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【 石割松太郎 「太十」と「蝶花形」 】
(2023.05.28)
提供者:ね太郎
「太十」と「蝶花形」
打納めの文楽座に八十太夫が文字太夫と改名披露
石割松太郎
サンデー毎日 大正十四年十一月廿九日 4(52) p.14
◇……文楽座の打納めの前狂言が、「絵本太功記」八十太夫の新文字太夫が襲名披露の夕顔棚から聞いた。まだ〳〵修業が肝腎のこの人であるが、古い太夫だけにさすがにおちつきと相応のひれを持つてゐるのは偉い。この切を紋下の津太夫が語つた、浄るり一体の規模の小さい事を免れないが熱がある、前半よりは後半にこの人のいゝ素質がひらめいた。初菊はあの難声ではむつかしいが、秀光がよく、操が十分に語られた。道八の三味線はさすがに大い、兎角の非難もあつたが、弾込んでいつてからは音色といひ腕といひ立派な三味線を聞かせた。
◇……文三の光秀は久しぶりで神妙々々、大きいところもあり、こせつかないのをよしとする。文五郎の操もいゝが、いつもこの操では感ずることだが、あのくどきの間のふりがわざとらしい、いざ人形を遣はうとする風が見える。簔助の初菊のうひ〳〵しさはうまかつた、若手で姫の遣ひ手としてこの人の将来が嘱望される。
◇……中狂言は珍しい「蝶花形名歌島台」で静太夫が端場を語つて、土佐太夫の出し物である、この人はこんな語り物になると、この人のうまいイキ合が出る、真弓と葉末、松太郎と笹市との如く同年配の武家の若女房と子役が出るに拘らずカツキリと語り分けてゐるのは、この人の内面的な語り口を説明して余りある。人形からいふと栄三の真弓と文五郎の葉末とがこの二人の芸風をまざ〳〵見せた、形のとゝのつた点からいふと文五郎ははるかに栄三の上にあるが、人形の心持を出さう、見せようといふのは栄三がまさつてゐる、父の本心を聞いてからの真弓は栄三のさえた腕を見せた。
◇……次ぎが問題の「合邦」である。当局との意気張りづくから道頓堀にも人形にも出なかつたこの合邦が、こんど「古典芸術」「郷土芸術」といふかんばんに免じて人形だけに許可が出た、この狂言に覚えの咽喉を聞かさうとするのが古靱であるが、例の如く近来のこの人のわるい傾向として浄るりが少しも面白くない、窮屈でゆとりがなく、熱がなく悪がなくわるい合邦だ、元来色気の乏しい古靱であるから、玉手御前といひ、浅香姫といひ、色模様はあつても、それ程の艶を要しない、この浄るりの女性は古靱の咽喉で結構だ、この点からいつてこの人が難とする役どころがなく、浄るりに益々きずがなくしていよ〳〵浄るりが面白くない。清六の三味線も若い、あのむつかしい三味線は荷が勝ちすぎた、さらりとは聴けたが、--又とりわけていふ難点がなくてしかもつまらぬ合邦となつてしまつた。古靱の奮励が望ましいとゝもに、行詰まつたその浄るりの一転機をつかむ事が肝要だ。
◇……人形では玉蔵の合邦と栄三の玉手御前がいゝ、玉手の後ろ姿にいふにいはれぬいゝ形を見せた。
◇……切は「夕ぎり」で町太夫の口があつて、錣の夕ぎり、静の伊左衛門、和泉の喜左衛門、越名のおきさ、辰太夫のたいこで掛合三味線は新左衛門で穏かなやうわりとした音色は久しぶりにいゝ心持、こんな出し物になると新左の絃さえる。夕ぎりは錣の美声、静の伊左は二枚目どこがるすになりさうで、ぎごちないのが欠点。喜左衛門の和泉はこの一連では変つた色合である。越名は例の美声、いゝすんだ声は将来が楽しみだ。