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【 石割松太郎 伊達太夫がはぐくむ大序会 】

(2023.05.28)
提供者:ね太郎
 
前週の演芸  石割松太郎
 サンデー毎日 大正十三年三月九日 3(11) p.27
 
【新曲と新舞踊 紫好会の「五月雨」と「蝶」】 
 
伊達太夫がはぐくむ大序会 文楽若手太夫の揚げ浚ひ
 今から丁度六年前、文楽座の伊達太夫が、古い因襲やしきたりのために、腕があつても腕を伸す機会を与へられない、又、いゝ玉の素質を持ちながら磨く折のない若い太夫、三味線弾きのために、月一回天下茶屋の自宅を開放して浄るりの稽古会を開いた。この会を名づけて「大序会」といつたのは「大序語り」のみす内の太夫の浄るり会である事から命名された事であらう。爾来欠かさず月一回は開きつゞけて来た、そして六年前に苗木であつた人達もすく〳〵と杉の若木を見るやうに成立した。その間うまず飽かず黙々として伊達太夫は、これ等の若い人達のために世話を焼いたのである。
 この伊達太夫の努力苦心は空しくはなかつた。この大序会が開かれて両三年の後に、流石の文楽座でも若い人達のために「文楽座向上会」といふのが設けられて、若手太夫の登龍門となつた、古参の太夫がその成績を鑑別するのである、そしてその「向上会」から「文楽」にも「世間」にも認められた太夫が出た、そして等しくそれ等の太夫は皆「大序会」で苦労した人であつた。それは鏡太夫、越登太夫、つばめ太夫などの人々であつた。
 何故この「大序会」が若手太夫の権威ある練習場となつたかといふと、熱心なる伊達、不撓のその努力が、この権威を作つた事は勿論であるが、今一つ大なる原因はこの「大序会」の聴き手が若い太夫達を鞭撻するに十分なる資格を持してゐた。「大序会」の聴き手は伊達のための「伊達会」の人々が中心と聞く、そしてそれは大阪における「素義」の親玉、素義の権威者であるから、耳の教養咽喉の練達は十二分である、それ等の人々が、月一回伊達の宅に蒐まつて若い人達のために、その芸を鑑賞しようといふのであるから、語る者弾く者は懸命にならざるをえない、聴く者は浄るりの大牢滋味には飽満してゐるが、若い人の「力」若い人の「熱」には引きつけられた、そして聴く者もあかず聴かす者も懸命に、世話する者もうまずに続けて茲に六閲年、雪の下萌え、伸びんとする力はむく〳〵と地の底に澎湃としてゐる今日の現状をなしたのである。
 この大序会の話を私は久しい前から聞いてゐたが聴く機会を持たなかつたのが、如月の文楽興行が終つて開かれたその例会を聴いた。
 梅には早いうすら寒い天下茶屋の午後の八つ過ぎ、郊外らしい気分を失うた聖天山下の伊達荘、門を入らうとするとなつかしい三味の音が響いてゐる。
 この日私の聴いたうちでは雀太夫の「二十四孝桔梗ヶ原」はまた〴〵未熟な作品ではあるが、雀といふ人の将来が頼母しい、太い線でグン〴〵と描いてゆかうとする、しかもすんなり癖のないその語り口がうれしい。その次に淀路太夫が「時雨の炬燵」を又何とかいふ太夫が「壺阪」を語つて、つばめ太夫が「忠臣蔵九ツ目」を語つた。あの身分あの若さでこの大物をあれだけに語つたには実は私は驚かされた。太夫の芸における熱は聴者をグン〴〵引きつけねばおかなかつた。技はまだ〴〵拙なからう、芸はまだ〴〵熟しまいがこの難物をこれだけに語つたつばめ太夫の若々しい芸を称賛するに私は吝かではない。又越名太夫は「三吉の別れ」を語つたが、この人はつばめとは違つた意味においての大出来。落着いたその語り口、しつくりとしたそして品位を保たうとしてゐるその浄るりにも感心した、相当名のある文楽の誰々にも勝るとも劣る事のないいゝ浄るりであつた。
 大切は東京帰りと聞く米太夫は「油屋」を語つた、これは又老巧--であるが、これまでの人とは系統の異つたうま味を聴かせた。
 そこでこの大序会を聴き終つて胸にヒシ〳〵と感するのは、何と云つても芸の熱である、この熱が聴衆を感ぜしめねば措かない、久しぶりでその技は拙くも真面目な芸の殿堂に一宵を過ごしていひしれぬ満足を感じた。
 この華やかな呼吸の詰まる程の芸の熱にほつと上気しつゝ廊下に出ると、庭先は流石に茶方である主人の嗜に塵を止めぬ石のたゝずまひ、下草の配置にも「茶」がある、筧の水も座敷の光りを映えてキラ〳〵とする。
 ふと見ると東をうけた縁先の軒下に花の気のないこの庭に只一本の薔薇、幹の頂きに堅い花を咲かせようとしてゐる。何だかこの「大序会」の若い人の将来を見るやうで風情があつた。立派な香りの高い芸の花を咲かせて見て欲しい。