吉田 玉英


・玉英の小巻はこの布陣にあって遜色はなかったし、典薬の妻という格もはみ出さなかったが、(『伽羅先代萩』平成十三年一月公演)

・儲け役下女まんの玉英も素朴でよかった(「淡路町」『冥途の飛脚』平成十四年十一月公演)

・合邦女房の玉英、これまで簑二郎と組まれて損をした感があるが、「六段目」の婆といい、この人は少ない動きの中にこそ見どころがある。よく映ると言っては失礼になる年齢だが、こうして見ると師匠である玉男師の遣い方をよく学んだ結果ということであろう。となれば、尾上や政岡などを遣わせてみるのが面白いというものである。

(「合邦庵室」『摂州合邦辻』平成十七年七・八月公演)
・おむつの玉英はよい。無論屈折した心理は必要ないからだが、本当によくなった。あのモタモタは何だったのだろう。芸が化けるという一典型だろう。
(「喜内住家」『太平記忠臣講釈』平成十八年一月公演)
・お中の玉英はかつてのぎこちなさが消えて結構、(「内本町道具屋」『夏祭浪花鑑』平成十八年七・八月公演)

・玉英は立ち姿と動きに滑らかで艶のある遣い方は、年嵩の姉的な少女という趣さえ感じさせるほど魅力的であった。(『二人禿』平成十九年一月公演)

・三浦母の玉英はすっかり婆が持ち役になってきたが…、玉男遺産の一つである不動の動をいつの間にか身に付けていたのが驚きである。

(「絹川村」『鎌倉三代記』平成十九年七・八月公演)
・早瀬の玉英が生き生きとしていたのがすばらしい。(「和田兵衛上使」 『近江源氏先陣館』平成十九年十一月公演)

・婆の玉英は嘆息するほどピタリであり、(「すしや」『義経千本桜』平成二十一年四月公演)
 
 

以上は劇評から抜粋したものです。

 
 故玉男師の遣った立女方格の高みにいよいよ手を掛けるかという矢先に…。
少しでも動いて目立とうとする人形遣いが多くなった中、婆を遣える中堅としても貴重な人材でありました。
玉梓の使ひ悲しき蒲公英  やなぎ
合掌。