人形浄瑠璃文楽 令和七年九・十月公演(初日所見)  

Aプロ
  Welcome to BUNRAKU!
  10分間の映像である。文楽の概略を名場面の連続で説明するが、単調で面白くない。ユネスコ世界無形文化遺産の説明文を利用しながらすればよりよいものになったのではないか。表面的だと感じたのはその時間の短さのためかもしれないが、この程度ならばわざわざ時間を設けて映像を流さなくても、英文パンフレットで片付けられそうなものである。大阪関西万博開催中を狙っての取り組みであったが、その効果の程は疑わしい。

『恋女房染分手綱』
「道中双六」
  希と清志郎。一通りの語り分けと弾き分けはできているが面白さに欠ける。ツレの碩は元気いっぱいで三吉を演じ、錦吾も道中双六を賑やかに聞かせた。こういう端場が面白いと切場がより引き立つのであるが、今回は切場のお膳立ては出来たというレベルであろうか。心浮き立つまでには至らなかった。

「重の井子別れ」
  大和風である。この風物というのは、内容や情感の描出が風によって塗り込められているので、その風を十全に体現できないと、その中にあるものが出てこない。大和風は詞が少なく地色でうねうねと続いていくのであり、あとはノリ間も特徴的である。それらが描出できてこその内容であり情感なのである。若と清介はその点においてまだまだ至っておらず、結果として内容も情感も色濃さに欠けていた。風物の難しさを実感したところである。切場のボリュームとしてもあっさりしたものであるから、余計にその風が体現できていなければ、物足りなくあっさりとした印象に留まってしまうわけだ。そこのところの風が体現できる床こそが名人ということになるのであろう。とはいえ、宰領の描出などはさすがに年齢を重ねているだけのことはあると感じさせるところであった。
  人形は、やはりこの床の物足りなさの影響を受けてしまい、勘十郎師の乳母重の井もその風格は滲み出ていたが母子の情感となると深さに欠けていた。三吉の勘次郎は敢闘賞を呈してもよい。本田の玉也は映っていたがそれ以上どうこう言えるものでもない。

『日高川入相花王』
「渡し場」
  清姫の清十郎がなかなかの遣い手ぶりを見せた。清姫としての愁嘆から蛇と化す情念の深さの描出へと巧みに演じて見せた。渡河の場面も鮮やかであった。船頭の簑紫カも卑俗さがうまく描出されていた。床はシンの三輪と勝平がよくリードし、ワキの南都と清丈もよくサポートしていた。三枚目の咲寿も伸びやかでよかったが、薫はまだまだ修行中の身である。全体として三業の成果は外国人に文楽の魅力を提供するに足りていたと評価してよいだろう。

Bプロ
『心中天網島』
「北新地河庄」
  端場が省略されている。時間的な都合であろうが、画竜点睛を欠いた感がある。この端場があってこそ切場がしっとりしみじみとするものでもあるのに。その切場は千歳と富助の担当であるが、全体としてよくその結構を捉えていたとしてよいだろう。切場担当としての責を果たしたとしてよい。ただ小春のクドキである繁太夫節のところなどはもっと美しく描出できたはずである。後場を清治師の三味線で呂勢が勤めるが、ここもやはり合格点を付けられる出来であった。孫右衛門はもっと自然体で映るようにはしたいところではあるが。

「天満紙屋内」
  端場は亘と団吾の担当。マクラからしっかりと語り弾かれており、人物の語り分け弾き分けも十全になされており、よい端場であったと評価できる。奥は藤と燕三で、全体として情感を持って描けたとしてよいだろう。着物尽くしなどはもっと美しくも出来たではあろうとは思う。世話物の日常を大げさでなく丁寧に描いたというところであった。

「大和屋」
  芳穂と錦糸。マクラから情景描出に心を配っており、この淡々とした中に情感が滲み出てくる佳作をよく体現できていた。十分に稽古が出来ていたものとして評価できる。魅力的な一段としての印象が残ったということは、成功裏に終わったとしてよいだろう。

「道行名残の橋づくし」
  小春が睦で治兵衛が靖。ともに少々苦しいところがあったが、全体として破綻することなく語り進めた。三枚目の聖も声が伸びていてよい。三味線は清友がよくとりまとめ、二枚目の友之助も的確な弾き方であった。
  人形陣。玉男師の治兵衛はその感情の起伏が巧みに描出されていた。最期の心中場も原作にある通り風に揺られる瓢箪の趣を描き出していた。和生師の孫右衛門は武士としてまた町人としてのカワリも明白で、かつ道理を弁えた兄としての格も描出できていた。小春の勘弥はどこか常に憂いのある姿を描出しており、高得点をつけられるものであった。ただし最期の場面は原作にある通りもっと苦しまないと近松の意図を完全に描出したことにはならない。おさんの簑二郎は商家の嫁としての姿をよく描出しており、舅の玉志はにべもない昔人と詞章にある通りの人物描写が出来ていた。太兵衛の勘寿は燻し銀である。

Cプロ
  Welcome to BUNRAKU!
  こういった概説映像を見ていると、思い出すのは国立劇場が開設当初に作成した「文楽」という紹介映画である。あれほどの傑作はない。もちろん登場しているのが往年の名人上手たちということもあるが、内容が実によくできており、「阿波鳴」を使っての義太夫節と人形の連繋場面や、人形拵えから実際の舞台場面への一瞬の変化でその実体を見せるなど、各所に工夫もされていた。あの作品に英語の字幕を付けたものができれば、それこそ完全体の概説映像の完成といったところであろう。今日では見る機会がなくなってしまった作品であるが、このままお蔵入りさせるのは実に惜しいものである。

『曽根崎心中』
「生玉社前」
  靖と団七。物語の発端をトレースする場面としては及第点である。しかし活写したというところにまでは至っていない。もっと面白くできるはずである。

「天満屋」
  近松世話物としての最初の作品。昭和期に復活上演されたというよりも新作として発表されたとした方が実情に合っている。複雑多岐にわたっているという曲作りではなく、他作と比較するとむしろあっさりとしているという印象を受ける。とはいえ、床下の演出や闇の中での手探りの描写など、各所に工夫が凝らされてもいる。錣と宗助が勤めるが、まずは全体像を正しく観客に届けたとしてよいであろう。ただし全体を包み込む情感の描出などは、あの綱弥七の超絶奏演があるだけにどうしても比較してしまう。致し方のないところであるが、少なくとも切場を勤める者としての責は果たしたとしてよい出来であった。

「天神森」
  かの名文が奏演される。藤蔵に清馗に寛太郎以下がよく揃って厚みのある三味線を聞かせる。太夫はお初が織であるが少々苦しいところがあり、初々しさにも少々欠けるところがあった。徳兵衛は小住で伸びやかに語る。三枚目の聖もよく、織栄も及第としてよかろう。
  人形はお初徳兵衛の一輔と玉助がその初々しさをよく表現していた。近松最初期の作としての新鮮さがよく描出されていたし、床下の名場面も見応えがあった。九平次の玉佳は陀羅助カシラの性根をふまえて的確に遣っていた。

 以上で劇評を終えるが、かつてに比較してあっさりとしているのは仕方の無いところであり、何度も申しているとおり、劇評というものはあらかじめ頭の中に出来ていたり、後からひねり出したりするものではなく、客席に座っていると自然に湧き出てくるものがあり、それを帰宅後文章化するという行程なのである。したがって、劇評があっさりしているということは、観劇中の感動もそれなりであったということであり、それはやはり文楽三業の実態を如実に反映しているものなのである。その意味では、本文中で述べた映画「文楽」について書き記す方が筆が進むということでもあり、かつて開催されていた公演記録映画会を鑑賞した後の方が、劇評が湧き出てくるということにもなるのである。その意味からも文楽の危機は静ではあるが確実に進行しているといえるのかもしれない。