豊竹咲太夫

 

・咲大夫がすばらしい。佳品に仕上がった。白骨のお文からが秀逸である。こう見事に白骨のお文を語られると、お染久松は死に至るのが自然であろう。本来の戯曲の正しさ素晴らしさを舞台上の浄瑠璃で指し示した咲大夫の功は称揚して余りあるものである。
(「蔵前」『染模様妹背門松』平成十年正月公演)

・平右衛門は咲大夫が大きさあり人間味あり前に出る勢いもあって上出来。今回おかる平右衛門の場面で涙を禁じ得なかったのはドラマの成功であるし、「繋ぎました命は一つ御恩に高下はごわりませぬ」の詞がこれほど胸に刺さったことはなかった。
(「茶屋場」『仮名手本忠臣蔵』平成十年十一月公演)

・染太夫風である。咲の床で初めて聞いてそう思い、調べてみるとそうだった。知識が先にあったのではない。眼前の床に三百年の芸の伝承が再現されていたのである。それだけでもう今回の床の成否は自ずから明らかであろう。咲が勤めた今回の「景勝下駄」、この成果の大きな意味を噛みしめるとき、本公演随一の出来と賞賛することもまた諒とされるに違いない。
(「景勝下駄」『本朝廿四孝』平成十三年十一月公演)

・中、咲。絶品。余人無し。天晴れの面目躍如。例えば伝界坊、悪巧みの底を持つ卑しさの上に面白可笑しくなければならず、しかし悪のりして客席を不愉快にしてはならぬ、このように難物極まりない代物を、軽々とやってのける。また、太兵衛とのクドキのパロディー等、用意された節付けの妙を見事に語り聞かせるのは、元の地やフシをきっちり語る力量が備わっているからである。カンカンにならず余技として勤められる、これはもう切の字が付いて当然であろう。
(「紙屋内」『天網島時雨炬燵』平成十七年一月公演)

・奥 咲は古靱の見台を用意し、マクラの位取りからただならず、「苦労する(墨)住み憂き事を」と掛詞にも留意し、早くもこの一段の厳しさを描出した。お筆とおよしそして権四郎との浮沈も見事である。とりわけすばらしかったのは権四郎の「女子黙れ」以下の詞、力あり心ありで涙の玉を浮かばしめた。逆櫓まで語ってしかも楽日まで声量声質とも平常を保っているのは、これこそ正真正銘切語りの証である。三味線も豪壮に弾ききって十分。今回の襲名披露狂言は文字通りではなく、より多くのものをもたらしてくれた。人形浄瑠璃文楽の明日には確実に灯が点っているのである。
(「松右衛門内より逆櫓」『ひらかな盛衰記』平成十八年四月公演)

・ここの出来次第で本公演の紋下格がどこに位置するのかが理解できる。そして、楽日前に聴いた時、ああこれは間違いなくここ、つまりは咲大夫にそれはあると実感した。大音強声は当然だが、変化も出来て甲乙揃い、クドキ(ここでは雛絹)の衷情と母子の情愛が伝わり、段切りまで息もつかせぬ展開を、混乱せずと面白く仕上げなければならない。この大曲を語れてこその第一人者なのだが、見事全身義太夫節に浴して、堪能することが出来た。咲大夫の場合は、この紋下制の復活(というよりも長かった一時停止の不自然な状況の解除)が当然企図されるべきである。
(「正清本城」『八陣守護城』平成二十年十一月公演)

・切場は咲大夫。「大和屋」や「朱雀御所」は亡父譲りの余人無き一段ゆえとして、「菊畑」「正清本城」に今回「毛谷村」を勤めたのであるから、これは正真正銘の櫓下・紋下であり、斯界のリーダーということになる。「風」が語れなければ(二つの意味において)そうは呼べないのであるから、彼こそが戦後無人となったその地位に納まるべきであり、銀襖もその時には金襖にしていただきたい。お園の出からは見事で、奥へ入ってのクドキは三味線の見事さによってフシ付けの魅力を堪能できたし、斧右衛門は自家薬籠中のもの。そこから段切りまでは六助の力強さに時代物としての貫目が出て堂々の寄り切り横綱相撲で、大当たりと声を飛ばしたくなるほどであった。義太夫節浄瑠璃を聴く楽しみを、この床はきっちりと味わわせてくれるのである。今回の見台は古靱のものであったが(これは後述する最古の文楽映像で古靱が使用していたものかもしれない)、それに違わぬ内実であった。
(「毛谷村」『彦山権現誓助剣』平成廿二年一月公演)

・とりわけ感心したのは、段切の「采女これにと走り寄りンニ〜」の情味と、「汗か涙の露に濡れ〜」の哀切が、カワリの巧さからそのまま描出されたことで、これでこそ太陽神の回復という大歯車と七つ子の犠牲という小歯車とが刻んだ十三鐘の古跡が、物語として伝説化されることになったのである。
(「芝六忠義」『妹背山婦女庭訓』平成廿二年四月公演)

・咲大夫が勤めるが、通奏低音としてサラサラと流れゆく上に、お梶に徳兵衛そして三婦の湿度の高い情味が描かれ、それを団七そして市松の何心ない乾燥した語りが対置されていた。それはまた、夫唱婦随、兄貴分と弟分、母と無邪気な子、そして人生を知り尽くした老爺と、それぞれの立場が現れたものでもある。これだけを捌きながら、しかも前半徳兵衛の心情吐露で涙を催させ、男女の痴話で笑わせ(越中がまだ死語ではなかったことにホッとした)、抜き身の争いに緊張感を漂わせたのは、さすがに来るべき櫓下である。
(「田島町団七内」『夏祭浪花鑑』平成廿二年七・八月公演)

・切場。もちろん伝説の綱弥七も予習して臨んだが、5日に聞いて超絶の一語に尽きると驚嘆した。入れ事も洒落が効いていたが、全体として引き締まった構成の中に各人物の個性が際立ち、細部まで神経が行き届いて、これを聴かずして年は明けたと言われまいと感じた。咲大夫による完成型の一つと言ってよい。亡父の継承者たるに何の異存もない語りであった。
(「油店」『染模様妹背門松』平成廿三年一月公演)
                              以上は劇評から抜粋したものです。

咲。
まさに名は体を表すの通り、
華やかな人物像は、
常にその語りを反映しておりました。
山城少掾から八世綱大夫へと続く血脈の咲くところ。

サラブレット。
それは近代と現代とを繋ぐために必須であり、
浄瑠璃義太夫節が「音曲の司」であり続けるためにも、
絶対的な存在でありました。
「風」の体現者としても。

贈 紋下