・呂大夫はいい。ほれぼれするほどいい。今回はピタリです。
清新な中に若男の色気ある愁いの姿表情をよく表現していた。(「山」『妹背山婦女庭訓』平成六年四月公演)
・平右衛門も呂は極上上吉だ(「茶屋場」『仮名手本忠臣蔵』平成六年十一月公演)
・呂大夫は上出来である。
詞章に心を配り、確かな手ごたえで語り進む。
またカワリや足どりについても、気配りされている。(「道春館・端場」『玉藻前曦袂』平成七年一月公演)
・語る呂大夫も団平の用意した仕掛けを忠実に再現し、
浄瑠璃としてこの作品の程度なら楽々仕上げてしまった力量はさすがである。
団平百年忌記念狂言として成功を導いた。(「山」『壷坂観音霊験記』平成九年一月公演)
・呂富助は風を心得、足取りや音遣い等よく稽古している。
大和風もマクラから「石塁高く」のスヱテまでの部分にまず聞き取れる。(「楼門」『国性爺合戦』平成九年十一月公演)
・呂・清介のシンが良く、詞章と節付けにきちんと意を用い、よく心して語っていた。(「桜宮物狂い」『良弁杉由来』平成十年一月公演)
・浄瑠璃としての緊迫感あり、骨格あり。マクラからさすがである。段切り近くなども周到至極。
今やこういうちょっとした立端場をもたせたら天下無敵である。(「評議」『新薄雪物語』平成十年四月公演)
・前回に比して長足の進歩。平右衛門の咲大夫とこの場の呂大夫、
次代の切語りは間違いなく並び立つであろうことを実感しただけでも、
今回の『忠臣蔵』の価値は十二分にある。(「殿中刃傷」『仮名手本忠臣蔵』平成十年十一月公演)
・冒頭の道行は呂勢とともに雰囲気を出す。
呂の見台は街道筋を行く駕篭舁をあしらったもので用意周到。(「石部宿屋」『桂川連理柵』平成十一年七・八月公演)
・端場の呂清友が実に素晴らしかった。久しぶりにいい端場を聴かせてもらった。
当世一大名物「呂大夫の端場」を味わうことができたのである。(「五人伐・端場」『国言詢音頭』平成十二年七・八月公演)
次代の紋下であり、名人となるべき太夫でありました。
芸風声柄音遣い等の技量はもちろんのこと、
品格識見伝承等においても、新世紀の櫓下に相応しい人物でありました。
「本当に賞められまする時には、一段を語り畢つた時『アー面白かつた』といふ心持が、一般に座の中に充満しますから、
何所ともなく溜息を吐く様な言ふに言はれぬ一種の声が聞えます。
これを私共の方では、ジワ\/が来ると申しまして、
それでこそ初めて芸が聴衆を感動させたといふ事になるので御座います。」(『義太夫の心得』竹本摂津大掾)
この「ジワ」を取る事ができたのが呂大夫でありました。
平成二年一月公演での『嬢景清八島日記』立端場「花菱屋」(三味線清介)。
未だに忘れることができないあの時の感動は、
掛けるべくして掛けられたのではない、盆が回り終わる直前の「呂大夫」の掛け声にも、
叩くべくして叩かれたのではない、うねりのように満場を包み込んだ拍手の波にも、
それは明確に表現されていたのでした。
千載一遇、一期一会という言葉の至上の意味も、
そして、名人の芸談という真実も、
立端場を語った呂大夫によりもたらされたのです。
…今となってはもはや一言もありません。
岩波講座『歌舞伎・文楽』第10巻「今日の文楽」V文楽の演出(三)−−復活・通し上演と太夫−−豊竹呂大夫・内山美樹子
これもまた図らずも至純の「誄詞」となってしまいました…
どれほど悔やんでも悔やみきれるものではありません。
呂大夫がその対象であったからこそ発せられた次の言葉を以て、
「誄詞」とさせていただきます。
「今日は『文楽入門』ということなんですが、人形がないじゃないかとおっしゃると思うんですけれども、
呂大夫さん、だいたいこのねえ、義太夫というものはもともとこの太夫と三味線の語りだけでできていたのに、
その理解を妨…、あの、助けるために、この人形があとからついたということをよくうかがいますけれども、
やはりその一番の中心になるのは、人形ではなく太夫さんだと思うんです。そう、そうじゃございませんか?」
「人間が人間に伝えていく。そしてそれがまた次の人に伝わっていく。
これがねえ、伝統芸能を正しく守るという意味でもね、それから伝承という意味でも、
実にこれが正しいことであると、私は信じたいですね。
そしてそれが、生きている芸能だと思います。」