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【 石割松太郎 人形芝居が道頓堀へ 】

(2023.05.28)
提供者:ね太郎
 
 
 人形芝居が道頓堀へ
      石割松太郎
  劇壇縦横 2 pp.6-8 1925.10.1
 
   ◇
 文楽座が、御霊境内の古巣から出て道頓堀の中座で十月興行を打つことこなつた。これは文楽座の常興行が不振つゞきである、古いこの芸術の香りの高い操りが、御霊といふ古い殻に入つてゐたのでは、世間との交渉が杜絶えた形になる、操り芝居を民衆への紹介興行であるといふのが主旨であるらしい
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 この主旨の割出されたのは、この夏文楽一座が、いつものやうな人形を除いた素浄瑠璃でなく、堂々東上してあのたゞ広い歌舞伎座で興行すると、大入満員をつゞけた、九洲博多の興行も大入満員をつゞけた、神戸もさうだ、京都もだといふ有様、この潮先に乗つて、道頓堀へ游ぎ出し、まだ人形浄瑠璃を知らぬ民衆への紹介興行、新しい操贔屓、浄瑠璃に親しみを持たす看客を引つけようとするのが、その策戦の一般方略であるらしい。
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 こゝで考へねばならぬ事は、文楽の世間化--といふ熟さぬ言葉を便ふことを許していたゞきたい--が、果して年幾度かの道頓堀興行で、実行されるだらうが、幾方の効果があるだらうか私は疑問とする。今日の東京、博多その他の人形浄瑠璃に対する人気は、その芸の力といふよりは、「珍しい」といふ一点に存してはしないか、尤も私は、だから今度の中座での紹介興行が悪いといふのではない。余りに御霊境内に引込んで世間との交渉が少いだけに、刺戟のない文楽内部の人達の世間化は望ましい、が、一面から考へると文楽座の世間化は、より早くその滅亡を急ぐ形をとりはしまいか、「滅亡」といふ辞が悪ければ、その衰退を急ぐことになりはしまいか、考ふべきことはこゝだ。
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 大体において、今の三味線楽が、清元にしろ、常磐津にしろ、長唄でも今後どれだけの寿命があるか実は心細いわけである、が、これらの江戸音曲が素人の好き者や、花柳界にその余命を保つてゆくが如く、浄瑠璃も人形を離れては、可なりに上方に残ることだらうが、問題は操りである、今のやうな状態に「人形遣ひ」を捨てゝおくことは「操芝居」に致命症を与へるものだと思ふ。
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 断つておきたいことは、私は三味線楽が、或る一部の好き者、花柳界にのみ残るといつたが、これは今の常磐津、清元、長唄をさしていつたので、「三味線楽」そのものをいふのでない、三味線を基調とする新しい音楽の将来を否定するのではない。
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 こゝで当然起る問題は、操芝居の保存問題、保護問題である。
 或る一部の人々は、帝室の保護をいひ、或る者は、この土の産んだ立派な郷土芸術であるだけに「大阪市」の保護を云為する人があるが、私はこれ等は迂遠極まることだと思ふ、今のところ帝室なり大阪市なりが、文楽座の操芝居を保護しさうな機運も時期も仄の見えぬ、ある遠い将来において、そんな機運が熟することがありとするも、もう遅い、死児の年を数へるやうな結果を齎らさう、それ故に私は操芝居の危機が目捷の間に迫つて来てゐると思ふ。
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 大阪市や帝室の保護をアテにしてゐる間に操はなくなつてしまはう。そんなまどろろしい事をいつてゐる暇に、「人形遣ひ」の養成と「人形遣ひ」の保護が目下の急務、恐らく目捷の間に迫つてゐる急務はこれだと思ふ。
   ◇
 文楽座の三味線弾はまだ〳〵素人の稽古や何やからで収入の道はあらう、太夫もまだ〳〵贔屓〳〵の保護が加へられてゐるが、独り人形遣ひの生活状態は、これらの人々とは違つた境地におかれてゐる、今までの人は或はこれでもすんでゆくだらうか、これから出ようとする若手の人形遣ひが、この生活状態と、あの周囲では、人形遣への道が全くはゞまれてしまはう。
 若い太夫も、若い三味線弾の養成もが必要だらうが、問題は--真先きの問題は「人形遣ひ」の養成である。
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 一富豪の寄附、郷土芸術のための保護団体の組織など案は数多く出ようがさし詰めの問題は、松竹合名社が文楽座に限つてその商売主義から離れることだ、よくとも文楽座の元の持主が、永年の不入を意に介せすして、文楽はお客が来なければ仕方がない、俺一人聴いてゐるといつて、不入の土間の中央にドツかと座つて熱心に聴いてゐたといふ、その意気が欲しい、この「操芝居」を愛するその熱が欲しい。
 すべてが、之から生ればすまいか。今が危機だ、寸時を諸忽に付すことが出来ない