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【 石割松太郎 湊町と千本の道行 】

(2023.05.28)
提供者:ね太郎
 
湊町と千本の道行
 三月興行の文楽座 石割松太郎
 サンデー毎日 大正十四年三月廿二日 4(13) p.16
 
 
◇前が「千本桜」で、静太夫の渡海屋の次から聴いた。静の出来は普通。この切が古靱で絃は清六、古靱のいつもの語り口、ソツもなければ大きな疵もなく平々凡々、それで聴いてゐると眠気がさすちよつと面白くない浄るり、近来の古靱はよつ程考へねばその浄るりは腐つてしまはう、典侍の局の間がくど〳〵として聴く者に快よさを感じさせない、それならだらけてゐるかといふに、さうでない引緊つてカン〳〵、些の遊びがないまでに、真面目に語つてゐる、恐らく近来の古靱の面白くないのは、この芸に余裕のない事、ゆとりのないセヽコマしい浄るりが累をなして快よさを感じないのだらう従つて面白くなく倦怠を感じ聴くものは「芸」を与へられずして「事務」を与へられてゐるやうだ、古靱の一考を煩はしたい。
 ◇次が錣の「椎の木」である、錣が近来の傑作の一つであらう、殊に権太がよかつた、権太の辞[ことば]が十分に腹へ入つてゐる、権太になつて居る、新左衛門の三味線を得て錣の芸が生々として来た。
 ◇鮨屋は津太夫に道八、津の芸には疵が多いが、あの熱で語り込んで行くと聴くものは引つけられる、未熟な鈍な芸といへば鈍である、破綻縦横であらうが面白味がある、荒けづりのうちに何とも云へぬ面白味と純なウブな処に素樸ないゝ処がある、津の浄るりは破格で稚拙の名文、古靱のは文法家の悪文、この両人が全く違つた芸の質を持つてゐるのはいゝ対象だが、古靱を好むものは木賊のかゝらぬ磨きを知らぬ津太夫をけなしつける、疵はあつても面白味をとる津太夫党は楊子で重箱の隅をせゝつてゐる、かたづいた古靱を好まない、私は後者を選んで今度でいへば疵の多いながら面白い処のある「鮓屋」をいゝと思ふ。
 ◇津の声と津の技巧とではおさとはダメであつたが権太は可なりに語つた、母を口説く初めの方は拙いが後の出になつてからは熱で語り込んで来て聴かれる、手負になつてからがよく語れた、が然しこの一段では弥左衛門が一等よく語り描いてゐた。
 ◇人形では文三の権太悪くはないがいつもの癖の口やかましい掛声と人形がいふ二三の簡単ながら辞めいたものはいつもながら言語道断、人形の領分、その埒を冒した舞台に対して太夫からの苦情のない様子なのは不思議な位、看客の不愉快もありその職からいつて乱暴だ。
 ◇次に土佐太夫の「寿連理の松」湊町が狭まれて切が千本の道行だが、この湊町と切の道行とが今度の興行では聴きものである。
 ◇湊町は珍しい出し物だが作は馬鹿馬鹿しいもの、づゝと降つた近い文政三年の新作で他愛がなさすぎる、然し一時流行つたといふだけに捨て難い処もある、盲目の住太夫が十八番物だと聞くが、土佐はかうした純世話ものゝ耳新しいものにはいつも異状な成功を見せてゐる、いつかの「冥土の飛脚」の封印切の如きも異数な成功だつたが、今度も立派にあれだけ多くの人物をカツキリと語り分けてゐるのは偉い、こゝぞといふ処もないが、おうめの身売りの真情を例の写実の手法でよく語つて面白く聴かせたのと佐治兵衛が立派に語れた、土佐太夫最近収穫の一段である。
 ◇人形では文五郎のおなつは可憐であり、辰五郎の佐治兵衛は老巧。人形を引くるめて今度はこの佐治兵衛が一等の出来である。
 ◇大切の道行は源、静、越登、辰、浜子の掛合であるが、仙人糸、勝市、団六以下の三味線が結構、割愛してもいゝいつものお座なりの道行と違つて面白く上乗の大切の一段であつた。玉蔵の早替はりで忠信、文五郎の静何れも鮮である。
 
 ◇新町の雀会
 ◇今度の出し物では、この会の特色の一つである童話舞の「是は不思議」といふお伽の人物がいろ〳〵出る一曲と「さわり集」のうちの「おその」が目星しいものであつた。童話舞にはもつと〳〵精練されねばならぬ件が大分あり可なりの灰汁があるがまづ面白く見せ小さい童児も達者すぎる程踊つた。
◇「おその」は文楽座の猿二郎の考案、同じく簔助の按舞であつて、「酒屋」のおそのの一くさりを舞台調子を新しくして梅奴の人形振で見せ、簔助が黒衣で人形遣ひであつた。隣の唄を聞かせて幕を上げると格子戸に月明り、それと酒屋の内の行灯の光りで振りを見せたのであつたが、思付に成功して照明に失敗した。あの浄るりなれば寧ろ女の咽を使つた方がよく、この場の情趣に相応しくはなかつたらうか、そしてこの「さわり集」が引続いて出るものとすれば、もつと〳〵人形から離れた振が欲しい、然し舞踊家の手になる振でなく若い人形遣が新たなるスタートを切つて按舞される一形式の振が創められたい事を希望する。この「おその」を見て所謂俳優の人形振りよりもより一層人形に近い振りであつた事に興味を引かれたのであるが、希望は反対に「人形から出発した新しい振」が創められたいと思ふ。
◇その他静子の「としま」静奴、五郎、金弥の「二月堂」などがあつたが、「としま」は芸が枯れてゐないのと姿が今様で「としま」が要求する粋がないのが欠点。
◇その他「雪月花」で千代太郎の地唄の「雪」月は長曲の馬追ひ、花は長唄の鹿島踊からとつたといふが、此種の出し物はもつと〳〵練習とそれだけの用意とを必要とする、思付から実行への道が手ツ取り早やすぎるのは考へものである。