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【 石割松太郎 「日向島」と「酒屋」 】

(2023.05.28)
提供者:ね太郎
 
文楽座と南座
 石割松太郎
 サンデー毎日 大正十四年二月廿二日 4(9) p.15
 
 「日向島」と「酒屋」 玉蔵の景清が引くるめて傑作
◇文楽座の二月は前が「菅原」で四段目まで「道明寺」が出ないから興が薄い。
◇叶の「桜丸切腹」は可なりに語つてゐる、白太夫がよく描き出されてゐた。
◇「松王首実験」が古靱の初役である、この本場での初役としては堅実なこの人の語り口は成功した、前興行の「廿四孝」の勘助物語りよりは出来がよい。就中松王をよく手堅く語つてゐるが、戸浪と千代とが十分でない、わけて戸浪は失敗してゐる。
◇三味線の清六はあの若さで立派、いろは送りなど見上げた腕を示した。
◇人形では玉次郎の源蔵が悪く、文三の松王が悪い、松王は不出来といふよりも、いつものやうに文三の悪い癖である掛声がうるさいのと、戸浪を叱る処など盛んに声を連発する土偶[でく]の遣ひ手が声を出すなど不都合千万、どうしてもこの人のこの悪い癖が治らぬとは、その身分に省みる処あつて然るべきだと思ふ。イヤな芸だあの掛声で芸までが泥臭くなる。
◇文五郎の千代は妙、あの姿は生きた人間にも出来ぬいゝ形を見せる。
◇中狂言が「日向島」で津太夫の出し物である、前興行の「堀川」で失敗した津太夫はこの「日向島」で十分にその不名誉を取戻した、元来が渋い皮肉な語り物、作は拙いが舞台の技巧と、節の面白さで観せ且聴かせるこの大物を、あの悪声でこれだけに聴かせたのは偉い。語り出しの本行で行くべき「松門云々」の件りは声量の乏しい津太夫としては仕方があるまい、近代では灘の柳適太夫がこの「日向島」を得意としたといふ事であるが、夫だけに品位、貫禄とで語り続けねばならぬ小松内大臣の位牌を出しての景清の述懐は立派だ。そゞろに侍大将の景清の昔が忍ばれる。が、今度の「日向島」で一等の出来を抜き出してみると、「子は親に迷はねど親は子」□□□云々のあたりのあの真情とあの情味とを十分に語り出してゐた。然し元より疵だらけの「日向島」であらう、批難の多い語り口であらうが、あの長丁場の難かしいものをあれだけに面白く聴かせたのは太夫の腕である疵もあり拾はるゝ穴もあらうが真情に触れて語りほぐして聴かせた事を賞したい、人物からいふと佐治太夫を十分に語り描いてゐた。三味線の道八はこの種の語り物には向かない腕の人である、文楽座の初舞台の「布引の四ツ目」に感心し「堀川」を面白く聴いた私であるが「日向島」の三味線には失望させられた。
◇人形では玉蔵の景清は絶品、あの景清をこれだけに遣へる人はあるまい、白菊を襟にさしての出の初めから堂々たるものであつた、今度の文楽で引くるめて、この玉蔵の景清を第一の傑作と推したい。
◇町太夫の端場があつて、土佐太夫が「酒屋」この太夫の得意の語り物、艶語りのこの人に打つてつけた出し物、中狂言から続いてホツとして寛いで聴かれた、往々にして前受けを狙ひたがるこの浄るりをあれだけに品を持して語つたのは老巧。
◇この人の声でおそのが生きてゐるのは勿論だが、宗岸が立派に語られ、半兵衛とは違つた親心を聴く者の心に浸み込ましたのは偉い。
◇人形では文五郎のおその軽妙、思ふ存分に遣つてゐた。久々の京帰りの文五郎を得て文楽座が急にパツと明るい心地がする。
◇切は「玉三」の角太夫に、三味線は猿糸。共に芸を」楽んで勤めてゐる嬉しい浄るりの一つである。
 
 【吉の鳩の平右衛門 京都の南座】