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【 石割松太郎 文楽座の「冥途の飛脚」 】

(2023.05.28)
提供者:ね太郎
 
前週の演芸 石割松太郎
純粋に混り気のない上方の芸と江戸の芸
 文楽座の「冥途の飛脚」 中座の「累」と「玄冶店」
 サンデー毎日 大正十三年二月十七日 3(8) p.27
 
【中車の知盛 呼物の「かさね」 三津の「独楽売」 松助の蝙蝠安 亀蔵の山三】
 弥太夫の正清
文楽座の二月興行は前は「八陣守護城」である。毒酒の段は鏡、八十が中と次とを語つて、切が古靱であつた。例の古靱の手堅いソツのない語り口、何処と取たてゝ悪い処がないが、その代りに格段の面白味も感じられなかつた。浪速入江の船の段は前狂言で一等面白く、出来もいゝ。正清が弥太夫、雛絹の源太夫、錣の鞠川、源路太夫の早淵の掛合であるが、正清の幕切れの笑ひは蓋し絶妙、玉蔵の人形が船頭に突立つての人形振りと共に、今度の文楽では第一等の出来であつた。弥太夫は往々にして熱がない、枯れすぎてゐるといふ批評を聴くが、今度の正清の如き十分の熱を内に蔵し、その上当て気味がなくて、あの笑ひで場内を圧したのは偉かつた。正清の本城は津太夫である、かうひふものになると津太夫の値打が出る、すつきりとした処はないが、正清などは大きく語られた。
 伊達の忠兵衛
 切狂言は「冥途の飛脚」で、いつもの「大和往来」の梅忠とは違つた近松の原作で、その封印切を伊達太夫が語つたのが興味が多かつた。「大和往来」と違つて、人形のうごきが少いので浄瑠璃が渋く古風である、伊達の苦心も茲に存したであらうが、二階で三味線を出して浄瑠璃の件が舞台がさびしい。然しこゝをあれだけに語つて聴かせたのは伊達の苦心を買つていゝと思ふ。そして「浄瑠璃聞きつけ八右衛門」の出になつてから、舞台はがらりと派出にこの変り目があるので、浄瑠璃全体が生き舞台が引立つた。
 伊達の出来からいふと「忠兵衛元来悪い虫」からの八右衛門への忠兵衛の辞[ことば]が生々として面白い事であつた。
 「新口村」は錣太夫である、この人のいつものイヤな作り声が少くて、案外に素直に語られた事をとる。
 人形では玉蔵の八右衛門、栄三の忠兵衛、文五郎の梅川などがよかつた。