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【 丸本のことなど 豐竹古靱太夫 】
(2022.09.23)
提供者:ね太郎
丸本のことなど 豐竹古靱太夫
此秋の始めに松竹宣傳部の中村氏と創元社の加藤氏とがわざに粉濱の拙宅に見へて 何か古本に對しての話をせいとの事 私は無學で何事もわからずことに筆もまわらぬ者故御赦しを願ひ度しと御わびを申したが何んでもいいからしやべれといはれるのでそんなら自分のおもつた事をいふて見ませふとて御話をした
私は稚い時から人様に本をいただいても其本に第五と番號がある時は直に一二三四を揃へないと氣のすまぬと申癖が有りました
所で私は東京の生れで十二歳の時に大阪へ義太夫淨瑠璃の修行にやつて來ました 其頃から自分の業とする義太夫の丸本をぼち〳〵と集める事を樂しみにやりかけましたが其時代は一册が古本で五錢か六錢又は良き本で十錢も出せば求められたものです 其後一度東京へ歸へり又十六歳に阪地へ參りましてまた〳〵丸本をためだしましたが十八九歳に成りまして小遣がなくなると折角ためた丸本を賣り飛ばして仕舞ふ しかし又買へばいつでもあると申す氣が有りました 本も澤山に古本屋に積重ねて有つてまだ〳〵安くかへました 買つては賣 うつては買と申樣な事を何度となく致しました 夫れが明治末期には丸本をどし〳〵買求める學校や學者の方々が澤山に出來て追々と本がなくなりかけて來ましたのに氣が附き是はいけない自分は何物もわからぬがせめて業とする物に關した書物は今の内にさがし出して出來るだけ手元へ殘しておきたいと考へたが 義太夫道の文獻と申物はすくないと申事を先輩からよく聞いておりましたからまづ人形芝居の古番附をよりよりに集めかけましたが是が中々よりません 漸々と一番古い所で享保十八年七月から元文 延享 寶曆 明和 安永 天明 寛政 享和と引續き手に入ましたが 此時代の番附が全部揃ふと申事は出來ませんが竹本座初代政太夫時代 又豐竹座越前少椽(東之元祖)時代書卸し外題の二枚番附なども澤山有ります 其後文化 文政 天保間の分も大方揃ふ位になりました 夫から弘化 嘉永を始め安政 萬延 文久 元治 慶應の時代のは大方揃ひ 明治 大正 昭和の今日に至る迄の分は各芝居の部は揃ふて有ります 枚數で三千四五百枚になつて參りました 他に人形淨瑠璃に關した錦繪とか人氣顔附大番附なり又其時代の種々の物に引當て評判した一枚刷とか申す樣な物迄數多集めて居ります 大昔のポスターなどに中々面白い物が有ります 實に義太夫道に關した文獻と申す物は前にも申ましたがほんとに少數より出ていないものと見え評判記なども中々手に入りかねまして茲廿ケ年許りの間に
今昔操年代記 享保十二年刊
猿口轡 延享二年刊
浪華其未葉 延享四年刊
操曲浪花の芦 延享九年刊
京大阪操西東見臺 寶曆七年刊
女大名東西評林 寶曆八年刊
新評判蛙歌 寶曆十二年刊
評判花相撲 寶曆十三年刊
評判角茅芦 寶曆十四年刊
評判三國志 明和三年刊
許判鶯宿梅 安永十年刊
操評判闇之礫 安永十年刊
淨瑠璃秘傳抄奥評判記有 天明二年刊
江戸版今昔操年代記 寛政八年刊
浪のうねり鼎噂 年號不明
此十五册より手にはいりません かういふ評判記を見ますると其時代の太夫方の語り口も外の事もわかる事が有ります 又其他 鸚鵡ケ杣やら加賀樣の大竹集 竹子集 新小竹集 翁竹 瑠璃本記及び義太夫に關した種々の物が貳百種以上たまりました 夫れから丸本ですが前に申しました通り何度となく賣り拂つたりしたあげくに是はと氣の附いた時分には本の御値段が無茶苦茶にお高くなつて中々元のように一册を五錢や十錢では賣つてくれぬ時代になりましたが夫れでも今から求めて置かぬと一年々々と丸本が此世から消へて行くと思ふて集め出し 只今で近松作と各先生方の推定ある物迄を入れ外に同翁作の外題異本を合せ百四十册 又紀ノ海音作卅一册 其他の作者の出せし物四百七十二册 右の内には錦文流作の虎ケ石とか男色加茂侍なども有り 又曾根崎心中後日遊女誠草やら梅屋澁浮名之色揚 傾城買指南 富貴曾我 心申戀之中通 種彦作の勢田の橋龍女の本地 其外版下本で隅田川續俤 新版繪本浪花詠 天一坊實記 契情天の羽衣 邯鄲曲輪短夜之夢と申す外題で是から版本に致す本など珍らしいのが有ります 夫れに今昔妹脊之腹帶と申す宮園節の丸本がありますが たいがい宮園の本は一段本が多いのですが五段物の丸本があるのは珍らしい物と思ひました 又長枕褥合戰などと申す珍本も有ります 他には山本角太夫節是は京都の後に土佐椽の本 江戸虎屋土佐少椽是は江戸土佐節の本 又薩摩外記節 岡本文彌節 伊藤出羽椽 説経節ら百册以上になつております 此外にも十年許り前から古淨瑠璃 金平本とか六段本とか申す畫入の本を集めかけましたが是が又澤山出ません 出ましたらば實に馬鹿らしい高い値段 古本の骨董扱です かういつた畫入本なども安く澤山にごろ〳〵してゐた時代がありましたが そんな頃にはこんな物はいらないなどと申しておりましたがおしい事をしました
其頃から集めていれば珍らしい物が澤山にありました 此頃は中々出ません 此畫入本も只今では九十册許り集めましたが是は萬治 寛文 延寶頃の物ばかりで慶長 元和 寛永 正保 慶安 承應 明曆時代の畫入本がまだ一册も手にはいりません 私は若い時分によく夜店を歩きました ふと丸本が目に當りまして其外題が自分の持つていない物であつた時 又は氣なしに求めて歸へつて目を通して讀んで見て面白かつたりした時の其愉快さ嬉しさは何んともいへませんです
只今は不精者になり夜店どころか文樂へ勤めるだけで他は家に許りおります それでも東京へ年の内に一度なり二度なりを出ました時には淺草雷門の淺倉屋さんを始め神田の一誠堂 巖松堂 大屋田口 村口 本郷の木内や弘文荘などあさりに出かけます事が東京へ參ります時の樂しみで有ります 又何か珍らしい本が手にはいりまして是を誰れにも手を附けさせず自分が整理を致すのも私の樂しみの一つです
前にも申しました版下本の内隅田川續俤と申す外題は歌舞伎でよくやります彼の法界坊の淨瑠璃で是は歌舞伎畑から義太夫に書直した物で 此本は版本にならずに終つております 一般に知つて居る者は有りますまいと思ひます 只時々人形芝居では法界坊庵室と隅田川位が出ておりますだけで全五段を通してやつた事はありませんから 夫れ故私共らも聞いた事はありません 今私の手元にある版下本が殘つてあるだけと思ひます 丸本になりました物でも紛失したり燒けたりして其版木が段々消えてないものが澤山にあります 私が丸本を集めると申す事は五行稽古本を拝見致ますとよく文章や文字の間違ひがある 夫れは丸本を見ると成程やはり五行本が違つていたなと思ふ事がよく有りますから何でも丸本を調べるに限ると思ふ所から集めかけた事です 私は何と申しても丸本通りに文章をやつておれば間違ひはないと思ふて成るべく丸本に寄つて語る事にしております 勿論皇室に關した文字や種々の事は氣を付けて省略し又改めて語るようにしております 又或る時に珍らしい外題の物が即賣の目録に出ますと早速飛んでいて其本屋に遇ひますと其本は今賣れましたと言はれた時程殘念な事は有りません其本がひとしほ良き本の樣な氣がして一日くしや〳〵致します 又丸本を調べまして一人で嬉しくなる時が有ります それは鳥渡例を引いて見ますとよく皆さんが語つていられますもので天網島時雨炬燵紙屋内之段 又は壽連理の松湊町之段や櫻鍔恨鮫鞘鰻谷之段 八百屋獻立新靱八百屋内之段 まだ他にも澤山有りますが此外題の物は丸本には有りませんので一段物で増補したものかと思ふておりましたが皆違つた外題の中にはいつて有ります物を少しく文章書きかへて此外題を附けて語り出したもので 先づ壽連理ノ松湊町は夏浴衣清十郎染と申す丸本の中に湊町の段があります 又時雨炬燵の紙屋内は置土産今織上布と申物の中に皆さんの語る紙屋の段が有りました 此丸本は曾根崎新地での出來事 彼の菊野殺し五人斬と小春治兵衛を一つにまとめた淨瑠璃で其中の中の巻がそれである 尤も終りの所は少し文章違へども子供が尼になつて來て白無垢のちらし書を讀む所もある 是を時雨炬燵と外題を替へて語り出せしが今日迄殘つて結構な近松作の天網島紙屋内から大和屋の段が埋れて仕舞つたのであります 又お妻八郎兵衛鰻谷の段は櫻鍔と云ふ丸本はないのでして 是は裾重浪花八文字と申す題の丸本六つ目が此頃語る鰻谷の段である 是は文章を替へてなく櫻鍔恨鮫鞘と外題を附けて語り出し それが其儘殘つております 今一つはお千代半兵衞八百屋で是は江戸で出來た物で 尤も近松作の宵庚申とて名高い物も有りますが江戸の方は萬代曾我と申す外題の物を前淨瑠璃とし後淨瑠璃に此お千代半兵衞とお夏清十郎 お半長右衞門 此三つの外題を一日替りに興行した時に出來たお千代半兵衞の中にある物を萬代曾我八百屋の献立と申す外題を附けて語り出したのが後に三代目豐竹若太夫が此段を面白く語り 夫れから大いに流行したので是も又増補物がよろこばれて近松作の宵庚申が其儘になつてしまひました 尤も此段は猥褻で當今では語れない物ですから どなたも語られませんが堀江の五世彌太夫師の十八番物で實に結構に聞かして頂いた事が有りました こんな事で或外題の中にある物に新に表題を附て流行した物が澤山にあります 夫れを丸本を讀んで見出した時は嬉しいものです 今後もど〳〵と義太夫道に關した古本はもとより新しき洋紙の本も集めて殘しておきたいと考へております
こんなお話ならばまだ〳〵ありますが餘り同じ事を長くなりますからもうやめておきませう (昭和十五年十一月)
*太夫は大阪文樂座所屬