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【 石割松太郎 温習会 北陽の巻 】
(2023.05.28)
提供者:ね太郎
温習会
温習会 北陽の巻
サンデー毎日 大正十五年十一月七日 5(49) p.15
◇……偶数日のうちてドツシリしたものは、小精の「山姥」である。さすがにこの一番が群を抜いてゐた。難をいふと若作りであつた事、綺麗すぎた事だが、踊りはためて〳〵シツクリと心持で踊つてゆく、山めぐりの条で、別れのあはれが深かつた。梅二郎の三田仕はあの年配では無理だ、が小精につきあふ人は梅二郎を除いてはあるまい、舞台も柄も小さいのは余儀ない。小幸の怪童は子供らしくあど〳〵しいのがよい。
◇……もう一つの初日の見物は、一度花柳舞踊硏究会で出したといふ「恋を知る頃」である。江戸仕立、下町の娘が炬燵によりかゝりながら「外記猿」を弾いてゐるうちに、うつとりとなり、おそめと久松の恋を幻影に見るといふ構想、外記猿を唄つてゐると、弟が踊つてゐる。と、暗転で幻影の場面、恋を知る娘とお染が勝子、久松の幻影が喜代三で、両人ともよく腹に入つて踊つてゐた。勝子の色気があど〳〵しくてよかつた。舞台の幕明きにおしどりのつがひ絵模様の銀屏風、これが幻影に替ると千代紙貼りの屏風になつてゐるのがひどく働いてゐた。
◇……この外では、清元の「嫁菜摘」が富貴弥が将来にいゝ素質をもつてゐる事を示してゐた、進境の著るしいものがある。この地が芳弥の立唄だが、三枚目の喜代之助が富貴弥同様近来著しく進境を見せて、若手地方の□々たるもの。
◇……次ぎに「将門」があつた、若路の大宅の太郎、小桃の瀧夜叉だが、この大物をこなし切れなかつた、舞台顔は綺麗だが、見てると危なかしい、まだ〳〵大宅太郎の方が見られる、この地が芳弥の立唄で円子が二枚目に廻る年功もちがひ芸の品も違ふが、芳弥の「さがやお室」が次ぎの一くさりを二枚目が語ると飛んでしまふ、地方の円子は立方の小精と共に北陽の誇りだ。
◇……奇数日の見物は新曲「梅川物狂」である、鎌谷来水氏作、作曲は文字八振は花柳寿輔である、舞台奥深く黒びろどでしきつて、絵模様の柳が三四、本下手の柳の根元には名もない小さな花が二三輪、上手には水を描いた置道具といふあつらへ、田中良氏の考案だがすつきりとしていゝ。梅川は小精でこの新曲をあれだけにしつくりと踊つたのはえらい、道行きの対の小袖を下手の柳にかけて、うつとりとなり、物狂ほしくたふれると、その機みに小さい草花をもぎとるあのあたりが凄艶で、この曲中のいゝところだつた。難をいふと前半が追想追憶の振が主となつて、往々にして狂乱を忘れる、もう少し物狂ほしさがあつていゝと思ふ。地は円子こま駒英に、すま子の三味線でさらりとしてゐた。
◇……もう一つのこの日の見物は、梅二郎の「邯鄲」である、邯鄲の間はまだまだ芸が足らぬが、引ぬいて「寒行雪の姿見」となると梅二郎の得意のさまが偲ばれる「鞍馬獅子」では金松の喜三太の進境のとみに著しい。
◇……たゞ一つの義太夫地の「千本の道行」で、静が錦野、忠信が喜代三だ、忠信がもつといゞと思つたわりに悪くて味がない、喜代三の勉強が望みたい。この場は静が舞台端で皷を組立てゝ緒をしらべる、これは人形では狐を使ふ間の竹本の合の手を省かないで、その間をこの新しいしぐさで□いでゐるといふ花柳の振付の働きだといふのがひいき目、が、私はとらない。この皷のくだりの振だけが、大まかなこの曲の情景とそぐはない、芸者の他所行らしくこの調子では鎧は信玄袋に入れて忠信が背負つて来ねばなるまいと半畳を入れたくなる。この外両日を通じて「勢獅子」や何かとにぎやかだが若いとろのおさらへで綺麗々々(石割生)