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【 解説福助邦楽まわり舞台 】
(2007.05.02)
(2008.11.09補訂)
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1967.05 | 1969.07 |
「解説福助邦楽まわり舞台」から義太夫関連放送記事を抄出した。
67.07.23 | 義太夫「増補生写朝顔話」(宿屋の段) | 浄瑠璃 竹本越路大夫 三味線 野沢喜左衛門 琴 野沢 勝平 |
67.10.08 | 邦楽よもやま話 「涙」を取り扱った浄瑠璃と歌曲 | 町田佳声 |
67.11.12 | 邦楽よもやま話 「笑い」を取り扱った浄瑠璃と歌曲 | 町田佳声 |
68.01.14 | 義太夫「寿式三番叟」 | 浄瑠璃 竹本綱大夫・織大夫・咲大夫 三味線 竹沢弥七・徳太郎。燕三・清治 囃子 |
68.04.28 | 義太夫「国姓爺合戦」より「九仙山」 | 浄瑠璃 竹本津大夫 三味線 鶴沢寛治 |
68.09.15 | 義太夫「壺坂霊験記」(後半) | 浄瑠璃 竹本津大夫 三味線 鶴沢寛治 ツレ 竹沢団六 |
68.11.10 | 邦楽よもやま話 「くどき」のいろいろ(その二) | 町田佳声 |
69.03.09 | 邦楽よもやま話 「木遣り唄のいろいろの変化」(その二) | 町田佳声 |
69.07.06 | 義太夫「新版歌祭文」(野崎村の段) | 浄瑠璃 竹本織大夫 三味線 竹沢弥七 ツレ 竹沢団二郎 |
69.07.27 | 邦楽よもやま話 美化されたる歌曲の「ころし」 第一回・一中節の「天の網島」と義太夫節の「先代萩」 | 町田佳声 先代萩(春子大夫) |
69.08.10 | 座談会「故綱大夫を偲ぶ」 | 竹沢弥七 竹本織大夫 豊竹咲大夫 |
69.08.31 | 邦楽よもやま話 美化されたる歌曲の「ころし」 第二回・「伊勢音頭」と「夏祭」 | 町田佳声 伊勢音頭(綱大夫弥七62.04) |
69.11.09 | 義太夫「化競丑満鐘」(箱根先化住居の段) | 浄瑠璃 豊竹咲大夫 三味線 野沢勝平 ツレ 竹沢団二郎 |
70.05.17 | 義太夫「三十三間堂棟由来」 | 浄瑠璃 竹本津大夫 三味線 鶴沢寛治 |
70.07.26 | 邦楽よもやま話 「切腹五題」その一 | 町田佳声 判官切腹・勘平切腹(綱大夫弥七) |
70.11.15 | 義太夫「艶容女舞衣」(酒屋の段)前半 | 浄瑠璃 竹本越路大夫 三味線 野沢喜左衛門 |
70.11.22 | 義太夫「艶容女舞衣」(酒屋の段)後半 | 浄瑠璃 竹本越路大夫 三味線 野沢喜左衛門 |
70.11.29 | 邦楽よもやま話 「切腹五題」その二 | 町田佳声 新うすゆき物語(綱大夫弥七)長町女腹切(山城?)沼津(津・友次郎) |
71.02.28 | 邦楽よもやま話 「雪」の手を利用した三味線曲 | 町田佳声 |
71.10.10 | 義太夫「摂州合邦辻」下の巻 | 浄瑠璃 竹本津大夫 三味線 鶴沢寛治 |
72.2.20 | 義太夫「奥州安達原」(袖萩祭文の段) | 浄瑠璃 竹本土佐広 三味線 豊沢猿公 |
参考
『随想二題』浅川玉兎(浅川卯一郎 -2003.9.14)
一、『邦楽廻り舞台』回想
民放ラジオ邦楽放送で唯一の珠玉番組だった『邦楽廻り舞台』が、惜しくも去る五月末で終幕となった。
回顧すれば昭和四十一年四月、スポンサーの福助株式会社の特志によって生れたこの番組が、放送開始以来六年間、町田先生はじめ関係者各位の並々ならぬ御努力により、毎日曜日夜、全国邦楽ファン必聴の好番組として人気を集めていただけに、この突然の終幕はあまりにもあっけなく、何とも惜しまれてならない。
町田先生はこの番組お引受けの弁として、「邦楽放送本街道はNHKにお任せして、裏道横道廻り道、時には抜け道もして番組をワイド化し、楽しめる邦楽番組を作って見たい」との抱負を述べておられたが、発足当初は第一週は名流の夕、第二週は邦楽よもやま話、第三週は邦楽百歌仙、第四週は民謡診察室第五週のあるときは再び名流の夕というスケジュールで、、邦楽愛好者各層の人たちを対象としたバラエティの豊富さをねらいとされて、司会の福ちゃんとのやりとりのもつ柔らかい雰囲気によって聴取者に親しみを感じさせつつ各者流名人の演奏を聴かせ、また邦楽研究と理解への道しるべの役割を果して来られたことは従来の邦楽放送に見られなかったこの番組独得の楽しさだったと思う。
特にこの番組では、愛好者に毎月解説の冊子を無料で配布してテキストに当てるという熱の入れ方で、出演者も各流第一級の方々が選ばれ、曲目の選定また実によく洗練されていてまことに楽しい番組だった。
なお六年間には番組のマンネリ化を破るため、および聴取者の意向を汲んで、月間の種目配分の変更が行われ、第四週の民謡診察室は昭和四十一年に末廃止、四十二年四月からは各月の最終回の番組は『?』という題目になって、その放送内容を予告せず、何が出るかはその夜のお楽しみという新趣向が盛られ、この演目は昭和四十四年七月末まで続けられた。
そしてその間『?』に取り上げられた内容は、対談あり、新邦楽紹介あり、埋もれた古曲の発掘あり、実に多彩をきわめたが、四十二年一月十五日放送の一色玉琴、豊琴の神伝八雲琴、『五十鈴川』、七月三十日の北九州福岡市の盲僧琵琶『般若心経』と吉塚旭貫堂氏の滑稽琵琶『鯛の婿入り』、七月二十八日の長野県松代、真田新さんによる八橋流箏曲『雲井の曲』『輪舌』、十月二十七日の岩手県一の関市の北峰一之進氏の奥浄瑠璃『牛若東下り五段目』,『黒白餅合戦』、十一月二十四目の海童道宗祖氏による法竹(ほっちく)『霊慕』『鈴慕』『虚空』などは特に珍らしく貴重な資料の紹介として印象に残っている。
なおこの六年二ヶ月にわたる放送期間中、毎月四回、総計七十八回にわたって続けられて来た『邦楽よもやま話』は、テキストの原稿も特に町田先生自身が直接お書きになり、最も力を注いで来られた種目で、邦楽全般に精通された先生の該博な御研究にもとづき、貴重な資料の数々を紹介されつつ懇切な講述をつづけられた点、啓蒙効果まことに大なるものがあったと思う。この放送のはじまった四十一年四月は、この頃まで約十年にわたって関西民放ラジオ邦楽陣の一翼として数々の功績を残しつつ最後の数年間はスポンサーなしの自費番組として孤軍奮闘して来た毎日放送の光輝ある帯番組『邦楽銀砂子』が、遂に時勢に抗し切れず廃止となった月だったので、あたかも民放邦楽陣として毎日放送からラジオ大阪ヘバトンを渡した形になり、私ども大いに気をよくしていたものだったが、今回の廻り舞台終幕によって民放ラジオ界から邦楽帯番組がすっかり影を消すことになり、まことに寂蓼感一入である。
なお『邦楽廻り舞台』開幕の町田先生のお言葉に、「これを機会に閉された民放の邦楽の扉が再開されるキッカケともなるよう」との御希望が述べられていたが、残念ながらこれは実現せず、福助株式会社のような特志のスポンサーがその後全然現われて来ないことはまことに遺憾に堪えない。
邦楽の友18巻7月号(206号)p56-57 昭和47年7月
提供者:ね太郎