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【 石割松太郎 人形浄るり 近頃考ふべきこと 】

(2023.05.28)
提供者:ね太郎
 
人形浄るり
近頃考ふべきこと
盆替りの文楽座を見て
 石割松太郎
 芝居とキネマ 3(11) pp.3-4 大正十五年十一月一日
 
 
◇……人もさうであるが、私もその習慣になずんでゐる。--と、だしぬけにこゝで私のいふのは、この頃の文楽座は、大てい聴きにゆくのである、「文楽を見にゆかう」といふ人はめつたにない。それほど床に重きをなして手摺が閑却されて来てゐる、文楽全体がもう過去の芸術となりかけてゐる、否、全く今の世とは没交渉のものとなつたが、立派な古典の一種として、さう〳〵閑却されべきものでないと思ふ。なかにも浄るりはまだ〳〵いはゆる好き者もあれば「素義」の連中が大阪に十万を算するのであるから、急に滅亡を招かうとは思はない、或は手摺を離れて、単に「語りもの」としての生命がまだ〳〵持続しようがいよ〳〵心細いのは文楽の人形である。
 
◇……で、私は盆替りの文楽座は聴きにゆかないで、文楽の木戸を越ゆるときからいつもの心持をかへて「見み来た」とハツキリと自分の態度をきめて棧敷に坐つてみた。で、この稿にも「文楽座を見て」と断つたのである。
 
◇……恐らく私は、不用意の間に、玉蔵が死んだ、文楽末世の得がたき名人玉蔵を亡くして心細さを強く感じたがためにこんな心持になつたのだと思ふ。三味線吉兵衛の披露といふ聴くものがあるにも拘らず。
 
◇……玉蔵が死んだことは文楽の人形楽屋の中心を亡くしたのだと私は思ふ、が、固より文楽には文三といふ座頭所の古老もゐる、女形の名人文五郎もゐる、中堅をなしてゐる栄三もゐる、が、私は玉蔵を亡くしたことは手摺の中心を亡くしたのだと思ふ、扇の要をなくしたのだと思ふ。私のこの稿で書きたい事、高唱したいのはこの一点にあるのだ。物の中心を亡くするといふことはその物を全然破壊することだ、少し誇張していへば、文楽座の人形は亡びたともいへる。文三をはじめ文五郎栄三などは、かういふと内心不平だらうが、仕方がない。
 
◇……空論を撤して舞台の実例についていつてみよう、もと〳〵玉蔵在世の時代から、文三は座頭どこに坐つてゐて、玉蔵は中年入座の関係から別看板。だが、棧敷の心は殆ど一致して、玉蔵を座頭にし、玉蔵の人形があつて、文楽の手摺に重きをなしてゐた、これは少し文楽に出入するものゝ等しく肯定するところだらうと思ふ。この手摺の中心である玉蔵を亡くした後の手摺はどうかといふと、自然の勢ひは文三に中心が移つた、ところてん押で文三が中心に押上げられた。役のふり当てもさうなつてゐる、が、中心の文三の舞台が果して中心となつて重きをなしてゐるだらうか。
 
◇……文三の人形は、私が再三いつたことだが、今の時勢にあはない、泥臭い芸風だ。人形浄るり王国の中心となるべき芸ではない、その上に文三は大きな心得違ひをしてゐる、淡路浄るりや豊後人形は知らず今時--昔の人形がやつたことかは知らぬが、あんな泥臭い手法は洗練された文楽の舞台で試むべきでない、わけて文楽の人形の座頭格の文三ともあらうもののなすべき芸ではない。私のいふのはこの点だ、あの泥臭い芸が端役なり、ワキにあるならばまだ〳〵辛抱は出来ようが、中心である文三の芸があれでは文楽の人形が亡びたといつても、或は誇張の言でもないかも知れね。
 
◇……これを今度の実例に見ると、文三はいつも〳〵人形遣ひの分を忘れ、人形の本質を忘れて往々にして人形を遣ひながら言葉を出してゐる。掛声以外の事をやるのだ。いつか「鮓屋」が出ると、権太を遣つてゐて只の一句だが、せりふをいつた、これらは言語道断だ、太夫の領分に踏入つて人形遣ひが言葉を出すなど沙汰の限りだ。ところで権太ほどの成句はなしてゐないが、この興行の文三は盛んに「声」を出して太夫なり三味線なりを邪魔してゐる。一例が「沼津」で、お米が重兵衛に押へられてから、太夫の平作が「お米〳〵」と呼ぶところ。「堀川」では与次郎を遣つてゐて、文三は煙草を喫む前に、煙管を吹くにフウと床の邪間をする程の声を出してゐる、或は「堀川」の与次郎が寝て鼾をかくのが耳ざはりだ。魚の如く静かに「音」の世界から閉されてしかも、生けるが如く、いふが如きであつてこそ人形の芸だ、人形が鼾をかいたり、声を出したりなどは沙汰の限りだ。あれでよく太夫がその領分を犯す人形遣ひに抗議を出さないといふのは、太夫は自分の芸に或は不熱心か、舞台の統一を忘れてゐるのか、よくあれを許しておくと思ふ位だ。
 
◇……私が文三に慊焉たる事はこの点だけに限らない、「堀川」の一段で、与次郎が寝ようとして小用をするところを見せたり、手洟をかんで、柱になすつたり、あの泥臭い芸風は何んといふ事だらうか。私は文三の反省を促したい。玉蔵亡き後の文楽を負つて立つ文三に反省を促したい。この泥臭い芸風が文楽の中心をなし、玉蔵亡きあとの大黒柱がこんな芸をしてゐたとすると人形は滅亡だ。玉蔵といふ中心のなくなつたあとは、ところてん押でなく腕の問題で、文楽の中心が作らるべきだと思ふ、亡くなつた人形を徒らに追慕しても詮ない事だ、以後の中心を洗練された芸に求めねばなるまい。
 
◇……文三攻撃で大部分の行数を費したが文楽の当事者なり本人なりの反省と自省とを望ましい。まづ私のいふ事が虚言と思ふならばこんどの文三をお覧なさい、不愉快を感じずにあの文三の人形の泥臭い芸を見てゐられるか、お試めしものだ。この文三を外にして今度の人形の傑作は文五郎のおしゆんだ。若いところでは簔助のお福の前半にこの人の将来が仄見える。簔助もいよ〳〵来年の正月には名人相竹紋十郎を襲名するといふ、この調子で人形に人なき折だ精進努力すべきだ。
 
◇……少し耳からの評をも試みて終るとするが、古靱の「沼津」は駄作だ、古靱いよ〳〵行詰つた、あの悪声だが、いつものうまい音づかひの腕をもちながら、面白くない浄るりの無類の典型だ、世話の味が皆無だ、そのうちでも、平作が悪い一例が「わが子の平三であつたかいいい」のあたりの熱のなさ、観客を引つける力がなくあくびものだ。浄るりのための浄るりはとらないものゝ一つである。
 
◇……津太夫の「岡崎」はやつぱり一等紋下の貫禄を見せてゐる、あの難声でお谷がどうあらう大分苦しさうなノドだと思つたがそれでもひた押しに押して語り終せて第一面白く聞かせたのは、いつでも芸に更新の意気が溢れてゐるがためだと思ふ。
 
◇……土佐の「堀川」この人の得意の一つだらう、楽に語つて相応に聞かせる、繁太夫の間に人とは違つた工風と古典的な味のあるのをとるが、こんどの「堀川」の欠点は与次郎の母が十分でない、節とか音づかひなどの上からもこの作はいゝ方の作、人気のある曲だが、作としての一等いゝところは、与次郎の母が娘のおしゆんの事ばかり考へて、伝兵衛と縁の切れる事をのみ念としてゐたのが、おしゆんの遺書を聞かされてから「女郎の道」に思ひ至つて心持がガラリと変るところが「堀川」一篇中の傑作だ、然るに土佐はこの母の心持も十分に出せてゐなかつた、得心のゆくやうにこの婆の心の推移を、舞台に描いてこその「堀川」だと思ふ、この婆の印象を浮かめた「堀川」を土佐太夫に注文したい。
 ==をはり==