・玉幸も実感あり(『本蔵下屋敷』平成十年四月公演)
・玉幸の宗任もこれまた兄貞任を相手によく見栄えがした。(『奥州安達原』平成十一年正月公演)
・入鹿を遣う玉幸も前回に増して大きさとこせつかない動きとを身につけていた。(通し狂言『妹背山婦女庭訓』平成十一年四月公演)
・玉幸の幹部格ではもったいない。(「勧進帳」平成十三年七・八月公演)
・玉幸の老一官がよく映り、対面の場も情愛深く、文句のないレベルであった。(『国性爺合戦』平成十四年一月公演)
・九平次を玉幸、脇固めの布陣も十分であった。 (『曽根崎心中』平成十四年七・八月公演)
・玉幸の八右衛門はあくまでも実に、大ぶりに遣って原作詞章の表現を崩すことがなかった。(『冥途の飛脚』平成十四年十一月公演)
・玉幸の豊成もよく、(「中将姫雪責」平成十五年一月公演)
・玉幸の助右衛門はこれはもう年功であろう。(「大文字屋」平成十五年四月公演)
次代立役が約束されていただけに、
劇評は勢い辛口にならざるを得ませんでした。
他の人形遣いであれば褒めるべき所を、
当然のこととして評言に挙げなかったことを、
今になってただただ後悔するばかりです。
近松世話物では常に敵役でしたが、
これもまた立役の肚を現場で学ぶためであったのです。
玉助という大名跡が看板に書き表されるまでに・・・。
幸あれと祈りしものを玉の緒の絶ゆるは長き別れなりけり
合掌