お米のクドキ(ノリ間) | 道具返し三重(後半) | 十兵衛の心情吐露 | |
古靱・清六 |
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津・友次郎 |
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山城・清六 |
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山城・藤蔵 |
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相生・重造 |
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津・寛治 |
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越路・喜左衛門 |
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お米のクドキ「思ひしことは幾度か。死んだ後でもお前の嘆きと、一日暮しに日を送る。どうぞお慈悲に御了筒と、東育ちの張りも抜け」
十兵衛の心情吐露「親仁様、平三郎でござります。幼い時別れた平三郎、段々の不孝の罪、御赦されて下さりませ」
【1】お米のクドキは、これまでの経緯の上に様々に思い悩む複雑な心情を表現するため、完全なノリ間はその最後にしか用意されていない。
逆に言えば、その最後で十分な解放をすることで、クドキの快楽とともにお米の心情が胸に刻み付けられることになるのだが、
年代が下るにつれ、また彦六系よりも文楽系の方がノリ間に消極的で解放感に乏しくなっている。
【2】最後の二と三の糸を掛け皮に当てて強く弾くところが、どれだけためを作るかになり裏ビートに近くなるのは上記と同様の傾向である。
【3】「町人なれども」「武士に劣らぬ丈夫の魂」をもった十兵衛が、最後の最後、父の最期に堰を切って親子の名乗りを吐露する。
「お前様は恐ろしい発明なお人ぢやの」とまで言わせた十兵衛が、「親子一世の逢ひ初めの逢ひ納め」とたっぷり情感込めて語られた後に、
、「親仁様、平三郎でござります」と最初で最後の慟哭をする場面は、平作よりも十兵衛が主役だと思われるほどで急速調でなければならない。
これもまた前二者と同様の傾向にあるとしてよいだろう。
ここから、現代「沼津」の第一人者住大夫(錦糸)の語りを位置付けることができる。どの延長線上にありどこと最もかけ離れているかである。