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【 石割松太郎 大隅の襲名興行 】

(2023.05.28)
提供者:ね太郎
 
道頓堀の「大阪」と「東京」
 石割松太郎
 サンデー毎日 昭和二年三月廿日 6(13) p.14
 
 【東京歌舞伎】
 
  大隅の襲名興行
 
◇……三月の文楽座は静太夫の大隅太夫襲名で賑つてゐる。新大隅の出し物は中幕の次ぎで「弁慶上使」だが、この狂言の選定は過つてゐる。新大隅の物でもなく先代大隅に縁故はなく、只他とのとり合せの上と道頓堀のお客の耳にあるといふのに、条件として選ばれたやうだが、大隅にとつては損だ、従つて襲名の鼻からけちをつけるのではないが、出来が悪い、甲どころの怪しい大隅が出し物としては、実につまらぬ思ひつきだ。まづ狂言の選択を過つたのは惜い。新しい合三味線の道八とのいきはカツキリとまだ〳〵合はうとは思はないが、道八が大隅を引立てゝゐることはさすがである。
 
◇……前は「廿四孝」で文字太夫の「景勝の下駄」の半ばから聞いた。三段目を古靱の病気のため源太夫と叶太夫とが語つてゐるが、あつたら三段目は滅茶々々だ。町太夫の景勝の上使があつて、「十種香」が朝太夫と松太郎とだ
 
◇……朝太夫は七十幾歳といふあの老人でよく声がつゞくといつてしまへばそんなものだが、私は歯に衣着せずしていふと、朝太夫は早く文楽座をお去りなさいと勧めたい。一時は--若い時は「朝太夫節」といはれた位の名誉の美声だつたさうだ、いはゞ一流の違つた語り口の太夫だといふが、あの声で今日の如く色気を失つては魂のないのも同然だ、ぼやけた「朝太夫節」にはもう生命がない、生命のない太夫の重用は、人情としては然ることだが人形浄るりを賊するものだといひたい。又朝太夫からいつても、その名を汚さぬうちが花だらうと思ふ。尤も散りがての花も、花は花だ、泥にまびれぬうちだ。
 
◇……具体的にいへば、あの濡衣はどうだ、なつてゐない。濡衣も八重垣姫も区別のない辞で浄るりが生きようわけがない。朝太夫の全盛期にあつてすら「朝太夫節」といはれたといふことは、言葉を換ると、浄るり離れのしてゐた浄るりといふことではあるまいか。ましてその美声に色気がすがれたのだ、雨に風にゆかりの色を失つたあじさゐのみじめな姿を見るやうな今日の朝太夫の浄るりは「名誉の文楽座」には考へものだ。
 
◇……その朝太夫の合三味線の松太郎は名人といふことだ。が、そのまゝ「名人」と受取つていゝか私は考へたい。今度の狐火の奥などは、いかにもうまい、味のある三味線だ、年に似ぬ若々しいその音色は又とあるまい、或は当代その比を見ない名手かも知れない。然し浄るりを立派に生かす三味線だらうか、或は太夫が朝太夫でなくともあの三味線はほんとの浄るりが聴くことが出来るだらうか、私は一応考へたいと思ふ。
 
◇……松太郎は浄るり三味線の当代第一の名人だといふことを聞いて、爾来大阪で三興行を経たが、浄るりの本場であるこの大阪で、この松太郎の三味線を真面目に批評した言葉を私はまだ聞かない。私は大毎紙上で松太郎の真価を云為する批評を聞きたいものだといつたが、今に試みられた人のないのを不思議に思つてゐる。
 
◇……だから、私の思ふところをいふと芝居には「楽屋名人」といふことがあるが、いさゝか趣きは違つても松太郎の三味線は「楽屋名人」に類するものぢやあるまいか、あのガサ〳〵した三味線、あの手の多い弾きまくる三味線で私は浄るりをしつくり聞かれるものでないといひたい。名人かは知らぬが、浄るりを助けて浄るりを渾然たる芸にする三味線ではない、浄るりと三味線が車の両輪の如しだなどと今更講釈を要すまい。が、片輪が頻に廻つても浄るりが聞かれるものではない。松太郎の三味線に溜らぬいゝところがあるといふ玄人筋の語は虚言ではあるまい。玄人が学ぶべきところが松太郎の芸にあることも真実だらうが、首尾一貫した渾然たる芸をなすものとは、私は受取れない。それは珠玉の片鱗だと思ふがどうあらうか。
 
◇……中狂言の「心中紙屋治兵衛」の河庄は津太夫、内が土佐太夫である。津太夫には不向きの出し物だが、孫右衛門がよく語られてゐた、孫右衛門の述懐にほろりとさせられたのは津太夫の力である。が難声の人だけに治兵衛も小春も色気がなく、手さはりがガサつく。友次郎の三味線はこの津太夫にない色気を音色で与へてゐたのはいゝ。
 
◇……紙屋内の端場を錣が語つた、この端場ではこの人が上乗、当代の端場だ。新右衛門の三味線、牛刀を用ひて鷄の例だが、さすがにうまい、捨てずに牛刀を揮つてゐる新右衛門の態度を推称する。
 
◇……土佐の奥はいゝ、わけて遺書のくだりになつて絶妙、あれだけの言葉の味のあるのは又とない、立派な炬燵であつた。
 
◇……人形からいふと、栄三の治兵衛が一等だ。あれだけの治兵衛は歌舞伎にもあるまい、歌舞伎では鴈治郎の治兵衛は天下の治兵衛だが、いつも非難する事だが、おさんが質草を出してゐる間がコセ〳〵する、栄三の治兵衛があの間をヂツと下手に坐つた姿がたまらないいゝ治兵衛だつた。この治兵衛を功一級として、文五郎のお七はケレン味があるが、得意のお七でよく小春もよかつたが、八重垣姫にしたゝる色気があるが、大大名のお姫様といふ品に乏しいのが欠点だ。
 
◇……紋十郎の勝頼、若いだけに若々しい人形はこの人の将来がます〳〵たのもしいことを示してゐた。小兵吉のおわさは、この人が文楽へ入つて以来の傑作だらう、行届いたいゝ姿を見せてゐた。