FILE 160

【 石割松太郎 出雲百七十年忌 忠臣蔵と菅原 】

(2023.05.28)
提供者:ね太郎
 
出雲百七十年忌
忠臣蔵と菅原
 丸本の字句を末に忠実ならんよりも原作の作意を尊重して歌舞伎としての底本を作れ
 石割松太郎
 サンデー毎日 大正十五年五月廿三日 5(23) p.12-13
 
◇……興行政策の上から担ぎ出されたのが、道頓堀と文楽座での竹田出雲掾の百七十年忌といふのだが、それほど独参湯のきき目にも自信がなくなつたことは、歌舞伎劇の将来を暗示してゐるやうで心細い「興行的の事件」を外にして大歌舞伎をあける工風が目下急務の第一だ。それはやがて「現代の脚本」を得ることだ。が、さう〳〵良脚本が夜店に転んでゐやうとも思へぬ、良脚本を得るには得られるだけの畑が必要だ、地ならしが肝腎だ、今の時代の良脚本を収穫しようとする畑は、さし詰三百年の間に培はれた旧歌舞伎の整理だ、後に伝ふるに足る旧歌舞伎のうちから歴史的に或は実質的にいゝものを選んで、整理することが、次ぎの時代の新劇を生む予備行為であり、かつ貴き伝統的芸を保存する一法である。
 
◇……この旧歌舞伎の整理を往々にして即原作に忠実とのみ解されてゐるやうだが、一例が丸本物などで、あの蕪雑な筆のゆくまゝに書流されてゐる文句の末に拘泥するのが、果して原作に忠実だらうか考へものだ「原作の精神に忠実」なることは聞えるが、字句の末に忠実なることは必ずしも、原作に忠実か何うかゞ疑問の場合が多い、一例が今度の中座の「忠臣蔵」の喧嘩場の延若の師直がそれだ、今までの歌舞伎の型をはなれて大紋烏帽子で道具を廻してゐるのは「烏帽子の頭二つに切る」の本文に拘泥したのだと思ふ、見た眼は鶴岡が大紋であるから大紋を着ないで烏帽子もなく刻限前のいでたちが面白いと思ふのだ。今一例をいふと同じ場で市蔵の本蔵が「丸本に忠実」といふお蔭で、判官を抱き止むるこゝに「判官殿御短慮」と二三度制止に揉み合つてゐるからこの幕切が引締らない。
 
◇……こんな意味で忠臣蔵の如き幾人かの名人巨匠の手にかゝつて、その時代々々の型が出来たものは、丸本に忠実だの「院本に還元」だのといふことは無意義であり、且無益なことだと思ふ。それよりも歌舞伎として残されたる「脚本」と「型」との整理が必要であり、今日の歌舞伎劇に携はるものゝの義務であり立派な仕事だと思ふ。即ち「歌舞伎としての忠臣蔵の底本」これを得ることに一大努力をかけてこそ初めて意義が生ずるのだと思ふ。
 ◇……この意味とこの希望とを目安として今度の忠臣蔵を見ると、脚本の蕪雑、各役の不統一が気にかゝつてならぬ。【以下 歌舞伎の項略】 
 
 文楽座 p.13
 
◇……道頓堀のあふりをくらつた形で文楽座は紋下の津太夫を欠いたまゝで「菅原」が出た、松王の首実験が、土佐太夫である、この人の写実風の芸からいつて、この寺小屋はよからうと思つたが期待の割によくなかつた、それは松王が十分でなかつたせいだと思ふ、いつにも千代はよく出てゐる、戸浪もよく語られた、源蔵もよかつたが、松王に遜色があるからこの四段目をして精彩のないものとしてしまつたのは惜い
 
◇……古靱が二段目の道明寺である、例の堅実一方の語り口は、この段の相丞にはよくはまりさうなものだが、その割にこの浄るりにも精彩がない、床から場内を圧する気魄が今度のどの語り場にも見出すことの出来なかつたのは口惜しいことの一つだ、気の抜けたやうな文楽座、魂のない文楽座よ、この貴き古典芸術のために、自らの持つてる立派な芸に魂をお留守にさせてゐる文楽座の立直しはホンに今の事だこの機を逸して、もう来まいと思ふ。