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【 京大坂操西東見臺 】

(2022.05.15)
提供者:ね太郎
 
    浄瑠璃評判記集成による    
 
京大坂操西東見臺
   都[みやこ]の義太夫[ぎだゆふざ]座は
京   若手[わかて]の手[て]だれ
   次第[しだい]にはづむ西陣[にしじん]の今織[いまをり]
   豊竹座[とよたけざ]の太夫[たゆふ]は手を
大坂  揃[そろ]へたる名人[めいじん]
   やれけなき岩国半紙[いわくにばんし]
   竹本座[たけもとざ]の評判[ひじゃうばん]は
同   古今[ここん]に替[かは]らず
   手打[てうち]連中[れんぢう]もゆるかぬ要石[かなめいし]
 
京上上吉      竹本土佐大夫
 〆リ能き御名人おくふかいところのみへるぎおんばやし
上上吉       竹本春大夫
御こへの美しさはいふに不及おなを聞さへやはらかなあしのまろや
上上吉       竹本桐大夫
つつこんでの語り打もとよりおこへはどこ迄も聞へるだい仏
借大上上吉     竹本岡大夫
評ばんは日まさり高ふなる都の不二ともてはやすひへいざん
上上吉       竹本元大夫
のつしりとして御かうしやな所にみな目をさますあさひやま
上上吉       竹本友大夫
御名人なつめ合ハ色もかもあるのきはの梅
上上        竹本冨大夫
お上手といふはどこ迄もかくれないまくずかはら
上上        竹本住大夫
いつ聞ても見物のおもしろがるぢしゆのさくら
上上        吉竹沢甚三郎
大手なるねじめ世かいを引つゝんだしゆみせん
上上        野沢庄次郎
いとにつれておなの高いりうもんのたき
上ト        竹沢弥吉
げいにこつた一ねんついには大がねにまといつく日高川
上ト        大西友蔵
いろかをもつ冬の梅ゆきのうちにかくるゝさのゝわたり
上上        鶴沢彦三郎
じゆうにまはる御手の内は岩国のそろばんばし
上上吉       鶴沢文二
御上手な評ばんついに見ぬ人もしつてゐるりう佐川
 
    豊竹座目録
功大上上吉     豊竹筑前少掾
そもみのゝはじめよりなはばん天にかくれなきすまのうら
大上上吉      豊竹若大夫
けつかうな御こゑはくめどもつきぬわきいづるみづうみ
大上上吉      豊竹駒大夫
御かうしやはかたをくらぶる人もなきみがき立たおとこ山
上上吉       豊竹新大夫
秋をまつ斗心かはらぬ江どにないほどの□かを山
上上吉       豊竹鐘大夫
いつまでもとめおいてしばゐのも中にしたひさらしな
上上吉       豊竹時大夫
はたのよい手さはりにれん中のまきゑどうぐ箱入の通天
上上吉       豊竹十七大夫
とかく若とでうぶなとが此てがしはの一こゑにしのだのもり
上上吉       豊竹伊豆大夫
きくからどふでもあまみの有松のいろはかわらぬすみよし
上上士       豊竹鰭大夫
ひいきのぼりはだん〴〵にましてくる大みね山
上上士       豊竹諏訪大夫
此みちを御みがきゆへくもりけのないかゞみやま
 
     三味線之部
大上上吉      鶴沢十次郎
いとによる人心丁とめふてかよひくるおだまきにみわの山
上上        冨沢伊八郎
御しゆつせにつれてふたばのことはかたい石山
上上        冨沢正五郎
しだひ〳〵にひやうばんのます印はいなのさゝはら
上上        鶴沢龜次郎
ひくにひかれぬわが思ひはにしきをいづる夏のうぢ川
上上        鶴沢名八郎
引込たいとの音に思ひをながすかつら川
上上吉       冨沢藤次郎
おてぎはゝいつとてもとかくきゝのよい有馬のゆ
 
    竹本座目録
實大上上吉     竹本大和豫
神代からの行義をくづさずおん曲のずい一は天のはしだて
名大上上      吉竹本政大夫
はりまどのゝおもかげに少もかはらぬ上るりのひゞきおのへのかね
上上吉       竹本千賀大夫
たれも手をおくほどのやはらかさは又とないならうちわ
上上吉       竹本紋大夫
御出せはだん〴〵にふきよせてくるめなみおなみのわかのうら
上上吉       竹本染大夫
いつの間に此やうな名人になり給ふとあきれるふじの山
上上吉       竹本長門大夫
ちいそふてもどこやらにきゝ所のある今みやのもり
上上吉       竹本中大夫
しめてきくほどおんせいの出る御しゆつせはあつゞみがたき
 
   三味線之部
古大上上吉     野沢喜八郎
ひくことはむかしより今此人にとゞめしちくぶしま
上上士       鶴沢文蔵
しだひに出せを引いだす三すぢのいとのおとわ山
上上        大西長蔵
ひくいとの音きくからにわつさりとして心もきよたき
上上        大西音次郎
きくからににぎはしい心もいきむかふとやま
上上士       竹沢宗吉
ねじめのうつくしさはたれもきゝとれるみゝづか
大上上吉      大西藤蔵
おふやうなところにおいてつゞきてはないむさしのゝ
 
目録終
 
これハめつらしい
にわか指南
まづおきゝ下さりませ
 
上[かみ]に天雷[てんらい]あれば下[しも]に地震あり。けいせいに手くだあれば武家[ぶけ]にけいりやくをなす。西[にし]に大和[やまと]あれば東[ひんがし]に筑前[ちくぜん]ありとまけず。京に浅[あさ]ぎとのゝしれは江戸に紫[むらさき]とこたへ。公家衆[くげしゆ]に沓冠[くつかふり]とをとたかければ百性にわらぢほうかふりといふ二井[ふたつゐ]ほれば北に女夫池[めをといけ]とくよりわき出[いで]。いせものがたりあれば百物かたり有りと。つべこべしやべるかむろあれば御寺がたに新[しん]ぼちあり。味[み]そするをとすればのきをふく菖蒲の雨[あめ]にのぼりの鈴[すゞ]もにぎはしく。よしありげなるおもてつき一間[いつけん]の出来合[できあひ]がうしに。かきのれんなるほどゆつたりとかけ。たいこ屋ともみへず。はいかい師[し]にてもなし。只[たゞ]御文うけ取り所と思へたり。おもてにはせにかごおろしてあれど。むくりこくりのこゑにはあらで黒[くろ]ざやのおびしたるかけこひ二三人。あるじは他行[たぎやう]と見へて。小ぎれいなるいわらじの。上手[じやうづ]をつくしてうけつ。こたへつ。古きせりふをあたらしくつなぐ。節季[せつき]あれば江南[こうなん]の禅寺[ぜんでら]にもんだうありててつげん和[を]しやうとおぼしきが高座[こうざ]にあがり。つぶりに。しこうもうすといふ物をめされ。ひだりの手にほつすをふり。右に大仏[たいふつ]のつかれそふなつゑをつき。くろごろもきたるぼん様と。何やらたがいに。ちんぷんといわるゝは耳[みゝ]へはいらぬ人がち。あまりおもしろもなきものと。ざわ〳〵帰[かへ]る七八人中にもすこし学文[がくもん]ある御町内[おてうない]の孔明[こうめい]ともいひそふな人と見へサテ今のもんだうに『鶏[にわとり]さむふして木にのぼり鳧[かも]さむふしで水に入ル』といふ事が有つたが。いかにもおもしろいこと。みなそれ〳〵の性得[しやうとく]に得[ゑ]た事といふたもの。どふても宗旨は禅[ぜん]で御[ご]ざりますと。並木[なみき]のかげも。はなしにまぎれていつの間にやら打すぎ。かたへを見れは建仁寺[けんにんじ]の竹がきに。ふく万と書しるし。そのわきにちよつこりとした。掛[かけ]いたに。五月四日。にわか評義所とかきつけあり。ヒヤおもしろき表札[ひやうさつ]その上五日共しそふな所を。四かとしたは。きつうくろいせんさく。さいわいと今日じやが。われらも一トもんだう仕ツろうと。皆どや〳〵とはいれば。わかき男。おなごまじりに二三人居[い]るばかり。是はさびしい。けふはにわか評義と書付ケが出てあるゆへ。はいつたに何の評義もないは。どふじやととへば。しぶの前だれに。手ぬぐいをかたにかけたる男。いかにも〳〵今日て御さりますれども。未[いま]タどなたにも御見へなされぬゆへ。見合してをりまする。しかし頭取分の御方三四人をくに御出なされてゝ御ざります。あれへ御通りなされませ。そんならあれへまいろうかと。皆うちくつろけば。内にははやはじめると見へて。立ゑぼしにすあふ着たる人。一人しさいらしきかほつきにしはぶき二ツ三ツして。かいおけにこし打かけかやうに候者は大名〳〵。八まん大名。わが両人のめしつかい。此比みやこへまいりしが。やう〳〵先刻[せんこく]かへつたと御ざあるが。さらばよび出して都のことをたづにようと存[ぞん]ずる。ヤア〳〵太郎くわじや。あるか〳〵。ハア御まへに候。ホヽねんなふはやかつた。なんぢ。このほどみやこへまいりしに何ンぞ。めづらしいことどもはなかつたか。ハア何がなよきものをとそんじまして。あちこちとたづねましたる所に。四条河原のほとりにて一ツの玉をもとめて。其ゆへをたつねましたれば。昔もろこしの玄宗皇帝[げんそうくわうてい]三千の歌舞[かぶ]音曲かうをつの次第をつねに此玉にてわかち給ひしを。あんろく山がみだれの後。わが朝[てう]へ来りしもの也とふしぎにたづねあたりしゆへ。たのふだ御方へのみやげとぞんじまして。もとめてまいりました。ホヽそれはいちだんとよかろふ。音曲[をんぎよく]のよしあしをわかつとあるからは。つね〴〵なんぢらにもいふ通り。浄留利[しやうるり]の甲乙[かうをつ]をはんだんせんと思ふをりなれば。なんぢらを相手にして。にわかよりは。まづ浄るりの次第を評義せんといへば。となりざしきにまちかねたる六七人たまりかねて。ふすまをあけて。何浄るりひやうばん遊[あそ]ばすとや。それはわれらものぞむ所。にはかよりなを。一トしほよかろふといへば。物にせいた樋[ひ]の口[くち]屋といふ。かみやのをやぢつゝといで御中言[ごちうげん]ながら。あやつり評ばんとあれば。跡さきみずに巻頭[くわんどう]は大和とのにしてもらふといへは。のこり四五人イヤ〳〵ちく前[ぜん]とのがよかろ。イや政太[まさた]どのゝ。イヤ若太[わかた]。駒太[こまた]。とわれをわすれて高声[かうしやう]にせり合ひ。すでにつかみあわんそのいきほひ。とうざい〳〵。さやうにせりあひ給ひては一ツかう物の評義[ひやうぎ]がつきませぬ。それをさせまいためばかり。はる〴〵持[もち]かへりし彼[かの]もろこしより来れる此玉[たま]。しんを取りて評義を付給へ。まづ今日の頭[とう]取り。わらは。くわいもとになりませふと。すあふの袖たぶやかに。もみゑほうしに両竹[りやうちく]の風をふくみ。ざしきせばくとふんばたかり。音曲[をんぎよく]の二字[じ]を宝珠[ほうじゆ]にうつし見れば名所[めいしよ]の二字[じ]あらはれけり。さては。太夫の甲乙其位[そのくらひ]名所にさたむべしとのゝしりけり。扨それより段[だん]〴〵せり合をぞはしめける
          趣向人我に城の邊
                       八幡大名
  座本 豊竹筑後掾  新上るり
ときわ御ぜん
姫小松子日[ひめこまつねのび]の遊[あそび]
ゆや御ぜん   五段続
  大夫 竹本大和掾
 
 
  座本 竹本越前少掾 新上るり
   ころものたては
   ほころびにけり
前九年奥刕合戦[ぜんくねんおうしうかつせん]
           五段続
  としをへし
   糸のみたれの
    ものうさに  
  大夫 豊竹筑前少掾
 
それはむふんべつじや  いや〳〵そふでない
しづまり給へ  マアきけ〳〵 いやさむりはいはぬ
 
 
扨また皆様へ失念いたしました事が御ざります此度豊竹筑前殿一世一代の出語リ清和源氏の替り上るり此度の評に仕ませうかいづれも様御心まかせに仕りませうヲヽそれよかろ清和〳〵イヤ〳〵頭取能フ分別さしやれ尤清和もよかろうが竹本にも大当リの跡今ではふるびが有る仏の顔も三度といへばなんぼ能出来た上るりでも皆聞あひて居るそれと今替りと一所には成まい〳〵イヤ〳〵それでもせいわ〳〵ハテ聞分のないイヤ申〃是はどちらも御尤しかし私が存ますは竹本も久しう致されますれば新替りに間も御ざりますまいこりや尤じやイヤ〳〵尤でない竹本に新替りが出る時分[じぶん]は清和が又ふるなるがサア〳〵そこで御座ります其時清和も只今の気あんばいで評を致しますてやサア早ふはじめい〳〵しからば此度は竹本の姫小松と豊竹の前九年とで評を仕りませうまだ口上が御座ります時大夫殿事此度此大夫と変名いたされ御出世で御ざります竹本座にも鳴門大夫殿と申が出られますこれとてもさうほう共此たびは評を残し跡評判に仕りませうヲヽどうなりと〳〵まあ早ふ座なみが聞たいかしこまりましたしからば是からはじまりで御座ります
 
借大上上吉            竹本岡大夫
[大名] 扨此所にては岡大夫殿を評判[ひやうばん]仕りましやう[惣連中] これ〳〵大名それは何事をいはるゝ外ニ人もなげに大坂には大和の掾・筑前殿をはじめ政太殿の若太殿・駒太どのゝと暦〃をさし置て岡太殿とはあんまりなせりふじや[大名] 御尤の御ひはんで御ざりますしかし爰にかふ御ざります尤義大夫節[ぶし]は京都の御連中と所〃御ひいきかかはりますひつきやう各〃方へかやうに申せは釈迦[しやか]に経[きやう]て御ざりますれどなにはのあしにいせの浜荻都のあさうり・大坂の白瓜と同しものでもかわりめが御ざりますゆへ京都は別評に仕ります[京連]ヲヽそうじや〳〵とかく大名の心まかせにして岡太殿の評判早ふ聞たいナ[大名]先岡太殿の此度の御出来団七徳兵衛の詰合殊にだん七女房を三ぶが連レていぬるさわりのあはれさ[土佐ひいき]これ〳〵お大名さまイヤ殿おれも京のものじやがさつきにから聞ていれはあまり口上かいつこふ過るそして土佐タ殿はとこらへなをすのじや殊にこちの土佐殿は一ト場[ば]や二場じや御さらぬそや[大名]なる程〳〵御尤土佐殿義も先京都の一チ筆尤岡太どの此度の役わり一場とわ申ながら先年此場はちくぜん殿此大夫の右リほねを折られました場をやす〳〵としかもあたりをとられます事大ていのこととおぼへませぬそれゆへ壱ばんニ直しましたイヤ又しつぽりとてづよい段よつぽどの御かうしやでなくはと見ぶつもとかく此度の評ばんの一〃としげきは竹本のいしづへにもなるべき大夫さまとなにはにもひやうばん〳〵
 
上上吉              竹本土佐大夫
[大名]扨此所にて土佐殿を[春ひいき]コリヤ〳〵ソリヤ何いふのじやイヤあんまりたいくつではらが立はいのもふこちの春殿を出すかと思へば又土佐太殿とはなんのこつちやこな大みやうはたれぞになんぞもろふたそふなサア〳〵此場はぜひ共春殿出してもらふかい[大名]イヤ〳〵其やうにおはら立られますな尤春太殿も段〃評判よろしく御さりますが此土佐太殿は先上るりがおちつきメリのよい所しかも此度は大序の語り口昔は大夫か開きましたとの事[元ひいき]イヤこれ俄[にはか]大名あんまりすは〳〵何のこつちや上るりのおぼへじまん置てもらを京の者は上るりのすへは知ラぬかいまあ所ひいきじやないか元太殿の上るりうつくしうてのつしりとしてかたり口もしめ〳〵とそれてもこゝへなをすのか[大名]なる程〳〵春太殿・元太殿いづれにもおろかも御さりませぬしかし土佐太殿義床もふるふ御ざりますもとより上るり修行もそも房太夫と申時分から段〃御かうしや何いはせても間に合ます誠に三段目語りにしてもにくふないといふ町〃のとり〴〵
 
上上吉               竹本春大夫
[大名] さあ此所は御存の春太殿を評仕ります[元ひいき]これは扨大名はねこといはるゝか元太殿はどふでゑす顔があたらしければ当りが有ても評ばんを跡へ廻すかそんな評ばんなら取り置てもらひましよぞ[大名]イヤ申〃御腹立なされますなしかし春太殿事は此度にかぎりませず段〃当りかつゞきまし殊更[ことさら]道風のわかれの段大坂は不申及京都迄其大評ばん色ざと・古町のわかちなくにらむ道風なく母上といぬ打子供迄か口うつしする程の大当り[元ひいき]イヤ〳〵そりやかつて評判といふものじや当ツた事かぞやうならまあ元太殿豊竹に居られた時出はじめから酒天どうじの二詰の大当りまんこ将軍のゆとうふやのちやり場[ば]殊更春太殿はとこやらいやみかあつてわき〳〵の評ばんはこま太殿と大和どのとを一ツ所にした語り口じやといふ慮外ながらこちの元太殿はなんでもござれ其上人まねはせぬ尤大和殿ににた所もあれとこれはうぶからうつくしいこへゆへじやそれに春太殿とはいつ迄元太殿を引ずるのじや[大名]イヤ〳〵申〃其やうにせりかけておつしやつて下さりますな成ル程仰[おゝせ]らるゝ通り元太殿も段〃当りも御ざりますしかれ共それは座が替[かは]り所が替りますしかし先此度のお出来道具やの段てはうばと娘のうれい声[こへ]を遣[つか]ひわけられ同しく六段目のかたり打春大夫様ならではとよだれを流[なが]す見物の評ばん殊にお声の美しさ此芝居[ばゐ]の鑑[かゞみ]じやとみがき立た評ばん〳〵
 
上上吉               竹本元大夫
[大名]扨御待久しう御さりませう此所て元太夫殿を評仕ります[桐ひいき]いやそりやわるかろ桐太殿をそこへは出してもらひましよ[友ひいき]イヤ〳〵友太殿を直してくだされ[大名]イヤさうほう共御しづまりなされませわたくしもかり大名いつれにゑこも御ざりませぬマア〳〵此所は元太殿を評仕ります先此度の夏祭リ二場共の御出来殊に玉嶋の段殊之外御出来此度は場所も本格では御ざりませぬ跡替りか聞ものじやととり〳〵と元太さまを待兼山のこがね大夫ともみにもむ木戸口の評ばん
 
上上吉               竹本桐大夫
[大名]扨此所は桐太殿の評に仕りませう[友ひいき]これはさて人をあほうにするこのば是非[ぜひ]共友太殿とおもふて居るそれに桐太殿とは出なをせ〳〵[大名]成程〳〵友太殿桐太股どちらもごかくに相見へますしかし此度は桐太殿の場あたりか強[つよ]ふ御ざりますゆへ此所へなをしましたマア此度舅[しうと]ころしの段つゝこんでの語り打いつもながらと申なからてびしい〳〵マア大坂は格別[かくべつ]今都での世話語りの開山〳〵
 
上上吉               竹本友太夫
[大名]只今かの友太殿を評を仕ります[冨ひいき]これ〳〵こちの冨太殿はとふして下さるハテ扨口〃に仰られますな此友太殿義桐大殿とつるんでも評仕るはつなれと夏祭りの当り桐太殿へ団か上りましたゆへ友太殿を此所へ直しました扨御かうしやいつてものつしりと鶴[つる]のあゆみは友太殿此度の屋鋪の段くらひ事又とあるまい〳〵見物もおのづと割[わり]ひざで聞入ルとの御噂[うはさ]〳〵
 
上上                竹本冨大夫殿
 猶[なを]又此場か冨太殿と定[さだ]めます扨〃きいたよりは御かうしやのび〳〵と御語り追付此芝居のいしずへとも御なりなされませうとひやうばん〳〵
 
上上                竹本住大夫殿
[大名]扨どなたも御たいくつに御さりませうもはや京都座評ばんも此住大殿切に而又大坂評にかゝります先ツ此住太殿やはらまんぢうのむし立上るりとの評ばんすへながふ御ひいき方どれも〳〵一こぶしづゝ有ルとの御聞分猶御座を〆られましやう大坂評判にかゝります先大名も暫らく息キをつぎぎせるの烟[けふり]りとともに立のぼる大夫方の評ばん〳〵
 
功大上上吉             豊竹筑前少掾
[大名]扨久〃にて御意得ます。大坂音曲の巻頭豊竹筑前殿を此所て評ばん仕りませふ[やまとひいき]マア〳〵会本の御大名。物ごとのわかるこそ頭取リ共いふべきか。それに何ンぞや跡さきも見ずいのしゝ評判。置てもらおふ[まさたひいき]それ〳〵そふだ〳〵おらゝはおんごく者だゆへものゝいひやうはしらないからくちをつまへて居れはほうずがない忝なくもおらゝがねがい奉る御本尊竹本政太夫殿三段目一度もわるい事なしおそらく三段めがたりの天上殊にちくぜんどの浄るりのかたり口物まねやら何やらかやらちやりちらかされるそれでも太夫ぶん巻頭の行義か但シ頭取には東のしばゐにゑんでも有るかへその上に手を置て今一度置なをせ〳〵[大名]サア〳〵そこで御ざります当世はとかく小また取つてなりともかつがよいと申道理をくみわけられ今やうのかたり口それはしかれ筑前どの置ました訳はしばゐじゆりやうかた〴〵[やまとひいき]コリヤ耳のない国へいてそんな評ばんをせいじゆりやうゆへと有るかそんならこつちの大和どのちくぜんとのよりゆかも古しその上しゆりやう是にも何ぞしやべる事か有るかその口ではいひわけあるまい新しい口をあたまへあげていひわけをさそか[かみや]アヽコレ〳〵爰は上るりの評ばん所。それにせんくわなされてはすみますまひ。是には色々だん〳〵の訳も有り。尤大和どのと。ちく前どのと。巻頭のあらそひ。是には大分わけ来歴と斗申てしさい申さねば。又私があたまへも尻のきそふなこと。命にはかへられぬゆへ。顔をあか紙にしてまた青紙なわたくしめが。会本どのにかわり始終の訳を申ます。成程竹本大和殿。ゆかも古し。しゆりやうもなされて御されども。度〃当地御中絶有り候ゆへ。御ひいきもちぐはぐ。評はん所にも。御目にかゝらぬこと。たび〳〵有り。又筑前どの初床は西竹本座にて大政入道。それより東西とかわれ。ども当地御ひいきにやすむひまなし。定て爰のわけゆへまづ会本も筑前どのをくわんとうにおかれた物で御さりませう。とかく物ごとは七九寸に御らうじましてよう御ざりませう。大和どのも当地名音曲て御ざりますれば会本あしいやうには致されますまいとかく半紙私に御まかせ有て。会本のいわるゝを御きゝくだされませう[大名]扨此度前九年の大序ひらきよりしつかり致て成程太夫分の御語り口次三段目ヲクリの跡少しばかり奴人形のちやり是はよいと申が不調法御家の義後誠の権五郎の首打てより二人のつま権ノ太夫大うれひきびしい御出来。ことはまじりにて。見物をなかす事。此御人の御家がら。今にはじまらぬ事。段切りとりの海・小六つめ合に丈夫に御語り。此度は御調子も高しとの評ばん長らく三段目をたへぬやうにと。町〳〵評ばんおそらく御こうしやな事今の世に一人も有ルまい〳〵
 
名大上上吉             竹本政太夫
[大みやう]東西〳〵扨。御待どふに御ざりましよ。此所竹本政太夫どの評はん仕りませう[わかひいき]コレ〳〵会本どのとやら。わしは老人ゆへみゝもろくにきこへぬが。当世をいへばこつちの若太夫どの今大坂に声のつゝく人はない若太夫どのを置なをしてもらをふ[きゝじまん]それ〳〵そふてござるとちらのひいきもせぬがわれらも老人まづむかしよりれき〳〵の名人あれどそれ〳〵にくせの有ル物此親仁上るりは語らねどいきすぐして当年百八ツ三浦の大助より二ツかつたをひぼれ道場では一ばんのひいき連中まづ義太夫の語られし時分には天わうじとくや利兵衛と一二をあらそふたほどの我等しかし近年の浄るりは色〃と時節もかはれば違てふしおちなぞかぎくついてきゝにくひもはや此政太殿も三段目語らるれは同しくはすなをにせん政どのゝやうに。かたつてもらひたい物じや[ひいき連中]頼風絞り八まきした四五人ヤイ〳〵老ぼれづら。年寄りじやと思ふて。さいぜんからゆるめて置ば。いろ〳〵のねごと。貴様のやうなをのへんくつといふわいのこれ昔のやりを。今のすみかきといふ事をしらぬか。此政どの忝も三段目の初床うけとられてより。一どもわるかつたことがない。又政太夫どの。折〳〵京へいかれた跡。大坂中の宮〃のけいこ場。其外町〃のけいこや立会が出来ぬけな。をくきこよりは。ぐちなおやぢどの。きり〳〵いなれい〳〵。出やらずはせつきにあまつたひいらぎを出してつかふか。但し命か二ツあるか。又大名も大名がほしやつても此ばでは何ニともない。いいわけをきり〳〵しや[大みやう]あゝこれ〳〵まづしばらく〳〵。こちらは御老人。当世を御しりなされぬ一チずいにふるひ評ばん。それをわたくしが取上ませうが。まあ〳〵御しづまり有れ。扨当二月朔日の初日姫小松の評ばん。すみ〳〵までとをりました。ことに二段目の中東屋のうれひ。しゆんくわんの謡の心にて御かたりきびしいとの評ばん。其後三段目つめおやすに落付さるゝかたり口。夫より産やの入用道具書とめらるゝ迄。ちやりまによし。扨平産あるまへ一口斗障子をあける所ことばに付られしは。又お上手〳〵。若君誕生よろこび後物がたりは御家のことなれば。殊の外の大出来〳〵。御作方と申。御かたりくち。よく揃た近年の三段目。何もかもあたらしい事。あんずれば有る物と町中は是ざた。おやすはやめを持て行所人形によくあいました。おもしろい事〳〵。いつも申事ながら。そも初ゆかの真鳥より一度もあしいことなく。まつたく文正翁先生におもざしが有ゆへかと端〳〵の大評判なを〳〵すへ頼み〳〵京都へも御出なくながらく当地にて三段目をゆるがぬやうに石より堅い金箱様〳〵
 
大上上吉              豊竹若太夫
[大名]さて〳〵おくれまして。豊竹若太夫どの評ばん仕ります。各さま御座をくつさずとも。とくと御聞くだされませう[こまひいき]これ〳〵頭取りとつくりと評ばんを頼ます。段〳〵上より義理がつみ。三番目たしかにこつちの駒太夫どの評ばんじやと思ふたに。若太夫どのとは。少きよくがない豊竹ばへぬきの駒太夫どのを直[なを]してもらをふ[ちか連中]イヤ〳〵御ふたりながら御しづまり有ツて。此場はこつちの千賀どのゝばじや。とつくりと会本思案〳〵[大名]御両人とも御尤しかし千賀どのは御語りばも此比序結と承れば評ばん致す場所も御ざります又駒太夫どの義はいかにも豊竹はへぬきなれど役場[やくば]にて座をきはめますれば先三四のつゞきなれば若太どのを此所へ置まして此度奥州合戦にて二段目の口道行の後てれもせず殊更関東なまり夫より馬子うたおもしろき事三重かけ成権五郎を引立行所御ふし付ケ珍しい後四段めはんなりと御かたり次により時せつふくしてよりしつほりとうれひとかく大和太夫とのより四段目のつめは天が下に此御人ひとりと大坂中は申スにおよはずはらにあなのあいた国迄大評ばん〳〵
 
大上上吉              豊竹駒太夫
[大名]さあ駒太夫どの音曲評ばん仕りますが。どなたも御このみは御ざりますまい[ちかひいき]いやなめな。会本申分ン有るが。なんと。こちの千賀大夫どの此場はちがはぬとおもふて居るのに。ひやうたんでおさへるやうに。又駒太夫どのかぬらくらせずととつくりとひやうばんをしてもらひましよ[大みやう]これはしたり気がのぼります。先達て申ます通りりんもうも違へぬ善四郎がはかりごとをかつて。あしいやうにはいたしませぬ。此度前九年道行いつにかぎらず。御ふし付け。次二段目のつめ。あげやのばヲクリ後くらまぎれにてむすめ。けいせいみやこをころし。母衣手取違たるくやみのうれい。評をいたすにおよはぬ御こうしや〳〵。前の替りあしかゞ染ノ二の切。ぬけて出しうつし画にいけんのうれい。成ル程此人ならでは。語る人なしとの評ばん。音曲の道においては。今のせかいに。一といふて二三のない太夫さまと。うばにだかれた子供までが。ひきます〳〵
 
上上吉               竹本千賀太夫
[大みやう]いで。千賀太夫との評ばん[かね太連中]こりや〳〵会本。目がさめずば道頓ぼりといふ。大たらいの水でつらをあらふてやろか。こりややいこちの鐘太夫どのは。そも序づめのはつゆか。こし越状では二の切り。是程の名太夫千賀太とは入れかへてもらいたい。殊に此度姫小松大序に宗盛のふしおち。文弥のやうなこと宗盛がやすふ見へてわるし。但しはちやりでやらるゝのかと。こちの方の連中の評ばん。其上少〃御言葉がせはしい。ちとおちついて御かたりあれ[くし屋]これ〳〵めつたにいわしやるな。いすにのつたやうに口上誰がつげでいふのじや。千賀どのをわるふいわるゝと。此びんのふいた。ときくし男が。あいてになるぞ[大名]何れも様。まづ〳〵いさかひは御無用。中とつて此会本か申ます事。とつくりと御きゝなされませ。此度の子の日の遊びに序切りの重盛ほうらつのかたり口きついもの。其うへ常盤の狂人の内を。御師匠さま先年語り給ふ伊豆院宣。さぬきの住吉物狂を。とくと工夫ありて。文に合し付られしだん。取りました。其後段切り御達者におかたり。其上人形道具立。近年の序切り。後に役場四のなか白拍子のふし事。後ときは御前のうれい。引上ての御かたり。てれけ少しもなし。随分〳〵御心をつけられて。御出世は近きうちと。びつくりした手打連中
 
上上吉               豊竹鐘太夫
[大名]さて此所ては新太夫どの御連中より。御さつとも御ざりませう。なれども。先もじ申通り。口とつめとのわけ御されば。おし付わざに鐘太夫どの評ばん仕ります。此度。前九年序切伊具の十郎やかた権五郎父の名代に来り。もじずりとの色事後段切りかよはき御声を丈夫に御つかい。ひとへに御こうしや〳〵。どふぞなろふ事なら。一の谷の序切のやうな事をと。替り度ごとに月待・日待のやうに。ほらをふく山ぶし迄がときんをあせにひたして待つております
 
上上吉               豊竹新太夫
[大みやう]扨豊竹新[もん太ひいき]いやいわして置けばあんまりな。けたいがわるひぞ。さいぜんから。つめのくちのと。しかつべらしうやるが。そんならなぜ。こちの紋太夫どのを此場へださぬ[大名]御尤〳〵是には一言も申分は御ざりませぬ。しかし。前のへん当地御勤の時。たび〳〵御手がら有り。殊に橋くやう二段目のつめのやう成ル大出来も御ざりますれば。此場は。われらへのもらひにいたし。新太夫どのをすへました。ひぢはまつげ当かわり奥州合戦三ノ口御語り内。地みちなこと。又〳〵ねんらいの御こうしや。当地の大あたり且は江戸おもてへ外ぶんとの町〳〵はし〴〵までうるをひます〳〵
 
上上吉               竹本紋太夫
[大名]さて御待遠に御ざりませふ。紋太夫どの此所にて評ばん仕りませう[そめ太ひいき]まつた〳〵。会本どの。たこではないか。ともぐひと御さげしみもはづかしければ。かほをつゝんだ。かます袖のめんをきて申上ケます。こつちの染太夫どの。此所にきはまつた人。なぜに評ばんをせぬ。大みやうどの,但しは紋太夫どのにたのまれたのか。さなくばゑぼしであたまをしめて。染太どのを此所へ置なをしてもらふへんたうはどふじや[大名]なるほど〳〵くわじやか仰せらるゝ通りなれば。先見物さまのおなしみの深[ふか]いのか大仏ばしらなればゆるがぬ紋太夫とのを此所に置ました[女中くみ]通りかゝてきにくいわいなア。ひいきといへばあじイなこと。何事なしに。こちの時様を置ておくれ。とかく〳〵。時さんをなぜひやうばんしてくれなんせんおゝすかん[いしやとの]いかにも〳〵われらも上るりがすきでかわり〳〵にはづさぬが。此紋太との成程はつゆかよりはめつき〳〵とあがりました。しかし御こゑがよいゆへか。又但し御師匠かづさとのゝ御ゆづりかちよこ〳〵と御ひき。玉にきづじやまで[大名]これはしたり御医者さま迄が御出なされ。音曲の評ばんをなさる。それも御ひいきからのこと。又染太どのこと。此紋太どのは床も古し。度〃序づめも御勤なされたゆへ。この所になをしました。此度姫小松の二ノ口次郎九郎のことばかなふ御語り。まくまへの文弥。道具や。何れもやう付ました。後三ノ中。申やうなき語うち。二ノ口とは。はるかのきてのふし付ケ。とふぞ〳〵。上総どのゝ跡をつぎ給へと町〳〵にかわり〳〵をたのしみにして待ております〳〵
 
上上吉               豊竹時太夫
[大名]どなたも御待びさしう御ざりましよ。此所にて時太夫どのを上るり評ばん仕ります[そめ太ひいき]やれ〳〵待てもらを〳〵色をみてあくをさせといふたとへ会本にはしらずか今を日の出の染太夫どの。それをさし置。時太どのとは。とけいのはりが違たやうに思ふ。とつくりと。きざを見てかけかへてもらひましよ[大名]成程〳〵。染太どのゝ事は私もじよさいは御ざりませぬ。しかし。先時太どのは。床もふるし。是まであしいことなく。それゆへ此所にすへました。扨。当替り前九年三ノ中水茶やおくに来り。とみの前とのせり合殊之外の出来。次。権五郎ととみのまへとのうれい。大出来〳〵。折〳〵はお師せうのおもかげが出ましてうまひ事〳〵。後四の口大ちやり。門躍りの物真似殊之外うつりました。とかく御きようはだな音曲。御師匠ちくぜんどのも御よろこびで御ざりましよ。時太夫と御師匠御付被成しも時鐘といふ心にて右キか左りかといふ御一人なれば。どふぞ御たるみなく。御情をいだされ。筑前どのゝかわりにしたいと。町中の評ばん〳〵
 
上上吉               竹本染太夫
[大名]扨染太夫どの[ながとひいき]こちの長門太夫どのは。どふするののじや[大名]なるほど其義は此次にて申ます。とかく御床の新しさに。此場まで待せました。さて。染太夫どの。初床より評ばんの落たことけし程もなし。殊にかいぢんもみぢに三の中外にかたる御人もあるまいといふほどの評ばん。くろと谷へきつう〳〵取りました。此度姫小松序づめの口。宗盛のちやり重〃[をも〳〵]しう少しもげびず。殊にふし付ケ。後ゆやと唯盛との色。かたくろしう心を付たかたり口ヲクリ迄少もくずなし。次三ノ口亀王がうち同宿坊主のどうけ。あべの童子から付へき文弥を元より此身すきのみちと付られし所。当世にこと〴〵あい。申しやうなし。扨三重まで手丈夫に御語り。道行いさぎやうさつぱりと出来ました。四ノ口長門どのとかけ合六方なにをきらひなく大丈夫道とんぼりの棟梁[ろうりやう]に御なりはあんの内とかく竹本のすへたのみ〳〵
 
上上吉               竹本長門太夫
[大名]扨京とうより又かへり新参にて。大坂を御つとめお久しぶりにてうるはしき音曲。是まで御引の間。評ばんもいたしませなんだ。此度子日の遊ひ。序の中殊之外の御出来。そのゝち道行のシテ。また四の口染太どのとかけ合。はなやかにて。おもしろい事。随分〳〵と御出世を待ます〳〵
 
上上吉               豊竹十七太夫
[大名]しばらく〳〵。十七太夫どの音曲の評ばん仕りませう。段〳〵御つとめゆへ。やくばも御受取り。前九年の序ノ中八幡太郎水天の段。丈夫に御語り。次二ノ中ヲクリまで御つとめ。心がけのよきゆへか。次第におもしろ成るといふ評ばん。とかく。けつかうな御こゑ。随分〳〵御しゆぎやうあれかしと。ひいきれん中のねがひ〳〵
 
上上吉               豊竹伊豆太夫
[大名]伊豆太夫どの評ばんの場所[中太ひいき]ヤレ〳〵会本にはとかく目があかぬそふな。こちの中太夫どのを。わすれて居るのか。どふした物じや思案〳〵[大名]御尤末一段の評ばんに。わるいやうにはいたしませぬ。此度。前九年四の中牡丹の誓[たとへ]言の間タぬけ目なく御語り。成ほどおもしろきこと。又御こうしや〳〵。ながらく此芝居。御はなれなき様に町〳〵のひやうばん
 
上上吉               竹本中太夫
[大名]堺からすくの中太夫どのを。此所て評ばん仕りませう。段〳〵御情が出ますやら。きつい御出世。此度姫小松二の結。まくあけは琴うた。六ツかしそふな物を。くにもなされず。一たい言葉のつめ合。折〳〵はうまいこと度〃あり。五段目とかく丈夫なこと。御出世は手の下。第一けつかうな御声。今一トいき御ぬかりなく。御名の中の字に合して三段目を御勤あるやうにと。はし〴〵の評ばん
 
上上士               豊竹鰭太夫
[大名]豊竹鰭太夫どの。奥州合戦にて五段目御ふしからよく付ました[すは太ひいき]いや〳〵是〳〵こちの諏訪太夫どのをなせ評ばんせぬぞ[大名]いかにも〳〵此御両人は。つり合ひにもいたしたいほどの義なれども。鰭太夫どの。なしみがふかし。夫故此所にて。大出来の評ばん。端[はし]〳〵までとゞきました
 
上上士               豊竹諏訪太夫
[大名]さて諏訪太夫どの義は。道行駒太どのワキ。御かたり又五段目御役場。何れも御達者な御声。此度はとくと評ばんもいたさず。何とぞつぎのかわりに。やくばを御うけ取りなされし時。しつかりと御ひやうばんつかまつりましよ
 
實大上上吉             竹本大和掾
[大名]日本惣巻軸。竹本大和掾どの御評はん此所まで延しませしも。物ごとには。はじめ終りと申事御ざりますれば。惣巻軸に置べき御太夫。三ケ津に此やまとどのより外になし。第一音曲の行義をくづさず。いにしへの小野ゝお通の時代はいさしらず。近代井上播磨どのよりひろまりし。上るりの作法。おもかげ。りんもうをちがへず。胡麻章。ふし付ケ。新上るりの本出にも。此大和どの場には。しゆすゞりをとんとわすれて置ほどの事。とにかく上るりはかふでありそなもの[わるくち]これ〳〵大名。日本の三ケの津のと。何をねごといわるゝ。やまと殿かたり口は。とかくさびしいてたいくつしまする。しばゐはきをはらすこそよし。かへつていねむりがてる。ことに。きんねんわかいものが大和ばをいふ事はない。それでもいひぶん有か。おかみをかろしめたいとくさいひやうばんおいてもらを[大名]これはしたり上るりがさびしいとて御りつふく。それは大きなまちがい。まこといにしへのかゞみといふは。此お人。又出がたりなぞもほかになし。だい一上るりにくせなし。誠に御ぜんじやうるりともいわん。そも三輪太夫といふはつゆかより外へ御出なく此本にあるならば巻頭巻軸は申に不及名もくの付やうのなひほどの御方今の世にはおしいかな〳〵それゆへ此度はまづ筑前どの巻頭に置此御方を巻軸の位になをし浄るりの評ばん仕ります当二月朔日より姫小松二段目のつめあづまや自[じ]がいしてうれひの内徳寿丸のことをいひ出し一くだり程の所さはり殊之外あはれにおもしろき事見物一まひに取ました此度にかぎらぬ事かわるたびごとに当り目のないといふ事なし[うをや]それ〳〵夫がもふひいき口此度の二のつめ政太夫との跡さひしいてきかれぬといふ評ばん[大名]さあそこで御ざります。其さびしいと被仰評ばん。とかく此大和どの義は。上るりの行義をくづさず。古風に語らるゝゆへ。今の風のかたり口から引合ては。さびしう思しめされませう。しかし。おんぎよくは此人のこと也。此度二段め。重盛のうれひ文句に合してひやうぐを付られし段。いにしへのすがた残りてよし。扨段切りも此度は大分にぎやかなと申後の御役場は四段目のつめ。初日に出ましたとは作方もかわり。人形かずもおほく。はんなりとして吉。かず多き人ぎやう。それ〳〵にことばのわかること。おそらく此御人ならではなし。段〳〵御ひいきもつきますれば当地道とん堀開山上るりの大将軍とはむかふ者もなく連中のはた日にまし夜にましさかへます〳〵太夫さまアツヽとふと〳〵
 
旹宝暦七丁丑仲夏
    作者南蘆
大坂心斎橋南江四丁目東側
    和泉屋平兵衛板