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【 評判登利合 】

(2022.05.15)
提供者:ね太郎
 
   浄瑠璃評判記集成による   【*は日本庶民文化史料集成の翻字と異なる箇所】
 評判登利合
 
扶桑第一の大湊春の浪静にして数万軒の問丸いらかをならべ立つゞく米屋の白土は難波津の白梅春を迎て盛をなすにひとしく今そ仕合は吹付て北濱の播厂*屋の九良吉身代は息子に譲り今は隠居して陶呑幸と改名し比比世上にもつぱら鶏合はやりて身代よき人は武士方町家によらす銘々鶏を飼付て毎日〳〵所々の会所へ持出てたがひにつよき鶏を自慢にする事つのつて後〳〵は相撲場のことく四本柱水引土俵をしつらひ勝負わけに金銀のざいをふつて色〳〵の名を付て評判する事成(り)しにすでに京大坂江戸にては猶又様〳〵の思ひ付有て別(して)*大坂北濱の陶呑幸は闘鶏の遊ひを好み近国は申に及ばす関東奥州辺よりつよき鶏を取よせ尤飼付に功者成人をかゝへ鶏のいきほひつよく成餌を飼ける故近き所は猶更隣国にも隠居陶呑幸が鶏合に勝を取るはなかりしとや其頃長崎の町人にて唐人屋敷へ朝暮出入の用たし千倉沖右ヱ門といふて諸芸何もかも少づゝ覚へ年中人交りにももれると言ふ事なく面白遊ひ*にたのしみをなしてくらしぬ有時阿蘭陀舟の賄に遣ひ残りの大き成鶏一羽運つよくも道具の陰にかゝみ居るを見てふと心付是は唐渡りの鶏にて各別に有へしと思ひ人知らず羽織にそつと包かくし夕方持て宿に帰りよく鶏を仕込人に餌飼をならひ心を付て飼けるか大坂陶呑幸が鶏合の沙汰長崎迄も隠れなく千倉も是を聞て「扨〳〵それはよき事哉我等思はず唐の鶏を飼付持けれども形象至てたくましき故人々恐れて鶏を合せ見たきと言人なし是によつて珍敷鶏を飼持たりと言へ共詮なき事に思ひしに近頃さいはい〳〵急ぎ大坂に持行陶呑とやらが鶏合の自慢の鼻をひしき*慰ん」と俄に其用意をとゝのへ夜を日についで難波に来り旅宿も所に名高き鶏頭先生といふ大家の隠居に縁を求めて逗留し先何かなしに鶏合の会所〳〵へ知る人に成り月並の会日に出席し「鶏を合せん」といふと言へ共所々の好人彼唐鶏を見て「勝負させん」と言人ひとりもなかりし時陶呑幸此はなしを聞て平日付そひ居たる咄相手に申さるゝは「今世に専鶏合はやり色〳〵の名鶏を出し互に甲乙をわけ評判をなし銘々諍ひをたのしむ事実は出会はなしのなぐさみにて確執[くわくしつ]に及ふ程のはげしき事をなさゞるに此度長崎より来りし千倉沖右ヱ門が鶏は唐土の鶏故全躰丈高く形象すさましきと聞及ぶ去によつて如何程のよき鶏にても此方の鶏の恰合にては甚つり合あしく中〳〵合せ見たきなんどゝ言人もなきよし我も色〳〵大ぶりの名鶏飼持しといへども唐鶏と合せ見べきとはかつて思はず居たりしが彼沖右ヱ門が餘りけんくわかおふの仕方心にくし何とぞ如何様にも方便をなして唐鶏をまけさせるやうのしかたあらば物入は何程あらふ共夫は我ら入用次第出すべし皆〳〵思案を頼む」と申されければ皆さしうつむいてとかふ返答する人なし其中に紙やの半四郎といふ男すゝみ出て申は「私数年他事なく出会申物まねのげいしやに楽や与惣といふ者天性鶏唱の声をまねる事上手にて余人のまねるとはかくだんのちがい第一世上のにはとり共が与惣がまねる聲を聞て皆一度に時を告るふしぎの男ゆへ歌舞妓芝居あやつり座にても鶏唱の入節は与惣を頼ミ用ゆる事年久しその上与惣めつらしき鶏を一羽持つねに手入をよくいたして中〳〵蹴合などさせる事はいたさず只羽なみ惣体のきれいをよく仕入たる鶏なれば見る人誉ぬ事なし此度の思召の闘鶏中〳〵人りきにて及ふまじと存申なり与惣を御頼みあつてかれが持し鶏に仏神加護の刀を祈らせもふされなばひとへに鶏の性と言はれし与惣などか奇特のなかるべし此義如何」と申ければ陶呑も一座の衆も「実是は尤神国の印に唐土のとりに日本の鶏の渡りを付る分別此義よかるべし」と各〳〵申ければ「さあらば早々与惣を頼みかれに仏神を祈らせ申べし」と与惣方へ申遣しければ折節在宿して夫*の者とつれ立来りければ皆〳〵悦ひ各々知る人となり一ト通りの時宜合済おわつて陶呑幸右の次第を委物語して何とぞ与惣に仏神の刀を祈誓有つて所持の鶏を千倉が鶏と合せ長崎へ追返し所のいきほひを見せ度頼み「是はおもひがけなき御頼みなれども我数年鶏の唱*聲にて諸人によなれたる身の上なれば御断も申がたく御差図にまかせ鶏を守らせ給ふ釜の神三宝荒神天照皇大神宮へ丹情をぬきんで祈誓申上その上にて久々飼馴し鶏に鳥類ながら念願の次第を申含め勝負致させ見申へし」と請合立帰り夫より万事を打止め水をあび火を清め一七日が間満ずるあかつきの夢に五才斗に見へてすこやか成童男与惣に向ひ言ふやうは「此度其方鶏合に唐鶏倭鶏との勝負さする心願神ン納受有つて某を以て御告あるつつしんで承はれ」といふにぞ思はず飛しさりかふべをたれてうやまいければ童子のいわく「惣じて鶏は陽気さかん成故羽なみ何れもあしく其方が飼しは餌飼軽きゆへ力*よはくしても羽なみ外よりも生揃ふたり是によつて神勅*鶏の背の羽に残らず銀箔を置腹の方へ金箔を置金銀の鶏となし足には朱を以て色どり扨餌飼に随分二三日が間うなぎどじやうの類何にても勢のつよい餌をあたへ養ふべし金銀の箔惣身のねつをさまし鶏の勢甚つよく成へし此旨申聞せよとの神勅なり我は是そのむかし大友の眞鳥が闘鶏に神刀を以てちいさき鶏にて勝を取たる国石丸今神童と*成つて是迄来れり猶〳〵行末力*をそへん」とかきけすやうに夢は其儘さめて奇異の思ひをなし又々神徳いやまし祈けりはや明日は別会の闘鶏千倉が鶏と楽屋が鶏と蹴合の興行此事所々へ聞へしが好人共見物に我も〳〵と乗*込ければ常々の見物と違ひ中々大人数を取込事ならずして俄に両憐の壁を打ぬき桟敷を上と下へかけなんどして顔みせ同前にさはぎける社道理なれ其当日には近在近憐名を得し鶏共を持参し明六つ時よりそゝり立上下の桟敷惣躰の見物人いやはや爪も立ざる有様され共鶏合は是迄の定め有りて鬮取にて蹴合をなし候事ゆへその趣にとりはからひすでにたゝかひ始りける勿ろん唐鶏の蹴合は大詰に極次第〳〵に合せける何れも名鶏西も東も凡廿五六蹴合けれは早昼過に成ける故どこ共なしに見物方よりも「はや大詰の蹴合にせよ外の勝負は常に有どうしておそひ」と言出すと上下大きに騒動する社尤なれ時に会亭罷出「とうざい〳〵」と団扇を以てさはきを静め扨闘鶏の入割委く延「勝負の始り」と言ければ先東の方長崎より持来りし唐鶏つゝ立の丈四尺八寸足筋ふとく眼光中〳〵人間にても只一つ*きに成そふに思はれ見る人ぞつとして「実は是迄蹴合なき社尤」と*どこ共なしに人々しづまりぬ然る所へ楽屋が鶏土俵へ入れば其丈漸一尺四五寸大キに恰合違ければ見る人けでんし「是は見るに及ばず*如何して合せらるゝ物」と皆〳〵思ふ所に土俵の内をくるり〳〵とたがひに廻り中〳〵唐鶏に恐れぬ有様見物少はきいの思ひをなしゐたるにたがひに頭にふり立菊花のことき首毛をいかりすき間をねらふ有様諸見物息を詰て物すさまし*く思ふ折から左右方羽たゝき蹴るよと見へしに倭鶏が羽たゝく金銀の箔唐鶏の眼に当りしや俄に土俵を飛出縁の下へかけ入行衛しらず*失たるは実神仏の御守護にやふしぎと言ふも愚也惣見物声を上「日本の名鶏」と各どつとほめたりけるかゝる所へ上るり位付の評判例年之通堂嶋の会所にてはじまるよし此見物人残らずおしかけんと我も〳〵と急きけり陶呑幸悦び与惣を幸い評者の頭取となし其名を廣く酉の年陶呑幸と諸共にとり〳〵の品定めを我おとらじと鶏の八声にうたふ千秋楽とさかぬ御代社目出度けれ
 
   大坂之部
極上上吉      竹本政太夫
  糸筋をたがへす通ず*播广米
大上上吉      竹本錦太夫
  節はるいなし最上の土佐米
大上上吉      豊竹鐘太夫
  いつくでも知る其名ハ廣嶋米
上上吉       竹本染太夫
  此節付を人〃すいて聞く久留米
上上吉       竹本岡太夫
  聞てやさしく思ひあかし米
上上吉       豊竹麓太夫
  段〳〵と出世あらん今ぞ日出米
上上吉       豊竹十七太夫
  塩も名物気を見る赤穂米
上上吉       竹本音太夫
  小取まはしによく響く種子嶋米
上上士       竹本文太夫
  色で丸めたやうに聞へる嶋原米
上上吉       竹本綱太夫
  細過てめつたに塩が*唐津米
上上        豊竹喜代太夫
  すき間をよく通す伊豫米
上上        竹本咲太夫
  いろ〳〵心の多何や加賀米
上上        豊竹佐渡太夫
  少しつゝ舌打する様に織部米
上上        竹本三根太夫
  そゝけぬやうに思ひます阿蘇米
上上        豊竹其太夫
  折節にはかさるゝ姫路米
上上        豊竹八重太夫
  一トふしとこやらが尼か嶋米
上上        豊竹紀志太夫
  鳴戸の難所をこした阿波米
上上        豊竹頼太夫
  うるほふ水をたゝへて丸亀米
上上        豊竹浅太夫
  目出度おんせい住吉米
巻軸
  木上上吉    豊竹駒太夫
  此道の賢人といふなり小松米
 
   三味線之部
上上吉       鶴沢文蔵  竹
  ゆふ〳〵と一座に羽をのす鶴崎米
上上吉       靍沢名八  豊
  やわらかなにしきに思ふ柳川米
上上吉       鶴沢寛次  豊
  突出してよき表の備後米
上上        竹沢市太良 竹
  きれいにむらのない河内米
上上        鶴沢又吉  竹
  にほい有り気のつよい相良米
上上        鶴沢仲助  豊
  上ケ下ケ自由にした田辺米
上上        大西文吾  竹
上上        冨沢万五良 豊
上上        大西貫蔵  竹
上上        鶴沢辰之助 竹
上上        鶴沢甚吉  豊
  評判に連て人々三池米
 
    京都之部
大上上吉      竹本春太夫
  色は最上とあをく美濃米
上上吉       竹本中太夫
  鐘のごとく照し給へ八田米
上上吉       竹本住太夫
  偖も類なししつかりと能き岡崎米
上上        竹本君太夫
  わさ〳〵と茂ります笹山米
上上        竹本絹太夫
  段〳〵と諸方の取か*たが吉田米
上上        竹本佐世太夫
  見所・聞所多近江米
上上        竹本和佐大夫
  一トくるめに取かこんた大垣米
上上        竹本八尾太夫
  聞てうかるゝふしは小室米
上上        竹本信太夫
  うつくしうてわらぬ伊万里米
巻軸
  上上吉     竹本土佐太夫
  所替らす勤通した長門米
 
  三味線之部
上上吉       竹沢鬼市
  手ぎはのさへた所通*り柳生米
上上士       野沢吉五郎
  いと安らかに聞のよいあの津米
上         竹沢岸三郎
          冨沢勝次郎
 水車にて其名高し淀米
 
四条南かわ芝居沢村國太郎座本にて歌舞奴に操を取組に*て出勤之分、
左に印。
 
太夫   扇谷豊前襟
同    扇谷元太夫
同    扇谷喜美太夫
同    扇谷生駒太夫
同    扇谷冨太夫
同    扇谷多賀太夫
同    扇谷増太夫
同    扇谷和哥太夫
同    扇谷絵馬太夫
三味線  冨沢長蔵
同    大西金二
同    竹沢甚五郎
同    鶴沢友五郎
同    野沢善三
右歌舞奴芝居出勤故位定めか*たし
 
  江戸之部
  首受領之部
 極上上吉    竹本大和掾
  世界で随一ともてはやす尾張米
上上吉      豊竹丹後掾
  万年も替らす聞たし亀田米
 
   若手之部
上上吉      豊竹此太夫
  一統にもてはやす仙台本国米
上上吉      竹本喜代太夫
  手つよく出来ておほふ笠間米
上上吉      竹本志賀太夫
  聞人かんにたへあとも岩付米
上上吉      竹本伊勢太夫
  一トしきりきつい当りを取た古河米
上上吉      豊竹須广太夫
  年〳〵に評判茂る森山米
上上士      竹本村太夫
  此次には語給ふと皆〳〵松本米
上上       豊竹光太夫
  手取り物と聞ゆる伊勢崎米
上上       竹本伊久太夫
  うきやかなる声は小諸米
上上十      竹本折太夫
 ひいきの連中より花を新庄米
上上       豊竹菊太夫
  〆くゝりよく帯のごとし常陸米
上上       豊竹新太夫
  師匠の風によく新田米
上ト       竹本伊太夫
上ト       竹本道太夫
上ト       竹本銀太夫
上ト       竹本佐賀太夫
  声かゝる様にとひいきを松代米
上        豊竹咲太夫
上        豊竹濱太夫
上        豊竹梅太夫
上        豊竹志津太夫
上        竹本妻太夫
  のびやかに見渡す様也房州米
 
   三味線之部
大上上吉    野澤喜八  土
  国〳〵に聞へて其名は高崎米
上上吉     鶴沢重次郎 肥
  一ト座でも此人を館林米
上上吉     野沢冨八  土
 くつきりときれいな白川米
上上士     靍沢園治  肥
  味ひかるし減*香取米
上上      竹本左膳  土
  近年めつきと秀た上総*米
上上      冨沢文次  肥
かけ出す所つなきとめる相馬米
上       竹沢喜四郎  ト
上       竹沢平次   ヒ
上       竹沢冨蔵   ト
上       木村勘蔵   ヒ
上       野沢喜次郎  ト
上       竹沢祐次   ヒ
上       鶴沢兵蔵   ヒ
上       野沢利八   ト
上       竹沢政蔵   ト
上       竹沢輝*吉   ヒ
上       冨沢文冥*   ヒ
上       野沢金吾   ト
上       冨沢伊三良  ト
上       鶴沢善蔵   ヒ
上       竹沢喜曾八  ト
上       竹沢鉄蔵   ト
  位付の相談きまらぬ小原米
 
不出 豊竹肥前掾  座本
不出 西東市之亟  座本
元祖豊竹越前少掾去秋古人に罷成候。爰に印す。
 
元祖豊竹越前少掾
    八十四歳終焉
法名
一音院直覚隆信日重居士
明和元甲申年九月十三日
明和二年
酉三月吉日
浪花東都軒