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【 石割松太郎 饅頭娘と岡崎 】

(2023.05.28)
提供者:ね太郎
 
実盛と操三番 中座の東西歌舞伎
 石割松太郎
 サンデー毎日 昭和三年二月廿六日 7(10) p.30
 
 【歌舞伎の項 省略】
 
 饅頭娘と岡崎 文楽座辰年初興行
 
◇……根城を焼いた文楽座は、吉例の初春興行を、大阪では出来ず、旅の空、強弩の末は何とやら、関係者一同はそゞろ哀れを感じたことであらう。で、やう〳〵如月興行が開いたが「道中双六」と「乗掛合羽」を綴ぎ合した「伊賀越」今度の語り場で、珍しいのは古靱の岡崎、まだ〳〵これから古靱が幾らも語られる語場だが、今度の興味はこゝに存した。聞くといつもの古靱、何といつても用心深すぎる、手綺麗に、手堅く語り進んで非難のない「岡崎」だが、今一息なのは、例の余裕に乏しいことだ、政右衛門よりはお谷がよく出来た、後に看客の心をしつかと捉へられなかつたのは演者に疲労が見えすきが出来たゆゑだらう。且この場の政右衛門の世話味が出なかつた。清六の例の健腕に、手はよくまはつた。
 
◇……この古靱の「岡崎」に較べると土佐太夫の「饅頭娘」には世話味が豊だつた、例へばおのちが「あれほしい」といふので、乳母が、「あれとは」饅頭かえとつゞく世話味この間の間がよかつた、この時代世話のうまさは饅頭娘を生かし、五右衛門を躍如とさしたのは土佐の手柄である。が、この土佐のお谷がもつと〳〵よからうと予期したのに却て五右衛門の方がよかつた。
 
◇……「大広間」の伝授は貴鳳の大内記和泉の政右衛門、富太夫の林左衛門源福の五右衛門だつた、随分安価な「大広間」だが、和泉の政右衛門が一等聞かれた貴鳳の大内記、こんな殿様は新声劇の殿様にもない安つぽい図、浄るりの下手はとにかく、品位も役柄も弁へず郡山侯三尺をしめてゐさうだ。三味線は叶で一通り。
 
◇……津太夫の「沼津」は、私が見物の日は休みで、文字太夫が代役たつた、サラ〳〵と語つて、代役らしい覇気のないのは遺憾だが、それだけ無事一途の語り口、絃の友次郎は悠々として余裕を示した。
 
◇……「新関」は錣の助平が当てた、面白く語つたが、自由自在の声量を前受けにのみ腐心してゐるが如きは考へものだ。つばめ太夫、越名太夫は、だんご屋で活躍した。
 
◇……前狂言の人形では文五郎のだんご屋の女房と玉松の助平がうけてゐたやうだが、文五郎では饅頭娘のお谷がよく沼津のおよねが予期したほどの熱がなかつた。栄三の政右衛門は総じて感心するほどでなく重兵衛を採る玉次郎の幸兵衛はこの人近来の出来栄えだ同じく平作はアツサリと片づけてゐた
 
◇……切は相生の前があつて「吉田屋」の掛合、夕ぎりが朝太夫、源太夫の伊左衛門、近来一寸類のない悪い伊左、この役の身上はもつと〳〵おうやうなところがなくばならぬが、こせ〳〵とした平の客夕ぎりは例の嫌味な浄るりで、ばゞ夕ぎり。大隅の喜左衛門は万事に泥臭いといふ「曲輪文章」一向下らぬが、せめて栄三の伊左衛門がよいのと紋十郎の夕ぎりにヒレが出来たのがとり柄であつた。