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【  文楽座はどうなるか 】

(2023.05.28)
提供者:ね太郎
 
文楽座はどうなるか [無署名]
 サンデー毎日 大正十三年三月三十日 3(14) p.27
 
越路、絃阿弥が相踵いだ死は何を齎らすか--
文楽の改革か、文楽の滅亡か--人形浄るりの「絶対保存」は不可能、古式は廃れゆかう
 当面の問題は紋下の紛糾
 「文楽」といふ古い屋台骨にヒヾの入つたのは、とうの昔であつた。恐らく摂津大掾の在世からの事であらう。が大掾が逝き、新に越路が歿し、絃阿弥が死んだとなると「文楽」が今にも潰れさうだ。
 紋下候補太夫は誰々であるか
 まづ差当り紋下問題の解決が恐らく付くまい。--いふまでもない紋下の太夫は浄曲界の大問題、さしづめ四月興行の紋下はどうするか、十指の指す処十目の見る処の紋下太夫の貫禄が何れの太夫にも欠けてゐる。
 候補者としては津太夫、弥太夫、伊達太夫の三人である。古靱はまだ若輩今度の紋下問題には圏外の人である。
 津太夫の腹とその言分
 津は文楽の生抜古参の太夫、恐らく本人は自分を措いて紋下太夫があらうとは思つてはゐるまい。が津太夫が紋下となると世間は何と見るその鼎の軽重を問ふだらう。その上津大夫の語り物は一方に遍してゐる。からツ切り艶には向かない太夫である。紋下にどつかと坐つて一座の統御はつくまい。
 弥太夫は因会での最古の太夫
 この因襲の根を張つてゐる文楽座では津太夫の紋下を否定すべく、弥太夫といふ老巧の太夫が隠然一敵国をなしてゐる、この人の語り物にもムラはあるが、老巧無比の太夫、且文楽では伊達よりも新参の外様格であるが浄曲界の権威である因会では最古参の押しも押されもせぬ太夫、この因会の古参である弥を差措いて津太夫の紋下には不平不服が多からう。
 力で来い実力はどうだとは伊達の腹
 伊達にすると津の語り物、弥の語り物にムラがあり紋下に押さるゝには力の不足を感じようが、越路亡い後の浄るり界をズラリと見渡して伊達程何でも語れる太夫、満遍なく相当にこなせる太夫、何を語らしてもまづ聴き手を首肯せしむる、そして艶物では一段の精彩を放ち、復興的の語り物--例へば二月興行の「梅忠」の如き出し物に一頭地を抜いてる浄るりは伊達を措いてはない。--といふのが伊達の胸中、されば実力で来い、腕で来い、咽で来い。古い習慣や因襲を捨てゝ将来に生きる「文楽」は腕である。力であるといふのが伊達の腹のうち。さればこれ亦隠然一敵国をなして無ざ〳〵とは人に下るまいから、紋下候補の三人にはそれ〴〵の「力」とそれ〴〵の「道理」と「筋道」を持つてゐる。が然し三人ともが、他を圧し、一世を蓋する貫禄に於ては何れも欠けてゐる事は事実である。
 文楽の人形浄るりの危機は今である
 今の文楽の状態は斯んなであるから越路歿後の当面の問題はこの紋下問題が紛糾の種となつて、さらでだに滅亡、衰残に頻してゐる文楽は下手をすると、内訌に内訌を重ねて、芸道はお留守になつて政治的の紛擾と権謀術数のために倒れるかも知れない。
 これが目下の第一に気がゝりの問題である。共力一致しても頭抜けた太夫のない今の文楽が、排他を事としてゐては「芸」のために嘆かはしい結果を齎す事は火を睹るよりも明かである。
 文楽を将来に生かす道は今行ふ改革にある
 然らば当面の紋下問題をどう解決すればいゝかといふに、古来の例しを見ても、摂津大掾の若かつた時に三行の紋下を故の津太夫が庵に納まつた例がある。又太夫元が紋下になるに何の故障のあるべき筈もないから、松竹合名社を紋下に控へていゝ。然しかう無造作に紋下問題を片づけただけでは文楽の将来が案じられる、その紋下といふが如き形式の問題ではない、目下の文楽の病弊はもつと〳〵深い処に禍根が蟠まつてゐる。 
 文楽の当事者は、紋下といふ形式を解決すると共に、この際この時に、文楽の組織に一大斧鉞を加へねば自らその自滅を急いでゐる事になるだらう。
 曰く新進の抜擢。曰く狂言の立て方の改革。曰く新進の養成。曰く太夫人形遣給与の大改革。曰く何曰く何と文楽の組織情弊の革新は今の秋を措いてはあるまいと思はれる。或種の人は「文楽」は大阪の誇りである、日本の誇りであるから、市がこれに保護を加へていゝものだといひその保護を条件にして人形浄るりの「保存」を夢みてゐる人があるが、これは思はざるの甚しい短見者流である。「保存不可能」の説は一朝にして尽くせぬから他日の機会を待つが、文楽の改革、浄曲界のための改善が今である事は、斉しく斯道のためを思ふ者に外ならぬ。