FILE 160

【 石割松太郎 「二月堂」と「帯屋」 四月興行の文楽座 】

(2023.05.28)
提供者:ね太郎
 
東西演芸
 「二月堂」と「帯屋」 四月興行の文楽座 石割松太郎
 サンデー毎日 大正十四年四月十九日 4(15) p.15
 
 ◇前が「日吉丸」で小牧山の城中が土佐太夫である、作も節も平凡であるから、さして語り聴かされる処も少かつたが、土佐の作としてはお政がよく語つてゐた。
 ◇中狂言は「二月堂」で今度は古靱のこの出し物を飾るがために、一日の狂言の立て方としては不統一な点が多い、例へばこの中狂言に道行の桜宮があつて、又切に「桂川」があるといふ風だ、然し従来の慣例を破つて、古靱に中狂言を語らして紋下を切に廻して語り場に変化を齎したのはいゝ事である。
◇処で、古靱の「二月堂」は立派に成功した、十分に稽古も積んでゐればこの人の語り物としても打つてつけたものであるから、例の堅実な語り口にピタリと適つて、しつくりとした芸を聴かせたのは古靱の手柄である。
◇この「二月堂」が成功した一つの原因は浄るりにそれ程の「大さ」も要求しない、しかも艶や色気の微塵もないこの語り物は丁度古靱の危なかしい、古靱に足りない処の除かれてゐる作柄であるからでもある。絃の清六も立派。良弁と渚とのあの母子の情が浸み出るやうであつた。
◇人形では玉蔵の良弁が品もあり、動きがなくてあれだけに感情を利かしたのは偉い。渚は文五郎であるが、この人の芸は内面的といふよりも形式美を身上とする芸であるから、心の鎮まつた老女になつてからは喰ひ足らない。
◇切が源太夫の「六角堂」があつて津太夫の「帯屋」である。例の道八の三味線のためか、一段を通じて冗漫な感じを与へてゐるのは損だ、特に長右衛門とお絹との二人舞台になつてからが足の長いのが大きな疵である、その上可憐なおはんが津では語られなかつたから、この「帯屋」は津としては失敗であるが、この半の責めは道八が負はねばなるまい。
◇人形では文五郎のおはん、この「ませた少女」がよく出てゐた、こんな役は文五郎に限る、あの美しい線は忘れ難いものゝ一つである。
 
 【修行会旗揚】
 【◇新橋の東踊】
 
 【「暫」と「桜時雨」  立花幸之助】
 【梅島の阪巻東吾】