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【 石割松太郎 「白太夫」と「八重」 弥太夫と伊達太夫 文楽座 】

(2023.05.28)
提供者:ね太郎
 
前週の演芸 石割松太郎 
「白太夫」と「八重」 弥太夫と伊達太夫 文楽座
 サンデー毎日 大正十三年一月十二日 3(4) p.27
 
 初春興行の文楽座は「菅原伝授手習鑑」を前に据ゑて、切が「義士銘々伝」の赤垣源蔵の出立の段で、この太夫は源太夫、浪花節浄るりの譏が免れぬ。
 前狂言で目星い語り場は、駒太夫、古靱の「道明寺」弥太夫、伊達太夫の「賀の祝ひ」寺子屋の津太夫であつた。
 古靱は相丞名残の段でしつくりと語つた、いつもの堅実な語り口を一入取締て語つて、名絵[めいぐわ]物語りの一段が取立てゝよかつた。
 津太夫の「寺子屋」は、いつもいふやうに形式にのみ捉はるゝこの人の浄るりは熱心に語り込んで行けばゆく程、しどろもどろの感じがする、搗てゝ加へて言葉の捌きの拙いその音声は言葉と言葉が紛[もつ]れて来て聞き苦しい点が多く、勝れた語り物とはいへない。
 車先の段は弥太夫の松王、津太夫の梅王、伊達の桜丸、古靱の虎王、源太夫の時平で、吉兵衛の三味線といふ春らしい華やかさの一段であるべきが、何となく淋しい「文楽」を連想して、越路が再び起つ事が出来ない今、後家の吉兵衛の絃にも心なしか「淋し味」が弥が上に加はり、そゞろに哀れが催されたが、場内もしーんと鎮まり返つてゐた。
 この今の文楽の精鋭をすぐつた掛合ひよりも何よりも、今度の興行で聴きものは、何といつても矢ツ張弥太夫の「茶筌酒」と伊達太夫の「桜丸の切腹」である。この二つの語り物があつて始めて文楽座に浄るりを聴いた心持が豊かにされた。わけても弥太夫の茶筌酒では「白太夫」が傑作であり、伊達太夫の桜丸切腹では女房の「八重」がよく語られ、まざ〳〵と丸みを帯びて浮べるやうに描き出されてゐたには感心した。 
 そして聴いてゐるうちにこの弥と伊達とを比較して興味の最も多かつたのは、茶筌酒の件で八重と白太夫の「弥太夫笑ひ」と桜丸の切腹になつて同じく白太夫と八重とのかたみに「泣く」一件が心強く聴く者の胸に響いた。
 弥太夫の芸は本来浄るりの格にピタリと適りながら、老巧なる語り口に写実の手法が蒸溜されて、浄るりの形式に隠約の裡に織込まれて一家の風格をなしてゐる、その世話に老巧にして枯淡なる芸に「白太夫」を生かして八重とのキミ合ひの笑ひに立派の芸を見せたのであつたが、それに対して伊達太夫は又、本来の写実派の語り口に浄るりの情景を太夫の熱を以て語り込んで白太夫と八重との悲しみを描き親の悲嘆と、若い女房の悲痛とを巧に語り分けて、芸に余念の潜入を許さなかつたこの一件は八重を中心にして立派な芸であつた。
  ◇
 これを手摺の上から観ると京都文楽座を造つて、文五郎を今度は京都へ廻したゝめに、従来とは変つた役々が出来上り、興味はこの方に多かつたが、それだけ舞台の完成には遠ざかつた。例へば政亀の桜丸に今一段の丸みが欠け、玉八の八重が身に備はる若さからの色気がなかつたが如き、玉次郎の源蔵が全く感心させなかつたなど、その一例である。この前にこの寺子屋を観た時にも、栄三(?)の源蔵にもその感じがしたが、松王の実験の間に源蔵に性根が抜け、又千代に切つけた刃を松王の出で無意味に鞘に収めてゐるなど悪い形が多かつた。玉蔵の松王は流石に大きく立派に車引も、寺子屋もよく遣つた。文三の菅相丞は少し品位が落ちて、文三では白太夫の方がよかつた。栄三は千代で寺子屋のいろは送りにいゝ形を見せてゐた。
 
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