「傾城の髮きること心中の其ひとつにして近代はなはだもつて盛なり、其はじまる所播州室の遊女宮木といひし女より起れり、醍醐の中納言顯基卿これを愛し給ひて都に侍りけるが、いかなる事か侍りけんすさめられ奉りてむろに歸りぬ、ある時中納言の家人西國より京へのぼるをうかゞひ見て、髮をおしきりてみちのくに紙にひきつゝみその紙に歌を書たり〽つきもせすうきを見るめのかなしさにあまとなりても袖そかわかぬ」と書て船になけ入たるよし、
『撰集抄』にものせたり、これ遊女の髮切たる濫觴也、是は顯基卿の心のうつろひたりしをうらみ奉りて切たる髮也」と云々、又云傾城の髮切る事此ごろの事と計り思ふべからず、二條あたりの人の所持したる屏風に傾城遊翫の圖を書たり、是狩野法印永德が筆也、此繪に傾國あまたあつまり酒宴する內にみじかく切たる髮を押みだしたる傾城尺八ふく所をかけり、振袖ならば禿にも見まがふべけれど、しかもふり袖に非ず、禿はかぶろにてかたへにあり、是永祿・天正のころにもかきたるにや繪本をもつてこれをかゝば猶以て久しかるべし、かゝる舊例あれば髮をきる其こゝろはかはるといふとも古風をまなぶを豈風流なしといはんや
瑠璃天狗卷之三終
瑠璃天狗卷之四
・可愛らしいといはふか
可愛の字は『日本紀』神代巻一に伊弉諾伊弉册の二神みとのまくばひしたまふとき妍哉可愛少男[あなにゑやゑをとこ]をとのたまひしよりはじまりたる詞にて男女のあふことを字の聲にて可愛といふ也
・思ひ亂るゝいとすゝき穗に顯はれて
糸のやうなるすゝきが穗に出れば花すゝきとも尾花ともいふ也、いと薄の歌は
『夫木集』長方〽すかるふすくるすのをのゝいとすゝきますほの色や露や染らん」とあり、またすゝきの穗に出ることをよみたるは
『古今集』仲平〽花すゝき我こそ下に思ひしか穗に出て人にむすばれにけり」
・保養がてら
保養はたもちやしなふとよむ字にて溫公『通鑑』にも疾いまだ全く平かならざれば保養をもつはらにせんと欲すとあり
・琥珀の塵や磁石の針粹もぶ粹も
琥珀といふ石は松脂土中に入て千年にして此石となる、よく芥を拾ふと『本草綱目』にしるせり、磁石は
『字彙』に「石にして鍼を引べし」と有、和名はりすひいしと云、此二ツの石はちりをもはりをもすひつける物ゆゑ、お舟が義岑公をつけまはす姿にたとへて吸と云字を粹と云字の音にいひかけたる也
・ふ肖と思ふて下さんせ
不肖は
『文選』の註に不才を謂也と有て知惠のなき事成を俗語にてはめいわくながらといふやうの詞につかひ來れり、是は風俗通に子を生て父母に似ざるを不肖といふとかきたる義にて似あはしからぬ事なれどゝ云心に用ひたる成べし
・日影の木々も花さけば岩のはざまの溜り水
影の字はあやまり也、陰の字を書べし、岩のはざまは岩のあひだなり
・さはらで落る玉ざゝのあられもないが戀路也
『源氏ものかたり』品定の所に女のさまをいふとて「折らば落ぬべき萩の露ひろはゞ消なんとみゆる玉ざさのうへのあられなどのえんにあへかなるすきずきしさのみこそおかしくおぼさるらめ」と書たる詞をよくとりなしたり
・義岑公も稻舟の否にもあらず
『古今集』大歌所の歌〽もかみ川のぼれはくたるいな舟のいなにもあらす此月はかり」とよめるをとりたり、否にもあらすはいやにてもなしと云心也
・じつとしめたる手の內は
『神代卷』一書に陰神すなはち陽神の手を握りてみとのまくばひすといふこと有、佛書にては『倶舍論』に夜摩天は纔に抱て媱をなし都史多天は但手を執によると有
・戀の錠前情の要
情の要は扇のかなめにたとへたる也、
『桃華蕊葉』扇の所に「かなめは蝶鳥をかねにてうちて是を用ゆ」と有
・互にいだき月草のうつろひやすき色糸の
月草は露草のこと也、むかしは白き衣に露草の花をすりつけてもやうとしたるに藍色なる故色がうつりやすき也、
『古今集』よみ人しらすの歌に〽月草に衣はすらん朝露にぬれての後はうつろひぬ」ともと讀りまた
同し集に〽よの中の人のこゝろは花染のうつろひやすき色にこそ有ける」とも有こゝの文句は此二首の歌にて作れる也
・ぬれの糸口綻び口吸付引付
ほころぶは俗にふくろびると云詞也、
『遊仙窟』に腰支一たび遇て勤ぬれば心の內百の處傷む但若口子ことを得ばあまたの事は承り望まず。といふ詩あり、貫之の
『土佐日記』にも「たゞおしあゆのくちをのみぞすふこのすふ人々の口をおしあゆもし思ふやうあらんやとたはふれてかけり
・普請の結構
普請はあまねくこふといふ字にてもと出家よりいひ出したる詞也、
『百丈淸規』普請の法に「力を均しくする也」と有てあまねく人の多力をこひえて堂寺などを建ること也、今俗家に家を造作する事を普請といふはあたらぬ事にて、かの出家の建立のことよりとりちがへたること葉也、結構は
『文選』靈光殿の賦に其結構をみるに規矩天に應ずと有て、
李善の註に結は交る也、構は架する也と有、さま〳〵の材木をとりまぜてくみ上ることをいふ、俗に花美なることを結構といふは少しあたらぬこと葉なり
・跡にしよんぼりほいなげに
しよんぼりはそぼりといふことにてこまかなる雨をそぼふる雨といふに同じ、
『伊勢物語』に「雨そぼふりて」と有、雨にぬることをもそぼつといへばしよんぼりは身すぼらしきすがたをいふ也
・手著もしらぬ海中に
たつきもしらぬとは俗にとりつきどころのなきといふ心なり、海中はうみの中をいふ也、海をわだづみともわだともいふ心は海は舟にて渡るものゆゑわたるといふ字の心にていへり、こゝは
『古今集』よみ人しらすの歌に〽をちこちのたつきもしらぬ山中におほつかなくもよぶこ鳥かな」とよめるをとりかへて用ひたる也
・楫なきお舟が物思ひ
『新古今』好忠の歌に〽ゆらの戶をわたる船人かちをたえゆくへもしらぬ戀の道かな」とよめる歌の心をとりたり
・相圖の狼烟を上ふか
・惡寒發熱
惡寒はぞつとする事、發熱は上氣することに譬へていふ、この語はもと風邪にてさむけたち熱の出ることにて『傷寒論』にあまたいでたり
・いふて水棹や詞の楫
水棹は舟のさほ也、お舟といふ名によりていふてみるといふ事を水棹といひかけ、詞にてあしらふことを詞の楫とつゞけて舟の緣語をよく續けたり
・渡に舟と六藏は
『法華經』本事品に其願ひを充滿せしむること渡りに船を得たるがことく病に醫をえたるがごとしとあり
・かくて時刻もひさ象の
時刻の久しくなるといふことを久かたといひかけたり、久方といふことは空といふ字の枕詞にて天はいつまでもかはらぬものゆゑ久しき方といふ心なるよし
『燭明抄』にしるせり、今こゝにひさ象とかきたるは『續日本後紀』に匏象[ひさか]の天といふ事有によれり、天のかたちのまろきをひさごに見たてたるなれば匏象といふ心也と
『冠辭考』に書たり、こゝは此說によりて書たるなるべし
・廿日ゐなかの月出て
廿日の月は亥の刻に出るなり
・燈火消て眞の闇
眞の字はあやまり也、深の字をかくべし、『明惠上人傳記』に深の闇にて有にとかけり
・ぴつしやり碎る芬盤
こゝにたばこ盆を芬盤と書たるは『淸客寄語』に芬盤を唐音にて打馬高望と譯し芬吹を起紗里と譯せしによれり、たばこは慶長の比阿蘭陀船にもち來りしより日本に弘まれり、其はじめは阿蘭陀の崑崙兒が紙をひねりて筆のごとくにしたばこの葉をもみてかの紙のはしにつゝみてのみ居たるを見てこの國の貴賤となくこれをのみ覺えしより、やがて眞鍮銅などを以てきせるといふ物を製してあまねくのむ事になれるよし『羅山文集』に見えたり{
『本朝世事談綺』}{
『蔫録』}、また元和元年六月烟草を吸ことを禁じ給ひしよし
『和事始』にみえたり、按ずるにこのたばこといふものは『本草綱目』には是をのせず、漢土にてもあたらしき物にて
『芝峰類說』には倭國より出るとしるし、又一說に南蠻國に女人あり其女の名を淡婆姑といひしがこの女痰の疾を患ふること數年なりしにこの草を服して其疾の癒たるよりやがて此草を淡婆姑と名づけしとかけり、これによればたばこといふ名は和訓にてもなく蠻語にてもなくもとは女の名也しとしらるゝなり
・上にはわつと玉ぎる聲
玉きるは玉きはるの略語にて魂きはまる聲といふこと也、死ぬる期のこゑをいふなるべし、
『萬葉集』に〽我せこかその名いはしと玉きはる命はすてつわすれたまふな」といふ歌も有て後々には玉きはるといふことを命といふ字の枕ことばとせり、『萬葉』には魂極{
靈剋}と書て玉きはると讀せたり
・佛とも法共辨へず
『報恩經』に佛と法とのわかちを說て云、佛は法を以て師とし佛は法に從つて生ず、法はこれ佛の母佛は法に依て住すとゝけり
・悶絕せしも
悶はもだゆると云字、絕はたゆるといふ字にてもだえくるしみて息のたゆること也
・大膽千萬な
大膽はきものふときといふ事にて『千金方』に遜思邈が心は小ならん事を欲し膽は大ならんことを欲すといひしよりいひ傳へたる俗語也
・打擲
うちなげうつとよむ字にて物をうちつける事也
・常々不埒な
埒の字は馬をはなさぬ爲に垣をゆはすと云こゝろにて我儘に成ことを云也
・異見いふても歎いても
異見の字は『續日本紀』には意見と書り、もろこしにも意見といふ書の名有て意はこゝろばせといふ字、見は見識の見の字にてわが心におもふ存じよりをいふて人をいさめる義なり
・一念發起もしたまひて
一念はふと心におもふこと、發起はおこりおこるとよむ字にてふと佛法に歸依するの心おこる事をいふ、發起の字は『倶舍論』にもみえたり
・覺悟極めて
覺悟はおぼえさとるとよむ字にて物を合點すること也
・血汐に爭ふ血の淚
血汐は血が汐のやうにわき出るをいふ、血の淚は
『韓非子』に卞和といふ人璞を楚山の中に得て厲王に獻ぜしかば玉人に見せたまふに石也といひしゆゑ卞和か足を刖せたまへり、それより後武王・文王と三代の間其まことの玉なる事をしるものなかりし故卞和かの珠をいだいて楚山のふもとに泣ゐたるが三日三夜にして淚盡てこれにつぐに血を以てすとあり、これはあまりになけば後には淚も盡て血の淚を流すといふこと也、
『古今集』哀傷の部素性法師の歌にも〽ちのなみだ落てそたきつしら川は君か代まての名にこそ有けれ」と讀めり
・ふ便といふも愚なり
不便の字は
『荒政要覽』に「老弱道路に堪がたき一つの不便也」と有、
『源氏ものがたり』{浮舟}にも「ふびんなるわざ哉」と有てたよりなくふかつてなることをいふ也、それがかやうにかなしみあはれむ心に轉じたる也
・釋迦如來が元服して
釋迦といふは天竺の五姓の一つにして氏也と『釋氏要覽』に有、牟尼といふは名也、『智度論』に釋迦牟尼といふ事を秦の世には能仁寂嘿といふと有て註に姓名兼稱する也といへり、如來と云ことは『成實論』に如實の道に乘じ來て正覺を成也と有て、まことの道によつて正しきさとりをなす人を如來といふ也、元服のことは
『岷江入楚』に『禮記』{
『禮記通解』}を引て天子の子は十二にて冠すと有てはじめて童形をあらためて冠下にかみをゆひ冠をきすることをいふ也、元ははじめといふ義、服は冠をきること也、地下の俗にさかやきをはじめてそることを元服といふは字義にあはざれども今の世には一統にいひならはしたることば也
・人を集る法螺吹立
螺は口にてふく貝のこと也、佛家に用ゆる故法の字をつけてほら貝といふ也
・村々の圍をとくと
圍むとは軍兵を以て其所をとりまくこと也、『左傳』・『公羊傳』などにも宋を圍む鄭を圍むなどゝいふ事あまた有、かこみをとくとはとりまきたる軍勢を引とることなり
・漸抱を振上て
たいこのぶちを抱といひ、琵琶のばちを撥といふ也、ぶちと云はばちといふ聲のはひふへほにてかよふ也
・領巾麾山の悲しみも
松浦さよ姬が夫をしたひし故事也、比禮振山は肥前の名所なり、
『萬葉集』の歌に〽遠つ人まつらさよ姬つまこひにひれふしよりおへる山の名」とよめり
・匹夫め待と呼かけられ
『論語』に匹夫も志を奪ふべからずと有て
『集解』に「匹夫微也といへども其志を奪ふべからず」といへり、こゝにて匹夫めといふはいやしめていふ詞なり
・飛で火に入夏の虫
『符子』に其昧[くら]きを安んぜずして其明かなるを樂しむはこれ猶文{夕}蛾の暗きを去て燈に赴て死するがごとし{
『太平御覧』「燈」}{
『太平御覧』「蛾」}といふ故事によつていひ傳へたるたとへにて、火とりむしがおのれと火に入て死するにたとへたる也
・力一ぱい牛頭馬頭が
『十王經』に路を引牛頭は肩に棒を挾み行を催す、馬頭は腰に叉を擎ぐと有て牛の頭馬の頭の獄卒が亡者をさいなむさまなり
・觀念と
觀はとくしんする事、念は口へ出して物をいはずして心にこたへてゐる事也
・お怪我はなかつたか
恠瑕と書が本字也、
『諺草』に云「俗におもひよらずして疵を被る事を恠瑕といふ」あり、恠はあやしむとよみ、瑕はきずとよむ字なり
・水破兵破の二つの御矢
『盛衰記』に水破兵破のこと有て賴政の水破といふ矢は黑鷺の羽にてはぎたる矢也といへり
・魂魄はれい〳〵と
魂といふたましひは死すれば空にあがり、魄といふたましひはめいどにゆく也、
『三體詩』{朱褒}に魂は冥漠に歸し魄は泉に歸すと作れり、冥漠はそらの事、泉は黃泉とて地の下のことなり
・官軍をかり集め朝敵を亡して
官軍は天子の御軍勢をいふ、朝敵は天子へ敵たふものをいふ也
・松明挑灯きらめきて
松明は
『和名抄』に續松とかけり、
『勢語古意』に云、「松の秀[しん]を物にてまとひつぎてたくゆゑにつぎ松といふを音便にてついまつと唱ふるなり」、たいまつとはたきまつといふ訓にて火をたく松といふこと也、
『伊勢物語』に「ついまつの墨して歌の」下句をかきたるとはたいまつのもえさしにて書たる也、扨挑灯の事は
『秋草』に云「ちやうちんといふこと古代にはなきもの也、いにしへは夜行に松明を用ひし也、またあんどうを用る事も有し也、」「夜行に持せし物なるゆえ行燈とは書なり、」「
『鎌倉年中行事』に松明・行燈の事有、」「其ころまではてうちんはなかりし也、『蜷川記』に挑灯は籠灯か本也と云こと有、これは永祿・天正の比なるべし、其比はすでに今の世のてうちんも有しとみゆ、籠灯といふものは行燈のさやのごとく丸きかごをさやにして上に横木を取て提るやうにしたる物なり、今も奧州・出羽などの民家には用ゆる也、是を本にしてたゝみてうちんを仕出したる也」と有
・待ども〳〵沙汰せぬは
『杜詩全集』に江河の濁れるを沙汰すといふ詩有、註に沙汰は篩に沙を貯へ其細かなるを去て其大なるを存するを沙汰といふと有、是をみればいさごをゆりわけることにたとへたる字也、俗に案內するやうの事をさたするといひ、うちすておく事を沙汰なしなどいふはこれより轉じ來りたる詞にて、ものをしかとことはる事を沙汰するといふ成べし
・空に雷電霹靂
雷はかみなり、電はいなびかり也、はたゝがみは鳴はためく雷と云事也
・水主棹取
水主はかこ也、棹取はかぢとり也
・比興なり者ども
比興の字は詩の六義の內にて比はものをたとへること、興はものを見たてることにて二字ともにものをよそへる心ゆゑしかとせぬ事を比興といふ成べし
・虛空をにらんで
虛も空もむなしといふ字にてあてどのなきこと也
・廣言吐し
廣はひろしといふ字にておほきなることをいひ出す也
・膽礬色
膽礬といふ石は色の靑き石なる故顏色のまつさをになることをたんば色と云也
・猶も吹來る暴風
はやてともいふにはかにふきくる大風也
・底の藻屑と
藻の波にくだけてちり〴〵に成たるを云
・中にも强氣の
强はつよしと云字にて氣のつよきこと也
・甲冑を帶したる
『周禮』の註に甲は今の鎧なりと有、
『韵會』に冑は「兜鍪」也とあり俗に冑をよろひとし、甲をかぶとゝするはあやまり也、又『秋草』{
『冬草』}に云「古代は鐵砲なくしてたゞ矢軍のみなりし故甲冑の製も矢ばかりをふせぐやうにこしらへ煉革をもつて割小札につくりし也、たまたま薄金にて製したること珍らしきに源氏重代の鎧を薄金と名付て稱美したる也、」天文十二年に「鐵砲わたりし後は鐵砲の勢矢よりは烈しきによつて甲冑の制かはりて札を鐵にて作りあるひは胴を鐵のべにして鐵砲を防ぐ事をおもとしたりと」有、甲冑を帶したるとはよろひかぶとを著たるを云也
・松浦がたひれふる山の石よりも
まつらさよひめの望夫石となりたることまへに註す
・女護の島にことならず
女護島のこと
『書言字考』に「古老傳へて日本東海の中に在」といひまた羅刹國といふ所を女護島といひ傳えたるよししるせれどいつれもより所なき說也、按ずるに『後漢書』の東夷傳に海中に女國ありて男なし、その國に神井ありこれを闚きて子を生むといへりまた、『金樓子』には女國に池ありこの水を浴ればはらむとあり{
『廣益俗説辨』}、又『文献通考』に女國は扶桑の東子{千}里にありて鹹草を食ふ葉邪蒿に似てにほひ香はしく味はひ鹹しと有、この鹹草といふものは八丈草ともあしたぐさともいひて八丈の島に生ずる物なり、それゆゑ今の八丈の島をむかしの女護の島也といふ說も有、『不求人』全編には女人國とかきたり
・いさめられてもいさまぬ顏
上のいさめられてもは諫むるといふ字にて異見すること也、下のいさまぬといふ詞はしめりかへりて勇みすゝまぬこころ也
。袖は淚のかはごりを
淚の川といふことを皮骨柳といひかけたる也、これは皮籠と骨柳とがひとつになりたる名也、皮籠は皮にてはりたる竹の籠のこと、こりは柳の枝をくみあはせてこしらへたる物ゆゑ骨柳とかくなり
・三味線もとゝのへ置
三味線とかくはあやまり也、三線とか三絃とか書べし、此もの漢土にては『楊外庵集』に出て今の三絃は元の時にはじまるといへり、
『春臺獨語』には玩咸のかたちの變じたる也といへり、玩といふものは
『拾芥抄』にもいでゝいにしへ日本にも有たる物と見えたり、
『三才圖會』に晋の玩咸が彈ぜし琴の類なるものにて琵琶に似て圓なるものなりといへり、近代の三絃の事は箕山
『大鑑』第一翫器の部に云、「三絃のおこりは永祿年中に琉球國よりこれをわたす、其ときは蛇皮にてはりて三絃なる物也、泉州堺の琵琶法師中小路といひける盲人に人のとらせたりけるをこの盲人よろこびてしらべこゝろみけれど、ひき樣をきかざれば音律かなはす、これをこゝろうくおもひて長谷の觀音へまうで一七日參籠して彈やうの事をいのりしにあらたなる靈夢ありて階を下るときに大中小の糸三すぢ盲人が足にかゝる、これをとり三筋の糸をかけてひくに無盡の色音いでたり、それより三すぢのいとにきはむる、故に三味線となづけたり、其みぎりはむさとひきてなぐさみとせしにしばらくして虎澤と云し盲人これを彈かためて後世につたへし也」と云り
・こきう
『書言字考』に「胡弓{鼓弓}」と書たり、箕山
『大鑑』に「むかしの小弓は弓の絃をいたくはりてひきもちひたり、八橋撿校みづから考がへて手づから弓をなめらかに長く削りてこしらへたりつるを引はらずゆた〳〵とゆるやかにのべて無名指にてひくやうにかけたり、其色音昔にかはりて各別也き」と有
・あはれむかしはぜんせいの松の位も冬がれし
『新古今』菅家の御歌〽道のへの朽木のやなき春くれはあはれむかしとしのはれそする」といふをとれり、ぜんせいはまつたくさかり也と云こゝろなり、
『唐詩選』に言を寄す全盛の紅顏子憐むべし半死の白頭翁とつくれり、松の位のことは秦の始皇松を大夫に封じたる故事あまねく人のしりたる事なれば註せず、しかるに今の人松の位といへば大夫職のことゝのみおもふがおかしければちなみに書つく、
『藻鹽草』に松の位は三位也と有、また重家の集に刑部卿三位したりしにいひかはしゝといふ事書有て〽ちとせまてさかへ行へき君なれは松も位をゆつる也けり」といふ歌あり
{『異名分類鈔』}
ついぢのかげにやすらへば
『伊勢もの語』に「ついぢのくづれ」といふこと有、今のへいの事也、築地と書はあやまりにて築土と書が本字也、土をひちと訓ずるゆゑつきひちといふ事にて土をきづきて塀としたるを云也
・車よせより立聞ば
大內の御車をよせらるゝ所にて門內の玄關といふやうなる所也と
『書言字考』にいへり
・あの小歌は吾身くるわにありし時
箕山
『大鑑』に小歌といふは「むかしの白拍子のうたひし今やうといふものを縮めたる物なり、中ごろ泉州堺の住人高三氏隆達といひしもの三十一字の和歌にみづからふしをつけてうたひたる、これいよ〳〵小歌といふ名目にかなへり、すなはち隆達ふしとて今も世に殘れり」と有、くるわは廓の字にて城のそとくるわのこと也、難波の新町・京の島原などを廓といふは市中の外に一かまへ有所ゆゑくるわと云也、漢土にてくるわを曲中と云よし
『虞初新志』にみゆ {
中國哲學書電子化計劃の『虞初新志』卷二十によれば、「不知何日方慰予懷也 」で終わる本文のあとに『板橋雜記』の併載された版があるらしく、「金陵為帝王建都之地…」、「𦾔院人稱曲中…」で始まる文章が續いている}
・作り出せしかへせうが
替唱歌と書て今いふかへうた也
・出ほうだいに聲はり上
出傍題とかくべし、傍題とは歌をわがまゝによみて題にはづるゝこと也、
『八雲御抄』にくはし、理にあたらぬことを口より出るまゝに云事を譬へたる詞也
・男ちく生人でなしあか耻かゝせて
人をいやしめて畜生といふことは『涅槃經』に身丈夫也といへ共おこなひ畜生に同じと有、また『隋書』に煬帝の淫佚なることを父の文帝の詞に畜生也とせめられたること有、人でなしは人外非人など云におなじ、あか耻とは用捨なく耻をかゝすを云也
・そなたの物ごしつまはづれ
物ごしといふ詞は『源氏ものがたり』に所々ありてみすなどをへだてゝ聲ばかりきくことを云て物へだてごしのこゑといふ事也、それをあやまりて俗に人のものいひを物ごしと云也、つまはづれは手足の爪のさきまでいやしからぬといふこと也
・一河のながれも他生の緣
ひとつながれの河の水をくみあふ事も此世ならぬ前世の緣なりといふこゝろ也、この詞は
『平家物語』にも見えたり、篠崎維章の
『和學辨』には此語を聖德太子の『明眼論』にて見出せしよしかけり
・うき河竹の傾城
むかしの遊女は江口・神崎などにて川船に乘たるもの故かはたけ或はながれの身などいひならはしたり
・よな〳〵かはる大臣の
遊女の客を大臣といふ事は
『古事談』に云、小野の宮の大臣香爐といふ遊女を愛し給ひけるが其時また大二條の大臣も此香爐を愛したまへり、あるとき小野の宮の大臣香爐に問てのたまはく、われと髯とはいづれを愛するや、なんぢすでに大臣二人を通はせりとのたまへり、二條の大臣御髯の長かりし故髯とのたまへりし也」と云、これをみれは後世に遊女の客を大臣といふことより所ありと云へし
・とうり天の中二かい
忉利天は欲界の六天の中にして須彌山のいたゞきにありといふこと『諸天傳』に出たり
・木やりでもかんどでも
大木をもちはこぶとき歌をうたひて力をつくるを木やりといふ、
『准南子』に大木を擧るものは邪許とよぶ重きをあぐるに力をすゝむる歌也と有も木やりのこと也
・そりやこそけんくわがはじまつた
『文選』蜀都賦に誼譁鼎の沸かごとしといへり、これはやかましくにもかへることをいふ也、日本にて人とあらそひのゝしることをのみけんくわとあやまれり
・神子山伏にうらやさん
神子はめかんなぎとて神につかへいのりなどをするものを云、梓みこのことにはあらず、山伏はもとは行脚する出家を稱することば也、野にふし山にふすといふ心にて山伏とよみたるうた有、
『夫木集』に〽山ふしのすかたけとをきかは衣心こはくも身にそはぬかな」とよめり、
『職人歌合』には今の修驗者のさまによみたり、其歌は〽せんたちのさんきさんけは我やせんいたの目につくむしのした哉」、うらやさんは陰陽師の算をかきてものをうらなふを云、『書言字考』に占算とかきてうらやさんと讀ませたり
・せつたかたしにげたかたしわらんづがけでくるも有
雪踏とかきてせつたとよむが本音也、
『書言字考』に「天正年中千の利休はじめてこれをつくり雪の中に路地をふむにたよりす」といふ說をいだせり、『三齋筆記』{
『老人雜話』}には三齋公のはゝ君雪の茶の湯にはじめて思ひよりて製せさせたまへりしといふ事見えたり、げたはあしだの事にて足踏とかいてあしたとよみたるを後に下踏とかきかへたる也、かたしは片足の略語なり、わらんづは藁履といふことをのべていふなり
・だい所からざしきまで
禁裡の御膳をとゝのへる所を臺盤所といふより轉じて下々の食物をとゝのへる所をも臺所といひ來りし也、
『源氏物語』「末摘花のまき」に御だいとあるは膳のことなり
・水たごたらひにこけかゝり
擔桶の字をたごとよませたれど是は宛字也、もと田へ水をくみ入れるうつはものにて田子がになひてゆくものゆゑ其まゝに此ものをたごと名付たる也、たらひは本字は盥の字にて
『文選』{
六臣註}の註に水を貯はふるうつはものにして手を淨め洗ふもの也と有、たらひはてあらひの略語なり
・神武以來のりんきいさかひ
神武天皇は人皇のはじめにて鸕鷀草葺不合尊の第四子にて御母は玉依姬也、以來はこのかたとよむ字なり、恪氣の恪の字はしわきこと也、わが夫を人のけさうするをしはくねたむこと也、いさかひは息逆ひの略語にて人と息せはしくさからふ心也
・跡かたもないあかうそ
跡はあしとゞまるといふ詞の略語にてしかと目にかゝる程しるしの有ことを云、かたは形の略語なればこゝはあとかたちもなきといふ事也、赤うその赤の字はもと心の臟は色あかきもの故まことの心を赤心と云丹誠をぬきんづるといふも丹の字はあかしとよむゆゑこれも誠の心をいだしてと云こと也、されば衣裳のつくろひなき事をあかはだかといふがことくうそに相違なきといふことを赤うそといふなり
・我身に秋風立ぬれば
秋といふ字をものを飽ことにいひかけたる也、
『續千載集』良信の歌に〽人とはで年ふる軒のわすれ草身を秋風に露そこほるゝ」とよみたるもわが身を飽たる事にいひかけたる也
・男のざんげ
慚愧と書て二字ながらはぢといふ字也、『阿含經』に慚と愧とを二つの法とたて、このふたつの法なければ父母妻子尊長をもわかたず人間ながら畜類とひとしとときたり
・定か誠か
定はものゝさだまること成故しかとしたることを定といひ、しかとせぬことを不定といふなり
・弓矢神
八幡宮を申也、謠曲に弓八幡といふも弓と矢と幡と三つの軍器をならべ八幡宮の御神德をのべたるこころにて、此謠をゆみやはたとなづけたるよし惠南が
『謠曲拾葉抄』にもしるせり
・賴光樣をざんそうし勅勘の身と成給ふ
讒言をかまへて奏聞せし故勅諚にて勘當の身となりたまふといふこと也、讒言をさかしらごとゝよむなり、奏聞とは天子へ申あぐること也、勅諚は天子のおほせつけらるゝ御こと葉なり
・ヱヽおとましい
あいうゑをと五音通ずるゆゑうとましいといふことををとましい共いふ也
・名字のはぢをすゝがんと
『秋草』に云、「假名といふを今の世に苗氏といふ、假名と書はあやまり也、家名と書べし、
『今昔物語』第八 {巻29・30話}に上總守平惟時朝臣といふは貞盛か孫にてかくれなき兵なり、其郞等に家名はしらず字は大記といふもの有」といふ事有。「天下の武士源氏も平氏もいくらも有て、たゞ源の某、平の某とのみ名のりてはまぎらはしくて家筋わかれざるゆゑ、おの〳〵其出る所の地の名あるひは領所の地の名を氏の上にそへてなのりてその家すぢをわくる也、されば是を家名とはいふ也、先祖は其家の苗なる故に苗氏ともいふ」と有、さればこゝも名氏と書は誤にて苗氏と書べき所也
・うんでいばんりと耻しむる
雲泥萬里眼今窮といふ橘正通が詩{
『和漢朗詠』}あり、雲は天にあるもの泥は地にあるもの故に上下のちがひを雲泥萬里といふ也、白樂天の詩にも會面雲泥をへだつとつくれり
・一騎當千の兵
『涅槃經』に人王大力士あり、其ちから千にあたる故にこの人を一人當千と稱すとあり、これより出たる詞也、騎は馬にのりたる武者を云なり
・鎧通しおつ取
よろひのうへにさす小刀をいふ也、『武備志』に觧手刀と書てよろひどほしと譯せり
・伍子胥が吳王を諫めたる
伍子胥の事まへに註す
・項羽紀信が勇氣にも
楚の項羽漢の紀信のこと『史記』・『漢書』等にいでゝみな人のしりたる事なれば註せず
・神變きたい勇力の
神變は
『諺草』に云、「佛書にもとづきていへる詞也、內に天心ありて外に變動の相あるを神變といふ」と有、あんずるに『涅槃經』には一念の中種々の神通變化をなすとあり、『仁王經』には神神變通自成をなすと說り、きたいは希代と書てよにまれ成勇力と云心也
・今一度人がいに生れ出
人界と書て此人間世界といふこゝろ也
・飛行通力有べきぞ
飛行は空中をとびありくこと、通力は神通力といひてわが身の自由自在になる事也
・無二無三にむらがつて
二も三もなきといふ心也、『法華經』に無二亦無三と有、
『新後拾遺集』尊圓親王の御歌に〽春はたゞ花とそおもふふたつなくみつなきものは心なりけり」共よませ給へり
・人畜類の右大將
人間ながら畜生同前のものといふことば也
・正盛が家の子大田の太郞
『花鳥餘情』に「家禮とは子の父をうやまふこと也、他人なれども子に准じて禮をいたすをば今の世にも家禮といひ來れり」としるされたり、されば家禮を家の子と云も此心なるべし
・おもふ敵をうつせみのからだは
空蟬とは蟬のこと也、せみは時有てもぬけとなるものにてかたちはありながら內のむなしき物ゆゑ、うつほなるせみといふ心にてうつせみといふ也、其ぬけがらをうつせみのからといふ故それを又からだといひかけたるもの也、
『古今集』のうたに〽うつせみのからは木ことにとゞむれと魂のゆくへを見ぬそかなしき」ともよめり
・たちまちやしやの鬼がはら
夜叉とも藥叉ともかく也、
『義楚六帖』に「藥叉は天竺の語にてもろこしの詞には暴惡とも勇健ともいふ心也、神鬼の類なれども福德殊勝にして諸天を衞り護るもの也」といへり
・比良の暮雪と賞せしも
近江八景の內の一つにて比良山の暮方の雪のけしきを賞美したる詩歌あまた有
・世をこぎ渡る船長の
渡世することを船をこぎ渡ることにいひかけたり、船長は船頭也
・双紙に六道の切書て
草紙とかくが本字也、草は草稿とてしたがきをいふ也
・入相の鐘にちりしく花ならで
〽山寺{里}の春の夕くれをきてみれば入相のかねに花そ散ける」と云能因法師の歌をとりなしたり、此歌は
『新古今』に入たり
・くつさめ又人を議らんすかいのと
かげごといはれてはなひるといふたとへ有、はなひるはくさめする事也、
『野客叢書』に「今の人噴嚏てやまざるものはかならず祝して人ありてわれを說といふ」と有、しかれば漢土にも云ならはしたることわざ成べし
・兵法の御鍛練が
鍛は鐵匠が刀をきたひてうつこと、練はものをねりにねりて念を入るゝ事也、『後漢書』の註に鍛練は成熟なりとありてものゝとくととゝのひたることをいふ
・御手練の程を
これもよくねりとゝのひたる手ぎはといふことなり
・竹刀しなへの用意もなし
竹刀は竹を刀のなりにこしらへたるもの也、しなへは韜の字を書て韜革[しなひかは]韜竹[しなひだけ]などゝもいふ、竹をひしぎて革の袋に入れ刀のかはりにして劔術のけいこに用ゆ、うちあふときしはるやうに製したるものゆゑ名をしなひといふなり、それをあやまりてまたしなへと唱へならはしたり
・納戶へ入や
をさむる戶と書て雜物を入おく一間を云、禁中に納殿とて諸國より貢するものを入おかせ給ふ殿あり、それにかたどりて名付たる物なるべし
・亂杭にくゝり付
川ばたのみづよけにうちたる杭をいふ、長短をそろへずみだりにうちたるゆゑらんくゐといふ也
・としやおそしと
としは疾といふ字にてはやきこと也、はやくゆかんおそくはなきかといそぐことをいふなり
・風がないだら石山へ
風の和らぐ事をなぐといふ也、歌に朝なぎ夕なぎなどゝよむ、みな和の字也、すべてやはらか成ことを和やかといふも同しこゝろ也
・佐々木が謀の醜しやと舌を卷て物語
『漢書』の楊雄が傳に禮官博士其舌をまいて談らずといふ事あり、おそれてものをいひ果さぬことを舌をまくといふ也
・薄の穗にもおぢるとやら
『諺草』にいはく「落武者になりては臆病ごゝろまして草木までも人と見なして恐るゝといふこと也、普の謝玄といふ人軍立して賊の大勢をうちやぶりてこれを追ふ、賊の兵のがれさり程へだゝりて後八公山の草木のうごくを見て謝玄が軍兵おひきたるとおそれしことあり、また日本にても平家の軍勢ども水鳥の羽音におどろきて敗北せしなどみな諺のこゝろのごとし」
・跡に女房がくし〳〵と
屈の字を『源氏物語』にくんじてとよませて心の屈することに書り {
『湖月抄』}、俗語のくし〳〵も思ひ屈する心なるべし
・一七日の追夜
『釋氏要覽』に人亡して七日に至るごとにかならず齋をいとなみて追薦す是を累七日といふと有、『中陰經』に中有は壽を七日に極むと有て七日〳〵に中有の身がいろ〳〵にうつりかはりて七七日にしてそれそれの生をうくるゆゑことに大切にして弔ふべきよりいへり、迨夜は
『書言字考』に宿忌ともいふと有て七日にあたる宵より追薦をいとなむことをいふ也
・御あかしの火は有ながら
『古今著聞集』に「『仁王經』をおこなひけるが御あかしの火障子にもえつきて其夜やけにけりといふこ」と出たり、しかれば昔より佛前のともし火を御あかしといふと見えたり
・佛果の爲と手をあはせ
果は因果の果の字にて餓鬼の果畜物の果などはあしき因果なれば佛の果を得るやうの爲にとむらふことをいふ
・淚は琵琶の湖にさゞ波よするごとく也
近江のみづうみのかたちが琵琶に似たるゆゑびはのうみといふ也、實業卿のうたに〽よる波のひゝきもたえぬよつの緖のすかたににほの海邊氷りて」とよませ給へり、琵琶は絃を四すぢにかくるもの故よつのをといへばびはのことになるなり、さゞ波は小々波とかきてちひさき波のこと也
・ひそ〳〵聲
密といふ字をかさねてひそ〳〵と云也
・さん候
されば候といふことばをつめていふ也
・粟津の汀に屯をかまへ
汀は水ぎは也、屯は一かたまりかたまる事にて軍勢をあつめて陣取するをいふ也
・大將時政采配ふり立
また采幣ともかいて四手のやう成ものをふりて軍勢をまくばること也、采はとるといふ字、配はくばるとよむ字也、漢土にては『史記』周の本紀に武王右に白旄を秉て麾くとあり、白旄は牛の尾にてこしらへたるものにて和名をざいといふ故俗に物をさしづする事をざいをふると云も此心也
稻麻竹葦と取卷しが
稻はいね、麻はあさ、竹はたけ、葦はあしのことにていづれもはへしける物なればすきまなくとりかこむ事にたとへたるなり、稻麻竹葦のごとしといふ事『法華經』にいでたり
・汝が五音は
宮・商・角・微・羽の五つを五音のてうしといふ也
・六穴よりほとばしる
眼と耳と鼻と口と前陰と後陰とを六つの穴といふ也
七顚八倒
顚はくつがへるといふ字、倒はさかしまといふ字にて七の字八の字はつけ字にてこゝろなし
・暴惡ぶ道の大江の入道
暴はあらしとよむ字也、不道は道にそむけたることをいふ也
・阿修羅王の荒たる如く
『法華經』の普門品に阿修羅・迦樓羅といふ語あり、科註に阿修羅は千の頭二千の手ありあるひは一萬のかしら二萬の手あるも有、あるひは三つの頭六つの手なるも有と見えたり、是は佛入滅のとき佛の齒をうちかきて迯れたるものにて、其時韋駄天に片時のあひだに追かけられてかの佛牙をとりかへされしものなり
・おまへは天魔が見入たれ
天魔は第六天の魔王のことにて人のさはりをなすものをいふ
・適我夫奇代の計略
奇代は宛字也、稀代とかくべし、代にまれなるといふ心なり
・いふ間に取出す種が島
『南浦文集』に云、天文十二年八月廿五日大隅國の內種が島の西村の小浦に異國の大船一艘漂よひ着船客百餘人あれとも其ことば通せずして何國の人といふことをしらす、其中に明の儒生五峰といふものあり、このとき西村の司に織部丞といふもの有てよほど文字を識たりければ、かの五峰と筆談してこの船は南蠻國の商ひ船なることをしれり、それより嶋のつかさ種ケ島時堯と云人その船中を吟味し禪僧忠主座といふ人を以て筆談せしむ、彼船の頭分のもの二人あり、一人を牟良叔舍といひ一人を喜利志多孟太といふ、手に二三尺なるものをもてり、是すなはち今の鐵炮也、時堯値ひを限らずしてかのふたつの鐵炮をかひとり其術を蠻人にならひ得たり、また玉藥の製法の事をば小臣の篠川何某といふものにならはしむ、この時に當つて根來寺の僧杉の坊といふものはる〳〵來りて鐵砲を求めしかば時堯其懇望ふかきに感じ津田監物と云者をして鐵砲一挺を杉の坊に贈り其上妙藥の法と火を放つ道とをしらしむ、また時堯鐵匠數人をめして其器のかたちをみせ日夜鍛練して新たに是を製せんとするに其形はよほどこれに似たりといへども其底をふさぐ故をしらず、然るに其翌年また蠻國の商人たねがしまの內熊野浦に來りけるに其中さひはひに一人の鐵匠ありけれは時堯天のあたふる所也とよろこひ、すなはち金兵衞淸定といふものをしてその底をふさぐ法をならはしむ、こゝにおいてあらたに數挺の鐵砲を製せり、その後泉州堺の商人橘屋何某種が嶋に一年滯留して鐵砲をたんれんするの術をまなびえて歸りしより、畿內近國に弘まりけるとぞ、此『南浦文集』の說によれば鐵砲のことを種が嶋と云ひならはしたるも其比よりのことなるべし
瑠璃天狗卷之四 終
瑠璃天狗卷之五
・葉公龍を好んで畫き刻め共眞の天龍を見て魂を失ふ是龍を好むにあらず龍に似て龍にあらざる物を好といはん
この故事は
『劉向新序』に出たり、むかし子張と云人魯の哀公に目見えをしけるに哀公無禮也ければ子張哀公の僕にいひ置て魯の國を去たり、其詞にいはく今君よき士を好み給ふと聞て來りたるに無禮のあしらひを仕給ふは葉公といふ人の龍をこのみたるに似たり、かの葉公日ころ龍のかたちを好みてあるひは畫きあるひは木に刻み彩色などして龍に似がとよろこびしかば天龍これを聞て葉公か家に下り頭を以て牖をうかゞひ尾を以て堂に拖[ひき]ければ葉公これをみて大におどろきうちすてゝにげ去しとかや、日比このみし龍のかたちは其さまは似たりといへとも龍の魂なし、いま天龍を見てにげさりたるは葉公まことの龍をこのむにあらず、龍に似て龍にあらざる物を好むなり、今君よきさむらひをこのみ給ふといへどもかくのごとき無禮をしたまふは是もさむらひに似てさむらひに非ざるものをこのみたまふなれば此國を立さる也といひしとぞ
・將の賢士を好む賢に似て賢にあらず少哉才賢の臣
今戰國のときに大將たるものゝよきさむらひをこのむもかの魯の哀公のごとくにして賢人にあらざるものをこのむとおなじ事也、さればまことの才智ある賢こきさむらひはすくなきこと哉といふこゝろなり
・無念の敗北骨髓に徹す
軍にまける事を敗北といふは敗はやぶるゝとよむ字、北はつねには方角の北といふ字なれどもこゝにてはやぶるゝといふ心になる也、其わけは『通鑑集覽』に服虔が云、人陽を好んで陰を惡む、北方は幽陰の地也、かるがゆゑに軍のやぶるゝをも北といふ也と有、骨髓は骨はほね也、髓は其ほねの中のあぶらと云字也、徹はしみとをる心にて俗にほね身にこたゆるといふ心なり
・切所の細道より
・武略の銳き
略ははかりことゝよむ字にて武略はいくさのはかりこと也
・かゝる奇計をなしけるぞ
軍法に奇計正計あり、『武備志』に奇正虛實は兵家の樞要也と有て正計はありふれたるはかりこと奇計は思ひもよらぬ計を云也
・間者を入て
間はすきまとよむ字にてすきまよりやうすをうかがふものを間者といふ也
・士卒のかけ引
士はさむらひ、卒はひきゆるとよむ字にて足輕の類をいふなり
・秋の田面の月に嘯き薪を荷ふて山路の花を友とし
月に嘯とは田をかりに行ても月をおもしろく思ひて歌などをうたふこと、薪を荷ふてとは山に柴なとをかりに往ても花をめでゝわか友だちのやうに思ふといふこと也、
『古今集』の序に「たきゞをおへる山人の花のかげにやすめるが如し」と書たる心をとれり、勘助が賤しきわざをしても世にへつらはず月花をたのしむおもむきを云也
・天命をたのしみ
いやしきわざをするも天道のはからひ也とおもひてそれをたのしみとして不義なることをせぬよし也
・礬噲張良でも
『前漢書』に礬噲高祖に從つて天下をさだめ功を以て舞陽侯に封ぜられしこと見えたり、また張良も同書に下邳の圯橋にて太公望が兵法を黃石公にさづかり後に高祖の師と成て留侯に封ぜられしよししるせり
・弓矢八幡
八幡大菩薩は源家の氏神にして弓矢の守護神なれば弓矢八幡も照覽あれ今いふ詞に違はじと云誓ひの詞也
・廿四孝
・だいすの間に
湯などを汲ために臺子を置たる次の間也、
『庭訓往來』には圍爐裏の間とあり
・頭は雪
白髮になりたるを云也、
『古今集』康秀の歌に〽春の日の光りにあたる我なれとかしらの雪と成ぞわびしき」とよめり
・祐筆衆にもすくない程の
祐の字はあやまり也、右筆と書べし、
『東かゞみ』治承四年{六月廿二日}の所に大和の判官代邦道右筆す御書御判を加へらると云事あり、又
同六年{五月十一[二]日}の所に伏見の冠者藤原廣綱始て武衞に參る是右筆なりと有、また木曾義仲が右筆大夫坊覺明と有をみれば賴朝卿の時代より武家の書役を右筆といひしことしるべし
・おりしも床の倭琴
『源氏河海抄』 {
『湖月抄』}に「和琴は伊弉諾伊弉册の尊の御時作り出さしめたまふ、よつてもろ〳〵の樂器の最上にこれをおく也、あづまごとゝも云也」、鴨の長明の
『無名抄』に和琴はもとは弓六張を引ならべて用ひけるを後に琴に作りたる也と有、今こゝにやまとことゝいふものは今の十三絃の琴なり、此十三絃のことを箏のことゝいふ也、これはむかし命婦石川の色子といひし人筑紫の彥山にて唐人にあひてつたへはじめ宇多の天皇にさづけたてまつるが始也といへり、此『河海抄』の說によりて是をつくし琴とは云也、今の箏の手は寛文のころ「筑後國の僧法水といふ人善導寺に住してつくしごとを學びしが、後江戶にゆき還俗して八橋撿校に傳えしかば八橋撿校これをならひえて其節奏をあらためて三絃の曲を合せ」しよし
『和事始』に見えたり、八橋撿校は貞享二年に七十餘歳にて卒す、墓は黑谷に在と云
・おめず場うてぬ白書院
「近世武家にて客に對面する所を書院といふはいにしへは大家にては主殿といひまた客殿といひ小家にては出居といふ是對面所也、書院とは佛寺にて佛書を講ずる所也、俗家にはなき事也、しかるに
『太平記』卷三十七に佐々木佐渡入道道譽が宿所のことをいふに書院には羲之が草書の詩韓愈が文集とかけり、思ふに鎌倉の時代北條一家はなはだ禪法を崇敬、足利尊氏もまた禪法に歸依して夢窓國師を師とせられければ上の好む所はかならず下これにならふ事にて禪法を學ばざるものなし、故に其家居の內に書院を立、佛書をよみ座禪する所と」せしより後には書院と稱したがへし成べしといふこと
『秋草』に見えたり
・あからむ顏の櫨もみぢ
櫨は木の名にて秋はみもぢするもの也、こゝは耻といふ字にかけてはづかしがるこゝろにもちひたり、櫨紅葉のうたは
『夫木集』に爲家卿〽山さと{もと}の賤か垣ねの村竹にもりて色つくはしもみち哉」とよめり
・世尊寺やうのはしり書
世尊寺家の先祖權大納言行成卿能書のきこえ有て本朝三跡の一人なりしゆゑ子孫能書家と稱す、數代の後行能卿・經朝卿・經尹卿・行尹卿・行俊卿などみなみな能書の聞えあり、系圖は諸家傳につまひらかなり、走り書とは俗に達者にかくといふこと也、
『つれづれぐさ』に「手などつたなからずはしりがき」とあり
・狂文の綾の吳服
『庭訓往來』に狂文の唐衣といふこと有て註に狂文はいろ〳〵のうけもんあるを云といへり、吳服はむかし吳の國よりくれはとりあやはとりと云二人の織女來りてきぬをおりはじめしゆゑ吳服といふ也、吳の字をくれとよみ服の字をはとりとよむなり
・式臺ふかく
式臺は宛字也、色代と書べし、
『書言字考』に色は顏色のこと、代はかゆるといふ義にて顏色を常とかへてうやまひつゝしむ心也とあり
・遠路の御光駕
駕はのりものといふ字、光は人をほむる心也、よつて人のわが方へ來るを光駕といふなり
・御逗留
逗も留もとまるといふ字なり
・隨て此小袖は
隨がつては書狀にもかく詞にてまづ何々といふ事をかいてそれに從ひてと云事にて俗に夫につきてと云心に遣ふことば也、
『裝束拾葉{要}抄』に大袖は「うは着也、袖口大也、小袖はした着也、そで口大袖よりちひさし、かるがゆゑに小袖といふ」とあり、この上着下着といふは今下々にていふうはぎしたぎの事に非ず、この下着といふが下々の上着也、其譯は上つかたにては又此にうへのきぬとて禮服をめさるゝ故につねの上着を下着といふ也、また
『秋草』に「小袖といふはすべてそでの下を丸くぬひたるを云、袷にても綿入にてもひとへものかたびらにても袖の下圓きは小袖なれども今はわた入のみ小そでと云事に成たり」と有
・二つ引龍の
紋といふは衣服に五所に付るばかりをいふにあらず、「公家にてはすべて物のもやうを紋といふ也、また武家の紋は旗幕などの目じるし也、是保元平治の戰のころより始りし事也、後世にいたり旗幕ならで衣服にも紋付ることに成しなり、東山義政公の時代に白き綾またはつむぎなどを地をいろ〳〵に染て御紋を紫などにて付たる事『宗五記』に見えたり、されど御紋定まらずといふをみれば其ころは衣服は家のもんにかぎらずなにの紋にても付し也、後世にいたりては家のもんの外はつけぬ事に成たり」と
『秋草』にしるせり、ふたつひき龍の龍の字に兩の字のあやまり也、引兩ともいふ、これは足利家庶流の衣紋にて今いふ二つ引の事也
・御主人の本丸か
「城を築く法に長く方なるを利あらずとし小さく圓きを以て要害とするゆゑ」本丸・二の丸・三の丸などゝいふよし
『書言字考』に見えたり
・御時分がよし料理〳〵
貝原好古の
『諺草』に云、料理といふ字は「『晋書{桓仲傳}』に出てはかりをさむるといふ義也、今俗に食物を割烹ことを料理と云は『居家必用』に菎蒻を製することを料理すると有てもろこしにもこの詞あるにや」とかけり、按ずるにこの好古の說は非也、こんにやくを製するもはかりをさむるといふ心也、もろこしに食物を調味することを料理といふこと決してなし、是は日本にていひつたへたる俗語なり
・本膳の懸盤
本膳は二の膳・三の膳とだん〳〵すゆる故はじめに持いづるを本膳といふ也、かけ盤はふちの高きあしつきの膳なり、折敷のごとく平かにしてふちあるを手がけといふ類なり、盤の字はすなはち今いふ膳の事也、
『三光院內府記』にも膳のことを盤としるしたまへり
・珍物のやさい美味をとゝのへ
野菜は靑ものを云、美味はうまきあぢはひ也
・配膳の侍
はいぜんは膳をくはるといふことにて禮義をたゞして品々の物をまくばりすゆる心也
・ひたゝれつくろひ
『西三條裝束抄』に布直垂は諸大夫着す、これを俗に大紋といふとあり、
『秋草』に「ひたゞれは官服にあらず、無位無官のものゝ服なるゆゑいにしへは官位なき武士も式正のときは素襖をぬぎてひたゞれを着」せしとあり
・ゑぼし八分にさし上
目八分といふよりすこし高くさゝげる事を烏帽子八分といふ也
・官領ふうのすり足にて
官の字はあやまり也、管領と書へし、「室町家にて天下の政をとりおこなふ人を執事とも管領ともいひたることは足利高經の時よりはじまる」よし
『書言字考』に見えたり、もろこしにて詩に管領の字を用ひたるに
『聯珠詩格』の註に「管は主當也、領は統領也」とあればものをつかさどりてとりしめる心也
・邊國の義
邊土とも邊鄙ともいふ心にてかたゐなかといふ卑下の詞也
・老母ゑしやくし
會釋と書てこゝろにがてんしてあしらふこと也
・隔心がましい饗應
隔心はこゝろにへだてのあること、饗應はもてなしとよむ字なり
・殊に仰山な
『ことわざ草』に「物の廣大なるは况山といふ山にたとふとよめり、
『韵會』に「况は譬擬なり」としるしたり、按ずるにこの『諺草』の說むつかしくてあしゝ、やはり仰出とかきて高き山をさしあふむきてみるやうなる事をぎやうさんといひならはしたる物也、仰山といふ熟字は漢土には仰山禪師といふ僧有て『仰山禪師語錄』といふ書もある也
・近習衆か外ざま衆か
近習は『禮記』の註に天子の親しく幸する臣を近習といふと有、『日本紀』にては近習の字をちかくつかふまつるとよませたり、外さまは外樣といふことにて君の手まはりのことにはあらすして外むきの事をつとむる役を云
・女子共に給仕さする此母
給仕はそなへつかふとよむ字にてそれ〳〵の事にめしつかはるゝ心也、されど本字は給事とかいてもろこしの官名也、
『事物紀原』に給事といふ官名有て殿中に事あるを以て給事中と云と記せり
・慇懃な給仕ではきうくつでたべにくい
いんぎんといふ詞はもとは物のねんごろにしんせつなる心也、
『韵會』に「慇懃は委曲の貌」とあり、
『諺草』に「今俗に隔心なる事をいへるはあやまり也」とかゝれたれど、是もあたらぬ註なり、ものをねんごろにくはしくする氣味の字なれば丁寧すぎることをいんぎんと云也
・辭宜は却てめいわく
辭宜は宛字にて時宜と書べし、時のよろしきにしたがふといふ事にて無禮のなきやうにさしひかへる事也、『漢書』に時宜に達せずといふ詞あり、迷惑はまよひまどふといふ心にて俗にこまり入といふ心也、韓文{
『昌黎先生詩集注』「送文暢師北游」}に「迷惑の胸を開く」と云語有
・楠正成が再來とも
再來はふたゝびきたるとよみて生れかはりといふこと也
・玉を泥になげうち
寶となる玉を泥の中へなげすて世にめづらしき麒麟といふけだものをつなぎおきて犬のかはりにかふやうなるもの也といふたとへ也、麒麟は獸の中の聖なりといふこと王充
『論衡』にみえたり
・かゝる英雄の御老母
劉邵『人物志』に草の精しく秀でたるを英といひ、獸の上にたつものを雄といふ、それゆゑ人の文武をかねそなへたるものをこれにたとへ、才智かしこく人にひいでたるを英といひ、勇氣の人にまさりたるを雄といふ、されば張良は英也、韓信は雄也といへり、今山本勘助は張良韓信をひとつにしたるさむらひ也といふ心也
・ふ思議の御出
ふ思議は思ひはからずと書て佛經に出たる字也、俗におもひよらずと云心也
・優曇花の咲たる悅び
『法華經』に其人甚希有なる事優曇華に過たりと云語あり、疏には三千年にひとたびこの花現ずれば金輪王出るとあり、又『楞伽經』の疏にうどんげは世間の中において人曾てみるものなしといへり、よつてあひがたくめづらしきことのたとへとす、
『源氏物語』「若紫卷」に源氏の君のたま〳〵北山の僧都のもとへまゐり給ひたるとき僧都のよろこびてよまれたる歌に〽うどんけの花まちえたるこゝちして深やまさくらに目こそうつらね」また按ずるに日本にては芭蕉のはなをうどんげといふこと『東かゞみ』に見えたれどこれはもちひ難き說なり
・しるしのさかづき頂戴の望み
頂はかうべ、戴はいたゞくといふ字也、『法苑珠林』に佛經のことをいふとて肩のうへに荷ひあるひは頂戴すとかけるも經文をかしらにいたゞくこと也
・長尾彈正の少弼輝虎
彈正はたゞすつかさとよむ字にて風俗をよろしくし內外のひがことをたゞす官なるよし、『職員』に見えたり、其したやくを少弼とて一人有やまとよみにすないすけとよむ也
・天より受たる明命をかへりみ
『大學』に太甲にいはくこの天の明命をかへりみるといふ語を用ひたり、天よりうけたる明かなるおほせつけをよく守るといふ事也、かへりみるとはかの天命をまもることをとりうしなはぬやうにわが身にかへりみるといふ心成よし『四書蒙引』にとけり
・天の時地の利に叶ひ諸卒これに和し
『孟子』天の時は地の理にしかず地の理は人の和にしかずと云語に寄り、軍をいだすに天にとりてはほどよき時節をはづさず、地によりてはほどよきみちに出るを大將の心がけといふ也、其天の時地の理を得たりといふとも多くの士卒のこころが打やはらがねば軍には勝たれぬと云なり
・こしもとの女わらは
女童とかきてめのわらはとよむ也、俗に小女郞といふほどの事なり
・鷄をさくになんぞ牛の力を用ひんとは聖人のいましめ
五行の本に牛のちからと書たるは大なるあやまり也、牛のかたなと書へし、これは『論語』に出たる孔子の詞にて鷄はちひさき鳥なればそのにはとりを料理するに牛をれうりする庖丁はもちゆまじきとのたまへる也、
『集解』の孔安國の註に「小さきことを治むるになんぞ大きなる道をもちひんといふ心也」とあり、今この勘助の母に輝虎の給事せらるゝが其やうなる物なりとあざける詞なり
・僞り表裏
口と心とうらおもての有こと也
・けふのふるまひにあらはれ
このふるまひは擧動と書てたちふるまひのことなり
・おじやらしませぬ
御座りませぬといふにおなじ、おば御と同しくじやとざと聲かよひ、らとりと五音かよふ也、ゐなか人の詞におんじやり申といふもござりますと云事也
・膝に味噌汁淵をなし魚よりおどろく嫁娘
淵をなすとは汁のひざにたまること也、これは
『詩經』の鳶飛で天に戾り魚淵に躍るといふ句によりてかやうにつゞけたるもの也、この齣に『大學』・『論語』・『孟子』なとの語をおほく引て用ひたれはかやうの所にまで經書の語をもちひたること作者の力あらはれておもしろきこと也
・狂人同然と
きちがひと同じことゝいふこゝろ也
・重代のあづき長光
『秘談抄』備前長船物の系圖に長光初代と二代と二人有、初代の長光は法名を順慶と號し左衞門の尉と稱す、建治・弘安・正應のころの刀鍛冶也、二代の長光は左近將監と稱し正應・永仁・正安・乾元・嘉元・德治のころの人也と有、初代長光のうちたる刀にてあづきのきれしといふことさま〴〵にいひ傳へたる俗說ある故後にあつき長光と稱する也
・ことぢを律にしらべかへ
・むなしくかれしはゝきゞを
帚木とは美濃・信濃兩國の其原ふせやといふ所にある木也、遠くてみれは帚をたてたるやうにて、近くて見ればそれに似たる木もなしと『源氏ものかたり宗祇抄』{
『湖月抄』}にしるせり、箒木をはゝの事にたとへたる證歌は
『續拾遺集』平の正家の歌に〽しなのなるそのはゝにこそやとらねとわかはゝきゝと今はたのまん」とよめり
・八まん大名
『神社考』に緣起を引て、筑前筥崎に八幡宮有、むかし白幡四つ、赤幡四つ天よりこゝにくたる故に八幡となづくといへり、大名の字いにしへの書には見えず、『白川顯廣王紀』に安元三年四月諸國の大名國役に應ぜずといふこと見えたり、安元は高倉の院の年號にて平の重盛の育王山に金をおくられし時也、さればそのころより大名といふ稱號はあることしるべし、
『庭訓往來』には關東下向の大名高家の人々とあり、この往來の出來しは南朝のとき也、今八まん大めうといふことは八幡は源家の氏神にて弓矢の守護神なれば源氏の大名といふ事を八まん大めうといふなるべし
・剱は箱に納め弓は袋に治るといふ
『詩經』の周頌に明に昭なる有周式て位にあることを序つ、すなはち干戈を戢めすなはち弓矢を櫜にすといふ詩あり、これは周公の亂を治めたまひて天下太平になりたるゆゑ干戈を箱にをさめ弓矢をふくろにをさめ給ふことを賛て作りたる詩なり
・突もうら〳〵とのどやかにござれは
うら〳〵ははるの日のながくのどかなるを云、
『菅家文草』の詩の二月三月日遲々といふ句を聖一國師{
『書言字考』}の點にきさらきやよひ日うら〳〵と附られたり{
『江談抄』 『今昔物語』 }、また西行の
『山家集』に〽ことゝへはもてはなれたるけしき哉うらゝかれなや人のこゝろの」といふ歌有、これはこゝろのやすらかなるをいへり
・太郞冠者
『書言字考』に「往古いまだ官に任ぜざるものはたゞ太郞次郞と稱す」とありて上にたつものを太郎といひ其次を次郞といひたる也、さて冠者といふことは元服して間のなき若者をおほく冠者といへり、木曾の冠者義仲蒲の冠者範賴などもわかき人の稱なり、くわじやと云はくわんぢやの字をつめていふなり
・のさもの有かやい
『書言字考』の俗語に野風俗といふ字を出せり、是はのふずといふことば也、すべていやしき事に野の字をつくるは漢土にも野鄙とかきてはいやしきことゝし、野人と書ていやしき人とすること『論語』にもいでたり、この方の俗語にものらといふは放蕩なる若ものをいへり、また家に畜はぬ猫をのらねこといふは仲正の歌に
『夫木集 』〽眞葛原下はひありくのらねこのなつけかたきは妹かこゝろか」とよみ給へり、これは野猫といふことにてらの字は付字也、
『古今集』のうたに{〽里は荒れて人はふりにし宿なれや}「庭もまかきも秋の野らなる」とよみたる同しこと葉也、されば此のさものといふは俗にいやしきものゝ無禮なる事をするをのさばるといふに同しくいやしめ云詞なるべし
・野遊山などは何とあろふ
野遊山とは野に出てあそぶことをいふ俗語なり、
『諺草』に云、「晋の郭文弱きより山水を愛し名山にあそび老に至て終に盧を山中にむすびて住り、これを
『蒙求』に郭文遊山としるせり、今ぞくに遊樂することを遊山といふ、郭文が遊山とは興味はなはだ異也」といへり、あんずるに遊山は山にあそぶとかく字なれば野にあそぶことを遊山とはいふまじき詞なれど、これはたゞ外へあそびに出ることをいひならはしたる詞なればしひてとがむべからざる物也、其子細は
『三才圖會』に遊山船といふものありて湖などに遊ぶ用としておほく酒を載る故遊山をもつて名とすといへり、また
『堯山堂外記{紀}』にも遊山船を雇ふて石湖といふみづうみにゆきたる事{「泛石湖雇遊山舡」}もあれば、野にあそぶことを遊山といふもあなかちにあやまりとは定めがたし
・此あたりの猿引でござる
『續撰吟抄』さる引の歌に〽畜生もつかひいるれは中々にわれにはましの能のおほさよ」とよめり、この歌は文明のころの
『職人歌合』にも入たり、この判者は逍遙院實隆公也、漢土には猿引を狙公といふこと
『列子』にみえたり、また『唐音統籤』には弄猴人と有て弄して君王を一笑せしむとあれはまつたく日本のさるつかひと同しこと也
・たのふだ人の靱が
わが主人と賴みたる人といふ事を賴ふだ人と云なり、靱の事は
『冬草』に云、「矢を入るうつぼといふものは上古の書に見えず中興にできしものなるべし、義家奧州後三年の合戰のとき舍弟義光奧州へ下らんとしけるとき、相摸の國あしがらにてうつぼのうちより笙の譜をとりいたし豐原の時秋にさづけられしこと
『古今著聞集』にみえたり、」「『東鑑』に羽壺とかきたり、」「空穗と名付しことはその中空にして外に毛皮をかけたる躰粟の穗に似たれば空穗といふなるべし、」「又靱の字をうつほの字とするはあやまりなり、本字は靫かくのごとく書て是はゆきといふ字なり、靫は形異なるもの也、」
『春草』に云、「むかしはうつといふもの有て腰につけたりしを後に穗を作りそへたるとて其うつといふものゝ繪圖を
『武用辨略』に載たり、用ゆることなかれ、うつといふもの古書に甞て見えず、其繪圖も出所をいはず妄作なりと」云々、今あんずるに
『うつぼものかたり』俊蔭の卷にとしかげの娘北山の奧なる熊のうつほ木の中にて子うみたる事をかけり、熊のうつほは『精華錄』には熊舘とかきて古木の朽てうつろになりたる所を熊が臥所にすることをいふ也、さればすべて中のうつろなる物をうつほといふゆゑこのうつほも其こゝろにて名づけたるものなるべし
・しさりおろ
すされといふに同し俗に下りおろふといふこと葉也
・いかい大名じやといふて
いかいは大きなるといふこと葉也
・此大鴈股を以て
『春草』にいはく、「鴈股となづくる事は鴈のあしのゆびの股に水かきあるに似たればかりまたと名付しといふ說あり、用ゆべからず、鴈にかぎらす惣じての水鳥みな水かき有、また俟とあればとてゆびのまたとするもいかゞ也、ある人のいふは鴈俟といふはかへるまたなり、蛙のまたのごとくなる故かへるまたといふこと葉を略してかるまたと云又轉じてかりまたとよびたる也、其詞に付て鴈俟の字を宛用ひたるといへるは發明の說也用ゆべし」
・きうしよがござります程に
院本に急所と書はあやまりにて本字は灸所なり、灸をすゆる穴所のことにて其穴所を撲ば死するをいふ也
・ヤイましよ
猿をましともましらともいふなり、『翻譯名義集』にさるを天竺にては摩斯吒といふとあり、しかればましらは和訓にはあらずしてれを略してましともいふなるべし、ましと讀たる歌は
『夫木集』猿の題にて〽おもふこと大江の山に世中をいかにせましと三こゑなく也」といふ兼昌の歌出たり、ましらとよみたる歌は
『古今集』躬恒のうたに〽わひしらにましらな鳴そあしひきの山のかひあるけふにやはあらぬ」
・ならぬと申せば殿樣の
『秋草』にいはく、「殿と稱すること禁中にて殿と稱するは攝政關白より外にいはず、其外の人を表向にて殿といふ事も內々のうやまひ也、」「いにしへよりありしこと也、殿は宮殿の殿にて宮殿をかまへ居住したまふゆゑ殿といふ也、されば攝政殿・關白殿といひまた殿とばかりもいふ也、神のことを太神宮・八幡宮といふ宮とおなし意なり、されば殿といふはいたつておもき稱也、つねの人の名に殿と付てよぶは分にすぐる事なり、されども內々のわたくしのうやまひに殿とよぶ也」とあり、樣といふことはまへに註す
・船こぐ眞似をしますかいの
まねはまねぶといふことを略したる語にて學の字なり、
『源氏ものがたり』品定の所に「さてありぬべきかたをばつくろひてまねび出すにそれしかあらじとそらにいかゞはおしはかりおもひくたさん」とあり、このまねび出すといふ詞もまねをして聞すといふこと也、俗に眞似と書は後の世におしあてたる字なり
・畜生さへ物を知てなげくに
畜の字はかひやしなふといふこゝろ也、『毘婆娑論』に橫生は生を禀ること愚癡にしてみづから立こと能はず他のために畜養せらるゝゆゑにちくしやうとなつくといへり
・物の哀をしらぬといふは
俊成卿の
『長秋詠藻』に〽戀せずは人はこゝろもなからまし物の哀れもこれよりそしる」
・鬼畜木石におとつた
鬼や畜生や木や石やと物のあはれをしらぬ心のなきものを四つかぞへ立たる也、俗にいは木にあらざればといふは人といふものはよく哀れをしるといふこゝろなり、『文選』{
『鮑明遠集』}の鮑昭か詩に「心木石にあらざれば豈感なからんや」と作り{
『古詩源』}、
『白氏文集』にも人木石にあらずみな情ありともつくれり、
『伊勢ものかたり』「いは木にしあらねばこゝろくるしとやおもひけん」とあり、
『げんじ物語』{東屋}にも「いはきならねばおもほししる」ともかけり、歌によみたる例は
『順德院{百首}御集』に〽人ならぬ石木もさらにかなしきはみつの小島の秋のゆふくれ」とよませたまへり
・息災延命富貴萬福の御祈禱
息災は『大日經』に此は是息災の法也といふこと有てわざはひをやめるといふ事也、萬福はもと
『詩經』にいでたる字にて尺牘にめでたくといふかはりに萬福とかくこと
『翰墨全書』に出たり、祈禱は神にいのることなり
・猿がまいりてのふ仕る
藝能をするといふこと也、前に註せしさる引の歌にも「われにはましの能のおほさよ」とよめるは猿のげいのう數々あるをいふなり
・御知行まさるめでたき
『いせ物語』に「かすがの里にしるよしゝて」ある
註に知行の事也と有、
『眞名伊勢ものがたり』には知由と書て其人の領知するところよりをさむる米穀を知行米といふ也
・人命草木增長すれば
人の命ものひ草木もます〳〵おひのびるといふことなり
・綾が千反錦が千反
『續日本紀』に元明天皇の和銅五年に伊勢・尾張以下二十一ケ國にはじめてあやにしきを織しむる事見えたり
・なばか佐古志か室がとまりか
那波・佐古志・室みな播磨の地名也
・ふねのなかには
「ふねの中には何とおよるぞとまをしきねにかぢをまくらにひんだのをどりをひとをどり」といふ文句、三絃本手の飛驒組末章なり{
『松の葉』}
・何とおよるぞ
寐ることをおよるといふは古き詞なり、
『增かゞみ』に「帝といづくにおよるぞと問ふよるのおとゞにといらふれば」と有、物に倚かゝりてねる事也
・楫をまくらに
『夫木集』公朝の歌に〽わするなよ同しみなとのかちまくらおもひ〳〵にこきわかるとも」{おなしうきねの}と讀り
・一のへいたて二のへいたて
幣をたてゝ祈禱するこゝろなり
・三に黑駒信濃を通れ
八月十五日しなのより黑駒を引てみやこにのぼるを駒牽といふことは
『公事根源』にみゆ
・船頭とのこそゆうけんなれ
勇健とかきていさましくすこやかなりとよむ
・はくさいこくより
百濟國は新羅・百濟・高麗とてむかしは三つの國なりしが今はあはせて朝鮮國と成たるよし『明史』にみえたり
・普賢文珠のめされたる
文珠の獅子にのり給へるかたちは『佛像圖彙』にみえたり、『翻譯名義集』に普賢と文珠と二つにして二つにあらずこの菩薩つねに一對とすといへり
・千秋や萬歲の
秋といふ字はこゝにては春秋の秋に非ず、『說文』に秋は禾穀熟する也とありてものゝ成就する時を秋といふ也、麥が熟するゆゑ四月をも麥秋といふ類なり、ゆゑに千秋も千年といふにおなじ、
『韓非子』に君をして千秋萬歲の聲を聒[きか]しめんといふこと有、王維の詩にも萬歲千秋聖君に奉ずとつくりてめでたき事に用ることば也
瑠璃天狗卷之五 終
か:『河海抄』
『下學集』
『花疏』
『花鳥餘情』
『鶡冠子』
『鎌倉年中行事』
『雅游漫錄』
『菅家文草』
『管子』
『韓詩外傳』
『冠辭考』
『漢書』
『觀音經』
『韓非子』
『寬平菊合』
『翰墨全書』
『義經記』
『義楚六帖』
『仰山禪師語錄』
『堯山堂外紀』
『居家必用』
『玉葉集』
『擧白集』
『禽經』
{『錦字箋』}
『金樓子』
『空華論』
『愚管抄』
『公卿補任』
『公事根源』
『舊事紀』
『倶舍論』
『虞初新志』
『愚明抄』
『公羊傳』
『外科正宗』
『月淸集』
『月令廣義』
『源氏物語』
『顯傳明名錄』
『源平盛衰記』
『江家次第』
『江州一景錄』
『荒政要覽』
『江談』
『後漢書』
『古今集』
『古今注』
『古事記』
『古事談』
{『古詩源』}
『後拾遺集』
『後撰集』
『諺草』
『古文眞寶』
『古今著聞集』
『今昔物語』
さ:『細流抄』
『左傳』
『山家集』
『三光院內府記』
『山谷詩集』
『三才圖會』
『三齋筆記』({『老人雜話』})
『三體詩』
『字彙』
『詞花集』
『詩學大成』
『史記』
『四季草』(『春草』『秋草』『冬草』)
『色道大鏡』
『四季ものがたり』
『詩經』
『四書通義』
『四書蒙引』
『地藏本願經』
『論語集解』
『事物紀原』
『芝峰類說』
『釋氏要覽』
『日本釋名』
『捨遺集』
『拾遺{愚草}員外集』
『拾遺集』
『十王經』
『拾芥抄』
『周禮』
『春臺獨語』
『順德院百首』
『小學』
『傷寒論』
『成實論』
『浄瑠璃集』
{
『昌黎先生詩集注』 }
『書經』
『職員』
『職原抄』
『續古今』
『續後撰集』
『續拾遺集』
『續撰吟抄』
『續千載集』
『續日本紀』
『續日本後紀』
『職人歌合』
『燭明抄』
『書言字考』(
『和漢音釈書言字考節用集』)
『諸天傳』
『白川顯廣王紀』
『心經』
『新古今』
『新後拾遺集』
『神社考』
『晋書』
『新千載集』
『新續古今』
『神代口訣』
『人物志』
『隋書』
『須磨の記』
『淸客寄語』
『精華錄』
『淸巖茶話』
『蛻巖文集』
『淸閑寺緣起』
『勢語古意』
『盛衰記』
『性理大全』
『雪玉集』
『說文』
『前漢書』
『千金方』
『千載集』
『撰集抄』
『宗祇抄』
『宗五記』(『条々聞書』)
『莊子』
『裝束拾要抄』
『蘇鶚通鑑演義』
抄本
『孫子世錄』
た:『大學』
『大藏法數』
『大日經』
『太平記』
{『太平御覧』}
『忠度歌集』
『丹桂籍』
『智度論』
『中陰經』
『中右記』
『長恨歌』
『長秋詠藻』
『朝野群載』
『通鑑』
『通鑑集覽』
『庭訓往來』
『帝範』
『傳燈錄』
『桃華蕊葉』
『唐音統籤』
『唐詩選』
『唐書』
『榻鴫曉筆』
『東坡集』
『杜詩全集』
な:『南浦文集』
『西三條裝束抄』
『日記故事』
『蜷川殿中日記』
『日本紀』(『神代紀』)
『日本後紀』
『仁王經』
『涅槃經』
『年山打聞』
は:『梅城錄』
『白孔六帖』
『白氏文集』
『秘談抄』
『毘婆娑論』
『百丈淸規』
『賓頭盧爲優陀延王說法經』
『不求人』
『武經七書』
『袋草紙』
『符子』
『佛像圖彙』
『武備志』
『夫木集』
『普門品』
『武用辨略』
『文苑彙雋』
『文献通考』
『平家物語』
『報恩經』
『法苑珠林』
{
『鮑明遠集』}
『北史』
『法界次第』
『法華經』
『本草綱目』
『梵網經』
『翻譯名義集』
ま:『增かゞみ』
『眞名伊勢物語』
『漫唾{吟}集』
『萬葉集』
『壬二集[家隆卿集]』
『明惠上人傳記』
『岷江入楚』
『明史』
『無名抄』
『名畫錄』
『明眼論』
『名義集』
『明皇雜錄』
『蒙求』
『孟子』
『藻鹽草』
『文選』
や:『野客叢書』
『八雲御抄』
『大和物語』
『和事始』
『遊仙窟』
『酉陽雜爼』
『瑜伽論』
『楊外庵集』
『謠曲拾葉抄』
『雍州府志』
『禮記』
『羅山文集』
『李太白詩集』
『劉向新序』
『楞伽經』
『令義解』
『列子』
『聯珠詩格』
『老子經』
{
『琅邪代酔編』}
『呂氏春秋』
『論語』
『論衡』
『和學辨』
『和漢朗詠集』
『和名抄』