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【 石割松太郎 新作ぞろへの中座と文楽座 】
(2023.05.28)
提供者:ね太郎
新作ぞろへの中座と文楽座
石割松太郎
サンデー毎日 昭和二年十月十六日 6(46) p.22
【歌舞伎評部分略】
◇……盆替りの文楽座は、前が「白石噺」で「雷門」から聞いた、この口は越名と鏡の隔日出演、私の聞いた初日は、鏡の日である、一通り又腕を聞かせるほどの場でもない。この奥が錣太夫で、この人の語り込んだ語り場、文楽の床で幾度語つたらうか、こゝらの場こそは、もつと〳〵新進の人に語らして気を変へることが一法だらうと思ふ、錣は手に入りすぎて、ぞんざいになつてゐる位だ。
◇……「揚屋」は土佐太夫である。こんどの盆替りの一日を通じてこの揚屋が一等の出来である。例のこの人一流の写実で、しかも舞台を忘れない芸の味を見せた、宗六が一等よく語り宮城野がこれをついだ、しのぶにあどけないうちに、人に許さぬ小娘の情が乏しかつたのがきずだ。
◇……人形では、何でもない役だが小兵吉の庄屋七郎兵衛がよく遣つた。文五郎の宮城野、絢爛だが情味がうすい。紋十郎のしのぶは神妙に遣つてゐるが時々気が抜ける。栄三の宗六はどつしりとしてその仁になつた。
◇……次ぎが半歳ぶりの古靱太夫の「堀川」、この端場が大隅太夫で一通りの出来。古靱の「堀川」は、例の写実--先代の清六仕込みの写実だ、与次郎を三枚目でなく只臆病な律儀な人としての解釈を加へてゐるのは尤もな演出、終始に堅実一味、克明な語り口で押通した、「堀川」一曲に些の破端も見せないが、どうにも理攻めの与次郎、古靱の与次郎でホツとした生きた人間味に乏しい、例の語格の正しい文章でとぼけた面白味がない、与次郎もおしゆんも伝兵衛もいゝが、婆がまざ〳〵と生きて来ない、おしゆんの心底を聞いてからの婆で泣かせてほしい、あの遊女ながら娘の心根を聞いてからの婆でしつくりと泣いてみたいのが、私が「堀川」に要求する第一だが、いつも希望が達せられない、古靱のもそれであつた、そしてもつと〳〵この人から面白い破格な浄るりを聞かうといふのは、私のみの注文ではあるまいと思ふ。
◇……人形では栄三の与次郎が、克く古靱の解釈に相応して遣ひ、三枚目のしぐさのなかつた、まじめな与次郎を見せたのはいゝ。が、おしゆんが書置を書く間の寝そぼつてのしぐさと寝がけの小用を利かせて蔭に入つたり、手洟をかんで柱にすりつけるなどのしぐさはもう全然よしていゝ事だと思ふ。付木に火を点じて伝兵衛を見るところと、書置を掖に絡へてかたげてすわつてゐる形とは面白く出来た。
◇……文五郎のおしゆんはまづ一通り伝兵衛は扇太郎。与次郎の母は玉七であるが、人形もこの婆が気がなかつた。
◇……中狂言が源太夫の和田兵衛の上使があつて津太夫の「近八」である、近来珍しい出し物だつたが、源太夫はいよ〳〵老込み、地合がます〳〵何をいつてるか分らぬといふ語り口、この人はいつまでこの癖から脱せられないのだらうか。
◇……津太夫の盛綱は工風が足りない、あれだけの長丁場を、あの無工風で、ひた押に押したのが失敗の原因だ、一曲を通じて気の変り目がなく、実に単調だ、例の思案の扇からの微妙との情味と気味合ひにもつと〳〵人間の滋味が出ねばならぬのが、曲折を失つてゐる、これは拙いといふよりも工風と鍛錬とを欠いたのだと思ふ。わけて微妙がむつかしい。
◇……文五郎の微妙ももつと工風がほしい、歌舞伎のそれの方に却ていゝところが多いのは人形の名誉ではあるまい。栄三の盛綱も一通り、玉松が和田兵衛、政亀が早瀬、かゞり火の小兵吉だ、とりわけていゝといふ人を見出せなかつた。
◇……切が「阿波の鳴戸」で源太夫の中、朝太夫と貴鳳との奥である。朝太夫は病後の老齢であるといふ意味で、今度の出来栄は云為しまい、それが妥当だと思ふが、貴鳳に至つては、いよ〳〵出でゝいよ〳〵その拙さを暴露して来る、この人初お目見得の「淡路町」は得意の芸だと聞いただけある、あれでもだ、それから後のかの浄るりで、金を取つて聞かすべき浄るりを聞いたことがない、こんな浄るりを語つてなほ玄人でゐる貴鳳、なほ文楽の床を汚してゐる貴鳳もいゝ気なものだと思ふ。が、文楽座最近の大出来は、賢明な方法であつたと思つたのは、綾太夫、朝太夫、貴鳳太夫との三人を一ヶ所に纏めて大切に持つて来たことだといひたい。恰も何んな善美を尽くした家にも--一軒の家にはゴミ溜がある如くに。