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【スクラップ 文楽の問題 1949.9-10】

(2022.03.20)
提供者:ね太郎
スクラップ 文楽の問題 (大阪弁 第四輯 pp. 150-154 1949.12.20発行)
 
袂分つて身にしむ秋風
対立文楽、苦境愈よ募る因会 24・9・12 (新世界)
 日映演加盟の可否からついに合同がお流れとなつた文楽人形浄るりの旧組合派、因会派の対立は、双方が融合するまでと、松竹側が傍観的に出たため、両者とも地方巡業でその日をすごし、いつしか地元大衆からも忘れられた形となつているが、その後の動向をみると、次の如く労組と結ぶ旧組合派の活発な活動に比し、因会派は相当の御難とみられ、その歩みよりをいよいよ困難としており、今にして調停者が現われぬと、古典芸能の運命はいよいよ窮追しようと憂慮されている。
 旧組合派−−竹本相生太夫、豊竹呂太夫、竹本伊達太夫、桐竹紋十郎ら−−久しぶりに来る十二日から三日間、大阪松坂屋ホールで公演ののち十五ー十七日東海、廿五日徳島、十月七−九日伊勢路、十二月一−十四日東京三越劇場の出演が確定、特に三越劇場の成績次第では、同劇場の専属が予約されているとの噂が出るほど順調である。
 因会派−−豊竹山城少掾、竹本綱太夫、竹本住太夫、竹本浜太夫、吉田文五郎、吉田玉助ら−−人形名人吉田文五郎が医師の忠告から地方巡業に出られぬのが大きくたたつて現在、東海巡業を十六日の静岡で引揚げるが、以後の予定は目下なく、竹本三蝶の女義一座から合同公演の申込みがある程度というさびしさで、特殊な後援会をもつ山城、綱以外の人々に秋風冷たいものがある。
 
「文楽の花園」にまた危機
 山城少掾に絶縁状 合三味線の清六から 24・10・4(毎日)
 大阪の文楽座も、移り行く時代の激流に足元をすくわれて、昨年春以来切実な労働問題で悩み抜き、現在なお組合派と非組合派(因会派)の二派に分裂している状態だが、ここにまたも突如として、この国宝芸術の花園をその基盤からゆるがさんとする「芸道の危機」が、目下公演中の十月興行の東京帝劇出演を機会に、旋風のごとく悲運の同座に襲いかかつてきた。すなわち、同座の三味線の筆頭、名人四世鶴澤清六が「永遠の訣別」の爆弾声明を、その二十有七年の長きにわたる芸道コンビ、同座櫓下、芸術院会員豊竹山城少掾に対してたたきつけた。
 去る三日夕刻、帝劇の二階楽屋山城少掾の部屋へ出向いた清六は、山城と対座、口頭で「永らくお互に修業させてもらつて来ましたが、一身上の都合と芸術上に感ずるところあり、この帝劇興行限りあなたの合三味線から辞退させていただく」と声明、興行主側の松竹も東宝も事の意外に驚き、至急善後策を講ずる態勢だが、同一座にある文楽の人達でさえこの声明は全く寝耳に水だつたので、同座従業員の動揺を防ぐため、清六は四日午後から一座の有志を集め、自己の偽らぬ心境を公開して世論に問う。
 清六の真意を打診して見れば−−第一に、山城少掾は人間的に非常に冷たい。第二に、女房役清六の芸を誹謗する癖がある。第三に、山城少掾は意識的にも無意識的にも三味線ひきを圧迫する態度が見える。第四に、山城は一座の座頭格でありながら、今回の労組問題の紛糾にも全く責任を回避しているのは、責任の当事者として取るべき態度でないなど、積年の不満が昂じたものと見られる。但し、この挙は、決して清六が文楽座を脱退するわけでなく、山城の合三味線を退く意味である。
 鶴澤清六談 大正十二年十月の御霊文楽座興行以来二十七年間、同じ舞台にコンビとしてつとめて来た山城さんに今日突然こんな絶縁状をつきつけねばならなくなつた私の苦しみをまずお察し願いたい。私の芸がいかにまずくとも、二十余年にわたる女房役としての苦労の一つや二つは認めてくれるべきなのに、私の人格を無視した行為があまりにも露骨になつてきたので、ついに今日の決意に至りました。
 
山城・清六別れの段
 不仲とりもつ染分手綱
高橋芸術院長の努力も水泡 24・10・16(新大阪)
 十月の帝劇公演きりで山城さんの合三味線を断るという清六の決意はその後も変りなく、千秋楽の二十日までには到底解決の見込は立たなくなつた。この問題について、大阪の白井松竹会長からは未だに何らの意思表示はなく、ただ田辺重役が上京したが、両者の言い分を聞いた程度で具体的な進展を見ず、東京の大谷松竹社長や吉田文五郎氏がなんとか清六の気持をなだめようとしたが効なく遂に山城・清六の名コンビが永遠に袂をわかつ日が近づいて来た。
 ことに帝劇公演後、水戸と新潟へ旅興行の話もあるが、清六が休演すれば自然山城も休演となり、太夫・三味線の幕内では旅興行中止説を取つている。だが、それではたちまち生活にひびくからと、人形側はあくまで旅興行説を取るなど、この清六問題はいよ/\深刻な波紋を拡げて来た。
 去る十三日夕刻、芸術院長高橋誠一郎氏が帝劇の楽屋に山城・清六両氏を訪れ、個々に面接したが、もちろん積極的な解決への道とはならず、芸道に生きる山城・清六二人の苦悩の表情が一そう色濃く刻まれるばかりだつた。
 以下は高橋院長と山城・清六とが個々に面接した一問一答である。
  清六の場合
高橋 こんどの問題は芸術院でも学士院でもみな非常に残念がつています
清六 御心配かけて申訳ありません、これも芸道上の立場からでたもので、御了解願います
高橋 山城さんの声量が落ちたとか、山城さんの芸が悪くなつたとかいうようなことに原因があるのですか
清六 そんなことは絶対ありません、調子が低くなれば三味線の皮をはりかえるとか、何とかして合わして行けるもので、山城さんの芸が悪いなどとは思つていません
高橋 山城さんとあなたの名コンビは一つの文化財なのです、これはあくまで保護してもらいたいのですが……
清六 三味線の立場を認めてもらえば、太夫との融和もとれると思います。昔から文楽では三味線ひきが太夫を仕込むので、いわば文楽の育ての母です。三味線さえ健在なら文楽は亡びません。これは歴史的に見ても事実です。こんどの問題は、三味線ひき全体の問題で、私の責任感がこうさせたとも言えます。三味線が冷遇されるので、ここ十年来三味線ひきの弟子入りがありません、昔は十四五歳の三味線ひきが十人くらいもいました。今は一番若いので二十台、それも一人しかいません
高橋 山城さんから別れて、今後どうするお考えですか
清六 山城さんと別れるだけで、文楽をやめるのでも舞台をよすのでもありません、また誰の三味線を引くのでもなし、当分休演して永年の心の痛手をいやしたいと思つています、こんどのことに端を発して、三味線道のために少しでも良くなれば私は本望です
  山城の場合
高橋 三味線の立場をよくするわけには行かないのでしようか
山城 私は太夫・三味線・人形を同列に考えていて、三味線だけを圧迫したことも、清六さんの頭をおさえた覚えもありません、清六さんは何が気に入らないのかわかりませんが、三味線の立場を思えばこそ、私は鶴澤友二郎さんを芸術院会員に何度か推薦しているのです。これはまだ実現しませんが、現在三味線の第一人者は友二郎さんです、この人をおいて、私の女房役の清六さんを推すわけには行かないのです
 高橋 何とか解決の道はないものですか
山城 私は最初から他意はないので清六さんの気持のとけるのを待つばかりです
高橋 清六さんが休演すれば、あなたの三味線はたれがひくのですか
山城 誰にひかせるか、そんなことは全然考えていません