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【 石割松太郎 「太十」と「蝶花形」 】
(2023.05.28)
提供者:ね太郎
古典劇と新作 初春の道頓堀 石割松太郎
サンデー毎日 大正十五年一月十七日 5(4) p.13
古靱の陣屋 文楽座
◇……春の文楽座には、三味線の友次郎が復帰したので賑しい。その出し物は昔の吉兵衛が節付、友次郎の家の出し物となつてゐるといふ「花くらべ四季寿」で、春は万歳、夏はあま、秋は関寺小町、冬は鷺娘の四題である。この残つた三味線の手から、楳茂都扇性が今度新に振をつけたといふ中狂言であるが、春のをどりめいた振付は流石に楳茂都も畑違ひ、古風であるべき人形の振に大まかな風情に乏しい、例へば「鷺娘」の傘のくだりがそれである、その代りに賑かな春らしいのが取柄である。友次郎、仙糸、猿糸以下の奇麗なばちさばきは見事である。
◇……今度の出し物では初役と聞く古靱の「陣屋」が出色の出来を見せた。この人の克明な語り口、堅実な浄るりは「陣屋」をよく生かせた、丁度初日にきいたのであるが、熊谷はその出物語り、出家とこの三段が立派に語つた、いつも〳〵面白くない手堅い一方の古靱もこの阪東武者に復活の一路を見出したやうだ。いはば余り手に入りすぎない、そして形式よりも内容に、外面的な条件よりも内面的な熊谷の心情を摑まうとした今度の浄るりに古靱は成功したといへる。
◇……しかし古靱の短所は女と世話とにあることは依然としてこの傑作にも残された、例へば相模が不出来である事、夢清となつてからは立派だが、石屋の弥駄六が悪い、この二欠点をよそにすると初役ながら立派な「陣屋」であつた。
◇……この上に玉蔵の熊谷がこの興行を通じて--否近来の人形芝居を通じてとまで声を大きくしていへるほどよく遣つた、荒くれしい熊谷、押出しの立派、しぐさの大まか「人形の腹」の表現一つの非の打ちどころがない。弥太夫なきのちの文楽の座宝はこの人の或る役どころ--例へば今度の熊谷などがそれだらう。
◇……津太夫は「鎌腹」を出してゐるいつもの得意のだし物、然しこの出し物で弥作よりも七太夫がよい、七太夫が生きてゐる、七太夫は珍しいまでによい中の文字太夫ではこの人としては弥作が立派に語られた。三味線の道八はいつもの達者な腕を見せる。
◇……切は土佐太夫の「野崎村」で例の美音が、このなだらかな浄るりを快くきかせる、おみつとお染のくだりの如き思ひ切つて突込んで語りながら嫌味に思はせないのがこの人の腕であらう。