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【 石割松太郎 土佐の「長局」 勧進帳は愚曲 】

(2023.05.28)
提供者:ね太郎
 
土佐の「長局」 勧進帳は愚曲
 石割松太郎
 サンデー毎日 大正十五年四月廿五日 5(19) p.16
 
 
◇……ついこの間「鏡山」が出たと思つたが、もう年を越えてゐる。この前の折は「長局」を古靱が語つてゐたが、こんどの土佐太夫は、うまい、殊にせりふのうまい土佐は尾上の心持をよく生かした。例へばお初を親許へやつてからのあの長い一人舞台を少しも厭かさずに聞かしたのは偉らかつた。しつとりとしたおちつきを見せた尾上が無類である。
 
◇……「長局」についでは、錣太夫の切の「壺阪」がよかつた、野趣はあらう、又この人一流の嫌味(?)--つくり声のいやさ(?)はあるが、枯切らぬところが、丁度この曲にふさはしく大隅流の「壺阪」としてまづ〳〵買つていゝ、三味線の新左衛門こんな世話ものになると、この人の芸が光る、ぼうやりとした味、いぶしのかゝつた味は又格別に深い趣があつた。
 
◇……津太夫の語り場である「大文字屋」は病気欠勤で、駒太夫が語つてゐた。この人の法師声がどこまでいつてもイヤだが、浄るりはうまい、一人々々の人物はさほどでもなかつたが、一場の空気はよく出してゐた。道八の三味線は何となく勝手の違つてゐるやうなのはどうしたものだらうか。
 
◇……病後の古靱は珍しい「勧進帳」の掛合を出して、源の富樫で弁慶を語つたが、長唄なり、今一つさかのぼつて、能といふ古典的ないゝものがあるこの曲は、浄曲としては全くの失敗、故人団平に「勧進帳」の節付があるといふが、これはそれでないといふ。だらしのない拙曲。力もなければ節の面白さもない、この勧進帳を見た翌日東京の本郷座で菊五郎の弁慶、吉右衛門の富樫で観たのでます〳〵この浄曲を唾棄したくなつた、これは古靱を悪くいふのでなく、曲の好拙だ。で古靱の弁慶をとつてみると問答の口さばきの悪さ、徹底していつてる意味を伝へる事が出来なかつた。