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420]
戦災
……あの晩(二十年三月十三日)ですか? 文楽座は休座中で、ズツト宅にをつたんですが……はじめの内はすぐお向うのお医者さんの三田さんの地下室−−川ツぷちの家なので、うしろが地下室になつてる所へご近所の方と一緒に、家内とふたり避難いたしてをりました。南のはうの空がボーツと赤くなつてるのが窓から見えてをりました。常から大事なものを容れてゐる手提げ鞄と、ほかに風呂敷包み一つだけ持つて出たんですが、珠数を忘れたことに気がついて家内に取りに戻つて貰ひました。私どもは本門仏立派なんです。二度家内が家へ物を取りに戻り、三度目に私が出かけました時には、もう、そこら中燃え出してゐて宅にも火が廻はつてゐましたので、こりやいけないと思つて、家内を連れ出しに三田さんへ引返して戸口を這入らうとすると、ガラスの庇をぶちぬいて、私の右の肩へドスンと一つ焼夷弾の破片のやうなものが落ちてきました。私は背中と胸とを座蒲団で挟んだやうな恰好のものを着けて、その上に頭巾をかぶつてましたので怪我はありませんでしたが、ほんの一と足の違ひで脳天をやられてゐたことを考へると寒くなります。せつかく持出した僅かなものも地下室に残したまゝ、居残つて消火に努めてくれてた家の山郷といふ女の安否を見届ける暇もなく、家内と私はそれなり島の内の方角へ逃げました。(山城少掾聞書)
勘定場 
2026/02/14(Sat) 16:53
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419]
戦禍
……院[まる]本だけは、まつたく惜しいことをしたと思ひます。近松物は慥かあと一、二冊で皆揃ふ筈でした。普通に学者がたの研究では百二十何冊といふことになつてゐるんですが、近松と推定されるものを入れて百五十冊ありました。紀海音が五十冊、それにご承知の絵入りのシラミ本なども相当にありました。版下まで聚めてたんですが、これなど永久に湮滅したわけです。(山城少掾聞書)
勘定場 
2026/02/12(Thu) 13:54
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418]
小津賀と伊達
大隅太夫、団平の一座は、久しく北国地方を興行中なりしが今度帰京して、明後十六日より浅草花川戸なる東橋亭に於て、毎日午後五時より興行するよし。(明治21.10.14 やまと新聞)
浅草の吾妻橋の近くにあつた東橋亭といふ寄席へ、団平さん、大隅さんの一座が出演されました。当時私は竹本小津賀太夫と申して、子供太夫で寄席へ出てをりました。そんなことで東橋亭の持主の倭太夫さんとも心易かつたので、その興行中は毎晩のやうに出かけて行つて、高座の際にひつついて聴いてをりました。(山城少掾聞書)
これは又大隅一座が花川戸の東京[橋]亭にかゝつてゐた時の事である。私は毎夕御簾内を語らされたが、其時は廿四孝の四段目、十種香を稽古してゐたので毎日/\十種香ばかりを語つてゐた。(我が身の上)
ね太郎 
2026/02/11(Wed) 08:48
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417]
山城少掾聞書
勘定場 
2026/02/07(Sat) 17:39
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416]
弐月
衣更着。
やはり通常の冬ではない。
暖かいかと思えば猛烈寒波である。
これも夏と冬でしかなくなったためであろう。
春秋という言葉も今やどこへやらであるのだ。
勘定場 
2026/02/01(Sun) 08:39
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415]
正月公演評
例年の初日観劇は所用によって三日目になった。
昨日の今日とて早速に公開する。
勘定場 
2026/01/06(Tue) 12:01
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414]
壱月
謹賀新春。
恭賀新年。
頌春。
春の訪れも旧暦ならばこそ。
本日は十一月十三日である。
勘定場 
2026/01/01(Thu) 00:01
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413]
十二月
師走とは過去のことで、
今やクリスマス一色である。
歳末という言葉も、
聖夜の前には霞んでしまう。
ここでも昭和は遠くなりにけりである。
勘定場 
2025/12/01(Mon) 09:34
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412]
鴻池幸武年表
以下の事実が判明いたしました。
「本校第四十五回卒鴻池幸武」(『北野百年史』p5)
勘定場 
2025/11/15(Sat) 18:10
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411]
十一月
本格的な秋というのは何を指す言葉だったか、
もはや忘れてしまった。
気候変動はますます酷くなっている。
今月もその存在意義を見失ったかの如く、
ハロウィン後クリスマス前の一ヶ月となってしまった。
勘定場 
2025/11/01(Sat) 09:47
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