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【 石割松太郎 「操」研究の困難 若月氏の「近松人形浄瑠璃」 】
(2023.05.28)
提供者:ね太郎
書斎の独り言
石割松太郎
書物展望 5(7) pp.11-14 1935.7.1
長い間、新聞記者生活を続けたからでもあらうか、書物に淫するほど「本」が好きなのに拘らず、書物を卒読する癖がなか〳〵とれないで、相当の厚さのものでも、読みかけると一気に読んで了はないと気がすまない。その結果は、往々にして抜読するやうな悪い習慣を持つてゐるのを矯め直さうと、大分苦労をした。そのためこゝ数年間何んな書物でもを、閲するのでなく、読む事を努めて来た。そのため書物を読了した後に、くだらなさに後悔する事が多くなつた。その上近来のやうに印刷文化の発達進展の著しい一面に、悪書愚書の刊行の洪水に逢つては書物の撰択は容易ならぬ事である。この間、書物に関する雑誌の刊行--例へば本誌の存在の如き--は心強い事に思はれる。
◇
その書物に関する専門雑誌からの執筆を乞はれたのを機会に、私は読書界に、読書人に一つ訴へたい事がある。
それは外の事ではない。古書--古典の研究、古典の再吟味の隆盛なる事は、恐らく今日より盛なる時代は、嘗ての過去にはなかつた。上は万葉の上代から、下つては明治文化の研究に至るまで、真摯なる研究態度を続けらるゝ学徒が、雲の如く林の如く輩出されてゐる。
就中、私自らが最も関心を持つ徳川期の文学--1所謂近世市井文芸の研究が、近来概論的の粗雑なる評論態度を抜けて、根蒂から築上げようとするかの如く、徹底的の基本研究、例へば原典のアカデミツクの研究から出直さうとされる人々の態度が眼に立つて来た。或は学問的の語釈の研究が一時代を齎らすのではないかと思はれる。そんな趨勢さへもが観られる。訓話註釈が、文学的鑑賞の最後でない事は固よりであるが、従来の粗雑なる文学評論、根底のない研究の上に築かれたる評論を顧みて、私は近来のこの傾向を欣ぶものなのである。
例へば、西鶴、近松に関する従来の研究態度に慊らない点が多いのは、西鶴の表現する処のものを、十分に認識せずして、何の西鶴論がありえようかと言ひたい。舞台芸術である操のテキストである近松の作品を机上に論じて、近松を解する事が出来るものかと、私は問ひたい。或る学者は、近松の作品が音楽として今日に伝はらないから、致し方がない故に、文学としての一面のみを観ようといふのが、その研究態度であるらしいが、音楽として伝はらない近松を、浄るりとして、音楽として研究すべき残されたる一つの方法論[メソドロヂー]がある筈だ。これはほんとの意味の「操史」によつて、指示される処なのであるが、この根本的の方法論をも知らず、しかも近松の研究などがありえようか。徳川期の文芸の真の研究は、こんな意味において、殆んど処女林であると私は考へてゐる。
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私が、こゝに読書人に訴へようと書出した事は、こんな事ではなかつた筈のだが、思はず私の筆が逸れたのである。 私が訴へようといふのは、左のやうな徳川期の市井文芸の研究の基礎をなすものは、これらの近世文芸書の復刻、複製の事業であつて、それについて一言したいのである。
近来これら文芸の再吟味が初まると共に、複製事業が相当進歩した。印刷文化の発達は目ざましいものがあるが、古典複製の理想的方法は、何んとしてもその古典の持つ味を、そのまゝに複製する事であつて、それは忠実なる木版複製に外ならない。ところで、徳川市井文芸書の複製を、文字通り十年一日の如くコツコツと何の報はるゝ処もなく、学界の為めに尽してゐるのは、既に故人となられた坪内博士、和田万吉、内田魯庵氏を初めとし、市島春城、安田善次郎、三村清三郎、林若樹氏等を同人とする「稀書複製会」なのである。十年一日の如くと、私は言つたが、この複製会は実に十七年一日の如く徳川市井文芸書の木版複製に従事してゐるのである。そして今日第九期の複製事業に入つて、毎月倦むを知らずに、稀覯書にして且つ研究資料としての価値の高いものを二冊或は一冊づつ少数なる会員に配布してゐるのである。
私は、この複製会に何の関係もない、只その主事山田清作氏の一友人としての立場から、かの複製事業のために、読書人に訴へようとする処は、今日この複製会の複製本が、いかに学界に利用されてゐるかといふ事を如実に観、且つその複製本が極めて縁の下の力持をしてゐる事を見て、一種の義憤さへ感じつゝ、この一文を草する心持になつたのである。
尤も複製会自体は縁の下の力持であらうと、何んであらうと、殆んど意に介してゐる人がないやうだが、この如く報はれざる事業を十七年一日の如く学界のために尽しつゝ、畦に生じた雑草かの如く踏みにぢられてゐる事は、私は第三者として見て、大にしては我が学界の恥辱だとまで考へるのである。
この顕著なる一例をいふと、近比刊行された高野辰之博士の『江戸文学史』の上巻を見ると、この複製本からの転写ではないかと思はるゝものが、甚だ多い。或は複製会使用の原本からの撮影であるかも知れないが、既に関東の大震災によつて焼出したもので、幸ひに複製会本の副本しかないものがあるから、高野博士は恐らく、この複製本を使用されたものだと見て、さう人を強ゆるものでもないやうに思はれる。--問題はこゝだ、
学界を益する為めに十七年努力を続けてゐる複製会だから、これを信用して使用されることは当然の事で、これに対してかれこれといふべき性質がものではあるまい。又稀書複製会もさうした心持である事に疑ひはないが、私がこゝに言はうとする処は、高野博士の『江戸文学史」の序文を拝読し、史料購入について縷説されてる処を見、且つ自筆のものゝ筆蹟図版に「著者蔵」と一々明記され、尾州家の『歌舞伎草紙』には、原本の所蔵者が明かにされてゐるに拘らず、古版本の所在に記載がない事を指摘したいのである。版本だからといふならば、天下一本しか、しかもそれが複製本しか存在しない『高館』の如き、或は藤井乙男博士所蔵の『説経かるかや』等、等、等は、一体どうなのだらうか。
これは決して高野博士を詰らうとする私の態度、私の心持でなくして、実は稀書複製会の十七年の難事業が、かくの如く学界の先達、高名なる事、高野博士の如く、又、『日本文学全史』の内『江戸文学史』の執筆を承諾さるゝに当つて、「高価な江戸文学史料を購入」さるゝ苦心についての序文を拝読して、斯の如く学者的良心を持せらるゝ学徒によつて、無条件に信用されつゝある複製会の報はれざる難事業が、実は学界に立派に酬はれつゝある事実を如実に吹聴し、読書人に訴へて、共に複製会の事業のために欣びたいといふのが、私のホントの真意なのである--かういふ意味合であるが、或は高野博士に失礼に聞えた点もあつたかも知れないが、それは私の不文の致す処、どうぞ寛容を願ひたい。
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もう一項を加へておかう。
嘗て本誌の誌上をかりて。私は『西鶴置土産』の偽版に『朝くれなゐ』なる異本がある事を発表させていたゞいた。こ仁の『朝くれなゐ』は、他に殆んど伝本がないものだと思つてゐた。然るところ、この春休みに大阪なる浪花高校の教授野間光辰氏が、突然私を訪づれられて、「お前も迂遠だよ『朝紅』が、お前のゐる早稲田大学図書館に伝来してゐるぢやないか」との事であつた。寔や秘事は睫とやら、早大図書館に『朝くれなゐ』が、『逸題欠本』として『京は〳〵』といふ書名で存在してゐたのを、私は少しも心付かなかつた。野間君のこの示教によつて、この伝本を早大図書舘にあるを知つたよりも、私はヒシ〳〵と自分の勉強のたらざるを恥ぢた。録して以て、自らを鞭つ策とする。