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【 石割松太郎 新紋下の「熊谷陣屋」と弥の「逆井村」 】
(2023.05.28)
提供者:ね太郎
前週の演芸 石割松太郎
サンデー毎日 大正十三年五月十八日 3(22) p.28
【「盛綱」と新作の「助六」 鴈、幸四郎顔合せの中座】
【一番目「毛剃」 中車の「盛綱」 素袍落 新作総角助六】
新紋下の「熊谷陣屋」と弥の「逆井村」
文楽座の紋下がいよ〳〵決定し津太夫が坐つて、吉兵衛も亦紋下格、そして津太夫の合三味線となつた、これで文楽の世界は何だか急に極る事が決つて一寸心持が新しくなる。その津太夫の紋下披露の出し物が「熊谷陣屋」で、この兄弟子の幸運を祝ほぐ心で、且その「陣屋」を大きくさすがために、弟弟子の古靱が、須磨、浦組打を語つてゐる。かう見ると、春太夫から引つゞいた所謂摂津系統がこゝで断絶、文楽の世界はこの兄弟弟子の津と古靱のために先代の津太夫系統が今が全盛、古靱の紋下披露の口上にも先代津太夫十三回忌の曲折[いきさつ]が語られる、芸以外にこの文楽座内の政治的の興味が古靱の口上の言外に含まれてゐて、「この後の文楽座」といふ事がいろ〳〵な意味で考へさせられた。
それはとにかくとして、「熊谷陣屋」はよく選ばれた、津のためにはいゝ出し物であつた。
「陣門」を越登が語る、「組打」の古靱は例のソツのない語り口、悪くはないが矢張り味に乏しい、そして浄るりが小さくせゝこましい。「陣屋」の中を静太夫が語つていゝ出来。
津太夫の「陣屋」の切りは、前々の語り口とは聞違へる程よく語つてゐる。その位置が心を移したか、心なしばかりではないどつしりと大きく疵はあつても面白く聴かせ津太夫近来の傑作である。矢張紋下の名につれて芸に熱があり、研究を重ねて、大事を取つて語つてゐるからこの出来栄を見せたのであらうと思ふ。わけて手強い弥陀六は絶品、技巧といふよりも宗清の腹があつて只の石屋の老爺でないのがいゝ。熊谷も相当に語れたが一段を通じて事件の緩急、熊谷の辞の軽重の区別がハツキリとしないのが疵であつた、が「十六年も一むかし」も腹が出来てゐて語られた。それに比すると相模が悪く殊に相模の地合に一段の工風が欲しい。三味線の吉兵衛久々で冴えた上品な三味線を聴かせた。
人形では文三の熊谷が大きい、実験の件の形にいゝ極り〳〵があるが、例のシー〳〵と耳うるさい掛声が邪魔をして人形に垢ぬけがしない。それよりも栄三の相模がよく遣つてゐた、二重下に降りてから後によろ〳〵として極り、紫の巾で顔を覆うて我が子の首を受取る件の栄三は今度の興行の人形を通じて、こゝが第一の出来栄で面白く見せた。辰五郎の弥陀六も器用に手堅く遣つた。
それで前狂言は「白石噺」である。「逆井村」の弥太夫がいゝ、あの枯れ切つた芸で婆の辞は飛切りの味はひ、一寸真似手のない面白味を出してゐる。
この前の狂言の「揚屋」を伊達が語つてゐる、伊達としては傑作ではないが、内輪に当て気味がなく前受けを捨てゝ真面目に語つてゐるのがいゝ、わけてもしのぶに宗六がよく語られた。
人形では宮城野が栄三でしのぶが玉七であつた、玉七としてはいゝしのぶを見せた。惣六は玉蔵で貫目でどつしりとする。
切が駒太夫の「壺阪」
【伊井と喜多村 浪花座の「次郎長」】
【「旭旗風」 弁天座の新声劇】