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【 石割松太郎 四月の文楽 】

(2023.05.28)
提供者:ね太郎
 
四月の文楽 
 石割松太郎
 サンデー毎日 昭和三年四月廿二日 7(19) p.32
 
 
◇……四月の弁天座は文楽が戻つて来た。「先代萩」で、御殿が朝太夫、三味線猿糸、とても病後の朝太夫には御殿は持切れない、それを自覚してゐる朝太夫も、さらさら唄ふが如くに片づけていつたが、随分とひどい「御殿」、サワリの間は女義太夫式、個々の人物は一切描かれず、一様にこれもサラ〳〵と辞[ことば]をいつてるにすぎぬ、これでは政岡を遣つてる文五郎の人形は動くまいと思ふと、文五郎が見るも気の毒だ、例へば浄るりに「間」を閑却してはとても聞いてゐられぬが「五十四郡の--」とつゞける間などは、気の利いた女太夫でももつと、ほんとの「間」がある、これぞ「間抜け」た一例の浄るりだ。猿糸の糸もこの長丁場が持てない。
 
◇……人形では文五郎の政岡、花が多くして実の乏しいのが欠点だが、浄るりが悪いので仕方があるまい、然し栄御前のかん違ひの話を聞いてゐる姿が滅法よい、この間は歌舞伎でも、心持の出ない一くだりだが、文五郎は人形の形によくこの時の政岡を出した、又形のいゝ方からいふと、千松の死骸を抱いて後向きになつて、千松の顔を肩からのぞかせて見物に見せた姿が実に絶品だつた。然しサワリがどうも景事のやうに政岡が踊るやうに見えるのが「花の多い」弊だと思ふ。
◇次狂言が例の古靱の「合邦」度々手がけたゞけに、且音遣ひのうまい古靱だけに、又堅実一方の語り口だけにきずのない合邦だ。わけて合邦をよく語つた「幽霊もひだるかろ」のあたりにこの人の手堅い工夫が見える、又玉手では何でもない文句だが、手負になつて打明けてから、「いつか鮑の片思ひ」のあたりが、よくその腹が利けた。が、全体からいつて後半にもうつかれの見えるのは手堅い人にも似合はない。糸は清六いよいよ熟して来て立派な芸をきかせてゐる、が前半よりは後半がよかつた。
 
◇……人形では玉松の合邦垢抜けのしたところがない。栄三の玉手は文五郎の玉手とは違つた味で、この人のはどこまでも実をとらうとする手法。小兵吉の合邦の女房は何でもないところに気が入つてゐて老手、いつもこの人の小手先の利く気の利いた人形に感服する
 
◇……中狂言が「妹脊山」で花渡しは初日が相生太夫、この人の浄るりに素直な点、ひねくれた癖のないのがうれしい、将来有望の太夫。
 
◇……山のだんは紋下、庵の掛合で当人は楽であらうが、見物はこゝが聞きものだ。が、不幸にしてこんどの山はさほと聞くものゝ身の入らなかつたのは、全く妹山と脊山とのイキがぴつたりと合はなかつた、ごた〳〵したのも一つの罪、尤も初日を見たせゐもあるかも知れぬが、あの語り口では日が積んでも知れたものだと予想する。一つは「人形芝居」としても舞台の間口の広すぎたのも一原因だらう。源太夫の久我之助何をいつてるのだか、益々分らずこんな掛合ものでは相手が迷惑しよう。錣太夫の雛鳥、美声は当代の雛鳥だがどういふものか品がない、もつと品位のある姫になつてほしい
 
◇……土佐太夫の定香、こんどの山の場では抜群のでき、辞のうまい土佐は口捌きがハツキリとしてこんな掛合ものだと一人でさらつて行く、この人の辞の間がピタリ〳〵と見物の心をグイ〳〵とつかんで行つた。「久我さま腹切つてか」のあたり絶妙。
 
◇……津太夫の大判事、今一息、同じ足取りで押通してゆくのでだれて来る。元来がこの「妹脊山」の如き、左右シンメトリーに整然と舞台が出来て、しかも浄るりは東風西風と截然として語り口が違ひながらピタリと相合ふところに「山」の山があつて古今の傑作とされてゐるが、いはゞ扇の要であらねばならぬ大判事の任が十分に尽くされなかつた、大判事が引しめてこそこの舞台に中心が出来る、さうでないとどこまでも左右に分れた舞台の統一がつかない、津太夫の大判事はどこまでも脊山の大判事で、「妹脊山」の大判事でなかつたことををしむ。この山の場が歌舞伎に移されてもさうだが、根元の浄るりではなほ更で、大判事はどこまでも、狂言の心棒だ。
 
◇……心棒太夫はどうしてももつと位をとつて語らねばならぬ、例へば大判事の辞で「一生の名残り女の面見てなぜ死なぬ」と久我之助にいふあのせりふなどは千万無量の慈悲が内に籠つてゐねばならぬ、思ひつめた言葉だが、津太夫は「……面見てな、な、なぜ死なぬ」と語つてゐる、こんなのは全くの役違ひではあるまいか、一考したい。
 
◇……人形では文五郎の定高、栄三の大判事両々相俟つて舞台を大きくした、紋十郎の雛鳥は荷が勝つた。これは人形の罪といふのぢやないが、この山で「吉野の川の水盃、桜のはやしの大島台」からガラリと舞台の空気が変らねばならぬこゝに原作の味があると思ふが、この変り目がハツキリせない、共動作業である掛合全体のこれは罪だと思ふ。
 
◇……切は大隅の「壺阪」これも当の太夫には可哀さうだ、柄にない語り物を、先大隅が得意であつたといふだけに、今の大隅が背負込んでゐる、例へば山門の五右衛門が先芝翫の芸だといふので今の歌右衛門が女形だに拘らず襲名披露に演じた迷惑さと同じだ、今日の大隅の壺阪を聞いてゐると土佐町の座頭でなくて、「漁師沢市」だが土佐町に海がなくば「仲仕の沢市」だ、この線の太い人にこの繊細な節付になつてゐる沢市は無理だ、従つてその結果はなつてゐない、軽い味もなければ世話の味がどうにも出ない。三味線の道八はどうしたものか、節付の団平の直門の友松時代によく「壺阪」は聞き飽きるほど聞いたらうに、これも全く世話味のない三味線、時代の心で弾いてゐるのぢやないかと思はれる撥さばき、私は全く思ひもかけぬ勝手の違つた「壺阪」を聞かされた。