FILE 128

【 評判三極志 】

(2022.05.15)
提供者:ね太郎
 
   浄瑠璃評判記集成による    【*は日本庶民文化史料集成の翻字と異なる箇所】
 評判三極志
    序
実[げに]や津の国の難波[なには]の事に至る迄豊[ゆたか]なる世のためしこそ実道広[ひろ]き納*なれ〳〵とどつとうたふて賑[にぎ]はひしは毎年ン正月十一日帳とぢ蔵開きの祝[いは]ひに親ン類縁ン者を招[まね]き年ン頭[とう]の祝[しう]義に例年松ばやしを興[こう]行して家門ンこと〴〵くはんし*やうするは大坂淀[よど]屋橋に車大臣とて何もかも隠れなき福者[ふくしや]の身のうへ水ノ谷泉右エ門といへる分限[ぶんげん]者也嘉[か]例の松ばやし料理ごと済終ればあとハ夜通し浄るりあやつりにて見物の人は年〳〵聞及びに諸方よりいひ込有つておびたゝ敷きやくぞかし是にかぎらず年中の月待チ日待ニ浄るりあやつりをもよほしたのしみとする事此上もなきゑいぐは也と好ニ*人皆〳〵うらやみぬ翌[よく]日十二日には極まつて恵方参りとて氏神へ詣ふで諸方の景地を見めぐり夫より座敷躰イきれいなる料理茶屋住吉の難波屋方に立寄り其所にてまた〳〵さま〴〵の遊びをなしたのしむ事ゆへ平日出入リするゐしやげい者尤たいこ持末ツ社風[ふう]の者共をどこへも引連行るればけふしもにぎやかなる茶屋のさばぎばおもしろい共いはんかたなし大臣は床柱にもたれ居て花生ケに有リし梅花を見て申さるゝは此梅の花は見事なる花形[くはぎやう]一チ座の衆中見られたるやとたづねられしにいづれも立よりてとくと見ればまことににほひいろ合めづらしき見事なる花おの〳〵是はついに見も聞もせぬばいくはにて候いか様名有る梅にて候べしと一同に称美[せうび]しける大臣は則てい主を呼出し此花はいづれより到*来[たうらい]せしぞとたづねられし時にていしゆは横手を打て申はさても〳〵今日はいかなる吉日そや此花を御たづねに付ては長きはなしに御座候へ共御なぐさみに御聞下さるべし様子申上へしと云ければ車大臣を始め皆々も是は一段面白からんはや〳〵花の由来うけたまはりたしと一トくみになつて聞居たるにこそていしゆも嬉しがほしてはなしけるやうは此梅花は元来つくしあんらく寺のとび梅のつぎほにて候へば秘蔵して大事に植そだてられたる人は佐利幸右衞門といへる能書にてしゆせきのしなんをいたしていとなみとせられし浪人尤どく身ンのくらしにて慰に狆狗を一ツ疋飼置てうあいし飛梅のつぎほを手入し猶又天神をしんかうし物事しほらしさ人躰にて有し故諸方の風雅成人〳〵幸右衞門の宅を遊び所にして寄合色〳〵のたはむれはなしをいたされける内に音曲のはなしふと五音十二調子の事申出されし人有て則幸右衞門ハしゆせきの先生なれば知べしと思ひ尋かけられしかば常に師匠顔して居たる事故しらぬ共云がたく『急には此事のべかたしとくとしらべてお咄し申さん』とて其場をば先ツすまし夫れより打捨置れぬ事なれば日比信心なす天満宮に日参し『何卒神ン力をもつて五音ン十二調子を通達ツ仕るやうにさづけて給はれ』とたんせいをぬきんで立願*せしに神納受有ての御方便[ほうべん]にや一七日の朝飼馴し狆ン狗幸右衞門裾をくはへ引出す則狗[ちん]にしたがひ行見れば日参せし天神の宮より一里程わき道に人の通ひなき山中へつれ行『爰ほつて見よ』といはぬばかりにかきさがす故あたりに有ける木の折れをもつてほり見れば一トつの箱をほり出しけり有りがたくもふしきに思ひ直に宿へ持かへり箱より取出せばふくさに包たる一巻の書なり信をとつてひらき読見れば音曲一道の秘蜜の書にして人の知らぬ音曲呂律[りよりツ]の極意を手に取やうに書記したる巻物なり誠に信心肝にめいじいと尊く思ひ夫れより日々工夫をして今此道をしるといへ共元来声業を修行せざるにより心斗高才になつて人に伝授する事成がたく其身にも残念に存じ又々立願なして祈りけるは『何卒此道に叶ふ直成人に御引合下さるべし』と祈誓[きせい]有ければ其夜の霊夢に『汝が願ふ所尤なりさあらば飛梅の咲し比其梅花の枝を住吉難波屋へ送るべし時至らば此花に心の付者こそかならず浄るり懇望[こんぼう]の達人なり則此書をあたへ申べし』との御告[つげ]と思へばそのまゝ夢はさめ候により御告にまかせ私方へ毎年正月花咲と相送らるゝ故是迄年々生おき候て相待候所に今日只今花の由来御尋に付て幸右衞門の身の上段々かくの通りとはなしければ皆〳〵寄異[きゐ]の思ひをなせしに大臣は取わけ諸芸威応の人にて是はふしぎの物がたり然ば其しゆせきの先生に出合五音十二調子の伝授をうけ末世の芸者の宝ラとなすべし亭主此義いかゞと申さるれば亭主いよ〳〵よろこびつゝ何か扨年月彼幸右衞門左様の御事を願相待候へば只今是より迎ひの人を遣し呼寄せ申べきとて其儘かごの用意を申付少しも早く参り候やうにと四枚形にて迎ひを遣し先御祝義の御吸物よお肴よと座中ざゞめき合所へ佐利幸右衞門招きに応じて参りしとしらせに大臣も嬉しさに門に*迄迎ひに出られすぐに奥の上座に直し日比浄るりあやつりをすかれ諸芸の至極をこんぼうなしける事を語られ今日ふしぎに先生の御事を承りりやく義なれ共是へ御出下されと申入れける所に早速の御入来忝く大慶至極と申さるれば幸右衞門も悦び今日の参会本望の至りとあいさつ有てひみつの一くはん残らず伝授有て左右方へ大願じやうじゆと手を打て天満宮の方に向ひ御礼の拝をなし酒事なして悦ぶ所へ例年の浄るり評判の連中より使来りて当年は車大臣の年番故追付御出席あるべしとの触れ状至来泉右衞門一ト入いさみ扨〃合たり叶ふたりかゝる時節に神納受の有し先生の参り会申さるゝ事此芸道のはんじやうなれば当年は此幸右衞門殿を判者として位付を定むべしと思ふはいかにと云るれば皆〳〵是は幸いなり是より直に残らず会本トへ御出有べしと佐利氏をともなひいそがれけるひとへに天満宮の御方便狗のほり出したりし故年〳〵珍敷しゆかうのたへざるも狗のひゞきのちんせつなりと老若男女わんばく者もおしなへてかんじけるとかや其上当年戌のとし是もさいわひ幸右衞門を評判の頭取にて殊に当春は極位の太夫衆三ケ津へ引別れ御出勤故三極志と題号しさかゆく春の大評判となしぬ
 
  明和三年
     戌梅見月
 
 大坂之部 見立古銭づくし
極上上吉     竹本嶋太夫
  ぢやうぶには上なし大閴[たいくは]ろくしゆ
上上吉      竹本染太夫
  ちいさふても無るいの布泉[ふせん]銭
上上吉      竹本住太夫
  何れの座でも当リを取至和[しくは]げんぼう
上上士      竹本綱太夫
  こまかにいたさるゝ宣徳[せんとく]つうほう
上上士      竹本咲太夫
  時に取リての作有治平[じへい]げんほう
上上       竹本其太夫
  いきほひにひげも有紹煕[しやうき]げんほう
上上       竹本倉太夫
  ちかごろおち付よし至正[ししやう]つうほう
上上       竹本荻太夫
  取まはしのよいは政和[せいくは]つうほう
上上       竹本紀志太夫
  しづかな事によい太平つうほう
上上       竹本万太夫
  いづてもこへのかゝる元符[げんふ]つうほう
上上       竹本七太夫
  よい〳〵とほめます承和昌[しやうわしやう]ほう
上上       竹本伊豫太夫
  聞てめでたい富寿神[ふじゆしん]ほう
巻軸
大上上吉     竹本鐘太夫
  座本のたからとあをぐ仏法そうほう
 
   三味線之部
上上吉      鶴沢文蔵
  手づまよくまハる車念仏銭
上上       竹沢岸三郎
  しやんとしてきれい隆武[りうぶ]つうほう
上上       冨沢勝次郎
  さへた音もあり朝鮮つうほう
上上       鶴沢辰之助
  地をよくひらふは景徳[けいとく]げんほう
上上       大西文次郎
  ゆたかに音のひゞく竜鳳[りうほう]つうほう
巻軸
上上吉      鶴沢寛治
  みづをながすごとく隆慶[りうけい]つうほう
 
北堀江御池通二丁目市のかは
     竹本義太夫座
上上吉      竹本岡太夫
  大入にてはんじやうさせる大泉[たいせん]ごじう
上上士      竹本文太夫
  大きにやはらいたり大和[たいくは]つうほう
上上       竹本三根太夫
  めつきりと上りました宋[そう]元つうほう
上上       竹本組太夫
  いろ〳〵の味ひ有リ鐃益神[にようゑきしん]ほう
上上       竹本狩野太夫
  もん句よくかたりわける明道[めいたう]げんほう
上上       竹本彦太夫
  せいだしてかたり給へ聖宋[しやり*そう]げんほう
 
 当正月新替りの節ハ竹本ニ出勤  竹本七太夫
   此御方は口ニ評有。
 
   三味線之部
上上       大西文吾
  ばちおと手づよい大暦[たいれき]げんほう
上上       鶴沢又吉
  だん〳〵上りました煕寧[きねい]げんほう
上上       鶴沢宗次郎
  女中たちのかんしん有天祐つうほう
上        鶴沢宇八
  かつかうよくかまへたる崇禎[そうてい]つうほう
 
   京都之部
極上上吉     竹本大和掾
  五ゐんかねそなへたる五行[ごぎやう]たいふ
大上上吉     竹本春太夫
  しごくうつくしいの阜昌[ふしやう]げんほう
上上吉      竹本土佐太夫
  惣座中のなりをしづむる半両[はんりやう]銭
上上士      竹本君太夫
  此度の役義おてがら大義[たいぎ]つうほう
上上吉      竹本元太夫
  引くるんでように立開喜[かいき]つうほう
上上吉      竹本音太夫
  つゞいての大ばね天禧[てんき]つうほう
上上士      竹本家太夫
  きどりのめいじん至大[しだい]つうほう
上上       竹本絹太夫
  しだいにひやうばんよろし景祐[けいゆう]げんほう
上上       竹本八尾太夫
  ます〳〵ほめます紹定[てう〴〵]つうほう
上上       竹本袖太夫
  あまりやはらぎすぎた元ン和つうほう
上上       竹本筆太夫
  しよ人ひいきに思ふ皇宋[くはうそう]つうほう
上上       竹本久太夫
  ふし付にほねを折貞観[でうくはん]永ほう
 
  三味線之部
上上吉      野沢吉五郎
  こまかにわかる糸すじ明イ徳つうほう
上上       鶴沢市太郎
  ひやうしのきいた引かた正隆[りう]げんほう
上        冨沢音五郎
上        大西冨三郎
上        野沢善三郎
上        鶴沢乙吉
上        鶴沢与三
  さても共のちニよし泰昌[たいしやう]つうほう
惣巻軸
大上上吉   野沢喜八郎
  糸にかけてはきめうゑびす銭
 
  江戸之部
極上上吉     豊竹駒太夫
  一チ座のかしらに立る常平[しやうへい]ごしゆ
上上吉      豊竹此太夫
  まれものと人のよろこぶ五銖[ごしゆ]銭
上上吉      竹本紋太夫
  座本をつとめてはんしやうする和同[わどう]開珍*
上上吉      豊竹麓太夫
  かず〳〵そろへてたつとし嘉定[かでう]つうほう
上上士      豊竹佐渡太夫
  はやい御しゆつせ隆平[りうへい]ゑいほう
上上士      竹本村太夫
  しぜんときよう有天聖げんほう
上上吉      竹本出雲太夫
  しつかりと口中か嘉泰[かたい]つうほう
上上       豊竹生駒太夫
  よく見おぼへてゐる洪武[こうぶ]つうほう
上上       豊竹八重太夫
  あいきやうは一ぶんのとく天福鎮[ふくちん]ほう
上上       豊竹喜代太夫
  あたらしい御名に開元[かいげん]つうほう
上上       豊竹冨太夫
  おんせい打ひらいた天啓[けい]つうほう
上上       竹本冨士太夫
  ねばりのつよい祥符[しやうふ]つうほう
上        竹本崎太夫
上        竹本家太夫
上        竹本町太夫
上        竹本喜美太夫
上        竹本阿波太夫
上        竹本和光
  だん〳〵しゆつせ有べし宣和[せんくは]げんほう
 
 
  三味線之部
上上吉      鶴沢名八  肥前
  にぎやかにおとのする駒引銭
上上       冨沢文次  外記
  手あつく仕立た元豊[げんほう]つうほう
上上       鶴沢仲助  ヒ
  小取まはしにきような重煕[てうき]つうほう
上上       冨沢一二  外
  だん切ニきをひ有リ端平[たんへい]げんほう
上        竹沢鬼太郎 外
上        鶴沢五八  ヒ
上        竹沢冨蔵  ヒ
上        大西小次郎 外
上        冨沢伴蔵  ヒ
上        大西兵蔵  外
上        大西鉄蔵  外
上        大西五八  外
上        冨沢伊助  外
  いつまでも当所ニいなり銭
上上吉      鶴沢重次郎 ヒ
  七字にたへなるだいもく銭
惣巻軸
大上上吉     大西藤蔵
  打合すると有がたかる大黒銭
 
不出   豊竹肥前掾   座本
不出   薩摩掾外記   座本
     後見 大西藤蔵
     太夫 竹本紋太夫
竹本政太夫去秋故人ニ罷成候左二記ス
 
明和二年乙酉七月十日
法号
  聲誉雲外冝乾居士
      行年五十六歳
  堀江西豊竹座
      豊竹伊勢太夫
     豊竹信濃太夫
     豊竹伊豆太夫
     豊竹久米太夫
     豊竹淀太夫
     豊竹和佐太夫
     豊竹律太夫
     豊竹津賀太夫
     豊竹戸根太夫
     豊竹加賀太夫
     豊竹植太夫
右衆中ニ而興行有之候追而評差加可申候。