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【 石割松太郎 津太夫の「喜内住家」失敗した古靱の「壺阪」--六月の文楽座 】

(2023.05.28)
提供者:ね太郎
 
津太夫の「喜内住家」 
 失敗した古靱の「壺阪」--六月の文楽座
 石割松太郎
 サンデー毎日 大正十四年六月廿八日 4(28) p.28
 
 
◇……この興行で暑中の休みに入る本年上半期決算興行の文楽座の前が「太平記忠臣講釈」この喜内の内の段を津太夫が語つた、紋下最近の傑作と推すに十分である、口が静太夫で、喜内重太郎が十分に生かして語られた、わけて女房りへが何ともいへぬ味のある語り口、この不幸な運命になやんでゐる、しかも暗い蔭を懐いた女をこれだけに語つたのは津の手柄である、あの書置を読むあたりのぢめ〳〵したこの場の情趣は読む遺書から滲み出されるやうに語りこなしていつたのは面白く啻にこの人最近の傑作のみでなく今度の興行ではこれが一等の出来である。道八の絃もいつもよりは足も早く浄るりとピタリと合ひ、しかもいつものいゝ音色が出てゐるから、一段と津太夫の浄るりを助けた。
 
◇……この前狂言では津太夫の外、駒太夫の七条河原もよくすんなりと語つた、その口をみす内で語つた越名太夫はあの綺麗な声とあの声量とは、その将来に大きな期待を持たせる。
 
◇……人形では栄三のおりへ、文三の重太郎などがやつぱり光つてゐる。
 
◇……中幕は土佐太夫の「岸姫」飯原屋敷がこゝでは久しぶりに出た。土佐の美しいのどで藤巻のさわりが無類、人物からいふと与茂作が生き〳〵と語られたのは土佐でなくては語れぬこの人の得意の人物、面白く聞いたが、この人としては朝日奈が出てからは悪く朝日奈といふ人物が語り終へなかつたのはこの一段の疵であつた。
 
◇……中幕の人形では同じく政亀のふじ巻が出色の出来、玉蔵の与茂作もそれだけの特色をつかつた。
 
◇……次ぎは「壺阪」で古靱太夫の語り場である、これは予期を裏切つて思ひ切つて悪い「壺阪」最近相当な太夫の「壺阪」ではこれだけに悪い浄るりは又とあるまい。大体に「壺阪」といふ浄るりの色が語り出しからして打こわされてゐた、その上地唄の稽古--近所の小児でも集めて教えてゐる、しがない影のうすい心弱々しいめくら座頭が少しも出てゐない。で、仲仕か車力の俄めくらになつたやうな手あついにく〳〵しい坊主座頭が語り出されてゐるのは、沢市の人物を描出すには勝手の違つた太夫の心持なのだらうと思はれる。のんびりとせねばならぬ、淡い哀愁が漂うてゐながらも喜劇のこの「壺阪」をあゝせゝこましい語り口と、余裕を与へぬこの人の浄るりでは大和路の壺阪の片ほとりの色が絶無、まづ浄るりの柄からいつて履き違ひの太夫の心境は、お話にならないで、沢市夫婦が死んでゐる、最近失敗の多い古靱太夫の語り物としても、わけて悪い部に属する出来栄である。
 
 【◇若柳舞踊大会】