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【 石割松太郎 野崎の「暖簾」 】

(2023.05.28)
提供者:ね太郎
 
野崎の「暖簾」
  石割松太郎
 彗星 : 江戸生活研究 第4年(12) p78 1929.12.15
 
 
 半二輪講「新版歌祭文」の野崎の暖簾が、大分問題になつてゐましたが、これは勿論縄暖簾ではなく、浅黄或は紺の半暖簾で、門口になくて、表の土間と、中の土間との取合ひにある、上方の農家によくある庭暖簾ぢやありますまいか。作者半二の心つもりは、この庭暖簾を予想して書いてゐる。だから「物申、お頼み申しませう、といふもこは〴〵暖簾越」とあるのは、お染は表の農家の広い庭へもう入つてゐるが、中の土間への取合せの「暖簾越」である。されば「ぴつしやり門口をしめて」も「暖簾」とは矛盾をしない、「暖簾」の--半暖簾のかゝつてゐるところに戸があるといふ河内在の農家の有様で、お光の仕事は、中土間で膾をしたり、中の間で鏡を見たりしてゐるのでせう。
 この実際の農家の有様を直写してゐるのですが、それでは舞台が飾れぬから、いつもの世話舞台となり、暖簾が問題となつてゐるのだと思ひます。林さんの仰言る作者が、「百姓家と(町家の)区別を忘れてゐる」といふのでなく、「百姓家」の直写が偶々舞台に飾れなかつたからの事で、半二の筆が河内在の農家そのまゝです。
 

 半二輪講 新版歌祭文-野崎村の段- 第4年10月号 p4
林【若樹】 「暖簾」は縄暖簾ですか。
木村【仙秀】 間【民夫】 浅葱の暖簾でせう。
林 あの辺はどうか知りませんが、関東ぢや百姓家に暖簾はありませんね。片手間に商売をしてゐるところは格別だけれど…。
木村 次の間と舞台との間には暖簾があるけれども、芝居には外に暖簾はありません。格子になつてゐます。
間 尤も「暖簾越」でないと、文章にはなりませんね。百姓家には格子もをかしいし…。