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【 石割松太郎 紋下太夫を欠く文楽座 伊達の「帯屋」 】

(2023.05.28)
提供者:ね太郎
 
前週の演芸 石割松太郎
紋下太夫を欠く文楽座 伊達の「帯屋」
 サンデー毎日 大正十三年四月十三日 3(17) p.27
 
 
 紋下越路が歿して、継ぐべき太夫に事を欠いた文楽座は、四月興行の番組には紋下太夫の座るべき位置に「松竹合名社」と記された。これだけの変化であるが、文楽の床が物淋しい。前が「大江山」弥太夫の「平井保昌」を聴落して「松太夫」の古靱から聴いた。語り栄えもせないし古靱にも熱がない。つばめが「蜘蛛退治」を語つて人形の玉蔵が蜘蛛が割れて出遣ひになつての鬼童丸は貫禄で見せた。
 中狂言が「妹背山」の山の段で津の大判事、古靱の久我之助、伊達の定高、錣の雛鳥の掛合、本床の三味線が友治郎の筈が休んで友造が弾き、脇床が新左衛門であつた。紋下問題の暗闘が噂されるこの興行に妹山背山に分れて、津が古靱と並び、伊達が錣を率ゐて両々相対した処、芸以外の文楽王国における政治的興味が嗾られた。
 出来栄からいふと津の大判事は普通の出来、古靱の久我は手堅い丈その上絃が落ちて大判事と久我との呼吸がシツクリとしない。そこになると伊達の定高と錣の雛鳥とは新左衛門の絃でイキがぴつたりと相呼応して渾然として面白く、この一段の中心がともすると「妹山」に引きつけられた。
 人形では文三の大判事は立派。文五郎の雛鳥、玉蔵の定高はおしい事に脇床の蔭になつて見えなかつた。
 この掛合よりもほんとに面白かつたのは、伊達の「帯屋」である。「六角堂」を八十太夫が語つた。
 中にも伊達は儀兵衛と長吉とを例の写実脈の芸風に、更に油のかゝつた純写実で、しかも浄るりの格を忘れない語り口で面白く聴かせた、例の儀兵衛の笑ひは蓋し今日ではこの人以外にあれだけには聴かせまい。
 そして語り進んで舅半斎の意見になつてはしんみりとして半斎に腹があつてしつくりと聴かせた。おきぬのやる瀬ない心持も地合から辞[ことば]に移る語り口に甘[うま]い技巧を見せて「帯屋」としては、間然する処のない芸であつた。
 人形では、文五郎のお半、柿色の暖簾を割つて姿を見せた処はたまらなくいゝ姿、姿において形においてはこの人の切の「おみわ」と共におはんは他の模倣を許さない。玉七のおきぬ、儀兵衛と長吉のとりやりの間でも気を入れてゐて、いゝおきぬを見せてゐた。
 切は「妹背山」の道行で錣がおみわ、島の橘姫、求女の越名で三絃は吉兵衛以下がずらりと居並んで賑やかに打出した。
 
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