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【 石割松太郎 土佐の「吃又」 盆替りの文楽座 】

(2023.05.28)
提供者:ね太郎
 
前週の演芸 石割松太郎
 サンデー毎日 大正十三年十月五日 3(44) p.27
 
土佐の「吃又」 盆替りの文楽座
 伊達太夫が「庵」に入つて紋下格の太夫に推薦されると共に、土佐太夫を襲名する事となつて、盆替りにその披露をした。その語り物は「名筆吃又平」である「土佐の名を許さるゝ」といふ又平に因んだ出し物である。
 土佐の語り口の近頃の傾向は、従来のやうに美音に任せて、地合を語り流して当りを取るといふよりも辞[ことば]の多いものに優れた作品を聴かせてゐる、そして辞にも努力をしてゐるから、その浄るりは純写実埒に入つたこれが土佐の近来の浄るりであるその傾向をうけて今度の「吃又」も又写実脈に語り消化していつて、土佐太夫としての新工風を見せた、だから今まで聴いた「吃又」とはガラリと趣きの違つた、色合の違つた、手さわりの違ふ「吃又」である。そして同じ吃が引吃でも純写実の芸風に消化された又平が最も生々として描かれた、吃の間に太夫に芸の熱が加はつて来て将監に縋り我が身の片輪を悔むあたりは旨かつた。
 おとくは土佐が得意の女性、滑らかに喋つていくその饒舌と地合の移り工合にたまらぬ旨味と土佐の浄るりに聴く滋味が浸み出て面白かつた。
 この浄るりは土佐は初役と聞くが、概していへば別種の味を出して成功したものといへる。
 人形では、玉蔵の又平栄三のおとく共によく遣つた、玉蔵の人形が又平の「出」から朴素な人物が生々としてゐた、栄三のおとくは大頭の舞になつて鼓をとつてからいゝ形を見せた。
 この「吃又」を中狂言として前が「加賀見山」の通しである、叶太夫の又助住家が叶としていゝ出来だと聞いたが、僅に段切前から聴いたのみで何とも云へぬ。
 「草履打」は津の岩藤を静太夫が代理をし、尾上が錣、善六の綾、腰元が越名の掛合である、代役ながら静の岩藤は上の出来、おち着きもあり悪[に]く味も相当に利いた、錣の尾上は普通の出来であつたが、切のこの人の「明烏」は謹んで語つてゐたし、上の部の出来栄である。
 「廊下」は静の語り物で、弾正が一等よく語られてゐた。
 「長局」の古靱はいつもの語り口、ソツはないが、味も薄く、あの尾上が一人となつてからの長丁場にはうんだ、近頃の古靱は行詰りの形、何とか踴躍一番この沈み切つた語り口の浄るりの埒を脱しないと古靱は腐つてしまはうか。
 人形では玉蔵のお初もつとキビ〳〵した所が欲しいが主思ひの忠烈な女にはなつてゐた。
 栄三の尾上は品位もあり、腹のたしかな中老らしい遣ひぶり、わけて草履打の派手な処よりもい長廊下に来かゝる何でもない処だがよく遣つた。
 文三の岩藤は悪味は利くが、洗ひ上げられた芸の旨味が薄く、手さわりが荒びてゐる。
 
 【舞踏劇「牡丹燈籠」 松竹座の長三郎】